最終話 こっくりさん

 ある休日の昼下がり。

 町田が近所を散歩をしていると突然、雨に降られた。傘を持っていなかった町田は、近くの公園の東屋あずまやへと避難することにした。


「ひえぇ、まいっちょまいっちょ

 町田はうっすらと濡れてしまったタンクトップをぱたぱたと仰ぎながら、ふと縁台に一枚の紙が置かれていることに気がついた。何だろうと思って町田は近づいてみる。

 紙には、右から平仮名が五十音順に書かれていた。中央上部には鳥居のマーク。その両隣に「はい」と「いいえ」の文字もあった。


――これは「こっくりさん」じゃないか! 懐かしいなぁ。子どもたちが遊んで、そのままにしていったのかな?

 町田は子供の頃、こっくりさんを本で読んだことを思い出した。今の子でも、こういう遊びをするんだなぁとしみじみ思った。

 

 よく見ると「し」の文字の上に十円玉も置かれていた。それに気づいた途端、町田は昔を懐かしむかのように、縁台に腰掛けた。そして、おもむろに十円玉に人差し指を当てて言った。


「こっくりさん、こっくりさん、おいでください」


 すると、町田が指を置いている十円玉が勝手に、紙に書かれた鳥居の場所まで移動したのだ。もちろん、町田が動かしたわけではない。

「おお」

 思わず町田は声を出していた。まさか本当にこっくりさんが降臨するとは思っていなかったのだ。


 雨が強くなってきた。



「この雨はいつ止みますか?」

 試しに町田が尋ねてみると、鳥居の上の十円玉がすうーっと動き出した。

 はじめに「や」で止まった。

 次に、その隣の「ま」へ移動し、そして「な」「い」と続いた。

「止まない……」

 町田は十円玉から指を離さず、顔を上げた。雨はますます強くなり、東屋の屋根に打ち付ける雨音は自分の声もかき消すほどだった。



「私は家に帰れますか?」

 町田がそう言うと、「い」の位置にあった十円玉が再び動き出した。そして、こっくりさんは「いいえ」の位置で止まった。

「いいえ……帰れないってこと?」

 ちょっと町田はムッとした。首を左右に傾け、ポキポキっと音を鳴らす。もちろんその間も十円玉から手を離さない。



「私はもっとマッチョになれますか?」

 すると十円玉は「いいえ」の位置からピクリとも動かなくなった。

――もしかして「いいえ」ってことなのか?

 町田は試しに十円玉を「はい」へ移動させてみようと、押さえている人差し指に力を込めてみた。しかし十円玉に何らかの力が働いているのか、動かない。

「私はもっと……マッチョになりたいんだよ!」

 十円玉がプルプルと震える。「いいえ」へ留まろうとする力と、「はい」へ向かわせようとする力が拮抗する。

「ぐぬぬぬぬぬ……」

 町田が眉間にシワを寄せて、じわりじわりと十円玉を「いいえ」から「はい」へ移動させていく。少しでも力を抜くと「いいえ」に戻ってしまいそうだ。彼の人差し指、そして尺側しゃくそく手根しゅこん伸筋しんきんがプルプルと震える。

 数分かけて、ようやく「はい」まで十円玉を持っていくと、町田は、

「そうかそうか、私は今よりもっとマッチョになれるのか!」

 と満足げな表情を浮かべた。その力が抜けた瞬間に、十円玉が物凄い速さで「いいえ」に戻った。

 いつもは温厚な町田だが、さすがに今回ばかりは我慢がならなかった。



「私の好きな食べ物はな〜んだ」

 十円玉が「し」「ら」「ね」「え」「よ」と動いたので、町田は強引に「」「ろ」「て」「い」「ん」と動かした。

 こっくりさんも必死に抵抗したが、本気を出した町田のパワーにはかなわなかった。もちろん「ぷ」という項目は紙に書かれていない。たまたま短パンのポケットに入っていたボールペンで町田が半濁音を付け加えたのだ。



「『ま』から始まって『よ』で終わる、私の好きな言葉はな〜んだ」

 十円玉が「ん」の位置から「鳥居」のマークへ移動しようとするので、町田は「逃がさねぇよ」と低い声で言いながら、強引に十円玉を「ま」の位置へと移動させる。そのまま「つ」「ち」「よ」と力を込めて動かし、「マッチョ! マッチョだ! ははははは!」と声高らかに笑った。


 その後も町田とこっくりさんの戦いは終わらない。いや、町田が終わらせない。


「ビッグ3と呼ばれている筋トレの種目は、ベンチプレス、デッドリフトあと一つは何?」

「ご」「め」……「す」「く」「わ」「つ」「と」

「そう! 正解はスクワット! いいねぇ、次!」


「日本におけるボディビルの神様といえば、マッスル……何?」

「ゆ」「る」「し」……「き」「た」「む」「ら」

「そう、マッスル北村! マッスルシェイクで有名だよね!」


 こっくりさんがおそらく謝罪の言葉を述べようとしているのだが、町田がそれを許さない。力ずくで十円玉を動かし、正解へと導いていく。


「うーん、他に何かいい問題は……」

 思いつくままに問題を出してした町田が、力を抜いた瞬間だった。十円玉が恐ろしいスピードで鳥居の絵の上へと移動した。そして一陣の風が、十円玉と五十音の書かれた紙を東屋の外へと吹き飛ばしていった。


 いつの間にか雨は止んでいた。雲の切れ間から日の光が差し込んでくる。

 気がつけば町田の心も晴れやかになっていた。

「よし、帰ってプロテインでも飲むかぁ!」


 何事もなかったかのように、彼は東屋を後にした。

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怪異M まめいえ @mameie_clock

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