第4話 祝子(はふりこ)④
「ハフリコさん」
竹箒で拝殿の前の落ち葉を集めていた祝子は、名を呼ばれて振り返った。
着物姿の夫人が参道をまっすぐこちらに歩いて来る。黒っぽい紬に臙脂色の半幅帯、つややかな黒髪をまとめ髪にして、化粧をくっきりと施している色黒の美形だ。
祝子は思わず竹箒の柄を握りしめて見惚れた。祝子自身は小柄な元文学少女のような外観を選択していたが、それは目立たない容姿に化身した方が、この神社での生活を人間たちに混じって送る上で便利だからだ。それでもたまに目の前の婦人のようなアクの強い美形を見ると、どこから起こるのか分からないが、変身欲求に駆られる。といってもそもそも変身しているわけだし、衝動は一時的なものでどうせやらないのだった。
美形の婦人は祝子から少々離れて立ち止まった。太陽を追いかける咲きかけの向日葵のように婦人の歩みと共に動いていた狛犬たちの頭も一緒に止まる。祝子にひたと据えられた婦人の黒々とした大きな目には白目がほとんどない。
「ハフリコさん」
「はい、なんでしょうか」
「うちの子が二人、神社の回廊に入って帰って来ないの。連れてきてちょうだい」
「え」
「心配だから、早めにお願いします。後でまた来るわ」
婦人は言うだけ言うと、そのまま帰ろうとする。踵を返した時、八掛が鮮やかな緑で、足元が草履ではなく黒革のブーツなのが見て取れた。
「ちょっと……ちょっと待って」
「なにか」
意外にも立ち止まってこちらを見返り美人してくれる。祝子は慌てて頭を巡らせた。
「ええと……お子様は何歳くらいの」
「子どもは子どもよ。あと、回廊には入ったら駄目って普段から言い聞かせていましたからね。うっかり入ることは出来ても、ぐるり回ってちゃんと戻ってこられるかどうか分からないって噂がある恐ろしい回廊なのよって。二人とも普段ならわたしの言いつけをきちんと守るのよ。今朝も言ったばかりなのに回廊に入って行くなんて。ああわたしの思い違いとかじゃないわよ、二人が
一気にまくし立て背中を見せて歩いて行くが、数歩で立ち止まって、狛犬の吽の方の台座に放り出すように何かを置いた。そして今度はそのまま呼び止める間もなく境内を後にする。ブーツの足音があっという間に遠くなり、聞こえなくなった。
祝子は呆然とそれを見送っていたが、竹箒を拝殿の階の端に立てかけて、のろのろと狛犬に近づいた。
狛犬吽氏の台座に置かれていたのは、二体の小さな人形だった。樹脂製のいわゆる指人形だ。砂糖菓子のような色味でペイントされているのだが、それぞれ顔が阿修羅のように三つ付いている。アニメのキャラクターか何かだろうか。
「それ、捨ててくれ」
相棒に比べると若干無口な狛犬吽氏が声を出した。祝子はちょっと笑った。
「こっちはまさに、それを風で飛ばないように見ておいて、って言おうと思ったよ」
それには応えずに狛犬吽氏は足元の人形に息を吹きかけて飛ばそうとしている。狛犬たちは口はよく回るが、首から上くらいしか動かせないのだった。
「それにしてもトンネル掘って回廊に入るなんて、外国の刑務所大脱走みたいな話だったけど、どういう意味だったのかな」
小さくつぶやいた祝子に参道をはさんだ狛犬阿氏が声を飛ばした。
「なんだ、ハフリコさんには分からなかったのか、あれは蜂だよ。土を掘って巣を作るクロスズメバチ」
「蜂」
「そう、あの女は女王蜂。うちの子、って言ったのは働き蜂だね。働かない奴もやっぱりいるんだよね。あの女王様の言いつけを破ったとなると、後が怖そうだけど」
「まあ、この境内に巣は作れなかったみたいでよかったね。この神社は
狛犬吽氏が慰めてくれるが、須勢理毘売命は祝子が最も苦手としている霊圧厳しい神様なので、更に頭に重い石を乗せられた気分になり、祝子の顔は曇るばかりだ。
祝子はため息をついた後、女王蜂の残していった異相でポップな人形を見つめた。
地面を掘る蜂を探しに回廊に入らなければならないのだろうか。
祝子は思わず瑠璃色の秋空を見上げた。連翹はどこへ行ったんだろう。お気に入りの野球場でのんびりかな。どこぞでお仕事かな。
早く帰ってきてくれないかな。
神無月回廊 兒玉弓 @mokuseido
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