おちた天使と眼鏡

1少女が空からおちてくる

 北海道の港町、鉄鯨市。北海道でも割と早い時期に開拓が進められ鉄鋼業で栄え第二次世界大戦前後には爆発的に人口が増加した街だが、時が進むに連れて街が成長の余地を無くして行き人は離れ若い人間より老いた人間の方が多く日に日に空き家が増えている。そんな街である。

 


 11月、段々と冬が近づき、外に出るには上着が必要になってくる鉄鯨市の夜。

 もう使われていない、船乗り達からすら存在を忘れられて久しい古い港の船着き場に人影があった。

 その人影は、癖っ毛の緩いウェーブがかかった髪に世界で一番有名な魔法使いの少年を沸騰とさせる丸メガネを掛けている。

 少年のあどけなさと青年の精巧さの中間を彷徨う彼の名前は遠藤久喜。

 鉄鯨市に住む高校生だ。

 そんな彼が、なぜこんな夜更けに船着き場なんかにいるのか。

 言ってしまえば、愚痴っていたのだ。

 久喜がの愚痴の内容は今日の昼、学校の面談で自称進学校の自称生徒思いの銀八先生もどきの担任に面談でクドクドと言われたこと。



「遠藤、高校2年のこの時期に志望校の一つも決まっていないのはヤバイぞ。只でさえお前は肉親がいなくて金銭的にも余裕が無いんだ。早めに方向性を決めなくちゃならないんだぞ。」

 誰もいない教室の右端の一番前。主人公先とは真逆のこの席の机を挟んで銀八先生もどきは久喜の触れられたく無いところにベタベタと触れながらお前を心配しているんだと求めていない善意を押し付けてくる。


 

 担任の言うことが正しい事は久喜にも解っている。自分は生まれたすぐに肉親を無くし、両親が残してくれた遺産はあるが、余裕はそこまで無い。  

 親代わりになってくれた父方の祖父も九年前に他界してしまった。

 

 

 親がいない事に孤独を感じて両親と一緒にいる同年代の子供に十割八つ当たりな怨みを抱いていた時期もあったが、それも年が経つにつれ色々な情報を取り込むようになってから日本でもそれなりの数の親がいない子供がいるし、世界ではもっといる事を知り自分だけでは無いと呑み込めるようになった。

 だがそれはれとして、こう遠慮もなくずけずけと踏み込まれるとやはり良い気はしなく、心にモヤモヤしたものができる。 

 普段そういうものはたった一人の友達と言えるやつに溢すのだが生憎、今日は忙しそうで、そうすることもできなかった。

 けれども何かに吐き出したかった久喜はそうだと海に吐き出して流し去って貰おうと、もう使われていない古い港に行き吐き出していたら自分が思っていたよりも、口から担任への愚痴だったり日に日に溜め込んでいたものがどっと溢れ出てもう言葉が出てこなくなった頃にはあたり一帯は夜になり真っ暗闇になっていた。

 

「あーすっきりした」

 そう言ってゴロンと地面に寝転がると久喜の目に星がポツポツと輝いているのが目に入る。

                     

「満天でもなく全く見えないでもない。これが鉄鯨クオリティ。」  

 そう言って地元である鉄鯨の中途半端さをからかいつつ星を眺めていると奇妙なものが目に入る。


「なんだ?あれ。」

 初めは流れ星かと思った。

 だが、流れ星と言うには遅すぎるし、流れているのではなく垂直におちている。

 それは輝きを保ったまま進路を変えずゆっくり、ゆっくりとおちる。

 おちて、おちて、おちて、おちて、それを発見してから暫くして、久喜は流れ星に見えたそれの正体を知った。

「……女の子?」

 少女がその身を炎に包ながらゆっくり、ゆっくりとおちていた。

 あらゆる法則を無視して空を水の中を漂うようにゆらり、ゆらりとおちている。

 堕ちている。

 



 ゆらり、ゆらりと空を海を漂うクラゲのようにたゆりと、けれども、確実に高度が下がっているそれを始めは驚いたものの直ぐには落ちてこないと察して少し余裕ができた久喜だが、その余裕もすぐに無くなる。

 少女がある高度までおちると、パリンと何かが割れた音がした。

 その直後、少女を包んでいた炎が消え、今まであらゆる法則を無視してたゆたいながらゆっくりとおちていたのが嘘のように少女の身体は重力に囚われ落ちる。 

「おい、おい、おいおいおいおい」

 それに驚きながらも久喜は船着き場を走る。

 転びそうな不安定なフォームで今できる精一杯で走った。何かを考えるより、体の方が先に動いた。

 だが、それも虚しく、少女は海にどポンと音を立てながら落ちた。

 風は吹き荒れ、波は高い。肌が訴える外気の冷たさから、水中はかなりの冷たさだろう。意識が無い状態では瞬きもしない間に流されてしまう。

 この場合、少女が人間かどうかは脇に追いやり、正しい選択は焦らず119番をして、的確な情報を伝える事だろう。

 あまり、褒められた事では無いが、見なかった事にして立ち去るという選択もある。

 人によってはあれは夢だったと割り切れたり、一生尾を引く事になたっりするだろうが当事者ではないものが責めることは出来ない。自分の身を顧みずに救けに行く事が美談ったのは昔の事だ。

