第2話

 ダイバーシティ改革を指揮する審判庁は、死人の罪を測り、輪廻転生の先を決定する裁判所である。


 転生先は天界・人間界・地獄の3つであり、地獄では古来より人間界で罪を犯した亡者に罰を与えてきた。

 しかし近年、文明の発展や新しい考え方の広まりによって、人間界の情勢は大きな変化を始めている。そのため、はるか昔から伝わる「罪」の認識は、もう古いものになりつつある。

 莫大な種類に広がった罪を、どこまで明文化してどこまで裁くのか。地獄に溜まっていく一方の亡者をどうやって管理していくのか。どうやらそれは、審判庁の内部でも決めあぐねているらしい。


 すべての世界を束ねる王庁がその状況を危惧し、亡者の溜まり場となりつつある地獄に改革を求めたのが、少し前のことである。それを受けた審判庁は昨今の人間界の事情を勘案し、罰を、誰にでも受け入れられるような多様性を認めたもので、簡略化するように通達をおこなった。


 また、新たに、地獄で一定期間を過ごした者の再審判をおこなう制度も導入された。これは地獄で増加しすぎた亡者を減らして管理しやすくすることと、新しい基準で再び審判をおこない、魂を循環させていくことを目的としている。


 これらの一連の取り組みが、ダイバーシティ改革である。



  *    *    *  



「ようギンカ、お疲れ!」


 手帳をパラパラと眺めていたギンカに、ガタイの良いオニが右手を挙げて近づいてくる。


「ロクもお疲れ」


 ロクと呼ばれたオニは、ギンカが腰掛けている木製のイスに向かい合うように座る。注文を取りに来たウェイターにいくつか料理を頼むと、ロクは肩の力を抜いて壁に寄り掛かった。


「明日は執行庁か。今から気が重いぜ~」


 気怠そうに言うロクの言葉に相槌を打ったギンカは、テーブルに広げた資料を片付けながら、さっそく運ばれてきた料理の位置を整えていく。


 ギンカとロクはほぼ同時期に環境庁で働き始めた同僚である。相性も良くすぐに仲良くなり、あれからかなりの時が経った今でも、こうして仕事を終えたあとで頻繁に食事をともにしている。


「そういや、もうコレ外していいんだよな」


 ロクは思い出したように言うと、額から下げた顎先まで続く覆面の裾を引っ張った。すぽんと覆面が外れると、直線的な男性らしい顔はやや汗ばんでいるのがわかった。短く刈り込んだもみあげとさっぱりとした短髪に包まれた頭部には、太く短い2本のツノが生えている。


 以前は日常生活でも顔を隠すことが義務付けられていたが、改革に伴い、正装が必要となる場面以外での覆面の着用は任意になったのだ。


 ギンカもロクを真似て覆面を下に引っ張り、それを首から下げる格好になる。長く伸びた縮れた前髪が揺れた。

 筋肉質なロクと比較すると小柄に見えるギンカは、緩くウェーブがかった髪を後ろでひとつにまとめている。鹿のように枝分かれした細長いツノが、中肉中背のギンカを華奢に見せているようだ。


「やっぱり、ずっと続けてきたことを変えるのって時間かかるよね」

「そりゃそうだろ!」


 ぼそっと言うギンカの声に、ロクはテーブルに並んだ餃子を食べながら威勢良く答える。


「いつまでも時代に遅れっぱなしじゃあ良くないよな。いつかは変えなきゃならねえ。執行庁もおれらも、戸惑ってるのは全員同じだ……けどやっぱり、あの長官には会いたくねえ~!」


 ロクはテーブルに両肘をついて頭を抱えていた。おれも同じ気持ち、とギンカは賛同し、ウェイターが運んできた徳利をロクに促すように持つ。するとロクは慌てておちょこを両手で構える。


 とくとくとく、と注がれる酒と立ち上る湯気を見つめるふたりは、やがて乾杯をしたのち、今日の出来事や些細な愚痴を互いに言い合うのだ。


 こうして、地獄の夜は更けていく。



   *    *    *  



 「環境庁」という古びた看板が掛かった建物に、二日酔い気味のオニたちが出社してくる。ギイと音を立てて開いた木製のドアは、室内にいる人々の気を引くには十分で、時間ギリギリに入ってくるふたりは気まずそうに奥へ進む。

 こそこそと部屋の隅にある出勤札を裏返すギンカとロクに、ひとりのオニが声をかけた。


「珍しいな、こんなギリギリに来るなんて」

「おはようございます、ウカイ長官。ハハハ、すみません……」


 慌てて挨拶をしたふたりは𠮟責を覚悟して目を泳がせたが、すぐに別の用事があると理解した。環境庁のトップであるウカイの後ろに、見慣れない若いオニが立っているのが見えたからだ。

 ウカイはそのオニを指して言う。


「彼はジキト。この環境庁で働くことになった。今日はふたりで執行庁だろう? 研修ついでに同行させてやってくれ」


 ジキトと呼ばれたオニは、怯えか緊張か小さく震えているようだ。少しの沈黙のあと、ふたりの足元に目線を落としたまま囁くような声で挨拶をした。


「よろしくお願いします……」


 一列に揃えられた前髪と、額から生えた1本のツノに隠れた表情は浮かない。一度ちらっとこちらを見たものの、すぐに俯いてしまった様子からもまだ幼いように見える。

 しかし、薄氷を踏むような面持ちのふたりに反して、ジキトは口をぎゅっと結ぶと覚悟を決めたような力強い目で再びふたりを見上げた。


「よろしくお願いします。僕、やれるので」



 オニたちは執行庁を目指し、庁舎を後にする。



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2024年10月25日 18:00

地獄も住み処 たちばな @hana_pokopoko

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