第1話ノB 三年前のあの日 後編

 黄金色の光が山に溶け込んでいき、空にちらほらと星が輝く、都会より少し早めの夜を迎え始めた空。

 落ちていく太陽の光で生じた逆光の影が映える折り重なる屋根のような山並み。

 そして、巌のように立派な英国風の屋敷。

 このような状況下で、事件は起こった。


 事件発生の数分前、ハチは扉から出ていくヨシノを見届けた後、まだ雛鳥のように喚き続けているおもちの口を塞いだ。ここで大切なのは物理的に塞いだ、ということである。そんな必要は無いように思えるが、恐らくそうしなければ彼女は延々と喋り続けていただろう。「むぎゅっ!」と抗議するおもちを無視し、ハチは「尾行しよう」と言う。

「はぁ? 何で?」口を解放されたもののまだ少し不機嫌そうな顔をしているおもちは表情通りの不機嫌そうな声を発した。

「彼女に魔の手が迫っている」ハチは目を細めた。「僕の推理が外れてたことあるかい?」

 おもちは今日何度目かの溜息をついた。

「分かったよ……」


 ヨシノは見るからに機嫌が良さそうだった。

「鼻歌なんか歌っちゃってさ」おもちが柱の影に潜んで言った。「ほんとに事件なんて起こるの?」

「起こるさ。まぁ、未遂で終わらせるつもりだが。却説、そろそろ進まないと彼女が死角に入る……」

 その時、ハチの高機能な集音装置、鼓膜がヨシノの微かな悲鳴を察知した。

 同時にハチは廊下を走り始めた。

 腰の後ろに回していた右手が閃く。その手には白銀に光る自動拳銃オートマチック【S&W AUTHAND-END】が握られていた。

「ちょ、こんなとこで撃つつもり?!」そんなおもちの制止を黙殺し、走りながら射撃準備に入る。

 安全装置解除アンセーフティー。 

 初弾装填コッキング

 廊下を曲がったところで床に転んでいるヨシノとナイフを持つ人影を視認する。

照門リアサイト覗いている暇は無い。しかもダブルアクション……。確実に当てるには不安要素が多いな)

 彼らから五メートル程の位置で急ブレーキを掛け、発砲姿勢に入る。

(が、どんな状態でもターゲットに当てる。これが技術だ)

 そして、数キロの重さを感じさせない軽やかさで引き金を引いた。

 ――――バンッ

 銃声と共に九ミリ弾丸がナイフに飛び込んでいく。その弾道が、彼にはスローモーションの様にはっきりと見えた。

 しかし、確実に次の瞬間ナイフは数メートル先に弾け飛んでいた。カーペットに吸収され、ナイフが落ちる音と空薬莢が落ちる音は響かない。だが、銃声の余韻は未だ廊下に残響している様に、慌てて追いかけてきたおもちは思った。

 ハチはヨシノの側に駆け寄りすぐさまもう一度拳銃を構えたが、人影は廊下の向こうに走り去っていた。暗くてよく見えない。

「ちっ、取り逃したか」ハチの独り言は「ヨシノちゃん!! だ、大丈夫!?」というおもちの悲鳴のような声にかき消された。走るのにドレスの裾が邪魔そうだ。転びそうで大変危なっかしい。

 銃声を聞きつけたのか使用人や客も数人階段を駆け上がってきた。

「な、何が起こったのですか……」サマーコートを着た客が心配そうに近づいたが、ハチは手帳のような物を取り出した。そこには「探偵捜査許可証 鷹視捌」と書かれている。

「全員其処から動かないで下さい」彼は落ちたナイフの傍らから立ち上がった。「探偵捜査法第三条に基づき探偵捜査権を行使します」

 空間が静まり返った。

 襲われた本人のヨシノは(あのお客さん……会ったことあるはずなんだけどな……。名前思い出せない……)というようなことをぼーっと考えていた。


 数十分後、ハチ、おもち、ヨシノは一階の応接間にいた。半ば放心状態のヨシノにおもちが寄り添っている。この部屋、否、この家の中で常時テンションなのはハチだけである。彼は紙に何やら書いていた。

