第1話

「いや、半分ほんとうで半分冗談です! でもちょっと大げさに言いすぎました、すみません!」


 マイクを手にしたオニが、助手席に座っていた別のオニに睨まれている。やれやれ、と運転席に座っていた大柄なオニが客席を振り返りながら太い指で彼をつつく。


「はやく案内してやれよ、タイラ。おまえのせいでみんな真っ青だぞ」


 タイラと呼ばれたオニは右手を後頭部に回してすみません、と苦笑いをした。

 そして、固く結んだ着物の帯から小さく折りたたんだ紙を取り出した。広げた台本を片手に、タイラは乗客たちに向き直ると再びマイクを手に案内を始める。バス内の張りつめていた空気に一瞬だけ綻びがうまれた。


「今からみなさまにはあの山を越え、三途の川を目指していただきます。ちょっと前まではですね、ご自身の足で歩いてもらってたんですが、今はなんとか改革だとかで、登山用バスで送迎しますのでご安心ください!」


 乗客たちに困惑と安堵の色が広がる。それと同時に、ガタゴトと音を立てながら、大型のタイヤを備えた登山用バスがちょうど山から降りてくるのが乗客たちの目に入ってきた。


「あのバスですね~。では、お一人ずつ降りましょうか!」


 タイラは尻絡しりからげをした着物で軽やかにバスを降り、足元に気を付けてくださいね、と朗らかに乗客たちを先導すると、数十メートル先に停車した頑丈そうなバスへ向かった。スーツで身を包んだサラリーマンや病衣を着た裸足の老人、エプロンを着けた若い女性、誰もが素直にタイラの指示に従って一列に歩いていく。


 助手席と運転席に座っていたふたりのオニは、乗客がすべて降りたことを確認して最後にバスを降りた。歩いていく乗客の後ろ姿を目にしながら、運転席に座っていたオニが話し出す。


「ギンカも、ご苦労なこったな」

「そりゃ、どうも。審判庁の指示なんで、おれたちは逆らえないですから」


 ギンカと呼ばれたオニは肩をすくめながら言う。ギンカは右隣に立つ大柄なオニを軽く見上げて話を続けた。


「どうです、案内庁の様子は。ダイバーシティ改革が始まってからもう数ヶ月経ちますけど、ジョーさんのまわりはついていけてます?」


 ジョーは右手で頭の短いツノを触りながら、どうだかねえと首を振った。


「時間かかるだろ。いきなり『地獄にも多様性を!』とか言われてもな。まあ、困ってるのはおれたちよりも執行庁のヤツらじゃないか? 亡者の苦しみを取り除いた罰、なんて指示が出されても」


 たしかに、と相槌を打ったギンカを横目に、ジョーは腕を組みながら付け加えた。


「おまえら環境庁も大変だな。大人しく従うヤツばかりじゃないだろうに、文句言うヤツのしながら審判庁の顔色もうかがわなきゃなんねえし」


 ギンカは乾いた笑い声でジョーの質問をうまく躱す。

 ふと、登山用のバスの入り口でタイラがこちらに手を振っているのが見えた。


「おーい、ギンカさ~ん、全員乗れましたあ~! そろそろ出発ですよ~!」


 その声に、ふたりのオニはじゃあ、と簡単に挨拶を済ませる。タイラの待つ方へ歩き出したギンカを、ジョーが呼び止めた。草履を履いたギンカの足先で、細かい岩が擦れてじゃりっと音を立てる。


「時間はかかるだろうけど、案内庁は困ってねえ。長官もタイラもそんな感じだし、まあ、おれがいる間はウチのことは心配すんな」


 ギンカは振り返り、紋章がついた覆面越しに微笑んだ。


「ありがと、ジョーさん。感謝するよ」



  *    *    *  



「向かって左手に見える木をご覧ください! あれは衣領樹えりょうじゅという木で、みなさまの着衣の重さで罪の大きさを測っていたんです」


 登山用バスの車内では、バスガイドさながらのタイラの解説が始まっていた。乗客はすっかり当初の緊張が解けたようで、窓ガラス越しに地獄の景色を興味深そうに見つめている。


「公衆の面前で衣服を脱がされるのはどうなんだ、という声に配慮し、現在では衣領樹は使われていません。ですが、罪の重さはしっかりと計量しますのでご安心ください!」


 タイラは体を捻ってその奥を示しながら続ける。


「山の麓に見えてきたのが、三途さんずの川。よく『三途の川を渡ったら死ぬ』と勘違いされていますが、実は、川を渡る前に、みなさまはもうあの世の世界にいらっしゃいます。そして三途の川を渡る頃には、すっかり亡者の仲間入りというワケです」


 一度手元の紙に目を通したあと、タイラは最後に付け加えた。


「このあと三途の川にかかった大橋を渡っていただきまして、本日の旅は終了でございます」


 台本を読み終えたタイラが一息吐いたところで、助手席に座っていたギンカが声をかけた。


「もう、慣れました?」


 大柄なジョーと比較してもかなりほっそりとしているタイラは、ギンカよりも若年に見える。朗々とした声にもハリがあり、表情が見えずともわかるややはにかんだ仕草は好青年そのものだ。


「そうですね、ちょっと間違えちゃうこともありますけど。でもだいぶ慣れてきました。むしろ、僕にはこっちのほうが合っているかもしれません。人を怖がらせるよりも、僕にとっては簡単ですから」


 それはよかった、と明るく言うと、ギンカは着物の懐から手帳を取り出して、ぼそぼそと独り言を零しながらスケジュールの確認を始めた。


「今日は案内庁で、明日は執行庁の視察か……」

「うわっ、明日あそこに行くんですね」


 ひょこっと手帳を盗み見たタイラが、ギンカに同情の念を向けた。


「僕、あいつら苦手です。人をいたぶることを生きがいにしてるようなヤツらじゃないですか。つくづく、僕は案内庁の配属で良かったと思ってますよ」


 ギンカは静かに長いため息をつく。


「そうなんですよねえ。まあ、長く続いた習慣を変えるには時間がかかりますから。おれたちも根気よく粘るしかないです」



 バスは間もなく、三途の川に到着する。


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