レスター・ナイルの白魔法大学寮事件簿

上田ミル

その紅茶を飲むたびに私のことを思い出してくださいね

 ――ローシェ王国立白魔法大学・1・2回生用食堂――


「レスター・ナイル!今からお前をボクの従者に加えてやる。光栄に思え!」

 ビシィ!と指を突き付けたのはサムロン・アライデル子爵令息だ。


 ふんわりした金髪を短く切りそろえた、薄い青色の瞳に大きめで分厚い唇が特徴の14歳でまだ顔に幼さが残っているものの、尊大さはすでに貴族のそれ、だ。

 周囲の学生たちが一斉に此の方を見る。


 レスターは眩暈がした。

(入学早々から目立たないようにしてたのに……この野郎――!)


 お貴族様が大嫌いなレスターはきっぱり言った。

「お断りします。そもそも、食事中に話しかけるのが貴族の作法ですか?」


 しかも余計な一言まで付けた。そういう態度こそが目立つ原因になるのだが、まだ人間関係の機微を知らないレスター13歳は理解できていなかった。


「な、な、な……」

 サムロンにとってレスターは庶民で気の小さい、こちらの言うことになんでも従いそうな地味な少年で、パシリに最適だと思っていた。全然予想と違う。


「お、おま£%#&□△◆■!キシャー!!!」

 サムロンは怒りのあまり意味不明な汚い音声を喚き散らした。


(うわっ、ツバが飛んだ、ばっちい……)

 周囲にいる彼の従者たち(取り巻きの1回生の学生)が口々に通訳してくれたが、レスターは目の前のハムと卵とレタスのサンドイッチしか見ていない。

 実家からの援助がないレスターにとっては貴重な一食である。


「おい、お前、(未来の)子爵様に向かって失礼な口をきくな!」

「そうだ、不敬罪だぞ!男爵よりも偉い子爵様に向かって!」

「平民なんかが”人”扱いされると思うな!」

「せっかくのサムロン様のお誘いを断るとは、お前はバカか?バカだな!はい、バカ決定!バーカバーカ!」


(パンがふわふわのサンドイッチだったのに、奴のツバが飛んだからもう食べられない……まだ一口しか齧ってない――)


 見た目は気弱そうで地味な性格のように見せているが、レスターの中身は貴族だろうが王族だろうが物怖じしない強さがある。


 レスターはサンドイッチに未練たらたらであったが、仕方なく立ち上がり、昼食が乗ったトレイを持ってスタスタと歩き出した。

 学生食堂はセルフサービスだ。


「おい、ボクを無視すんな!」

「待てよ、コラァ!」

 未来の子爵様は怒り、従者の1人がレスターの腕を掴もうとし、さらに1人がレスターの行く方向に立ちはだかろうとするが――


 その両方をスイっと躱し、レスターはトレイを下げ口に置いてささっと食堂から出た。

 レスターの動きが早すぎてサムロン一行は何が起こったのかわからない。

「「「????」」」

 ようやく1人が気を取り直して追いかけるが。

「おい、逃げるな!」

 と食堂を出た。

「……いない……」

 長い廊下には数人の学生がいたが、レスターの姿は忽然と消えていた。


 もちろん、消えたわけではない。レスターは気配を消して普通に歩いて行っただけだ。彼は長年ストーカーたちに追われ続けているうちに独自に気配を消す技を習得していた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 レスター・ナイル13歳。両親とも平民で、生まれたときは王都リア・アルファテスから遠く離れた貧しい田舎の村で過ごしていた。