「こんな時になーに書いてんのよ」

「事件の内容だよ」ハチが差し出した紙には先ほどの事件の詳細が簡潔にまとめられていた。意外と整った字である。


描物邸殺人未遂事件之概要


状況:

描物邸三階廊下に於いて描物麗乃(14)が短刀を持った不審人物に襲撃される。未遂に終結。不審人物は逃走。廊下の両端には階段があり、甲は前方、不審人物が走り去った方から、乙、丙は後方探偵の背後より、事件発生直後に駆けつける。


関係者:

 甲.河合 仁 かわい じん氏(37):パーティーの招待客。事件当時のアリバイ無し。体調不良で二階客室で休んでいたとのこと。事件発生直後銃声を聞き現場にやって来る。不審人物が走り去った方からやって来たが、誰ともすれ違っていないと証言している。サマーコートを着ていた。

 乙.山中 秀哉やまなか しゅうや 氏(45):屋敷の使用人。二階で巡回していたが、甲と同じく銃声を聞きつけ現場に駆けつけたと言っている。駆けつける様子は丙が目撃しており、ある程度アリバイがある。使用人の制服を着ていた。

 丙.原田 真紀子はらだ まきこ 氏(29):屋敷の使用人。事件当時のアリバイ無し。乙と同じく二階で巡回していたが、銃声を聞き現場へ。乙が現場に行く様子を視認している。使用人の制服を着ていた。

 その他.パーティー会場や厨房等。其々にアリバイを証明しあっている。


「へぇ」おもちが紙を覗き込んで言った。「この中の人が怪しいってわけね。どう思う? ヨシノちゃん」

 ヨシノもショックから覚めて、少し興味が湧いてきたようだ。

「そ、そうですね……。この中では甲の河合さんが怪しいかなぁ……、アリバイも一番無いし……」

 ヨシノは紙を手に取った。一通り目を通して気付く。「服装を強調してますね」

「確かに。重要なポイントだね」

「というと?」

「もし仮に河合氏が犯人だとしたら、数秒でレインコートからサマーコートに着替えた事になる、って事でしょ」

 ハチは小さく頷いた。「因みに、あの後彼等の手荷物を調べたが何も出てこなかった。周りの部屋も全て鍵が掛かっていたよ」

「どっかに隠しとくのも無理、となると……まさかの消滅?」

 おもちとヨシノはきょとんと首をかしげた。すっかり推理に夢中のようだ。

(レインコートを消す、というのは不可能だから何処かに隠した、って事になるけど……見つからなかった)

 答えが分からないヨシノはおもちの顔を覗いてみたが、彼女も「質量保存の法則……」と呟いて眉をひそめているだけで答えに近づいている様子ではない。

「じゃ、ヒントだ」

 ハチは指を鳴らした。

「オッカムの剃刀」

「「オッカムの剃刀……?」」またもや二人は同時に首をかしげた。

「最も仮説の少ない説が最も真実に近い、という考え方だ。却説、此の場合最も単純な回答は何になるかな?」

 (最も単純な回答)ヨシノは心の中でゆっくりと唱えた。

 単純に考えて、アリバイが一番無い甲の河合氏が犯人である可能性が極めて高い。しかし、彼はサマーコートを着ていて、レインコートを着ていた犯人と服装が一致しない。また、レインコートを隠す場所も無かったようだ。

