ノーデスノーキルで回避する世界滅亡

誠実生

プロローグ

1:魔術師からの遺言

 今から200年ほど前、突如としてこの平和な世界に、全ての魔物の長…魔王を名乗る男が現れた。彼は10人ほどの強力な魔物を引き連れ魔王軍を結成し、人類へと宣戦布告をしたのである。これが人類と魔王との長い歴史の始まりであった。

 そして現在、世界はまさしく転換期を迎えようとしていた。

 稀代の天才剣士ブレーク率いる4人組のチームは有史以来最強のパーティとされ、これまでに魔王軍幹部を3人も討伐し現在魔王城へと突き進んでいる。

 魔王に怯える全世界の人々が皆固唾をのんで彼らの動向に注目する中、先月18歳の誕生日を迎えた俺はなにをしているかというと…


「…婆ちゃんの遺品整理、か…」


 1つ1つランプに火を灯していっても部屋の広さや棚の多さのせいかまるで全体に光が行き届かない。何処を見渡しても薄暗く、つい5日ほど前まで人がいたとは思えないほど埃っぽい。 

 98歳の婆ちゃんがこんな薄暗い地下室で何十年もよく研究できたもんだと感心するよ。


「…死ぬ前に手紙の一通も寄越せよな…」


 俺の婆ちゃんは天才魔法使いだった。

 あらゆる魔法を高水準で操り、20代の頃は仲間数人と組んで魔王軍の幹部の1人を討伐したらしい。その後は仲間の1人だった爺ちゃんと結婚して引退し、教師をしたり魔道具を売ったりして生計を立てていたが、爺ちゃんが死んでからは外界との接触を極限まで減らし、この地下室に籠って研究に没頭していた。

 やろうと思えば山さえひっくり返せそうなあの婆ちゃんが、玄関先で倒れていたと聞いた時には耳を疑ったよ。

 

「…ッ…」


 くそ。絵に描いたような不愛想な婆ちゃんだったのに何故だか涙が出る。

 子供の頃、基礎魔術が使えずに泣いていた俺に教えてくれた特別な魔法。あれからいっぱい訓練したのに、結局その成果を見せられないまま逝ってしまった。

 魔法のこと以外にはとんと無頓着で、俺が学校で作った可愛い花柄のハンカチで猫の小便を拭き始めるような婆ちゃんだったけど、それでも大事な俺の家族の1人だった。今更になってもっと定期的に顔を出しておくべきだと後悔するが、それももう遅い。

 最後に会ったのは一カ月ほど前だろうか。まさか「布団干しとくよ」「おう」が最後の会話になるなんて思ってもいなかったよ。


「…はぁ…整理っつったって…なにをどうすりゃいいのか…」


 妹のから地下室の整理を頼まれたが、この部屋中にある膨大な量の本や所々に転がっている薬品をどう扱ったらよいのかなんて俺がわかる訳もない。

 試しに棚から1冊本を抜いてパラパラと捲ってみるが、知らない言語で記されていてまるで読み取れなかった。

 今更になって気づいたが、部屋の隅や机の端には埃がベットリついているのに棚に敷き詰められた本だけは新品のように綺麗な状態を保っている。婆ちゃんがかけた魔法の効力だろうか、それとも単にあの人が本を大切にしていたということだろうか。


「…捨てる訳にもいかないか…」


 本を元の位置に戻すとボロボロの椅子に腰を下ろして天井を見上げる。

 あーあ、こうしている間にもあのブレークかいうイケメンはきっと魔王城に向かって歩き続けているのだろうな。実力でも、勇気でも、とてもマネすることはできない。

 俺も昔はパーティを組んで旅に出るように婆ちゃんから勧められたな。当時はそれとなく受け流してしまったがあれは婆ちゃんなりに人生の先輩としてアドバイスをしようとしてくれていたのかもしれないな。今になって婆ちゃんの人らしい部分を思い出してしまった。


「…あれ」


 ギシギシと軋む椅子を揺らしながらぼーっとしていると、通路に黒ずんだ本が一冊落ちているのが見えた。

 他のものは皆綺麗に棚に収められているというのに…なにかの拍子に落ちてしまったのだろうか。椅子から立ち上がり身を屈めて落ちている本を手に取る。

 表紙には『バカ孫のハジメへ』と雑な文字で記されていた。中身を見なくてもわかる、これは婆ちゃん本人が書いた本だ。他のものとは違い、表紙もボロボロで紙はくたくたになってしまっている。あの人が自分で本を書くタイプだとは思ってもいなかったが、慣れない作業をしたからかその状態はお世辞にも良いものではない。

 

