階段堂書店にて

星見守灯也

階段堂書店にて

 海へ行こう。


 そう思い立って反対方向の列車に飛び乗った。車両はガラガラで、通学カバンを持ってるやつなんてひとりもいない。半自動のドアをボタンで閉めたとたん、プシューと空気の音が鳴った。私は四人がけのボックスシートにどんとカバンを下ろして座った。気動車の力強い振動があって列車が走り出す。あ、なにか飲み物でも買っておけばよかった。


 靴を脱いで硬めの座席に足を伸ばしたって誰のジャマにもなりようがない。窓枠に腕をついて、流れ去っていく街を見送った。バイバイ、日常。みんな学校にいるというのに私だけがそこにいない。家族だって何も知らない。その風景を想像するとちょっと可笑しかった。先生は理由を知ってないか誰かに聞くだろうか。家にまで連絡を入れられるだろうか。


 そんなことを考えていると列車は海にでた。寒空に黒い海がキラキラ光っている。列車が大きく曲がって海沿いに進むと、波の音が聞こえる気がする。この時期だと海に入ったら冷たいのかな。足くらいならいけるかもしれない。迫ってくる波も、足元の砂が削られて沖に引き寄せられる感触も、小さい頃は怖かったっけ。




 ジリジリ……キンコンキンコンと音がしてスピードが落ちていく。もういくつ目の駅だろうか。そろそろ降りてみることにした。この小さな無人駅はICカードも使えない。運転士が出てきて、私はバスのように料金箱にお金をいれた。ボタンを押してドアを開けたけど、ここで降りたのは私だけ。乗る人もいない。気動車の音が行ってしまった後は、しん……と静まり返っている。


 駅を出たところは小さな町だった。残念ながら、ここからは海があまりよく見えない。海岸はずうっと崖になっていてまるで二時間サスペンスドラマのハイライトのようだった。ちょっと足をつけるどころじゃない。


 全体的に古びたその町の、ぽつんぽつんとある店らしき建物もシャッターが下りている。どっちに行こうか考えている私の向こう側を、おばあちゃんがゆっくりと歩いて行った。


 おばあちゃんの入った家の奥から、石の階段が一本、山のほうに続いていた。山の斜面にも建物が連なっている。どうせここまできたんだから、やっぱり海が見たい。あれを登れば広がる海が見られるだろうか。




「ふう……」


 石の階段を登るのは思った以上に大変だった。普通の階段より幅が狭い気がして、歩調が狂う。カバンが重い。どっかのコインロッカーに教科書突っ込んでくればよかったかもしれない。黒瓦の家をとおり過ぎ、階段の上を見て、これでもまだ中程じゃないかと嫌になった。


 今、何時だろ。スマホを見るとお昼すぎだ。そうだ、そこの赤い服を着たお地蔵さんまで行ったら少し休もう。


 にゃーん。


 声のしたほうに目を向けると猫がいる。三毛の子だった。尻尾を立てて、大きな体でのったりのったりと歩いていた。


「にゃーん」


 私も返事をしてみる。三毛猫は面倒くさそうに見上げると、するりと足元を抜けてすぐ脇に入って行った。そこの古い家の敷地のようだ。石段から形の不揃いな石畳が、軽自動車も入れないくらいの広さにしかれている。


「触らせてよー」


 とことこと本棚の間を抜けて猫は見えなくなってしまう。


「本?」


 本棚にはハードカバーの……歴史書だろうか。シリーズの一巻からそろっているように見える。その前の棚には大型本。美術書とか、写真集とかかな。あ、下には図鑑もある。鳥、動物、昆虫、恐竜……。こっちは絵本だ。絵本なんて幼稚園以来じゃないだろうか。


 大きな木の下、置かれた本の山の影に小さな祠。きつねさんだ。うちの近所のおきつねさまは商売繁盛をお願いされているけどここは……。その横を見れば、二階建ての建物はトタン屋根でところどころ茶色のサビが浮いている。潮風のせいかもしれない。その前にも本が置かれていて、書店のようだった。とても……儲かっているようには見えない。


 赤いポストの下にも本が並ぶ。その横に置かれた鉢の植物が肩身が狭そうにうなだれていた。店、やってるのだろうか。入り口のガラス戸が開いているのだからやってるのだろうが、電気はついておらず外から見るとひどく暗く見える。開いたところから覗いてみると、本棚に囲まれたレジに眼鏡の人が座っているだけだった。