「隠す……場所……?」

 ヨシノは小さく呟いた。彼女の頭の中で、カチリと鍵が回った。

「つまり……って事……?」

「ヨシノちゃん……それなら流石に分かるんじゃ……」

「リバーシブルタイプの服ってありますよね……。あと、裾を折り畳んだりできるもの……、スパイコートとかの名前で売ってたりしてませんでしたっけ……?」

 推理小説ミステリからの知識だ。

「なるほどぉ」パン、とおもちは手を合わせた。「そうすれば、一瞬で服を変えられるね。となると……犯人は甲の河合さんってことになる。違う?、ハチ」

 答え合わせを求められたハチは、少し窓の外の夕闇を見てから二人の方を向いた。

「其れが出した結論なんだろ」


 河合氏はその日の内に邸宅から追い出される事になった。本人は否定したが、結局犯人ということで変わらなかった。未遂ということで警察には届け出ないが、描物氏からは絶交を言い渡されたらしい。最後には彼も「願ったり叶ったりだ」と吐き捨てて屋敷を後にした。

 ハチとおもちは翌日の朝、山を降りた。

「短い時間でしたが……ありがとうございました」

 門の前でヨシノは頭を下げた。

「良いの良いの! 気にしないで! 仕事だしね」

 ハチは木々を行き交う小鳥達を気のなさそうに眺めていたが、やがてヨシノの方を向いた。しばらくその顔をじっと見つめていたが、「それじゃぁ、我々の力が必要になったら何時でも御連絡を」とだけ言い、背を向けてすたすた歩き出した。振り返る事も無く。

「あんな素っ気ないので良かったの?」小走りに追いかけてきたおもちが言った。「二度と会わないかもしれないんだよ」

 ハチはくしゃくしゃの髪をかきあげておもちを見下ろした。「あと数年だな」

「は?」

「数年後にまた会うことになるだろう」

「何でそんな事分かんのよ」おもちは訝しげにハチの目を見た。

「分かるさ」ハチは足を止めて目を閉じる。その瞼の裏には数年後の未来が映し出されているのだろうか。おもちは澄んだ目でその様子を見ていた。彼が何を考えているのか、それは彼女にさえも分からない。

「その時には……」

 目を開けて、ハチは誰にも聞こえないような小さな声を発した。

「真相を教えてやらないとな」

 その切れ長の目は、つい昨日の光景を捉えている。


 事件発生直後、「河合さん」ハチは廊下で彼を呼び止めた。

「はい、何でしょうか」河合氏は振り向いた。

「貴方に話さないといけないことがあります」

「話? 何を……」

「僕の予想ですが……貴方は先程の事件の犯人ということになります」

「な、何と?!」

 河合氏は明らかに動揺した。

「私はそんな事一切してません……!」

「ええ」ハチはやや苛々した様子で指を髪に通した。「

「は、はぁ……?」

「其れを踏まえて貴方に一つ提案を」

 彼は辺りを見渡した。


 「てかさぁ、今回物的証拠一切無く状況証拠だけで解決しちゃったじゃん。結局コートとかも押さえてないし。あれは良かったの?」

「解決、か……」

 ハチはおもちの顔を見た。おもちも決して背が低いというわけでもないが、そこそこ背の高いハチからは彼女を数十センチほど見下ろす形になる。

「そう言えば、答え合わせが未だだったね」

「は?」

「此の事件の本質……、其れは、だよ」

「え、何?!」

「犯人は河合さんでは無く、そもそも、犯人には殺意が無かった。在ったのは……」

 ハチはおもちから山並みへと視線を転じた。

「強欲、其れだけだ」

「ちょ、ちょい待った!」

「どうした、おもちさん」

 驚いて目を見張っているおもちは普段野性的な頭の回転の速さを誇っているが、流石に理解が追いついていないようだ。「まず……河合さんは犯人じゃない?」

「まぁ、そう云う事だね」

「じゃぁ、つまり……冤罪!!?」彼女はかなり焦っているように見えるが、ハチは何でもなさそうな顔をしている。「大丈夫だ。本人には全てを話してある」

 おもちは根本的問題に立ち返った。

「じゃあ真犯人は一体……?」

「真犯人は」

 静かな山に蝉の声だけが染み渡っている。そんな静寂を貫くようにハチは言葉を続けた。

「あの館の、使だ」

「……!」

「邸内には三人の使用人が巡回していた。が、現場に現れたのは二人だけだった。もう一人はヨシノさんを襲った後、三階の部屋の何処かに隠れたんだよ。素早く着替える必要なんて無し、鍵を閉めて暫く潜伏していれば良い」