 今の彼は身長152ハロル(cm)、髪は茶色の巻き毛、丸くて大きな黒縁のメガネをかけ、口元と喉にはマフラーをぐるぐると巻いている。


 これは彼なりの変装で、本来は輝くような金髪、瞳は王族の色とも言われる宝石のような深い青、唇はバラの花のように赤い白皙の美少年であった。


 このローシェ王国では「黄金色の金髪、宝石のような青い瞳」は、王族に多い色味であるため、レスターのような美形な子供は”価値”が高い。


 レスターの両親は彼の容姿を利用して3人の貴族から多額の養育費を受け取り、現在は王都に立派な家を借りて裕福な生活をしていた。


 しかし、レスターは11歳の時に養育費が意味する恐ろしい事実に気が付き(3人の愛人にされる契約らしい)、大人たちの思い通りにならないよう、表向きは従順なふりをして密かに1人で生活できるよう準備していた。両親の反対を押し切り、法律を利用して13歳で名門王立白魔法大学に入学したのもそのためだ。


 大学に入るためにレスターはとある組織と契約を結んだ。

 ローシェ王国は情報が金になる国で、町のあちこちに情報屋がいる。天性の勘を働かせ、その一人一人を当たって大物組織にたどり着き、繋がりを持つことができた。


『白魔法大学の寮へ潜入し、そこで3年連続で起こっている1回生行方不明事件の真相を探ること』


 それが成功すれば貴族と両親が勝手に結んだ契約を破棄できるように組織が動いてくれる。

 危険な仕事だが自由のためには、レスターは利用できるものはなんでも利用するつもりだ。大人の好き勝手にされるのは死んでも嫌だ。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 入学してから10日め。レスターが接触したのは3人。

 1人目は子爵令息サムロンとその従者たち。彼らはレスターを見るとヒソヒソ話をしたり、「こっちと同じ空気吸うな、ザコ」など暴言を吐いて来る。鬱陶しいがそれだけ。


 2人目はボサついている黒髪を適当になでつけ、頭をボリボリと搔きながら気怠そうにしゃべる、無精ひげを生やしたやる気のないオッサン教師クライド・ヴァーティレリ36歳。発音しにくい。


 ある日、クライドは人のいない廊下でレスターに

「あんまり調子に乗んなよ」

 というわけのわからない忠告をしてきた。サムロンたちとのもめ事のことだろうか。不良みたいなガラの悪い先生だ。怪しい。


 3人目はマイルス・コーエン教授46歳。肩を過ぎるくらいの長さの赤みのある金髪を三つ編みにして背中に垂らしている。前髪や頬にかかる後れ毛は緩くウェーブがかかっている。痩せ気味で頬もこけているが、濃い茶色の瞳で穏やかな表情を浮かべる壮年の教師は白いローブが実によく似合っていた。


 彼のような人こそ白魔導士のイメージにぴったりだ。

 マイルスはクライドとレスターがいっしょにいるところを見ていたらしく、

「教師全体の品位の問題ですからね。学年主任の私にも責任があります。レスター、もしもこれからもクライドが絡んでくるようなことがあれば私にすぐに教えてください」


 と言ってくれた。いい人だ。だが、レスターはいい人に見える大人ほど怖いことがあることを経験で知っていた。怪しい。


(たぶん、教師のどっちか、もしくは両方だろうな)


 レスターは頭を懸命に働かせる。今年度の白魔導士の素質のある1回生は58人。そのうち寮生活をしているのが23人でそれほど多くはない。

 事前に情報を得ていたが、行方不明者に共通するのは3人とも寮生だった、ということだ。

 寮生と深くかかわるのが1回生の寮生担当の教師クライドとマイルス。


 1回生と言えば13~15歳程度の子供だ。自分の意思で出て行くにしてもプロの白魔導士に追えない、ということがあるだろうか。

 だが、魔法が使える大人が絡んでいたとしたら?白魔法にはひと1人だれにもわからないところへ移動させることができる結節点魔法というのがあるのだ。


 失踪者自らの意思か、それともさらわれたのかはレスターにはわからない。

 白魔導士には怪我を瞬時に治せる治癒魔法、物を浮かせる浮遊魔法、物理的・魔法的な障壁魔法など数々の便利な魔法があるので外国では非常に価値があるものとして扱われるそうだから、後者だとレスターは思っている。


 だが、1回生は使

 白魔法を使えるようになるためには、白の女神と契約をしないといけないからだ。

 素質があるかどうかは上級白魔導士が見ればわかるので、入学前の審査の必須事項にもなっている。


 1年間は一般コースの学生たちといっしょに座学を学び、白魔法に関する知識と一般常識を履修する。

(魔法の使えない1回生を攫っていったいどうするんだろう?)