「…まさか、遺言状か…?」


 脳裏を過る推測に、自然と喉が小さく鳴る。

 俺はその場で表紙を一枚捲ると、そこにはまた婆ちゃんの汚い字が記されていた。


『私の代わりお前が世界を救え』

「…あぁ…?」


 あまりに脈絡のない文章に思わず間の抜けた声が漏れる。

 一体なんの話をしているのだろうか。俺は興味のままにページを一枚捲った。




「……?」




 次の瞬間、俺は知らない場所にいた。

 先程まで地下室にいたはずがいつの間にか外にいるし、まだお昼過ぎだったはずが空からは赤みがかった夕日が緩やかに落ちていくのが見える。驚いてきょろきょろと回りを見渡せば、焦げ付いた瓦礫がそこらに点々と転がっており、それ以外にはなにもない荒野が広がっていた。

 転送魔術テレポートって訳でもなさそうだが…まるで理解が追い付かない。婆ちゃんが仕掛けたトラップかなにかだろうか。


『…まずは…ちゃんと言われた通り地下室の整理にきてくれてありがとう』

「…ッ…!?」


 その時、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。

 すぐに振り返るとそこにはボサボサの白髪を三つ編みにした老婆…死んだはずの婆ちゃんが立っていた。思わず俺は「婆ちゃんッ!!」と声を挙げて飛びつこうとするが、その前に婆ちゃんは片手を前に突き出す。

 俺は思わずその場でぴたりと足を止めた。


『おそらく私に抱き着こうとしているのかもしれないがやめろ、気持ち悪いしそもそもできない』

「…え…?」

『これは録画した動画を再生しているにすぎない。私はもう死んでいるし、触れようとしても触れられない』


 俺がそっと片手を伸ばして婆ちゃんの手を握ろうとするが、まるで霞のように俺の手はするりとすり抜けてしまった。一瞬でも婆ちゃんが生き返ったと思った俺は、ずしんと心の中が重たくなるのを感じた。

 涙目で婆ちゃんの顔を見たら『な?言ったろ?』と言わんばかりに溜息を漏らされた。正直むかつく、溢れてきた涙も引っ込んだわ。


『……お前、今朝寝ぼけながら魔道具弄って朝食のパン焦がしたろ?炭みたいになってたじゃないか』

「…はぇ?」

『それと昨日お前のお気に入りの服に黒い染みができてたと思うけど、あれ、フタツがやったことだからな』

「ちょ、ちょっと、どういうこと…?」

『今日家に帰ったらリビングのソファにいるフタツを見てみろ、初めてブラックコーヒーに挑戦し、1口飲んでからお前を見て『……可愛い妹がコーヒーを淹れてあげたよ』と押し付けてくるからな』


 朝食のパンのことも、俺のお気に入りの服に黒い染みがついてたのも当たってる。どういうことだ。婆ちゃんが死んだのは今から5日も前のことのはずだ。

 …いや、そうじゃない。最もおかしい点は、婆ちゃんが今日俺がの話をしていることだ。なんでまだ起こってないことまで婆ちゃんが知ってるんだよ。

 混乱する俺を置いていくように婆ちゃんはゆっくりとまた唇を開く。


『いいかよく聞け、このままじゃ世界は滅びる』


 深く刻まれた皺、カサカサの唇、垂れた目、生きている時とまるで変わらない表情のまま婆ちゃんはとんでもないことを口にした。

 俺はというと動揺さえ通り越して、あまりにも突飛な話に声さえ出せず、ぽかんと口を半開きにさせながら間抜けな表情を晒していた。

 

『今から半年後、剣士ブレークのパーティは魔王城につき、そこで5人の幹部を殺害した後魔王と対峙する』


 夕日が傾きあたりの瓦礫を輝かしく照らす。

 よく見ると酷く焦げ付いた瓦礫の隙間に時折布や木材の端も落ちているのが見える。俺はそこで初めて、ここが元々人のいた場所であったことを理解した。


『結果はまあ…剣士ブレークの勝利に終わった。魔王は死んで、ブレークと他3人は苦戦を強いられ深い傷を負いながらも生きていた…だがここで予想外の事態が起こる』

「予想外の事態?」

『エルフ、オーク、ゴブリン、マーメイド…魔王軍に賛同するしないに関わらず、この世界の全ての魔物たちが、一斉に目の色を変えて人間たちを襲い始めたのだ』


 世界は魔物で溢れている。だが魔王軍のように人間に対して敵対的な種族というのは極少数だ。知能の高いエルフやゴブリン、オークなどの中には人間と共に商売をしたり結婚をしたりする奴らだっているくらいだ。突然人間を襲いだすなんてとても考えられない。

 もし仮にこの世界に存在するありとあらゆる魔物が全て敵対的になって一斉に人を襲いだしたた、人間という種族が滅びるのに1週間とかからないだろう。


「…ありえねえ…」

『ネクロマンサーだよ、魔王城の執事のガードという男が死霊魔術を使って魔王の死体を操った…あの野郎、ずっと待ってたんだ。魔王が殺されるのを、牙を研ぎながらね』


 死霊魔術か、文献でしか見たことがないな。確か死んだ魔物や人間が生前使っていた魔術を使役できるようになる、とか。

 

『全ての魔物の長っていうのも案外嘘でもなかったらしい…理由はわからないが魔王は確かに魔物を操る術を持っていたが生きている間は敢えてそれをしなかった。結果、死にたての新鮮な死体を使ってガードは死霊魔術を行使…頼みの4人組はその場で多くの魔物に囲まれバラバラにされて殺された』

「……まじかよ……」

『その後は言うまでもないが…それから8日後に国王軍は攻め落とされ、新しい魔王と使役される魔物だけの世界だけがそこに残された。今お前の回りに広がっているこの光景は、お前が住んでいる村の半年後の景色だよ』


 信じ難い、というより信じられない。あたりをどれだけ見渡してもそんな面影は一切ない。俺の家も、学校も、教会も、なにもかも大きななにかに勢いよく踏み潰されたみたいに、こんなにも綺麗さっぱり消せるものなのか?

