第2話

 夜のうちに商店街の組合のトップ、兼建物のオーナーの家濡かぬれさんのところへ行き、店をもう少し続けると宣言。


 翌朝、早朝にはまた一人で仕込みを始めていた。


 残り一ヶ月で終止符を打つと思っていた生活がもう少し延長されるかもしれない。それが楽しみな反面、上げて落とされる恐怖もある。


 休憩がてら、椅子に座ってスマートフォンで朝の情報番組を流す。


『速報です。大人気アイドルでバラエティ番組でも活躍をしていたカトーショコラさんが引退を発表しました――』


 アナウンサーが真面目な顔でそんなニュースを読み上げる。ニュースで使われている宣材写真は加工はされているのだろうけど、確かに昨日話した人にそっくりだ。


 そんなわけでアレは、やはり本人だったんだろう。


 理由は昨日聞いた通りで『自分の夢を叶えるため』というこれまたアイドルらしい前向きなもの。


 さすがに名前の後ろに『(23)』と実年齢を記載するのはどうなんだと思いもするが、彼女はもう一般人なのでそんな忖度も必要ないということなんだろう。


 ふと店の入口を見ると、そんな一般人が店に入ってきたところだった。


「げ……ゲーギざん……お゛はよ……」


 寝起きなのか、寝癖はついているし声もガスガスだ。顔が気怠そうなのはいつものこと。


「おはよう。朝は苦手なのか?」


 小恋がコクリと頷く。


「初日から申し訳ないと思っている」


「いいよいいよ。むしろ朝から来てくれてありがとうな。手伝ってくれるだけ――ん!?」


 何やら店の外の様子がおかしい。普段、早朝の時間帯にはスーツを着たサラリーマンが出勤のためにまばらに歩いているくらいなのだが、明らかにそれとは違う私服の若い男が何人も店の前を徘徊していた。


「なっ……なんだ……?」


「あ、SNSで告知しといた。一応、今日からは一般人というか、加香小恋としてSNSを始めてて、そこで投稿したんだよね」


 つまり外の人は小恋のファンということか。人でごった返して混乱しそうなので、人を捌くために商店街の組合に応援を要請しないといけなさそうだ。


「このお店、ハッシュタグとか使ってなかったんだね。これから流行らせよ」


 小恋がスマートフォンを見せてくる。表示されているのはSNSの投稿。


『カトーショコラ改め、今日から加香小恋です。早速告知!!! ケーキ屋で働くことにしました!!!! 住所は――』


 !マークをふんだんにあしらった、現実のテンションとはまるで違うハイテンションな雰囲気の投稿。


 引退のニュースとセットだからなのか、プレス発表直後の早朝にも関わらずかなりの人に拡散されていた。


 投稿の末尾には『#パティスリーアマカス』と付けられている。


「なんだこれ? シャープ?」


「ハッシュタグ。えっ……知らないの? ケーキさんって私とそんなに年齢変わらないよね?」


「今年で27」


 小恋が「わ、意外と上だ」と驚く。


「けど、普通にSNS使ってたら見かけない?」


 ピンとこないため俺が首を傾げると、小恋は嬉しそうにニッと笑った。


「私のやれる仕事がもう一つ増えたね。このお店のSNS運用担当もやらせてよ」


「あー……頼むわ。こういうの苦手でさ……」


 さすがに知名度・好感度が命の元芸能人だけあってSNSの使い方は熟知しているようだ。


 餅は餅屋。ここは素直にお願いする。


「ん。じゃ、パスワード教えてよ。共有できるやつに変えたらでいいから」


「了解。ちょっと人数的に交通整理が必要そうだから、組合の人のところに行ってくるわ。すぐ戻ってくるけど何かあったら連絡くれ」


 俺はそう言ってスマートフォンを取り出してQRコードを表示する。


 小恋が画面をじっと見て固まり、やがてハッとしてスマートフォンで読み取った。


「なっ……なんかマズかったか?」


 小恋は苦笑いをしながら首を横に振る。


「あ……ううん。昨日までは連絡先を交換するのも気を遣ってたから。事前にマネージャーに許可を取ったりさ」


「そういうことか……」


「ん。何気に初めてかも。こんな感じで男の人と連絡先交換するのって」


「マジか……中学や高校生の時とかあるだろ?」


「や、ないない。私小学生の時から活動してたし。思春期のそういうのとか全くなかったからね」


 その事についてはなんとも思っていない様子で無表情なまま小恋が話す。


「ま、私みたいに恋愛禁止を守ってる人なんて半々だったけどね」


「急な暴露はやめてくれるか!?」


 俺のツッコミにニヤッと小恋が笑う。


「組合のとこ、行っておいでよ。着替えて待ってるから」


「おう……そういえば着替えって何を持ってきたんだ? うち、バイトを雇ったことないし制服とかないぞ?」


「それはあとのお楽しみ」


 そう言って小恋が目を細める。まるでチベットスナギツネのようなジト目だ。


「……もしかしてウィンクしようとしてる?」


「出来てない?」


 チベットスナギツネモードの小恋が尋ねてくる。


 俺はパシャリと写真を撮り、交換したばかりの小恋のLINEにその写真を送る。


 小恋は自分の写真を見て首を傾げた。表情に乏しく、何を思っているのかは分からない。


 組合の事務所に向かうために店の出入り口に向かい始めると背後から「出来てるけどなぁ」と小恋の強がる声が聞こえた。

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引退したばかりのアイドルが閉店間際のケーキ屋で看板娘をやってくれることになったのだが接客が塩対応すぎる 剃り残し@コミカライズ連載開始 @nuttai

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