2:妹への懇願

 俺が玄関の扉を開くと、まず最初に見えたのは、コーヒーカップを片手に眉を顰め、口をもむもむと動かす妹の表情だった。

 フタツは俺を見るなりヒクヒクと表情筋を動かしながらカップを差し出してくる。


「……可愛い妹がコーヒーを淹れてあげたよ」

「…やっぱりか…」


 おそらくこれは本件において初めにして最大の課題だ。

 俺が今さっき婆ちゃんから聞いた内容をどのようにしてブレークに伝えるか。

 今からまともに跡を追って直接それを伝えるのはあまりにも無理がある。例え馬を使っても辿り着く前に彼らは破滅と酩酊の森へと入っているだろう。報道に使われる使い魔さえも覗けないほど深い魔法のバリアが張られている森だ、そうなれば合流は十中八九不可能となる。

 転移魔法テレポートはどうだろうか。いや、申請と準備を合わせれば丸3日ほどかかる。とてもそれじゃあ間に合わない。いや、そもそもあんな危険な場所へとテレポートを許してくれるかどうかも怪しいな。


「…アニキ、どうかしたの~?」


 差し出されたカップも受け取らずに悩んでいた俺に、ソファから立ち上がったフタツが近づいてくる。

 

「にいちゃんな、実は今すごいことになってんだ…俺の動き次第で、世界が破滅しちゃうかもしれない」

「…ふーんすごいじゃん」


 結局瓶から砂糖を掬って大量にコーヒーに入れつつも大した反応を見せない妹。

 確かにこれだけ言われてすんなり信じられる奴がいる訳もないか。

 しかしまず何から説明すればいいんだろうか。婆ちゃんは未来を見たこと、半年後にこの世界は滅びること、それを防ぐためにはことの顛末をブレークに伝えなくちゃいけないこと。

 いや、ありのままを伝えるほかあるまい。どの道本件は俺だけじゃあまりにも役不足だ。俺と違い婆ちゃんの血を濃く受け継いでいる妹に協力を仰ぐ他ない。


「よし、フタ、記憶を読み取る魔法を使ってくれ」

「え~?あれアニキめっちゃ嫌がるじゃん」

「今は緊急なんだよ、つべこべ言うな」

「はぁ~~わかりましたよ救世主さまぁ」


 俺の妹フタは魔法の天才だ。

 幼い頃から魔法を覚え始め、今では200種類以上の魔法を手足のように自在に操ることができるようになった。国内でも最も優秀な魔法学校に通い成績はトップクラス。今すぐ1人で旅にいかせてもまるで不安にならない。