 しかし、俺はその時、近くの瓦礫に挟まっているボロボロの布切れを見つけてしまった。端は焦げ付いているがそれでも見間違えるはずもない。それは俺が婆ちゃんのために作った、世界でたった1つしかない可愛い花柄のハンカチだったのだ。


「~~…ッ…!!」

 

 血の気がひいていく。あまりにも絶望的な話に思わず笑みさえ零れる。それじゃあ俺たちは半年後には確実に死ぬってことじゃないか。

 …いや、いやいや、それよりももっと根本的な疑問があるはずだ。死んだ婆ちゃんが何故そんな未来のことが分かるのだろうか。


『…私はずっと地下室で時間魔法の研究をしてきた…』


 その時婆ちゃんは初めて少し寂しそうな表情を浮かべた。

 世界の終わりを語っていても表情を崩さなかった婆ちゃんが、眉を顰め顔を少し俯かせた。


『本当は過去に遡ろうとしていたんだが…少し前に勢い余って未来まで見えるようになっちまってな』

「勢い余ってって…軽すぎんだろ」

『私はこの通りババアだ。なんとか魔法で体を動かしてはいるがどうやらもう数日も持たんらしい。仕方なくお前に頼るしかなくなっちまった』


 少しずつ周りの背景が歪み崩れ始める。どうやらこの録画も終わりが近いらしい。

 いやいや、ふざけんじゃねえよ婆ちゃん。

 絶対に俺以外にも適任はいるだろう。アンタの優秀な弟子や友人、他人に任せたくないなら妹でもいいじゃないか。どうして基本魔法も使えない俺なんかに頼むんだよ婆ちゃん。


『…なさけねえ姿見せたくなくってな…体のこと、言わなかったことに関しては後悔してるよ』


 なんでなんで。どうして病気のこと言ってくれなかったんだよ婆ちゃん。

 気づけば引っ込んだはずの涙がぽろぽろと瞳から零れ落ちていた。

 どうせ研究の目的は、爺ちゃんとまた会いたかったからなんだろ?あんたがたまに魔法のこと以外に話すことと言えば爺ちゃんについてだったもんな。

 最後の最後まで、ここまでアンタらしいなんて…卑怯だろ。


『手段は問わない、このことを剣士ブレークに伝えろ。お前の仕事はそれだけだ。妨害にあうかもしれんし、途中で魔王軍の連中に襲われることもあるかしれない…もしかしたらお前も死ぬかもな』

「ははは…」

『それと、最期にお前に伝えなくちゃいけないことがある』


 俺はこれが婆ちゃんの声が聞ける最後の機会だと察し、真っすぐにその瞳を見つめた。


『お前は優しい訳でも善人なわけでもない。卑怯な偽善者だ』

「……」

『でも、どんなことでも突き詰めれば才能だ。私が教えた確定魔法ディシジョン…あれをあそこまで鍛えたお前なら、必ず世界を救うことができる』

「…婆ちゃん…なんで知ってんだよ…」

『魔法一筋に生きたこの人生を悔いたことはない…時折顔を出してくれるお前の存在は、私にとって間違いなく心の支えだった』

「婆ちゃんッ!!」

『胸を張って生きろ』


 駆け出した俺の手が婆ちゃんの体を包み込む前に、周りの風景は霧のように掻き消え、元の薄暗い地下室に戻っていた。

 そこに残されたのは先月18歳の誕生日を迎えた顔を涙でぐちゃぐちゃに濡らした俺だけだった。地面に置いてある本を開いてみるが、最初に書かれた一文を除いて他のページはまったくの白紙であり、何度開いても先程のような動画が再生されることはなかった。


「…はぁ…そんじゃ、いくか…」


 しかしどうやってブレークにこのことを伝えればいいんだ?今朝の新聞では確か…今アイツは《破滅と酩酊の森》》の少し手前にいるところだったよな。

 まったく…時間がなかったのかもしれないけど、あまりにも情報不足過ぎるよ婆ちゃん。

 だがここで悩んでいる間にもブレークは魔王城に向けて距離を縮めている。今必要なのは早急で的確な行動だ。

 俺はその場に立ち上がり服の袖でゴシゴシと涙を拭き取ると地下室の階段を勢いよく駆けあがっていった。

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