ソウルブラッド 短編1
@hiyorimi_syugi
第1話
木々が道脇に整然と立ち並ぶシュランクト街道の先に、建物が見えると少年はそれを指さして隣の少女に話しかけた。
「なあ、クー! 次の町が見えたぞ! どんな町なんだ?」
「あれはファードの町ね。街道の途中にある宿場町。これといった特徴はないけど、鍛冶が盛んだとか。今日はここで休んで明日カンエ村に向かう道を進むわ。他に質問はある? エール」
エールと呼ばれた少年は短い黒髪に燃えるような赤い瞳、快活そうな動きやすい服装の上に薄めの黒い革鎧を着ていた。足元は丈夫かつ柔軟そうなショートブーツで、円筒形のバッグをその頂点から伸びる紐を右手の人差し指にひっかける形で背負っていた。
クーと呼ばれた少女は長群青色の髪を後ろでまとめて垂らしており、理性的な黒い瞳が印象的だ。青いローブの下に白いズボン、編み上げのミドルブーツをはいていた。フードのついた黒いケープを羽織っており、首元には剣を象った意匠が刻まれた赤いメダルが留め具として輝いてる。冒険に必須な品々が入っているのだろう、大きめのしっかりした鞄を持っていた。
「明日はカンエ村だっけ? そこはどんな所なんだ?」
「さあ? 村の様子とかはちょっとわからないわね」
エールの質問にクーは肩をすくめて返答した。エールは首を傾げて聞き返す。
「じゃあなんで行くんだよ?」
「そんなの決まってるじゃない? 私たちが何の旅をしてるか忘れたの?」
クーは溜息を吐いてそう言った。対するエールは溜息など吐きそうもない自信満々な表情で答える。
「忘れてねえさ! 天将巡礼の旅だ!」
天将巡礼――天将と呼ばれる神から認められた人間の英雄たち。人間は天将の加護を授かることで魔術と呼ばれる特殊な現象を発現できるようになり、進むべき道も与えられる。天将巡礼とは、そんな天将との縁を強固にしたり、別の天将の加護を得るため、天将の象徴となる物品が祀られている場所を巡ることを言う。
「じゃあ理由はわかるでしょう?」
クーに言われ、エールは少し考えると閃いたようで、表情を明るくして言う。
「あれか! その村に天将由来のモンがあるって事だな!」
「そうよ。天将フラムエスの剣が祀られてるのよ」
「剣ってことは戦いに強い天将なのか?」
どことなく弾んだ声でエールが問う。
「剣と炎の天将様ね。当然強いわよ」
「って事はクー、お前もっと強くなるのか! 頼りになるぜ! っと? ありゃなんだ?」
エールがファードの町の方を指さして言った。なにやら大勢の人が慌ただしく行き交い、騒いでいるようだった。
「なんだ? 祭りか?」
「祭りって感じでもないわね。何かトラブルでもあったのかしら?」
「クーを歓迎するために集まってるとか?」
「あるわけないでしょ。バカ言ってないで行ってみましょ!」
二人は目前に迫ったファードの町へと駆けだした。
ファードの町は建物は基本的にレンガ造りで、クーが話していたように宿や鍛冶場が多いようだった。普段であれば大通りを旅人が行き交い、宿引きが彼らを宿へ誘う喧噪で賑わっていたことだろう。
現在のファードの町は混乱していた。町の人間は建物の中に引きこもって不安そうな顔で様子を窺い、旅の途中と思われる者はこれから日が傾くというのにそそくさと町を後にしていた。それ以外に建物の外にいる者は二種類いた。一つは疲れ怯えた様子で建物の影や道端に座り込んでいる大勢の者たち。もう一つはそんな彼らの話を聞いている武装している者たちだ。後者は恐らく町の防衛を務めるガーディアンだろう。
「歓迎ってわけじゃなさそうだな?」
「まだ言ってるの? ちょっとすみません。何かあったんですか?」
エールをほとんど無視する形で、クーは手が空いていそうな武装した男に声をかける。男が振り向くと、その左胸の辺りに盾を象った意匠が刻まれた水色のメダルが見えた。声をかけられた男は驚いた後、哀れむような表情で言った。
「あんたたち旅の人かい? こんな日にやって来るなんて運がないねえ」
「何があったんだ?」
エールに問われ、男は大げさな身振り手振りをつけて答えた。
「近くの村に魔物が現れたんだ! その魔物はかなり強いらしくてね、天将様の霊器を奪われてしまったというんだ!」
「マジかよ!」
男に負けじとエールは大げさに驚いて見せた。
「本当さ! それで、その村の住人がこの町に避難してきてるってわけさ!」
男は建物の影や道端にいる疲れ果てた人達をさして言った。