「レスター、消灯の時間だよ、灯り消していいかい?」

 ベッドの上で考え込んでいたレスターに同室のセルシュが声をかけてくれた。


「あ、もうそんな時間だったか、ごめん、消していいよ」

「ほーい。おやすみー」

「「おやすみー」」

 クルトとハンスも口々におやすみを言った。4人部屋の同室である彼らは適度な距離を保って接してくれる。あまり自分のことをしゃべりたがらないレスターにとっては初めて気が許せる友達だった。


 彼らはレスターの美貌を見ても

「びっくりした、けどそんなに綺麗だったら隠すのも無理ないよね」

 と、レスターの事情を知って協力してくれるようになった。


 その後も彼らの態度は変わることなく昼の休憩中には部屋でカードゲームをしたり、休みの日には町へ出て買い物に行ったりと、レスターは学生生活を満喫していた。今までずっと監視付きだったから夢のようだ。

 セルシュたちに出会えただけでも大学へ進学したかいがあったというものだ。


 そして、はた、と気が付いた。

 彼らも人攫い(仮)の対象になる可能性があるのだ。


(危険だけど、僕自身がおとりになるしかないよな……)

 初めてできた同年代の友達を無くしたくない。

 目を閉じてレスターは覚悟を決めた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 入学から13日目、サムロンたちの嫌がらせが急にエスカレートしだした。

 レスターが廊下を歩いていると従者たちが足を出してくる、食堂で席に着こうとすると椅子を引いて座らせないようにする、レスターの寮の入り口に汚物をぶちまける、ついには『レスターは不倫の子』や『陰でいろいろな学生の悪口を言っている』などどいう噂を流すようになった。


 大事にしたくなかったからスルーしていたらさらにエスカレートしてきて、レスターは頭を抱えた。

 このままだと同室のセルシュたちにも被害が及ぶ可能性も出て来たので、マイルス教授に相談することにした。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 すべての授業が終わって夕食が済んだあと、レスターは一人でマイルスの研究室へ向かった。

 レスターは出来る限り嫌がらせに弱り果てているフリをした。そうでないと本気で動いてもらえそうにない。


「そうですか、それは困りましたね」

 面会の予約はしていなかったが幸いマイルスは教授専用の個室にいた。突然の訪れを謝ってからレスターは時々涙に詰まりながら今までにされた嫌がらせを告げた。


 マイルスは顎に右手をあててしばらく考え、一つの提案を示した。

「わかりました。どの嫌がらせも白魔導士の資質としては許されないものばかりです。しかし、相手は子爵令息。大学側から表立って注意しても相手側から反論してきたり大事にしてしまうかもしれません。まずは私個人からやめるように言っておきましょう。それ以上続けるのであれば罰を与えると」


 レスターはうなずいた。たしかにそういう方法しかないだろう。

 出来る限りのことはしてくれそうで、レスターはほっとした。

「ありがとうございます。相談してよかった」

 と深く頭を下げた。


「いいえ、これからも何かあれば直接言いに来てください。いつでも歓迎しますよ」

(いい人だなあ……本当にそう思ってくれている)


 マイルスは胸元からハンカチーフを取り出し、レスターに渡してくれた。優しい微笑みを見せて安心感を与えてくれる。

「ありがとうございます。これ、洗濯してお返ししますね」

「ああ、いつでもかまいませんよ」


 ハンカチーフでメガネの下の嘘泣きの涙を拭きながら、レスターは見抜いた。

(優しそうな顔の下にもう一枚あるな)

 13歳で多くの大人たちと関わり合い学んで来た経験がそう言っていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 そのことがきっかけになり、レスターはマイルスのところへ足しげく通うようになった。ハンカチーフを返すという建前もあったが、

(出してくれるお茶とお菓子が高級品でおいしいんだよね)

