第12話

「この馬に乗るのですか?」


 栗毛のやや神経質そうに唸り声をあげる馬を前にして、老婆が聞いてきた。


「ああ。とりあえず脚は速いらしい」


 カイルはそれだけ言うと馬に跨り、老婆に手を伸ばした。

 話している時間はない。

 異教徒達の鬨の声はすでに止んでいる。もう一、二分で攻撃は始まるだろう。すでに砂時計はひっくり返されたのだ。

 もうすぐ扉が開けられ、敵のど真ん中に突っ込むことになる。もしかしたら残りの命が、あと一、二分なのかもしれないのだ。

 だが、老婆は首を振った。


「私はあとから他の方々と一緒に行きます」

「だめだ。あんたが一緒に来ないと、ジェル達が矢を射つ口実がたたない」

「分かっています。だから、私に似た人を連れて行って下さい」

「似た人?」


 老婆の背後から一人の若い女性が進み出てきた。身体中をゆったりとした服をまとっていたが、そのほっそりとしながらも女性らしさを存分にたたえた身体の線は見てとれた。

 彼女がベールを外した時、カイルはその肌の白さと、凛とした目の輝きに驚かされた。少しも、曇りもくすみも感じさせない、真珠のような美しさだった。

 

「イシリ・アルンティカの娘、ライラと言います。祖母をお助けいただきありがとうございます。賭け事で破産した両親に代わり、孫の私を育ててくれました。今回バーリン様の酒と卵を盗んだのも、私の窮状を察してのことでした」


 ライラはそう言って、頭を下げた。

 長い黒髪が、波打つように揺れた。


「いいのか? 一番乗りは一番、命が危うい」

「はい。だから私が行くのです」


 ライラが服の袖からすっと抜き出したのは、半月型の刀だった。


「祖母が行くよりも、私のほうがお役に立てると思います」

「なるほどな。確かにそこの婆さんが行くより、勝率は上がりそうだな」


 カイルはライラを馬上に引っ張りあげた。

 砦の上を見ると、ジェルが目で挨拶してきた。カイルはゆっくりと頷き返した。

 その周りには弓を持った兵士が何人もいる。その身体からは、静かに青い炎が燃えたっているようだった。先ほどまでとは違い、生き残る道が見えたことが彼らに生気をよみがえらせたようだった。

 カイルは宮殿をチラリと見た。

 バーリンが見えた。

 窓から下の光景をうかがっている。すでにカイル達の目的は察しているだろうに、まるで闘熊を観る子供のように、目を輝かせているのが遠目にも分かった。

 バーリンには、砦から逃げるという選択肢はさらさらないようだった。

 最後まで、自分は観客でいるつもりなのか?

 その心中はカイルには分からなかった。

 永遠に分かることはないだろうし、分かりたいとも思わなかった。

  

「あばよ。バーリン」

「何か言いました?」


 ライラが首を傾げる。

 近くで見ると、その表情はどこかあどけなく無邪気さを残していることに気づいた。


「いや。それより、もう扉が開くぞ。覚悟しろ!」

「はい」


 ライラはカイルの腰に片手を回し、もう片手で半月刀を握り直した。

 ライラの放つ甘い匂いが鼻腔をくすぐり、カイルは少しだけ神様を信じてもいい気になった。

 扉が開くと同時に、カイルは一気に飛び出した。

 目の前の敵兵に向かって最初の一撃を振り下ろすその瞬間、カイルは自分がこれまで感じたことのないほどの熱に浮かされていることに気づいていた。

 果たして、彼らは敵の囲みを突破して、海にまで辿り着けるのか? 

 その答えは人間には分からなかった。




               完 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

遥か砂漠の砦で騎士は何を思いしか 白兎追 @underscary

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