「『オッカムの剃刀』――リバーシブルの服、という答えよりももっとシンプルな真実があったってことね……。でもさ、何でそんな事したのかなぁ」

「動機……単純明快、描物氏に命ぜられたからだ」

 おもちは信じられないという顔でハチを凝視した。「はぁぁっ? そんな事ある?! 自分の娘でしょ?!!」

「だからこの事件が起こったんだよ。つまり、事件は目的では無く、手段だったんだ」

「手段……」口の中でその言葉を転がす。その瞬間、おもちは全てを理解した。「あぁ、そう……」

「犯人の……描物氏の目的はヨシノさんに社会への恐怖心を植え付けることだ。ま、大方彼女を家から出したくないんだろ

「そのために、外から人が多く集まるパーティーで騒動を起こしたのね……。あたし達を呼んだのも……間違った風に推理させる為かぁ」

「プロの警備員だと警護が完璧過ぎるし、大手の探偵社だと真相を当てられる、と思ったんだな」

「失礼なぁっ……!」

 おもちは激怒した。これほどあからさまに馬鹿にされるのも東江戸に上がってきてから初めてだ。しばらくぷつぷつと何か悪態をついていたが、ふと思い出したように言った。

「でもさ、全部知ってたなら何で河合さんを犯人ってことにしたの?」

「彼は……描物氏と早く別離した方が良かったからだよ」

 ハチは昨夜の会話を回想した。


「貴方には犯人になっていてもらいたい」ハチは河合氏にそう言った。

「な、何故そんな事を私が……?」

 理由は二つ、とハチは二本指を立てた。

「一つは、僕の推理では貴方が刑事告訴される事は無いからです。詰まり、貴方にデメリットは無い」

「しかし……」

「もう一つは……貴方は描物氏とこれ以上関わらないほうが良い」河合氏はハッとハチを見た。

「貴方ももう薄々気づいているでしょう……。彼がで稼いで富を築いているかを」

「それは……」

「火のないところに煙は立たない、何かに巻き込まれる前の今が引き際ですよ」

 ハチは鋭く河合氏を睨んだ。


「何で稼いでるって……そんなヤバい物なの?」

「東江戸の地下市場で何よりも高く売れる、毎年数億数兆の金が動く……物と言えるのかな」

「……?」

「今は未だ知らなくて良い。此の職に就いていればその内知りたくなくても知ることになるさ」

「そ、そう……」

 突然そんな空気を弾き飛ばすように、「あ、そうだ」とハチが指を鳴らした。「今度からうちに新入りが来るって知ってるか?」

「え、そうなの?! 初耳!!」

「ああ。理の親戚だとか何とか。名前は忘れた」

「へぇ、ちょっと楽しみかも!!」

 おもちの心と夏山の空、気分屋とはこのことだ。おもちはいきなり活発になって元気良く山道を駆け下った。「ほら、ハチも早く!! 電車の時間に遅れるよ」

 うん、と適当に返事をして、ハチは一瞬間、もと来た道を振り返った。

 描物氏――彼の狙いは外れるだろう。少女は……ヨシノは必ずあの庭を出て、新天地を求めることになるだろう。今回の推理は間違っていたが、あの才能は館に閉じ込めておくには勿体無い。

 その時にまた会うのも悪くないな、と一人呟いて、ハチは前に足を踏み出した。

 ある夏の話であった。

 さて、舞台はいよいよ現代へ。

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2025年1月6日 17:00
2025年1月13日 17:00
2025年1月20日 17:00

The Detective. 烏鴉 文鳥白 @buntyow

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