ランドマークの眠る夜
西村たとえ
ランドマークの眠る夜
崩壊がはじまっていた。
雷が落ちたわけではなかった。巨人が到来したわけでもなかった。
しかし、崩壊がはじまっていた。
昨晩は観覧車のゴンドラが一つ、ついに地に落ち、屋上遊園地は激しく振動した。そして今晩はゴンドラが三つ落ち、屋上遊園地を縦に切り裂いた。
夢の内容はだんだんと鮮明になってきている。そうだ、はじめてこの夢をみたとき、観覧車は幼児が書いたクレヨンのような見た目をしていた。最近の夢では、ほとんど写真のような、いや現実と見間違うほど、崩壊の様子が詳細に意識にのぼっていた。
夢の中で、私は崩壊を止めようと必死になるものの、なす術を持たず、ただ茫然としていた。私の年齢と同じ回数だけ、夢を見たのだから、私は不安になった。
ある日、私は祖父と祖母に、夢のことを話した。すると、二人とも同じような夢をみたことがあるという。しかし、二人は口を揃えてこう言った。「結局、観覧車は、その全てが崩壊することはなかったよ」、と。
私はさらに気になり、私の子どもにも、夢について訊いた。すると、子どもも同じような夢を見たことがあるという。しかし、子どもは思い出したようにこう言った。「ううん、観覧車が崩壊するというよりも、ずうっとふわふわとしているよ」、と。
ある日、私はいよいよ怖くなったので、父と母、そして子どもと、川の字になって眠ることにした。すると、やはりあの夢を見た。私たちは夜の屋上遊園地で、観覧車の傍らに立ち、空を見上げていた。
すると、まず、夜空に星が光るように、それは現れた。目を凝らして眺めていると、数秒もしないうち煌々と輝く惑星が、こちらに降ってくるのがわかった。その数秒後、ぼうぼうと燃え盛る火の玉、いや惑星が、この街へ落下することを、私たちは悟った。
すると、私の子どもが、「ここへくるなー! 帰れー!」と叫んだ。しかし、ぼうぼうと燃え盛る惑星は勢いを止めなかった。惑星も必死になって、こちらに衝突しようとしている様子だった。惑星も、惑星なりの使命を貫こうとしているのだろう、たとえば家で帰りを待つ子惑星に立派な最期を見せたいだとか、と私は思った。それでも、子どもは「くるなー! やめろー!」と叫んだ。「くるなー! こっちへ来るなー!」私も、この子とおなじように叫んだ。父と母も、私たちに続いた。「やめろー! 壊すなー!」私たちはいくらでも叫んだ。そのため、声をからした。それでも、やめなかった。そうしていると、街の人びとも、私たちと同じように声を出し始めた。「やめろー!」気持ちの大きさは瞬発的な風となり、惑星の炎を絶やした。しかし、惑星はポッと音をたてて、次の瞬間には再び燃え盛った。空を切り裂くような轟音を響かせて、私たちの街へ落ちてくる。
もう無理だ、と私は思った。人びとの声には、やがて泣き声が混じり、悲鳴に変わった。人びとは、ぎゅう、と一つの塊になり、惑星に立ち向かった。紅色の惑星は視界一杯にまで大きくなり、私たちは「熱いよお」と叫んだ。
その瞬間、目が覚めた。布団をまるごと濡らすほどの汗をかいていた。それは、父と母、そして子どもも同じようであった。私がむくりと起き上がると、父と母は「そうだ、前にも見たことがある、あのときも惑星は私たちの寸前まで迫った」と天井を見つめたまま言った。子どもは「こんなのは嫌だよ」と私にすがりついて言った。
子どもがひとしきり泣くと、私の手をひいて立ち上がろうとした。私はトイレ? と訊くと、子どもううん、と答えた。どこへ行くのだろうかと子どもに手を引かれるままついていくと、子どもは外へ出て、自転車にまたがろうとした。「どこへ行くの? まだ夜中だよ」そう、まだ街は暗いままだ。私が訊くと、「観覧車」と子どもは答えた。私は一瞬、止めようと思ったが、それができないでいた。私は子どもに続いて、自転車にまたがった。
子どもが先導する、夜の街をひた走った。ここからは観覧車は見えないけれど、私はたどり着けるだろうか、と不安になった。サンダルを履いているために、むきだしの指先が肌寒く、全身を使って自転車を漕いで身体を暖めた。子どもは「観覧車、観覧車」と息を切らしながら、身体を動かしていた。私も「観覧車、観覧車」と同じように言った。自転車を漕ぎ疲れた頃、空がぴかっと光った。一瞬、その惑星玉は観覧車へ向かって落ちていくように見えた。しかし、違った。……ああ、やはり、あの惑星は、私たちに向かって落ちてきている。
「観覧車、観覧車」私と子どもの声はどんどん大きくなった。その声は、まだ眠っているであろう街の人びとを呼び覚ました。人びとは空を指し、声高に叫んだ。「ほらみろ、紅色の惑星だ」人びとはあれを知っている様子だった。一人、また一人と、パジャマ姿の男性や女性、大人も子どもも、夜の街へ這い出てきた。やがて、街の人びとは、私たちと同じように自転車に乗って、街の真ん中を貫くように走った。
私は、今になって気づいた。あの夢は、観覧車そのものが崩壊する夢ではなかった。崩壊する世界の中に、私たちの背景として観覧車があったのだ。「うおおおおお」子どもは、疲れているだろうに、また自転車を漕ぎだした。「うおおおおお」私も同じように声を出し、また自転車を漕ぎだした。街の人びとも、私たちに続いた。「うおおおおお」私たちは、叫びながら、あの惑星から逃れようと必死だった。
ある人が、「観覧車のほうへ行ってはならない」と言った。ぴんときた人びとは口々に同じことを言い、周囲へ伝えあった。「どこか遠くへ! とびっきり遠くへ!」人びとは、私たちは叫んだ。私たちは観覧車とは全く違う方向へ、自転車を向けた。そして、再び、私たちは叫んだ。叫び続けた。「うおおおおお」私たちは、どこまでも、どこまででも行く。あの観覧車が、ぐう、と眠る夜に。
ランドマークの眠る夜 西村たとえ @nishimura_tatoe
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