 万年金欠のレスターはちゃっかりしていた。


 サムロンはそれ以降、こちらを睨みつけることはあっても以前のようなあからさまな嫌がらせはしてこなくなった。マイルスがちゃんと言ってくれたらしい。

 だが、彼の眼はますますメラメラと燃えている。


 (あれは全然納得していない目だ。そのうち何かをやらかしそう。嫌だなあ)


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 レスターの読み通り、サムロンは自宅のベッドの中で怒りに燃えていた。貴族の子息は寮ではなく王都の自宅から通うものがほとんどだ。


(ちくしょう……レスターめ!先生に告げ口しやがった!あいつ絶対に許さない……子爵が大したことない階級だって言ってたって?僕の容姿も散々けなしてたって?父上に言いつけたらすごい怒ってたし。なんとかあいつを叩きのめしたい。ボクがやったって思われないように痛めつける方法ないかな。頭を丸刈りにして裸にひん剥いて大勢が見てる前で土下座させてやりたい……いや、もうボクがやってもいい、父上がきっとなんとかしてくれる――)


 マイルスは、レスターが言っていないことまでサムロンに吹き込んいた。そうすればもっとサムロンの行いはひどくなるだろう。そうしてレスターがいじめに耐えられなくなるのを待っていたのである。


 マイルスは白魔導士でありながら学生を食い物にする犯罪者だった。

 しかし、マイルスが選んだ獲物が、最悪の相手であったことに彼はまだ気が付いていなかった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 大学に入学して20日め。レスターは一日おきにマイルスの部屋を尋ね、授業の内容でわからないことを聞いたり、雑談をしていて、今日もまたお茶をごちそうになっていた。


 ゆっくりと腰を落ち着けて話をしてみると、マイルスは非常に魅力的な人物だった。落ち着いた声音で話す内容は高尚で気品があり、時にはユーモアもまじえてレスターを笑わせてくれたりもした。


 大学周辺のお茶がおいしい店や、学生たちのたまり場の食堂をたくさん知っていて、楽しそうに笑みを浮かべながら場所を教えてくれる。学生たちと相当友好な関係を持たなければこんな情報は得られないだろう。


 マイルスを知れば知るほど彼が裏でやっているであろうことが信じられない。

 だが、時間をあまりかけてはいられない。攫われた白魔導士の卵たちは恐らく生きている。

 それはレスターの勘でしかなかったが、きっとまだ無事でいる。早く居所を突き止めてやらなければならない。レスターはついに本題に切り込んだ。


「マイルス先生、おかしな噂を聞いたのですが……」

「噂?なんでしょう」

 飲んでいたティーカップを机の上に置くとマイルスはレスターに向き直った。

 彼の眼がまっすぐにレスターを捉えている。


「毎年、1回生の学生が1人行方不明になっているというのを――」

 マイルスの眉がひそまった。


「それをどこで?」

「あ、えーと、3回生の方が教えてくれました(これは本当)」

「なるほど。まあ人の口に戸は立てられないといいますしね。その噂は本当です。ただ、大学側としては不名誉なことですので人には言わないようにしてくださいね」

「わかりました」


「1回生の君に今、私が言えるのは『彼らは自分の意思で出て行った』ということだけです」

「自分の意思ですか?……ということは彼らは湖に沈められたりとかはしていない?その、居なくなってしまった人たちに何か共通点はあったのでしょうか?例えば貴族の不興を買った、とか」


「レスター、熱心に聞くのは興味本位ですか?それともなにか理由が?」

 マイルスの瞳がどんどん細められている。彼のもう一つの顔が見え始めていた。


「――去年いなくなったのは僕の知り合いなんです(これは嘘)」

 マイルスの瞳が怪しい光を放った。


「そうでしたか、それは心配ですね――わかりました、本当のことを教えましょう。

 彼らはみな貴族に何らかの嫌がらせを受けていました。そして、そのまま在学するのは耐えられない、ということで密かに自主退学することを選んだのですよ。ですから、行方不明、ということにしていますが、実際は実家に帰ったり、別の大学へ通っています」


