③ 『友達から聞いた話』と自習室

 ポロが待ち合わせの場所に決めていたのは、K市市民会館だった。

 僕たちが通うK小学校から歩いて十分、街の中心から少し外れたところにある。小さな図書館やフリースペース、運動場もあって、かなり大きな施設だけど、僕はほとんど使ったことがない。同じクラスのやつらがここで集まってどこかに遊びに行く、なんて約束をしているのは、時々聞いたことがある。

 今日もとんでもない暑さだった。日差しがあんまりにも強すぎて、トースターで焼かれている食パンって、こんな気持ちなのかな、なんてことを考えた。

 市民会館の中は冷蔵庫のように冷えていた。どろどろだった脳みそが、シャキッとしたように感じた。

 エントランスのソファーに、ポロが座っているのが見えた。どうやら僕が二番目だ。

 今日もポロはいつものポロシャツを着ている。色は毎回変わっているから、同じデザインのポロシャツを何枚も持っているんだろう。ポロの父親はどこかの会社の偉い人で、とてもお金持ちなんだそうだ。あのポロシャツも「良いもの」なんだろう。

「良いもの」というのは、ポロの口癖だった。

「教育も、着るものも、食べるものも、僕は『良いもの』をもらってるから」

 そんなことを平気な顔をして言う。僕には「良いもの」というのがどんなものか、よくわからないが、そんなことを言われると、馬鹿にされた気分になる。実際、ポロは僕たちのことを下に見ている感じがする。だから、ポロと本当に仲が良いやつはいない。

「お、おはよう」

 僕はポロに声をかけたが、返事はなかった。スマホのメールアプリを開いて、何か打ち込んでいる。相手の名前は「ママ」となっているのだけは見えた。

 気まずくなった僕は、ソファーの隣に座ることもできず、ぼーっと立ち尽くしていた。

「ナカセくん、ポロくん、おはよう」

 しばらくすると、メイがやってきた。後ろにはケントもいる。僕は挨拶を返しながら、人が増えたことにほっとする。

「ねえ、ポロくん。ライン、教えてくれない? 連絡とりたいとき、不便だから」

 メイはポロに近づくとすぐにそういった。

「やだ」

「なんで? 調査の日に来るか来ないか、連絡できた方がよくない?」

「やだから」

 ポロはそれしか言わなかった。メイはムッとした様子で、何度か「教えてよ」と言ったが、答えは変わらなかった。やだ、やだから、メンドイ。それだけ。

 かなり険悪な雰囲気だったが、ケントは知らん顔をしている。

しばらくするとヤマトがやってきたが、何もわかっていない様子で、

「よーし、そろったし、始めようぜ。どうせユーキは来ないだろ」

と元気よく言ったので、メイも「はいはい」とあきらめて切り替えたようだった。

 時計を見ると、集合時間を五分ほど過ぎている。ヤマトのやつ、遅刻した癖にずいぶんのんきだ。

 五人で公民館の「自習室」に移動した。「自習室」は五人で囲んでも広々使える机がいくつか置いてあって、小学生以上だったら自由に出入りすることができる。あんまりうるさくしなければ、おしゃべりしてもいいことになっている。というか、ポロやメイから聞いたところ、使っている人はほとんどいないため、歌ったり暴れたりしない限り自由に使えるようだ。

「みんなで譲り合って使いましょう」「飲食禁止」と書かれた張り紙が、壁に貼ってあった。机は六つ。意外と狭い部屋の中にぎっちりと置かれている。僕たちは一番右奥の机に陣取る。「自習室」は窓が少なく、なんとなく薄暗かった。これからここで怖い話を聞かなきゃいけないのか、と思うと、なんだか嫌な気分だ。

「じゃあ、今日の『当番』はポロだったな」

 ヤマトが言った。ポロがうなずく。

「一緒の塾に行ってる友達から聞いた話なんだ。その友達は――」

 ポロが話を始めた。

 今更だけど、こいつの話し方、あんまり好きじゃないんだよな。

 話し方はなんだか理屈っぽくて、馬鹿にされているような感じがする。

 ポロのことはよくわからない。金持ちで、いつも同じデザインのポロシャツを着ている変な奴。クラスの中でも浮いている。勉強はかなりできるみたいで、本当はどこかの私立小学校に行く予定だったらしい。仲良しはいないけど、時々ユーキと話しているのは見かける。たぶん、性格が悪いもの同士で気が合うんだろう。

 そんなことを考えながら聞いていたポロの話は、僕が予想していた「怖い話」とは、少し違うものだった。


     ***


 一緒の塾に行ってる友達から聞いた話なんだ。

 その友達は私立のS学院初等部に通ってる。めちゃくちゃ勉強ができるやつで、いつもテストでは百点をとってる。塾でもトップクラスの成績。結構、僕とは話が合うから、仲良くしてるんだ。

 ここでは、その友達のことはKって呼んでおく。みんな、どうせ知らない相手だから、別にいいだろ。

 Kとは毎週、塾で会うんだけど、最近あんまり元気がなかった。塾の課題にも集中できないみたいで、いつもは簡単に解いちゃう問題にもつまづいている。学校でやるような問題じゃないから、もちろんみんなからしたら難しいだろうけど、Kにしてみたら悩むような問題じゃないはずなんだ。