 勿論、一般的な高校生であり救助の訓練を積んでいる訳でもない久喜はそのどちらかをするはずだ。

 そうするべきだった。

 久喜は走る速度を緩めるどころか更に走る速度を上げて、迷う事もなく海へと飛び込んだ。

 見て見ぬ振りなど久喜にはできなかった。


━……重くて、身動きができない

 躊躇う事なく海に飛び込んだ久喜だったが何か考えがあった訳では無い。

 ただ本当に見て見ぬ振りできない。そんな心で飛び込んだだけだった。

 それを勇気と称するにはあまりにも馬鹿馬鹿しく、無謀にすら満たない自己満足の自殺と言うに他ならない愚かな行動だった。

 衣服が塩水を吸い重しとなって身体の自由を奪う。

 波の衝撃と潮の流れがあちらへ押しやり、こちらに引き込みを繰り返し上下前後左右の感覚を奪う。

 視界は暗く久喜の眼鏡が映すのは真っ暗闇。

 ただただ、無意味に沈んでいくだけ。   


━どこだ、どこにいる!

 それでも、久喜は重い手足を動かす。何かを見つけようと痛みを我慢して眼を見開く。

━俺は、もう貰った。だから、かえさなきゃ……だめなんだ!


 


乳幼児であった久喜を生まれた病院からこれから幸せを育むであろう我が家に彼の両親が連れ帰る最中、その幸せが一杯につまった希望の小さな方舟はあっさりと崩れ去った。

 逆走。酒を飲んでいたにも関わらず、車を運転をした一人の男が久喜達を乗せた車に突っ込んできた。

 フロントガラスを突き破り年代物の安全が配慮されていない時代の残留物が乗り込んで来る。

 何が起きたのかドライバーであった父が把握する事もできず目の前がまっくらになる。

 母も何が起きたのか判らない。でも、無意識に揺籠に覆い被さる。

 そんなもの、鉄の塊には関係なかった。

 そこで、生後1ヶ月にも満たない命の灯火が消えるはずだった。

  

 ガソリンに引火し火事が起こり黒煙が立ち上る現場。この大惨事を引き起こした者も、それに巻き込まれた者達も既に息はない。

 集まった群衆も既にその意識を救助から事態の収拾に切り替えている。

 誰も、この惨状で生存者がいるとは思っていない。

 

「━」

「? 何か、聞こえなかったか?」

「いや 何も聞こえねーぞ」

 事態の収拾に動いていた者の一人であった男の耳が何かを捉えた。

「あーう!! 」

「!」

 今度ははっきりと聞こえた。確かに聞こえた。

「生きてる!! 赤ちゃんだ! 赤ちゃんがいるぞ!」

 奇跡。そう呼ぶとしかない。死ぬはずであった。そうでなければ可笑しい。けれど赤ん坊は、遠藤久喜は生きた。これを奇跡と呼ばず何と呼ぶ。

 

 これは、久喜を見つけた男から聴いた話しだ。本当の事か判らない。

 でも、久喜は思った。自分は母に守られたのではないかと。

 勿論、母にその意図はあっただろう。だがその尊い愛情で理不尽を覆せるなら世界中から悲劇は消える。

 けれど、そう思えてならなかった。そう思いたかった。

 だから久喜は思う。自分の命はあたえられたものなのだと、ならばかえさねばと。

 何かをもらったなら、何かをかえしたい。この思いは間違いじゃない。

 ただ、久喜のその対象が無差別なそれは異常かもしれない。

 

 腕を動かし、海水を掻く。必死に探す。人間かも判らない少女を探す。

 潮に流されながら必死に探す。その目に諦めは無い。 

 一生懸命ならば絶対報われるなんて事は無い。ただ今回は報われた。

 久喜の手に何かが触れる。その感触は潮によって舞い上がった石や砂利ではない。それ程までに硬い感触じゃない。むしろ、やわらかいとも言える。感じる、仄かな温かさ。顔に掛かるサラサラとした感触

━見つけた!!

 久喜は少女を見つけた。そして、その手を掴む。

━離さない。この娘の手を俺は離しては、いけない!

 変わらず、潮は久喜を流しさろうとするが、少女の手を決して離さない。

 心は良し、ただ体が先に根を上げた…

━やば、もう息が……

━意識を保てない……

 気合いで保っていた息がもう保たない。久喜の意識は暗闇に沈んでいく。それでも、少女の手は離さない。





    


 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


━ヴォ〜

 何か、大き者が哭いた。 

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