 黒眼鏡の下のレスターの目が丸くなった。

「……そうだったんですか。でもなぜ周囲には言わずに?」

「表だって退学すると、嫌がらせをした貴族が家族や話を聞いた者まで被害を広げるかもしれない、との考えからです。貴族に目を付けられる、ということはそれほど悲惨なことなのです」


 レスターはぶるっと体を抱きしめて震わせた。

「ということは僕もこれから……」

「その可能性があります。いいですか、レスター。もしも嫌がらせがこれ以上ひどいことになったら――」


「いいえ、先生の話を聞いて決心がつきました。僕、もうサムロンのやつにいじめられる生活に耐えられそうにありません!でも、両親は退学なんて許してくれません、お願いします!どうかほとぼりが冷めるまで安全なところへ匿っていただけませんか……」


 レスターは頬を流れる(嘘泣きの)涙を右手の袖で拭った。

「なんて不憫な……かわいそうに」


 マイルスは椅子から立ち上がり、レスターを両手でそっと抱きしめ、背中をなでてくれた。その声音に嘘は感じられない。


「だいじょうぶ、私が君をだれにもわからないところへ連れて行ってあげましょう。心配しなくていいのですよ」

「……先生――」

(本当に……この人は心から心配してくれているのに……どうしてなんか――)


「そろそろ眠くなって来たでしょう?」

「どう……して……?」


 レスターは体から力が抜けていくフリをする。飲んだお茶に眠り薬が入っていたらしいが、レスターは飲んでない。お茶がいつもより濃く淹れてあり、ほんの少し香に薬の匂いが混ざっていることに気が付いたので、首に巻いていた布にお茶を全部吸わせてから後ろの椅子の背もたれにかけていた。


 お茶に何か混ぜられていたのは見当がついていたが、種類まではわからなかった。マイルスが言ってくれて助かった。


(どこに連れて行かれるんだろ……ふぁーあ……)

 マイルスの腕の中で、レスターの意識は途切れた……フリをした。連日夜中に情報を得るために動きまわっていたので眠くなったのは本当だ。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


「ああ、やっぱり――なんて綺麗な子なんでしょう」

 長椅子に腰を掛け、マイルスは眠っているレスターの頭を膝の上に乗せて間近から観察をしていた。

 黒縁の眼鏡は外されていた。


「眉もまつ毛も金色……この髪は染めていたのですね。元の色はさぞかし輝いていることでしょう。この赤い唇も蠱惑的です」

 マイルスの指先がやさしく頬を撫でている。


 横たわると首が絞めつけられるので緑のローブは脱がして、木綿のシャツの第一ボタンと緑のタイもちゃんと外してくれていた。

 そういう気の回し方をしてくれるなら殺すつもりはないのだろう。最初は全部脱がされるかと思って寒気がしたが。


(うーん、困った。すぐにアジトに連れて行かれると思ったんだけど……)

 長椅子の上で膝枕されて困惑するレスターであった。


「だいじょうぶ、安全なところに匿ってあげますからね。醜いいじめなど一切ないところへ」

(一応、助けようとはしてくれてるんだな……)


「君はこれからは生きることに何も心配はいらないのです」

(ん?)

「私が全部お世話してさしあげますからね」

(んん?)

「まあ、ちょっと……檻の中に入れて手枷と足枷は嵌めますけど。ああ、服も必要ありませんね」

 楽しそうな声。


(……ぞっ……)

「食事は私の手から食べさせてあげましょう。ああ、なんて可哀そうで可愛い私の金糸雀カナリア……」

(……うああああ――ヘンタイ!!ヘンタイ!!ヘンタイ!!!!!!)


 寝たふりをしながら心の中で絶叫するレスター。こいつ、変態だー!!!

 寒気がする、吐きそう!!!


 これがマイルスの本性だった。レスターが赤ん坊のころから目を付け、たびたび面会を強要し、知らない間に両親と主従関係を強制する契約を結ばせた貴族たちと同類だ。オエエエエ!