「でも、住人の避難が間に合ったのは不幸中の幸いだね! だけど、強い魔物がいつこの町を襲いに来るかわからない! だから俺たちガーディアンはその対策に大忙しなんだ!」
ガーディアンの男の言葉に嫌な予感を感じたクーは口をはさんだ。
「魔物が現れた村ってもしかして……」
「カンエ村だよ」
「……悪い予感って当たるわね……」
「もういいかい? 今言ったけど魔物対策で忙しいんだ」
「あ、はい、ありがとうございました」
クーがガーディアンの男に礼を言うと、彼はは忙しい忙しいと呟きながら走り去って行った。
エールとクーは顔を見合わせた。
「なんか大変なことになってるらしいな」
「一大事よ。天将の霊器を魔物に奪われるなんて」
「対策って言ってたけど、何をするつもりなんだろうな?」
「そりゃ魔物の討伐でしょ? ガーディアンにどこまでできるかわからないけど」
エールはクーを見てにっと笑う。
「魔物の討伐と言ったらスレイヤーだな。クー、オレたちの出番なんじゃないか?」
「そう、ね」
クーの冷めたような反応にエールは眉根を寄せた。
「なんだ? やる気ないのか?」
「まさか。魔物を倒すのは私たちスレイヤーの役割だもの。手を貸さないわけないじゃない。ただ……」
「なんだよ?」
「天将の霊器を魔物が奪ったのが本当なら、相当まずい状況よ。十分準備してから討伐にあたらないと返り討ちに会う可能性があるわ」
「そんなにまずい状況なのか!?」
エールの反応にクーは大きな溜息を吐いた。
「当たり前でしょ? アンタ、天将の霊器が何なのか全然理解してなかったの?」
「んー、正直あんまりわかってねえなあ」
エールはあまり気にしてないのだろう、朗らかな笑顔で言った。それに対してクーはまたも大きな溜息を吐いた。
「嘘でしょ……今までの天将巡礼の旅で天将の霊器を巡って来たじゃない……」
「やー、あれってクーが天将との絆だか相性だかを上げるためにやってたんじゃないのか? こう、天将に祈りを捧げてって感じで!」
「いや、そうだけど、そもそも天将の霊器って魔物を退ける結界を生成するためのものなのよ。それが奪われたら村がまずいって事は理解できる?」
「つまり、魔物がわんさかやってくる、ってことか!」
「そう、魔物に対するガードが決定的に弱くなるわけよ。で、魔物を退けるものを奪える魔物ってどんなヤツだと思う?」
エールは腕を組んで考える。
「そりゃメチャクチャ強いヤツじゃないか!?」
クーはうんうんと頷く。
「天将の霊器が奪われるなんて、事例がないわけじゃないけどほとんど起きない事よ。そしてそれが起こった場合、強力な魔物が霊器を奪った場所を拠点にして増殖、他の魔物を率いて周辺の町を襲い始めるってわけ」
エールは腕組みのままうーんと唸った。
「それって一大事じゃねえか!?」
「そうよ。だから、早く、確実な手を打たないとまずいのよ」
「よし! じゃあ今すぐカンエ村に行こう!」
もう一度、クーは大きく溜息を吐いた。
「だから、確実な手を打つんだってば。情報収集が先よ。カンエ村から避難してきた人がいるって話だから、どんな魔物だったのかとかどれだけの数だったかとか、この町や村のスレイヤーはどうするのかとか全部手分けして調べるわよ!」
「おう!」
言うと、エールとクーは二手に分かれてカンエ村から避難してきたと思われる人たちに話を聞き始めた。
「おう、話してくれてありがとうな!」
エールは数人のカンエ村から避難してきた者たちから話を聞くと、そう言ってクーと合流するために辺りを見回した。
村人の話から、村に現れた魔物は人間よりも大柄で筋骨隆々であるオークであるらしかった。それが一体だけだというのに村に駐在していたスレイヤーとガーディアンを負傷させ、天将の霊器を奪ったのだと言う。複数人が同じことを言っていたので、信憑性は高いと思われた。クーの方で何か別の情報がないのであれば、これを前提に作戦を立てればいいだろうとエールは考えていた。
エールはファードの町の外れの方まで来ていた。避難民は基本的に町の中心近くに固まっていたのだが、目についた人に話を聞いているうちにこんなところまで来てしまっていた。
クーが避難民の話を聞いているのは町の中心のままだろうと当たりをつけて、エールはどの道を通って行けば町の中心に戻れるかと思い出そうとしていると、レンガ造りの民家の影に隠れるように膝を抱えてうずくまっている褐色の髪の子供がいることにエールは気付いた。他の避難民から離れて一人でいるが、この事態で外出を許される子供はいないだろう、その子供も避難民だと思われた。