「……こんにちはー」


 そのまま入っていいのかとためらわれて、声をかけてみる。入ってすぐのところに本が平積みになっていた。新刊かな。雑誌はなさそう。漫画もないと思う。本は床にも積んであり、ここは新書サイズ、あっちはハードカバー。彼はちらりと顔を上げ、「どうもー」だけ言ってまた本に目を落とす。入っていいということだろう、たぶん。他に客はいなかった。


 中に入ってみると、書店はずいぶん狭い。くすんだ色の空気に、壁はずらっと本棚で埋められて……本が迷路を作っているみたいだ。こっちに並んでるのは文庫本、下にあるのは大型本。中二階にのぼり、ふとふりかえると開けっぱなしの入り口の向こうに光る海が見えた。潮風の匂いさえ感じられるほど近い。強い風が耳に当たる感触さえ思い出されるほどに。


 ぎし、と床板がきしむ。本の重さで抜けないでしょうね。


 ハードカバーを一冊取り出してみると、ずっしりと重さを感じた。こういう本、読まないもんなあ。小口が黄ばんでいて、バーコードもない古い本まである。むわあっと紙とインクとホコリの匂いがまとわりついている。ちょっと甘さのある匂い。この本だって書いた人はいただろうに、いつまでも売れないでここにあるんだろうか。


 本の背表紙を見ていると、分厚かったり薄かったりする。中の紙はざらっとしてたりつるっとしてたり様々だ。最後のページにハンコの押された薄い紙が貼ってある本もあった。なんだろこれ。ジャンルは小説から学術書から大衆文化、ノンフィクションまで。どこまでいっても文字ばかりで頭が痛くなってくる。


「ふーん……」


 結局、何も買わないで出ていくのも居心地が悪く本を買うことにした。どれにしよう。高くなさそうなの。じーっと本棚を右から左まで眺めて探してみる。「竜使いの郵便局」。絵本だ。本棚から取り出してみると、正方形の固くて厚い表紙に、水彩風の絵が描かれている。石積みの家の上を青空に溶けるような竜が飛んでいく。これにしよ。


 それから上の棚を見てみる。色とりどりの背表紙をなぞっていくと、「水没した都市の少女」という題で指が止まった。適当に本棚から引っ張り出してみる。比較的きれいな文庫本だった。色も鮮やか。表紙のイラストは確かに水没して滝のある都市、屋根に腰掛ける女の子だ。黄色いレインコートと赤い長靴。長靴落ちちゃったりしないのかな。もう一冊、これも。


 私はレジの様子をうかがった。その人はじっと本を読んでいる。動きは少なく、たまにページをめくるだけだ。眼鏡のせいでちゃんと読んでるんだかわからない。……なにが面白いんだろう。それに、売るつもりがあるんだろうか。


「あの。ええと、これ……」


 ためらいがちに声を出す。レジに座っていた人はようやく顔をあげて私に気づいた。本を渡すと、値札のない本を見て「三百円ね」と言う。そっけないが感じは思ったより良い。身綺麗で、まるで都会の人のようだ。それが適正価格なのかどうかなんてさっぱりわからなかったが、うなずいた。


「絵本が二百円、こっちが百円。ごめんね、レジの調子が悪くて。レシートないけどいい?」

「いいです」




 石段の端っこに腰掛けてお弁当を食べる。角度の浅い日差しがまぶしい。私は甘い卵焼きはご飯に合わないと思っているが、作ってくれてるのになかなか言えなかった。買った本を手にとって見る。絵本は「竜使いの郵便局」、文庫は「水没した都市の少女」。きれいな絵だなあ。絵本はずいぶん古いみたい。


 国語はそれなりにできるけれど、物語を面白いと思ったことはなかった。評論のほうがわかりやすい。物語なんて、どっかの誰かのつくり話。大げさな嘘に過ぎない、何の役にも立たないもの。いちいち情景を想像するのがめんどうくさい。まわりくどくしないで、はっきり結論から言ってほしい。


 それでも二冊も買ってしまったのは……旅行ハイとか、旅の記念……的なものかもしれない。どうせ読まないで部屋の隅に置いて置かれるだけなのに。食べ終わって水筒のお茶をひとくち。うーん、今日は冬にしては暖かい。


 海はずっとそこにあった。クラスのノリのいい人に比べ、なんて自分はつまらないんだろうと思う。どうしてもっと気の利いたこと言えないんだろう。無意味な時間。みんなに合わせて笑ってるだけ。他の子と話しているほうが楽しそうだし、なんで私なんかに構うんだろう。違うって言えないし、違うって言われると悲しい。