「どうした? なんか、調子悪いみたいだけど」

 僕が聞くと、Kはちょっと迷ったみたいだったけど、理由を話してくれた。

 Kは、母親のことで悩んでいるみたいだった。

 みんなは親との関係で悩んだことある? 時々けんかするとか、ちょっと口うるさいとか――まあ、そんなところだよな。

 だけど、Kのところはそんなもんじゃなかった。

 Kの母親は、Kのことすべてを決めたがった。そうじゃないと、うまくいかないと思っているんだ。

 例えば、通う学校、食べるもの、習い事、全ては母親が決める。

 だから、Kは優秀だった。少なくとも、Kの母親はそう思っていた。

 Kも、最近までは、それがあまりおかしいことだって思っていなかった。母親の言う通りやっていれば、確かに全部うまくいっていたんだ。事実、希望通りの私立校に入って、塾でもトップ。自分と同じレベルの友達がたくさんいて、毎日が楽しかった。

 ――だけど、Kは一度失敗してしまった。

 たいしたことない失敗だった。Kはあんまり話したがらなかったけど、たぶん、テストの点数が下がったとか、そういうこと。

 Kも「たいしたことない」って思ってたんだ。

 だけど、母親はその失敗を許さなかった。学校の先生たちみたいに、馬鹿みたいにおこることはしないんだ。ただ、がっかりしたような表情でKを見る。ため息をついて言う。

「ママの言う通りにできなかった?」

 失敗したのは言う通りにできなかったからだ。母親はそう決めつけて言うんだって。

 いう通りにしていれば失敗はしない。ママが思った通りにできるはず。できなかったということは、言う通りにできていないに違いない。

 Kは何も言えなかった。

 正直、泣きたかったんだって。

 涙が込み上げてきた。だけど、思った。泣いて良いって言われていない。

 こういう時は、どうするってママに言われているっけ?

 失敗したことは、悪いことだ。だから謝らなくてはいけない。だけど、Kはいつだって母親の言う通りにやってきた。だから、悪いことなんてしていないはずなんだ。

 ――いや、失敗したことは、悪いことだ。

「ごめんなさい」

 Kは謝った。

 母親は「やっぱり」と言って、もう一度大きなため息をついた。

 その日から、Kに対する締め付けはさらに強くなった。

 朝起きる時間、ごはんを食べる順番、靴は左右どちらからはくか――そんな細かいことまで母親が決め始めた。

 そして、Kは日記をつけることになった。今日はどんなことをしたか。母親の言いつけをしっかり守ることができたか。日記は当然母親がチェックする。

 もう、失敗することがないように。

 Kはそんな毎日がつらい、と僕に話してくれた。

 助けてあげたかったけど、どうすることもできなかった。

 Kは今も失敗しないように生きているんだ。

 そう考えると、怖い。


     ***


「うーん、いわゆる人怖ってやつ?」

 ポロが話し終えると、ヤマトが首を傾げた。

「ヒトコワ? 何それ」

 メイが聞くと、うれしそうな声で答える。

「いわゆる『人が怖い話』。幽霊とか、そういうものは出てこないけど、普通は考えられない行動する人間が出てくる。本当にあるかも、って思わせるから怖くていいよな」

「旅行に行ったらベッドの下に人がいた、みたいな話?」

「良く知ってるな。それは、都市伝説みたいなもんだから人怖になるのかはわからないけど、似たようなもんだろ」

 褒められたメイはまんざらでもない様子だった。もしかしたら、この前ヤマトから借りていたオカルト雑誌に載っていたのかもしれない。

 ヒトコワ、か。確かに、ポロの話は怖かった。だけど、なんというか、七不思議って言う感じではないような気がする。

 同じことをメイも思っていたのか、

「これって、七不思議になるの? これ以上調べることもできなさそうだし」

「いいんじゃない? ゲンダイって感じがするじゃん」

 ヤマトはあくまでお気楽に言った。

「今のところ、ヤマトくんが最初に行ってたみたいに『その地域の歴史』とかに関わる怖い話、何一つないんだけど。これじゃ先生が言ってた、調べ学習にならない気がする」

 メイはちょっと不安そうだった。

 確かにメイの言う通りだ。僕の『はなしさん』、メイの『一人多いクラス』、今回のポロが話した『やばいお母さん』。とりあえず、話の出どころに聞き取りはできるかもしれないが、それ以上は結果が出そうにない。