 記憶を読み取る魔法ブレインも本来学生が使えるようなもんじゃないんだが、コイツは隙あらばホイホイ使ってくるから一緒に暮らしてて時々怖くなるくらいだ。

 フタは俺の瞳を真っすぐに見つめる。徐々にフタの瞳が紫色に染まり始め、俺の中の記憶が読み取られ始める。


「ん」


 ぴくり、とフタの眉毛が動いた。

 どうやらこの数秒で記憶を読み取り終えたらしい。妹の口角が徐々に上がっていき、にやにやと笑みを隠し切れずにいる。


「…わかったか?」

「うん、ちゃんと読み取れたよ。オバアの録画した動画のこととか、アニキが泣いてるところとか」

「かぁ~ほんっと意地悪な奴…俺の服汚したの、やっぱりお前だったじゃないか」

「まったく最期の最後で余計なことしてくれたな、あのオバア」


 フタは確かに婆ちゃんの血を強く受け継いでいる。

 だが肉親に対して関心がないトコもまた強く受け継いでしまったようで、婆ちゃんが死んだと分かった時も特に気にすることもなく魔法の実験を続けるほどであった。

 時々俺が死んだときにも何にも思ってくれないんじゃないかと心配になるほどだ。


「よ~しフタ、償いとしてお前のその明晰な頭脳を俺に貸してくれ」

「はいはい、どうやってこのことを勇者様に伝えるかってことでしょ~?」

「いぇあ」


 するとフタはふふん、と鼻を鳴らし胸を張った。


「王様に伝えてもらえばいいんだよ!」

「おお」


 目から鱗だった。

 王族は専属の魔法使いに伝達魔法メッセージを使わせ、勇者に対して常に指示を出せるようになっている。

 ここから城までは馬車でいけば数10分だ。まだブレークは森の中に入っていない。今日中に国王と話せれば十分にブレークにも伝えることができるはずだ。

 なんだ。婆ちゃんがあんな風に言うもんだから随分と長い旅路になると思っていたが、一日で終わる簡単な作業だったじゃないか。


「緊急事態なんです~って言えば会ってくれるっしょ?それにこれでも私…天才魔法使いヒークと勇者タズの孫にして最高位魔法使いだし~~?」


 最高位魔法使いはこの世界に持っている者が10人といない最強の称号だ。学生でそれを手にする人間はおそらく後にも先にもフタ以外はいないだろう。

 なんでもない一般人が言うのならいざ知らず、大魔法使いの孫であり、本人自身も大魔法使いである妹と一緒ならば、火急の用事であると伝えれば謁見できる…ものなのだろうか。王様なんて一度遠くから偶然見たことがあるくらいだからどうにも距離感が掴めない。

 まあ事態が事態だ。無理にでも会ってもらえねば困る。

 それになにも「魔王を倒すな」とは言うわけではない。「ガードとかいう執事を倒してから魔王と戦ってくれ」と言えれば良いのだ。


「と・こ・ろ・でぇ…アニキ、オバアのトコからなんか持ってきた?」

「ん?ああ…一応婆ちゃんが書いたボロボロの本だけ持ってきたけど…中身ほとんど白紙だぞ?」


 俺が鞄から本を取り出すとフタは「かして」と一言添えて半ば強引にそれを奪い取った。

 

「ふ、う、ぅ~~ん…なるほどぬぇ~…」


 フタは本を開くと、紙に穴が開いてしまいそうなほどじぃ…っと中を見つめ始めた。

 俺が後ろから覗き込んでもやはり何処にも文字は書いておらずよれよれの紙の端が少し黒ずんで汚れているようにしか見えない。

 しかし、フタは少しすると眉毛をピクリと揺らしてから顔を離した。


「ねえアニキ、きいてきいて?」

「ん~?」

「これ、未来を見る方法が書いてる」

「………まじ?」


 確認のため最後まじまじと白い紙を見つめる。

 表紙を掴んで顔をほぼゼロ距離まで近づけたり顔を揺らしてみたりするも、やはりどの角度からどんな風に見ても俺の目にはその文字は映らなかった。


「濃い魔力を当てると見えるタイプだね、危険だったり極秘の魔法を取り扱う魔導書あるあるのリスクヘッジだねぇ」


 フタは人差し指ですいすいと紙をなぞる。すると確かに薄っすらと汚い字が浮かび上がってきた。

 相変わらず俺たちの使っているものとは別の言語で書かれているため何を書いているのかはまるで理解できないが、よれよれでバランスの悪い癖のある字はそれが誰の手で書かれたものなのかを雄弁に示していた。


「え、それじゃあお前…今、未来見れんの…?」

「ムリ」

「ふぇ?」


 思わず高めの声が出てしまった。


「まず必要な魔力量が多すぎる、そんでもって質も高すぎる、魔法陣は複雑だから…ゆぅ~っくりすりゃあなんとかなるけど今すぐにやろうと思えば…多分死ぬ」

「ふーむ…つまりその本は今んとこあんま使えないってことか?」

「いいや?寧ろビッグボーナスよ、王様に会う時にこっちの説得力が上がるっしょ?」

「おンまえあったまい~なぁ~」


 思わずわしゃわしゃとフタの頭を撫でる。

 確かに宮廷魔術師あたりにこの本を渡してその場で見てもらえれば、こっちが未来を見たって言う言葉に信憑性を持たせることができる。

 こりゃあ本当にハジメとフタツの冒険はたった1日で終わっちまうかもしれないな。

 フタはにこにこ笑顔で本を自分の可愛らしいピンクの鞄へとしまい込むと「それじゃあパズルのピースも揃ったし…早速王都にいこっか」と声をかけた。


「ああ、俺達で世界を救ったろう」

「…まあ別に直接なにかするわけじゃないけど~…」

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