 波が寄せては白い波飛沫をあげて帰っていく。海にくれば面白いかもと思ったのに、つまらない。ほんとにつまらない。つまらなすぎて逆に笑えてくる。こんなにつまらないのに誰も海を責めないし、海はずっと海のままだ。たぶん私が「海のばかやろー!」と叫んだところで何も変わらない。私は、ちょっとだけ頬がゆるんだのを感じた。




 海も見たし、そろそろ帰ろう。海まで来て何もなかった。何も変わらなかった。つまらない人生、面白いことをしなければ意味がないのに。退屈な時間が果てしなく続いていく気持ちになって、こうして私の人生は終わっていく。本は二冊いっしょにカバンに突っ込んだ。絵本が大きめなのでファスナーが閉めにくい。


 立ち上がって……あ、そうだ。駅まではちょっと遠い。その前に。私はガラス戸を挟んで書店の彼に聞いてみた。


「あのお……トイレ貸してもらえますか?」

「いいですよ。そこのガラス戸を開けて奥です」


 大きな切子模様のあるガラス戸を開けて奥にはいる。廊下らしいそこにも本が積まれていた。小さなライトが上のほうにひとつ。壁に沿っていくと、外観に似合わないきれいなトイレがあった。よかった。


「ありがとうございました」

「いいえー」

「……すごい、本ですね」


 何か言わなきゃという思いに駆られて、思わず言葉が漏れた。それは量のことを言ったつもりだったのだが。


「ええ。本はすごいですよ。他人の人生を生きることができるんですから」


 他人の人生、それになんの意味があるんだろう。私は今ごろ学校にいるはずなのになにをやっているんだろう。


「人生は一度きりです。好きに生きればよろしい。でも、それに少し疲れたら、他の人生を覗いてみてもいいでしょう」

「……」

「きっと、その一度の人生を面白くしてくれますよ」

「面白く……ですか」

「面白いのが価値があるんじゃなくて、自分にとって価値があるのがわかると面白いんです。そういうものですから」

「はあ」

「海だって、そう変わりやしませんが、毎日見てると表情が違うのがわかってくるもんですよ」

「そう、ですか」


 よくわからないままあいまいに答えて、外に出る。ガラス戸の外で猫があくびをしてくたりと伸びているのをよけた。ガラス戸には「本、買い取ります」「探します」といった張り紙がある。それから、やっと入り口にブリキプレートの看板があることに気づいた。「階段堂」と。


「にゃーん」


 猫は返事をしなかった。その看板を横目に私は石段を降りていく。海のむこうにあった太陽は、ようやく西に傾いていた。




 ちょっとの罪悪感と、自分ひとりの時間をもてた喜び。私は整理券をポケットに入れて、扉横のロングシートに腰掛けた。もわんとした暖房は息が詰まりそうだった。気動車がガタガタと大きく揺れる。


 カバンから本を手にとってみる。細かく書き込まれた青い竜の表紙、この竜が郵便物を運ぶらしい。文庫本の表紙は、水に沈んだ都市を飛ぶ女の子。その絵からは内容が想像できない。彼らはどんなドラマチックな生活を送っているのだろうと思った。自分と違って。パラパラめくっても内容はわからない。


 明日、学校に行って誰も今日のことを聞いてくれなかったらどうしよう。何もなかったように明日が続いていったらどうしよう。毎日という時間に今日も押し流されていつしか消えていく。今日のことを誰かに話したとしても、それは彼らにとっては面白くない作り話と同じだ。


「まぁ、いっか」


 何だかよくわからないままそう思った。これは自分だけの話でいい。いつもと違う一日。なにもなかったけど、ちょっと面白かった一日の話でいい。変わったことをしないとみんなに飽きられるんじゃないかと思ってたけど、でも、ただそこに海があるだけで悪くなかった。


 それから私は買った本をもう一度、手にしてみた。どこにも竜なんていやしない。でも、竜のいる風景は悪くなかった。水没した街や学校を想像してみたら笑ってみたくなった。日常から外れたついでに、誰かの人生をたまには読んでみてもいいかもしれない。たとえ面白くなくても、それでもいい。ふしぎと損した気持ちにはならなかった。


 気動車は向こうで喋ってる人の声がかき消されるほどの音をたて、重そうにゆっくりとカーブを曲がっていく。海から遠ざかっていく。


 そういやスマホで海や街並みでも撮ればよかったんだ。それなりに絵になっただろうに。でも、それも「まぁ、いっか」だ。二冊の本だけが海の匂いをかすかに残していた。




pixivの「ものがたりの家」で書いたものです

https://www.pixiv.net/artworks/115809212

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