「それは困りますねえ、先生」

 いきなり知らない男の声がした。さっきまで気配がなかったからこの部屋に結節点があったのか。

 白魔法には結節点を作って空間を繋ぎ合わせ瞬時に移動できるという高難易度の魔法がある。ということは、その男は白魔導士だ。


「……君たちが来るのは明日のはずですが?」

 マイルスが咎める。声に焦りがある。男は3人いてマイルスの一味らしい。実行犯たちの登場か。


「予定が早まりましてねえ。次の小鳥は彼かい?これはまた特級の美形ですなあ。これなら癒し手よりもお貴族様に売る方が儲かりそうだ」

 3人の内しゃべっているのは一人だけだ。全員が黒いローブを着てフードを目深に被り、口元も布で隠している。声だけで判断すると30歳は過ぎていそうだ。


「彼はダメです。明日他の小鳥を用意しますので今日はお引き取りください」


「おうおう、先生、そりゃあルール違反だ」

「へっ、そんな上玉をみすみす逃すかってんだ」

 2人目の男もしゃべった。どっちも下品な口調だ。


 男たちは同時に動いた。しかし――


 飛び掛かろうとした男たちは、寸前で止まった。

「ちっ、物理障壁か」

 マイルスは右手を上げてほほ笑んでいた。レスターの脇から左手で回して身体を抱え上げた。

 物理障壁は透明で目には見えないが、とても頑丈でたとえ鉄のハンマーで殴りつけてもビクともしないし、むしろ肉体のほうが怪我をする。


「今日は諦めて去りなさい。……私は争いごとは嫌いです」


(うわー、仲間割れ始まっちゃった……予想外だ。強そうな男たち……やっかいだな、先生、がんばれ!)

 どちらかというと変態だが、体力的には御しやすそうなマイルスを応援するレスターであった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 男2人が右手をマイルスに向かって上げる。マイルスの顔に焦りが浮かぶ。

 レスターには男たちの意図が分かった。物理障壁に、2人分の物理障壁を当てて壊そうというのだ。

 障壁は魔力量の多い方が固くなるから、マイルスの障壁ははじけ消えるはずだ。やばい。


「はい、そこまでー」

 テスト時間の終了を告げるような、のほほんとした3人目の男の声が男2人の後ろから詠唱を阻んだ。


(あ、この声――知ってる)


 男2人が驚いて振り向くと、ガチャリ、と音がした。

 声を掛けた男――クライド教授が両手を出して男たちの首に銀色をした金属製の細い首輪を嵌めた音だった。


「こいつ――裏切ったな?」

「畜生、――ギャアアアアっ!!!」

 銀の首輪からバチバチっと青い光を放つ電流が流れ、2人同時に叫び声が上がり、一瞬で昏倒した。


「あーあ、警告する前にやっちまったな。今から『魔法は使うなよ』って言おうと思ったのに……」

 ぽりぽりと頭を掻くクライド。


「……一年間も気が付きませんでした、あなたは潜入捜査官だったんですね、クライド……」

 マイルスはいつもと同じ落ち着いた声で言った。


「まあな。それで、この首輪は魔法を使うと電流が流れるようになっている。……知っているよな?マイルス。お前が作ったんだからな。よし、警告はしたぞ」


「……ここまでですか。わかりました。大人しく引きますよ。では……」

 マイルスがレスターを抱いて結節点魔法を唱えようとしたとき――


 カチャリ、と音を立ててマイルスの首に銀の首輪が嵌った。


「な……!起きていたのですか……」

「先生、ごめんなさい」


 マイルスから離れ、レスターは謝った。首輪を嵌めたのは彼だ。

 レスターはクライドが輪のことを自分に向かって説明してくれたのを察し、クライドの目線でマイルスのローブの隠しポケットに同じ首輪があるのに気が付いて盗み取ったが、マイルスは男たちに気を取られて気が付いていなかった。


