好きな子が誰もいない教室でソロライブしてる。

九津十八@ここのつとおよう

アイドルになりきってるんだけど

 夕暮れ時の薄暗くなった廊下で、俺は一人音をたてないように固唾を飲んで佇んでいた。


 いつもなら帰っている時間だ。でも今日は、図書室で本を読んでいる最中にうっかり寝てしまい、帰るのが遅くなってしまった。鞄は教室の中で、後はそれを取って帰るだけだ。


 俺はドアの窓から中を覗く。


 後ろ姿しか見えないが、真綿のようにふわふわとした栗色のロングヘアーが踊るように跳ねているのが見えた。


 それが、宵月小花よいづきこはなさんだということは、顔を見なくてもわかる。俺が密かに想いを寄せている好きな人だから間違えるはずがない。


 宵月さんは普段、お淑やかでいつも落ち着いている。一つ一つの所作も綺麗で、清楚で可憐だと男子だけではなく、女子からも「ああいう風になりたい」と憧れの対象になるほどの女子だ。


 そんな宵月さんが教室にいる。他には俺しかいない。会話をするチャンスではあるのだが、俺は廊下の床に足が貼り付いたように動けず、中に入ることができないでいた。その理由は一つ。


「おしとやかって言ーわれてる♪」


 誰もいない教室で一人、宵月さんがライブをしているからだ。


 どどど、どうしよう。お淑やかで、清廉潔白を地で行く宵月さんが、まさか机の上に乗ってこんなにはしゃいでるなんて。


「でもね、でーもね。ほんとはちょっと、いけないことも興味あるの♪」


 しかも自作の歌まで歌ってる。それも令和、平成どころか昭和のアイドルを思わせるような歌詞と曲調だ。


 こんなん教室入れんて。いやでも、俺の鞄が中にある。どこかタイミングを見計らって取って帰らなくては。


 宵月さんが机の上でくるっと見事なターンを決めた。膝上のスカートがふわりと広がった。いつもは隠れてる白くて綺麗な太ももが露わになっているのが見えた。


 俺は咄嗟にしゃがみ込んだ。


 やばいやばいやばい。もうすぐで太ももどころかパンツまで見えそうだった。本人は俺が見てるって気付いてないとはいえ、さすがにダメだろう。


 胸が張り裂けそうなくらい、心臓が激しく脈を打つ。


 その音が耳の奥で響く中、宵月さんのオリジナルアイドルソングが終わっていることに気付いた。


 よし、鞄を取るなら今だ!


 立ち上がって、ドアに手をかけた。


「みんなー! 今日はきてくれてありがと~!」


 あっぶねー! MC始まったよ! ていうかみんな? 教室に一人しかいないよな。いや、もしかしたら俺が見えてなかっただけで、宵月さんの友達がいるのかも。これは友達同士のノリ的なあれなのか。


 再度ドアの窓から中を見る。どう見ても宵月さんしかいない・・・・・・。


 否! 違う!


 俺は、宵月さんが向いている方向を目を懲らして見る。


 く、クマだ~!!


 宵月さんが立っている机の少し先にある机の上に、今日家庭科の授業で作ったクマのぬいぐるみが置かれている。


 もしかしてあのぬいぐるみが観客ってこと? それなら「みんな」じゃなくて「あなた」じゃね? なんか見てはいけない気がして、俺はまたしゃがみ込んだ。


「ねえ、今日の衣装どうかな~? 今日のライブの為に新調したんだよ!」


 衣装っつーか、制服じゃん。どこにでもある赤いリボンのセーラー服だけど。


 いやでも、今彼女はたぶんアイドル気分真っ只中だ。自分の中ではあれもアイドル衣装なんだろう。


「可愛い? ありがと~!」


 えっ、なんか言ってた?! いやいやいや、ぬいぐるみが話せるわけ無い。MC中の問いかけに対するレスポンスまで自作自演。許されるなら俺が全力で可愛いと言っていたのに。


「そういえば、前の人ばかりだと不公平だね。二階席のみんなも見えてるからね~!」


 ににに、二階席?! 教室だよ?! 宵月さんのなかで今ここはどこにでもあるしがない教室じゃなくて、ドームとかアリーナ的な会場になってるってこと?


