引退したばかりのアイドルが閉店間際のケーキ屋で看板娘をやってくれることになったのだが接客が塩対応すぎる
剃り残し@コミカライズ連載開始
第1話
『パティスリーAmakas閉店のお知らせ』と紙に書いてペンを置く。
営業時間を終えた店内には甘ったるいクリームの匂いと苦々しい思い出が充満していた。
幼い頃にパティシエとして自分の店を持つことを夢見て今年で27歳。師匠にはまだ早いと言われたものの、商店街の外れに店を構えたのが一年前。
一年で半分が閉店すると言われる飲食系で、実際に生き残れなかった半数に入ってしまった現実を、閉店のお知らせの貼り紙を書き始めたことでじわじわと実感し始める。
「はぁ……どうしたもんか……」
今日も晩飯は売れ残ったケーキを食べることになるんだろう。最近は塩をかけて食べる方法を見つけたので幾分か残ったケーキを消費するのも慣れてきた。
そんなことを考えながらショーケースを眺めていると、営業時間を過ぎているにも関わらず一人の女性が来店した。
目深に被った帽子にマスク、大きなサングラスと明らかに怪しい風貌だが、この人は常連。
いつも、閉店間際にやってきて、声を出さずにショーケースを指差して商品を選ぶ変わり者。かれこれ半年は通ってくれているが、声は聞いたことがない。
閉店のお知らせの紙をカウンターに置いたまま接客を始める。
「いらっしゃいませ。今日はもう営業は終わったんですが……余っているので全部100円にしますよ」
女性はじっとショーケースを眺め、やがてカウンターに置いていた閉店のお知らせの紙に視線を止めた。
「……閉店!?」
初めて聞いた女性の声は可愛らしいものだった。
「あ……そうなんです。来月で店を閉めようかと思っていて」
女性は下を向いてしばらく固まる。彼女は数少ない常連だった。それなりに俺の作ったケーキを気に入ってくれていたんだろう。
「……理由は?」
「儲からないので」
俺は肩をすくめて答える。
「なんで? すごく美味しいのに」
「まぁ……単に味の好みが万人に受けないのか、立地が悪いのか、宣伝不足なのか。理由は色々でしょうけど、結局は俺の実力不足ですよ。有名店で修行したって肩書もなければ雑誌やメディアとのコネもない。SNS運用も下手。美味いもんを作るだけじゃダメだって分かりましたよ。お客様も今までありがとうございました」
一か月も先立って閉店の挨拶をすると、女性は首を横に振った。
「ダメだよ……ダメ。ここがなくなったら……はっ!」
女性は思いついたように顔を上げ、帽子、マスク、サングラスを取り外した。
初めて見る彼女の素顔。それは、現在進行形でお茶の間を賑わせている大人気アイドルのカトーショコラ、本名は
真っ白な肌に男ウケの塊の丸っこいボブカット、大きな猫目、特徴的な声。どれもこれもカトーショコラに瓜二つだ。
何より特徴的なのは、可愛らしい名前とは正反対なアイドルらしからぬ気怠そうな雰囲気と歯に衣着せぬ大胆な物言い。
自然体なキャラがテレビやSNSでウケて人気者になった経緯もあるのだが、目の前にいる人を見るに、どうやらキャラ作りではなく素でそういう人だったらしい。
「えっ……か、カトーショコラ……ちゃん?」
「ん。そう。仕事帰りによく寄ってたから、ここがなくなるのは正直言って人生の損失」
「そ、そこまで言ってもらえて嬉しいですけど……」
「ちなみに、明日発表になるんだけど私は芸能界を引退する」
「……えっ!?」
引退!? まだ若いのに!? めちゃくちゃ大ニュースじゃないか!?