「レスター、”調子に乗るな”と言ったのに。結果的に無事だったが、もし俺がこいつらに紛れ込んで計画を一日早めていなければその首輪はお前に嵌ってたぞ」


「僕ができるのは白魔法だけじゃないから……そうなってもまあ大丈夫でしたよ」


 レスターは事前に組織の白魔導士から逃亡に必要な白魔法をいくつか教えてもらっていた。

 それ以外にも体術や鍵開け、スリの技術などは小さいころから独自に身に着けている。ちなみに、クライドが潜入員だとは今初めて知った。


「……お前、13歳の度胸じゃねえな、本当に生意気!」

 クライドは歯を剥いて怒り、すぐに破顔した。


「だが、そういうところは情報部に向いてる。なあ、今すぐうちに来ない?」

 クライドの熱い視線にレスターはそっぽを向いた。何言ってるんだこいつ。今はそんな場合じゃないよ。


 2人の会話を聞いたマイルスがため息を付いた。

「……そうでしたか、レスター君もクライドの一味だったのですね、なるほど――」

 いつもと変わらないマイルスの声音に、レスターは怖くなった。破滅に際してもこの人は変わらないのか。


「そういうわけだ。ローシェがお前の身柄を拘束する。行方不明者の居場所を吐いてもらうぞ」

 レスターが依頼を受けていたのはローシェ王国情報部だった。


「魔法を封じられては無駄な抵抗はしません。すべて白状しますので手荒な真似はしないでください」

「ああ、わかった」


「その前に――レスター、その戸棚に紅茶の缶があります。気に入ってたでしょう?どうかもらってください。まだ封を開けてないので安全ですよ。私はもうここには戻れませんので」


「……なぜ……?」

 捕まる原因になったのは自分なのにレスターは不思議に思った。


「その紅茶を飲むたびに、くださいね……」


 そう言ってマイルスは、自分の首輪を愛し気に撫でながら、にぃ、っとレスターに向かって笑った。目に光がまったくなく、口元が三日月のようにパックリ割れた悪魔の微笑みだった。


 レスターは体中の血が氷のように冷たくなる心地がした。

 マイルスはレスターへの執着を諦めていないのだ。恐らく、死ぬまで。

 レスターは恐怖のあまりクライドのローブの腰のあたりを握って震えることしかできなかった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 情報部の職員たちが到着し、男2人とマイルスが連行されて行った。

 クライドはレスターの震えが止まるまで待っていてくれた。


「もう、話せるか?」

「だ、だいじょうぶです」


「紅茶の缶、処分しておくか?」

「……いえ、世の中にはこんな恐ろしい人がいたんだって、忘れないようにもらっておこうと思います――さすがに飲む気はしませんけど」

「そうか」


「これからマイルス先生はどうなります?」

「攫われた学生たちの状態次第だな、一人でも死んでたら終身刑だ。3人全員生きていれば、恩赦がくれば減刑はあるかもしれん。それでも少なくとも20年以上の刑期になるだろう」

「20年……もう2度と会わずに済むかな」


「俺らが会わせないさ。情報部はお前の協力に感謝する。あいつが怪しいとは睨んでいたが決定的な証拠が掴めなかったんだ。お前がいなければまた1人攫われていただろう」

「……みんな、助かってるといいなあ」

「きっと大丈夫だ。白魔導士は貴重だからな」

 そういってクライドは大きな手でレスターの頭をガシガシと乱暴になでた。

 他人の手なのに、父親や母親よりも暖かかった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 2週間後、レスターはクライドの教授室で事の顛末を聞いた。

 マイルスの一味のうち一人は庭師で1人は大学内にある購買部の店員だった。彼らは5年も前から大学に潜み、対象を見繕っていたという。全員中級以上の白魔導士だった。


 攫われた3人は幸運なことに全員外国で生きていた、2人が貴族専用の癒し手、1人が大商人の荷物の運び手をやらされていたが、無体なことはされていなかった。


「なるほど、一味が白魔導士であれば、都合のいい魔法だけを教えて……」

「ああ。特定の魔法だけが使える奴隷として他国に売ってたんだ。すごいぞ、1人につき5000万ギラ(万)で売れたそうだ」

「うわあ……」


「今回はターゲットであるお前を、マイルスが自分の物にしようとした。そのおかげで仲間割れから奴らを逮捕できた。改めて感謝する。


 それから、司法取引が成立してな。マイルスは表向きは持病が悪化したことにして白魔法大学を退職、ということになった。事件が明るみに出たら経営陣が総退職するほどの大失態だからな。もちろん、それで刑期が縮まるとかはない」


