狛犬のケンカ

狛犬のケンカ

『お嬢様、そんな高いところに登って落ちたらどうするつもりですか……!』


あれは、仙が我が家に来て2年ほど経った頃のことだったと思う。庭にある木の上に登った私を見つけた仙は、慌てて駆け寄ってきて随分と心配そうな顔でこちらを見上げていた。


『だいじょーぶよ、木登りなんてよくしているもの。落ちっこないわよ』

『猿も木から落ちる、河童の川流れということわざもあるでしょう。危ないですから、早く降りてきてください』


そう言って両手を広げて見つめる仙に、私は「猿とか河童だなんて失礼しちゃう」と、ふんとそっぽを向いた。すると、焦ったように「それは言葉のあやです」だなんて言い訳をする仙がおかしくて、私は思わず笑ってしまっていたっけ。


一人っ子の私は、我が家へ突然やってきた年上の男の子のことを、兄のように慕っていた。最初は言葉数が少なかったけれど、私がずっと話しかけていたからか、すぐに仙とは仲良くなれた。やさしいお父様とお母様の存在も大きかったのかもしれない。仙がいる日々が、私はとても楽しかったのだ。


『そんなに降りてほしいなら、今から降りるわね』


仙に向かってニッと笑いかけて、そのまま勢いよく飛ぶ。突然のことに驚きつつも、仙は「お嬢様っ!」と目を見開いて落ちてくる私を抱きとめようと必死そうな顔をしていた。その胸の内へと飛び込めば、仙は私をギュッと抱きしめ尻餅をつく。


『ふふっ、怖い顔』

『お嬢様……っ!』


叱るようにそう言われたけれど、私にはちっとも怖くなかった。だって、抱きとめてくれたその腕の中は、とても、とても温かかったから。


『あんなところから飛び降りて、怪我でもしたら──』

『仙がいるから大丈夫だと思ったの』


その顔を覗き込み、笑顔を向ければ言葉に詰まる仙。木登りなんてしょっちゅうしているし、木から飛び降りることも私にとっては簡単なことだったけれど、それでも私はこのとき「仙がいるから」と、そう彼に言った。


『僕のことなんて放っておいてくださいっ!』


何もかもを拒絶するように差し出した手を取ろうとしなかった男の子に、あなたはもう一人ではないのだと知ってほしかった。たとえ、血の繋がりはなくとも、私はあなたを大切に思っていることを、幼いながらも知ってほしかったから。


『……もう、仕方のない人ですね』


そう優しげに笑いかけてくれた仙が恋しくて。会いたくて、たまらなかった──。

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帝都あやかし物語 来海 空々瑠 @kayaichinose

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