 廊下の窓から見える空が、少しずつ暗くなり始めていた。


 いつライブ終わるのかな。このままだと帰るのめちゃくちゃ遅くなりそうなんだけど。


「それじゃ名残惜しいけど、次の曲で最後になります。みんな最後まで楽しんでいってね!」


 あ、良かった。あと数分で終わりそうだ。それなら俺も、何の心配もなく最後の曲を楽しませてもらうとするか。


「~~♪ あにゃた。あ、噛んじゃった」


「ぶふっ!」


 さすがにひと言目でそれは笑うって!


 心の中でツッコミを入れた後、教室の中が静かになっていることに気付く。そして、ゆっくりと机を下りて、こちらに近づいてくる足音が聞こえた。


 まずいまずい、さっき噴き出したのが聞こえたっぽい。どこか隠れる場所・・・・・・は廊下には無い。万事休す。


 ドアが勢いよく開かれた。


「えっと・・・・・・」


 俺はドアの前でしゃがみ込んだまま顔を振り向かせて、見上げる。


 宵月さんが、顔を真っ赤に染め、涙が溜まり潤んだ目で俺を睨んでいた。


「・・・・・・見た?」


「えっと・・・・・・うん」


「ど、どこから?」


「おしとやかって言~われてる♪ ってとこから」


「~~~~!!」


 俺の返答に宵月さんが体をわなわなと震わせた。


「ばかばかばかばか! なんでなんで?! 誰もいないって思ってたのに! なんで風見くんはまだいるわけ?!」


 言いながら宵月さんが俺の頭を握った拳でぽかぽかと殴りつけてくる。


 俺は自分の腕でそれを守りながら「ごめん」と謝ることしかできない。


 少しして、叩かれるのが止まる。


 恐る恐る腕を下ろす。真っ赤に染まった顔を顰めて、宵月さんが俺のことをじとりと睨んでいた。


「・・・・・・えて」


「えっ?」


「教えて」


「お、教えて? 一体何を?」


「私の秘密知ったんだから、風見くんの秘密も一つ教えて!」


 宵月さんがそう叫びながら、詰め寄ってくる。


 俺は尻もちをついたまま後ずさった。すぐに冷たい壁に背中がついた。もう逃げ道はどこにもない。


「秘密って、俺が宵月さんのライブ見たの偶然だし」


「やだ」


「いやでも、不可抗力」


「やだ! ずるいずるいずるい! 風見くんだけ私の弱み握ってるのずるい! その弱みにつけ込んで、私に何か要求してくるかもしんないじゃん!」


「いや、さすがにしないって!」


 なにそのエロ同人みたいな展開。さすがに思春期真っ只中の高校一年男子の俺でもそんなことはしない。


 ・・・・・・たぶん。


「絶対にダメ! 不公平! だから風見くんの秘密一つ教えて!」


 宵月さんが上体を前に倒し顔を近づけてきた。宝石のように煌びやかな瞳に真っ直ぐ見つめられる。微かに桃のような香りがして、胸が高鳴る。


 しかし、尚も睨み付けてくる有無を言わせてくれない宵月さんの圧に俺は根負けをした。


「わかった」


 とは言っても、俺そんな秘密とか無いしな。誰にも言ってないことって宵月さんのことを好きだってことくらいだけど、さすがにそれとアイドルライブをする宵月さんとでは、秘密度合いの重さが不釣り合いだ。


 俺は少し考えた後、ふと思いついたことを秘密として提供することに決めた。


「えっとさ、誰にも言ってないんだけど、好きなアイドルが一人いるんだよね」


 宵月さんの顔が一瞬でパッと明るくなった。


「えっ! ホントに?」


「うん、マジ」


 俺はは言っていない。


「めっちゃ嬉しい! あのね、私の友達みんなボカロ曲が好きな子ばっかりでアイドルの話できる子がいないんだ! ねえ、どのアイドルが好きなの? 教えて!」


 宵月さんが、きらきらと輝かせた大きな瞳で俺を真っ直ぐみつめてくる。


 さっきよりも更に顔の距離が近い。


 そんな近くから見られたらめちゃくちゃ照れるって! この子、自分がそこらのアイドルなんて目じゃないくらい可愛いってこと自覚ないんか。


「ひ、一つだけだから! それ以上は秘密! 絶対に言えない!」


 俺は、もうそれ以上は言えないと強い口調で拒否する。


 宵月さんは、「なんで~」と不服そうに頬を膨らませた。


 その顔を見て、俺は心の中で「言えるわけないじゃん」と呟いた。


 だって、俺の好きなアイドルは、できたばかりなんだから。

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