「わかりました。大人の事情というやつですか。それで、約束の方は――」


「もちろん守る。君を狙っている貴族3人のうち2人は契約を破棄させた。残りの1人がなあ……侯爵クラスでな、時間はかかっているが間もなくできるだろう」


「うええ、まさか侯爵だったなんて……」

 レスターは小さな頃からその貴族たちとは何回か面会させられていたがその一人がそんな大物だとは思わなかった。彼らはみな仮面をかぶっていたので正体はレスターにはわからなかったのだ。


「その侯爵の名前を教えていただくには――」

「ダメだ。お前では太刀打ちできないし、むしろ危険になる」

「……ですよね」


「それと、大学の授業料やら寮での生活費だが、今回のオマケ報酬としてうち情報部が全部もたせてもらうよ」

「えっ?でも僕、奨学金を借りたんですが」

「そっちにはすでに支払っておいた。お前に借金はないよ」

「でも――」

「ありがたくもらっておけ。拉致されていた白魔導士の卵たちの実家が礼金として一部を出してくれたんだ。お前には受け取る権利がある」


「……そうでしたか。わかりました、ご家族の方に感謝している、とお伝えください」

「わかった、で、最後にひとつだけ。お前、本当に今から情報部に来ないか?うちならお前を守れるぞ」


 レスターは迷ったが。

「ありがたいお申し出ですが、僕はこのまま普通に大学に通いたい。生まれて初めて同年代の友達ができたんです。それに、自由な身分のままで生活がしたい。友達と遊んだり、いっしょに勉強したり、町で食べ歩きしたり。どれも今まで僕ができなかったことばかりなんです」

 と本心から答えた。


 クライドはまた頭をポリポリ掻いた。

「そう言うと思ったぜ。一応上からのお達しなんで聞いただけだ。まあ、お前はまだ13歳なんだ。その歳らしい生活を送るのが最重要だな。わかったよ、上には断られたって言っとくさ」


 レスターはほっとした。

「あ、忘れてた、お前にちょっかいかけてたサムロンな、退学になったわ」

「えっ?!」

「その侯爵の逆鱗に触れたらしい。父親のアライデル子爵が、泣き叫ぶサムロンを真っ青な顔で引きずって行った」


 意図的ではなかったが、サムロンのおかげでレスターは真犯人に早く近づくことができたのだ。

 あの変態侯爵に目を付けられたなんて、悪いことしちゃったかなあ。


「それは……ありがたいというか、やっかいな、というべき?大学内のことも漏れてた?」

「やっかい、に一票だな。大学にいるうちは学生の権利が法的に認められているから侯爵と言えど手出しはできん。


 お前、卒業したときがやばいぞ。常に後ろに気をつけてな(ひそかに護衛付けておくけど)。お前が在学している間、俺も教師として在籍しておく。何かあったら言え」

「わかりました、いろいろとありがとうございました」


 話してみればクライドはちゃんとした大人だった。普段の授業の様子がやる気がなさすぎてとても情報部の人とは思えない。だから犯罪団の仲間に入れたんだ、とレスターは納得した。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 こうして白魔法大学1回生失踪事件は真相は表に出ず、ひっそりと幕を閉じた。

 だが、事件はレスターの心に深い傷を残した。

(人が怖い。あの絡みつくような執着心がすごく怖い。なるべく自分の姿を見せずに生きていけたらいいなあ。そういう仕事ってあるかな?)


 それがきっかけとなりレスターは大学を卒業後、忍者の「つなぎ」という、姿を消して働ける職業を見つけた。ローシェ人初のプロの忍者が誕生したのは今から4年後のことであった。


 ――終――

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