その少年の暗く沈んだ表情が気になって、エールは近づいて声をかけた。
「おっす! オレはエール。エール・グレートアースだ。お前は?」
「……」
膝を落として褐色の髪の少年と目線を合わせ、軽く手を挙げて名乗るも少年は反応しなかった。
「お前、カンエ村から避難してきた子であってるか?」
「……」
「あれか? 村を襲う魔物を見ちまったのか?」
「……」
「辛えよな。自分が住んでた場所がぶっ壊されるのは。オレも経験あるからわかるぜ!」
「……」
「でも大丈夫だ! 魔物はオレたちが倒して結界も元通りにする! 二度と魔物が村に現れねえようにうんと強力なヤツにしてもらうように頼んでやるよ!」
「……オレたちが倒す? お兄ちゃんに何ができるっていうの?」
無視されても関係なく話しかけた結果、褐色の髪の少年はひどく暗い声で反応した。
「オレはあんまり多くの事は出来ねえけど、その魔物をぶっ飛ばすくらいならできると思うぜ!」
褐色の髪の子が反応したことを喜ぶでもなく茶化すでもなく、それまで話しかけていたようにエールは返した。しかし、少年は目を細めて睨むようにして言う。
「お兄ちゃん、天印は?」
「天印? ああ、あれか、服につけなきゃいけないってヤツ?」
「天将様の加護と共に授かった天命のやつをね」
天印とは、天将の加護と共に授かった天命――適性のある職業であり進むことを天将に決められた道――を示す装飾品だ。それは天将を管理する『神殿』と呼ばれる組織から与えられ、天命を持つ者は天印を身に着けることが義務付けられていた。クーのケープの留め具、ガーディアンの男の胸にあったメダルがそれだ。
「持ってねえな。オレ、天将の加護なんて受けてないし」
あっけらかんと言うエールに少年は失望したように溜息を吐いた。
「話にならないよ。天将様の加護が得られなかった人をカラビトって呼ぶんでしょ? カラビトは何の職業も役割ももたない役立たずで、見捨てられたって仕方がないってみんな言ってるよ」
辛辣な少年の言葉にエールは首を傾げた。
「役に立つかどうかは人によるんじゃないか? 天将の加護が無くたってちゃんと仕事してるやつはいるぞ?」
「子供だからって知らないと思ってるの? お兄ちゃんはスレイヤーの仕事をしてるって言いたいのかもしれないけど、天将様の加護が無いと魔術が使えないんでしょ? 魔術が使えないと魔物とは戦えないんでしょ? それでどうやって魔物を倒すって言うのさ?」
少年はエールの言葉に苛立ったのかまくし立てた。
「心配すんな! オレは使えるから!」
少年を心配させまいとしたのだろう、エールは笑顔で言ったがそれが勘に障ったらしく、少年の目つきが更に鋭くなった。
「嘘吐き。使えるものなら使って見せてよ」
「んー、しょうがねえなあ」
エールは言うと、立ち上がって少年から少し距離を取る。
「ぶん殴る以外は苦手なんだがなあ」
そう呟くと、エールは腰を少し落とし、腕を伸ばして胸の前で交差して見せた。恐らく彼が集中できるポーズなのだろう。
エールが集中を始めると、彼の周りの空気が変わったことに少年は気付いた。どんどんとエールの存在感が増していくような感覚があった。目には見えないが、エールのソウルブラッドが増しているのだ。
ソウルブラッド――自身の魂から流れてくる魂の血液と考えられているエネルギーだ。魔術とは、簡単に言うとこれを制御して任意の現象を起こす行為である。任意と言っても何もかもが思いのままというわけではない。自身のソウルブラッドを扱う技量やソウルブラッドそのものの性質によってできることは限られている。エールの場合、その言葉通り拳にソウルブラッドを集中させて殴る時に威力を倍増させるような魔術が得意だった。
十分なソウルブラッドが溜まったと判断したエールは右の拳を握って自身の顔の前に持っていく。
「火炎の大斬撃!」
エールがそう口にした瞬間、彼の右の拳にボオッと炎がついた。少年は目を見開いてそれを見る。
どうだ、とばかりにエールは少年にニカッと笑って見せる。少年は信じられないものを見せられて頭が回らなかったのか、思ったことをそのまま口にする。
「大……斬撃?」
「おう! カッコイイだろ!」
少年にはそれの格好良さは理解できなかったが、それ以上に疑問に思ったことが口をついて出る。
