地獄も住み処

たちばな

第1部

第0話

 不気味なほどの静寂に包まれた荒野を一台のバスが走る。うっすらと熱を持った外気に触れた窓ガラスが音もなく揺れ、蒸気に包まれた周囲の険しさを物語っていた。


 小型バスに乗り合わせた客は20数名。老人や若い女性、子供もみな固く口を結んで押し黙り、暗い表情で俯いている。緩やかな坂を下っていくバスの中には重苦しい空気が立ち込めており、誰一人口を開く者はいなかった。

 振動する薄い窓ガラスは徐々に曇り始め、少しずつ外の熱気がじっと座る乗客たちのもとにも届き始めた。しかし、古びたバスは見通しの悪い道なき道を真っ直ぐに進んでいく。

 ふと、運転席の隣で景色を眺めていたオニが、ガイド用のマイクを手に振り返った。


「え~、みなさま、まもなく目的地へ到着します」


 俯いていた乗客は眉間に皺を寄せながら、怯えた目でオニへ視線を集める。オニの額には何かの模様が施された布がぶら下がっており、その表情は読み取れなかった。


 そのときバスがガタンと大きく揺れた。下り坂もピークに差し掛かっているようで、その後もガタガタと音を立てて荒く進んでいく。後方座席に座っていた一人の男はバスが揺れた衝撃でバランスを崩し、右頬を窓ガラスに押し付けるような体勢になった。そして、目に飛び込んできた光景に息を呑んだ。


「あ、あれは……!」


 男の声に、いつの間にかバスを覆っていた蒸気が姿を消していたことを、乗客たちはようやく知った。いや、知らない方が良かったのかもしれない。

 そこには、ゴツゴツとした岩に覆われた山々がそびえ立っていた。針のように鋭く尖った頂上はところどころ蒸気に包まれており、全貌は見えない。その存在にやっと気が付いた乗客たちは、これから身に起こることを想像して青ざめ、わなわなと震え出した。


「あちらに見えますのが、死出の山。そう、みなさまもよくご存知の地獄にあるでございます」


 バスの前方に立ったオニが左手を外に伸ばしながら、声高らかに言う。この状況を楽しんでいるような、笑みを含んだ声だ。


 ちょうどその山の頂上を見上げるくらいの場所で、怯える乗客を乗せたバスは車体を揺らしながら停車した。

 訪れた静寂を破るようにドアブザーが鳴り、勢いよく前後のドアが開く。湿気を含んだ熱い空気と生臭さのあるにおいが車内へと容赦なく流れ出し、ここが地獄であることを乗客へ伝えていた。


 オニがマイクを手に、もう一度高らかに言う。




「ようこそ、死者のみなさま! ここは地獄の一丁目。盗み、殺生、嘘も因果応報、懺悔の念も今となっては後の祭り。どうぞ心ゆくまで今世の罪をご精算ください!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る