「表向きの理由は『やりたいことがあるから』。実際は……まぁ疲れちゃったんだよね。貯金はあるから毎日ここのケーキを食べながら読書をして……って生活が夢だったのに……一か月で夢が崩れちゃうじゃん……」
「そんなことを言われましても……」
「ね、私がここで働くのは? 知名度を活かして集客ができる。人が集まればここのケーキの美味しさを知ってもらえてリピーターもつくし口コミで広まるはず。どう?」
「い、一体何を言って……」
小恋がカウンターに勢いよく手をつく。大きな目が真剣みを帯びて俺を見てきた。
「や。要するに、閉店を取り下げてってこと」
「い、いやいや……いきなり言われても……」
「なら別の場所でやってよ。移転でいい。キッチンカーでもいいから」
そりゃ俺だって続けられるなら続けたい。だけど、現実問題、赤字で店を続けることはできない。
そんな現実を無視してしつこく食い下がってくるのでつい大きな声で「無理だよ!」と言ってしまった。
「……無理だよ……無理だって。ショコラちゃんみたいな人に美味しいって言ってもらえるのは光栄だよ。だけど、常連とはいってもたった一人の売上はたかが知れてる。引退したアイドルが客引きをしてくれるだって? それがどれだけ意味あるんだよ? 持続性はあるのか? 一過性じゃ意味がないんだって。愛される店づくりができなかった、俺の負けなんだよ」
心情を吐き出すと、小恋が悲しそうな顔をした。
「……なら私が出資する。一過性じゃない、持続性があるって分かるまで。せめて半年。それでもダメだと思ったら、その時に諦めよ? まずは明日、試しに私も店頭に立つ。引退のニュースが朝に流れるからほとぼりが冷める前で多分野次馬もいっぱい来ちゃうけど……それもプラスかなって」
小恋が店内をぐるりと見渡し、にっと笑う。
「なんでそこまで……」
小恋がその場でしゃがみ、ショーケースを覗き込みながら答える。
「好きなんだよねー、このお店のケーキ。毎日毎日、朝から夜遅くまで収録があって辛くても、帰りにここに寄ってケーキを買って帰るのを楽しみにしてた。忙しくて閉店ギリギリになることも多かったし、なんなら今日みたいに閉店時間を過ぎちゃって食べられない日もあった。けど、今日まで走り続けられたのはこのお店のケーキのお陰。だから、ある意味恩返し」
ショーケース越しにぼやけた小恋の顔が見える。
そのまま無言で立ち尽くしていると、ショーケースの向こうで小恋が立ち上がった。アンニュイな表情ながらも彼女にニッと笑いかけられると、まだやれるんじゃないか、なんて思えてくる。
この建物のオーナーは、この店が位置する
昨日、閉店の相談をしに行った時はかなり熱心に引き止められたので、やっぱり続けると言っても嫌な顔はされないだろう。
「とりあえず建物のオーナーに相談してくるよ」
小恋が僅かに微笑んで頷く。
「うん。待ってる。明日は何時に来たらいい?」
「仕込みは朝の四時からやってるよ」
小恋がぎょっとした顔をした。どうやら早起きは苦手らしい。
「別に仕込みはいつも一人でやってるから。本当、無理ない範囲で大丈夫だよ。開店する前に少しやり方を教えるから9時くらいに来てくれたら嬉しい。ま、手伝ってくれるならだけど」
小恋が安心した様子で微笑み頷く。
「じゃ、また明日の朝に。今日は……うーん……とりあえずおすすめを10個」
「おっ、おすすめ? ……って10個!?」
実はかなり大食いなのか!?
「ん。お腹空いてるし、売上にも貢献しとくよ。ちゃんと全部食べるから。あ、そういえば名前何ていうの?」
「
「へぇ……じゃ、あだ名はケーキさん?」
「ケーキ?」
「だって、慶喜を音読みしたらケーキじゃん」
「あー……初めて呼ばれたわ」
「じゃ、ケーキさんで。私は
実はちょっとだけファンなので本名も知っていた。
「どっちにしろ甘そうな名前だな……」
小恋は「ケーキさんも人のこと言えないけどねー」と言って笑った。
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