「――あのさ」

 それまで、つまらなそうに黙ってみんなの話を聞いていたケントが、初めて口を開いた。

「そのKって、何て名前なの?」

「みんなは知らないやつだから、名前なんて聞いても意味ないだろ」

 さっき言っただろ、とポロは不機嫌そうに返す。

「自由研究なんだから、話、聞きに行くぐらいはした方がいいんじゃないの?」

「無理。プライベートなことなんだから、無理」

「なんで、この話をしようと思ったの?」

「なんで、って、それは、怖いと思ったから」

 ポロはサッと目を伏せた。

「なあ」

 ケントは変わらずつまらなそうに言った。

「Kなんて本当にいるの?」

「どういうことだよ。僕が嘘言ってるって言いたいのか?」

「全部が嘘だとは思わないよ。怖い話って言うには、ちょっと中途半端で、リアリティがある。まるで――」

 そこでケントは言葉を切った。ポロの顔色が青白くなんているのに気づいたようだった。

「だ、大丈夫?」

 メイが声をかけても、ポロは何も答えない。さすがのヤマトも、適当なことは言えない雰囲気だと思ったのか、何も言わなかった。

 しばらくみんなで黙り込む。「自習室」は静まり返った。エアコンがカタカタと動く音だけが聞こえる。

 突然、スマホが鳴った。

 ビクッとポロが体を震わせる。鳴っているのはポロのスマホだった。慌てた様子でスマホをとると、電話だったらしく耳に当てる。女の人の声が少しだけ聞こえた。

「うん。わかった。大丈夫。違うよ。わかった」

 ポロが暗い表情でそういうと、電話を切った。

「――帰る」

 それだけ言うと、ポロは荷物をまとめて「自習室」を出ていた。誰も止めることはできなかった。


     ***


 ポロがいなくなった「自習室」は、さっきよりも静かに感じた。

「ねえ、どうする?」

 メイがため息交じりにみんなに聞く。

「ポロくんが帰っちゃったから、もうどうしようもないよね。ケントが変なこと言うから、怒っちゃったんじゃないの?」

「悪い」

 腕を組んだケントは、不機嫌そうだった。

「俺、ケントが言いたいこと、なんとなくわかるぞ」

 ヤマトがいきなり言った。ポロがいなくなって、さっきみたいな緊張感がなくなったからか、口調は明るかった。

「確かに、さっきの話って中途半端だよな。なんか、オチみたいなのがあるわけじゃないし。だからこそ作り話っぽくない」

「さっき、ケントは何を言いかけたの?」

 メイに聞かれると、ケントは面倒くさそうに答えた。

「まるで――自分が体験した話みたいに感じた。人から聞いた話っていうより、体験談を聞いてるみたいだった」

 自分の体験? つまり、ポロは母親に全てを決められているってことになる。

「まさか、そんなことないでしょ。そもそも、ヤマトくんもリアリティがあるっていうけど、五年生になるまでお母さんになんでも決められる生活なんて耐えられる? 全然想像できない」

「まあ、確かにそうだよなあ」とヤマト。だけど、ケントの意見は違うようだった。

「それは、お前らの親がまともだからだよ。親が変でも、子どもは逃げられない。そこで生活するしかないんだ。耐えられるか、耐えられないかじゃない。耐えるしかないんだよ。母親が全部決めるんだから、決めさせるしかない」

 メイは黙り込んでしまった。

 子どもは逃げられない。確かにそうかもしれない。突然、自分のお母さんが変になってしまっても、僕はお母さんから離れることはできない。一人じゃ生活できないんだから。

「あいつの話の中で、ちょっと気になったことがあったんだ」

 ケントは淡々と話し続けた。

「母親が決めること。食べるもの、通う学校、習い事。失敗してからは朝起きる時間、ごはんを食べる順番、靴を左右どっちからはくか、まで決められる。だけどさ、着るものの話が出てこなかった。朝起きる時間を決められて、その次って着替えの話がでるものじゃないか? たまたまかもしれないけど、それが気になった」

 いつも、同じブランドのポロシャツを着ている。だから、あだ名がポロ。

 あの話って、ポロの実体験なのか? 

 ポロは私立小学校の受検に失敗した、と聞いたことがある。

 ポロの母親は、いつから同じポロシャツを息子に着せているんだろう?

「……どうする?」

 メイがおずおずと言った。

「調べてみようぜ」

 元気よく、ヤマトが提案する。

「さっきもだれか言ってただろ。全然調べ学習になってないって。せっかく疑問点が出てきたんだから、調べてみるしかないだろ。話は本当なのかどうか、ポロの追跡調査だ」

 でも、とメイは口をもごもごさせた。

 僕はさっきのケントとポロのやり取りを思い出していた。

 ――なんで、この話をしようと思ったの?

 ――なんで、って、それは、怖いと思ったから。

 そうだよ。なんでも自分のことを決めようとする母親。失敗を許されない毎日。そんなの、怖いに決まっている。

「さっきの電話、誰からだったのかな」

 僕はつぶやいていた。みんなの視線が自分に集まるのを感じる。

「ポロ、僕が来る前もお母さんとメールしてた。電話もお母さんからだったんじゃないかな」

 電話をするポロの暗い表情が頭に浮かんだ。

 ――なんで、この話をしようと思ったの?

 助けてほしかったんじゃないか?

「調べよう」

 僕が言うと、みんなは驚いたような顔をした。

「よっしゃ、行くか!」

 ヤマトは嬉しそうな顔をしている。メイは「いいのかなあ」と困っているようだった。

 結局、これが調べ学習になるのかわからない。だけど、なぜか、絶対にやらなきゃいけないような気がした。


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七不思議制作委員会 鷹見道可 @dokatakami

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