「それ……熱くないの……?」
エールは拳が炎に包まれているものの、熱は感じていないようだった。自身の魔術で負傷するほど彼は未熟ではない。その炎に耐える力も自身に発生するように魔術を構成しているのだ。
「おう! 大丈夫だぜ!」
エールは言って、燃える拳を握ったり開いたりしてまともに動くとアピールして見せた。そのうちに拳を覆う炎は消えてしまった。
「な、使えるだろ?」
エールが胸を張って言うと、少年はしばらく無言で彼を見つめていたが急に首を激しく横に振ってからエールを指さした。
「嘘だ! 魔術が使えるならお兄ちゃんは天将の加護を授かってるんだ!」
「なんでオレがそんな嘘つかなきゃならねえんだよ?」
まともな者なら、自分は天将の加護はないが魔術が使えるなどとのたまったりはしないだろう。少年もそのことには気付いていたが、それでも何か言わずにはいられなかった。
「で、でも」
「それってオレになんか得があるのか?」
エールに至極真っ当なことを言われ、少年はうつむいて言葉に詰まってしまった。
「だったら……」
「ん?」
「だったら、どうして……」
少年は顔を上げてエールを見つめて言った。
「だったらどうして、お父さんは魔術を使えないの?」
少年は今にも泣きだしそうな顔だった。
エールはどうしたもの思案して、先程までの少年の話などから考えた予想を口にした。
「お前のお父さんもカラビトなのか?」
少年はこくんと頷いた。
「そうか。まあなんだ、オレは周りがいい奴らばっかりだったから実感ないけど、大変らしいな普通は。話したいことがあるなら聞くぞ」
エールは自分なりに言葉を選んで言い、少年はもう一度頷いた。
「お母さんはカンエ村の村長の子供だったんだ」
少年はぽつりぽつりと話し始めた。
「お父さんは鍛冶師の一人息子として生まれたんだけど、両親は小さなころに『神殿』仕えになって都に行っちゃたんだって」
「『神殿』仕えって確か、仕事がめっちゃスゴイって認められたら、でっかい街に呼ばれてすんごい設備で仕事ができるんだっけ? そりゃすげえな!」
感心するエールだったが、違和感に気付いて首をひねる。
「ん? 行っちゃったってことは、お前のお父さんを置いてったてことか?」
「うん。お父さんを村長に預けて行ったんだ。村長、おじいちゃんは鍛冶師もしてたから、お父さんの両親とはライバル同士で親友同士でもあったらしいよ。預けて行ったのはカラビトであるとバレたら都会の人に何をされるかわからないから、ていう理由なんだって。だから、お父さんの両親としては都会の人からお父さんを守るって意味があったんだと信じてるよ」
エールは不思議そうな顔をした。
「子供と離れて平気だったのかなあ?」
「どうだろう? 会ったことないからわからないや」
少年はどこかさびしそうな表情だった。
「あったことないのか? お父さんの両親に」
「うん。都会で『神殿』の仕事でいっぱい稼いで、一時的に村に帰って来る旅の途中で魔物に襲われちゃったんだって」
「……そっか、残念だな」
「うん」
少年は気を取り直して話を続ける。
「お父さんはカラビトだったけど、鍛冶の腕は両親から継いでたみたいで、おじいちゃんのもとで鍛冶の手伝いをして過ごしたんだって。カラビトだから鍛冶師にはなれないけど、弟子みたいなものだったんだと思う」
「そりゃよかったなあ」
「でもお母さんとお父さんが恋人になってから、関係が悪くなったんだって」
「師匠の娘に手を出したってことか……でも、別に悪くなくねえか?」
少年は表情を少し曇らせた。
「おじいちゃんはそう思わなかったみたい。二人の結婚に大反対したんだって。だから、二人は結婚する時に村を出たんだって」
「駆け落ちってヤツか! やるな!」
驚いて大きな声を出すエールと対照的に少年は暗い声で続けた。
「でも僕が生まれてしばらくした後、お母さんが病気で死んじゃって、お父さんは仕事をしたくてもカラビトに任せられる仕事はないって断られて、自分だけじゃ僕を育てられないってカンエ村に戻っておじいちゃんを頼ったんだ」
「あーそいつは辛えなあ」
「おじいちゃんは僕を受け入れてくれたよ。でも、お父さんは追い出そうとしたんだ。僕が一生懸命頼んだり、お父さんが必死に頭を下げて、なんとかそばにいれるようになったんだ」
「そっか、大変だったなあ」
「大変なのはお父さんだよ。それからはカンエ村の雑用はお父さんがすることになったんだ。一日中働かされて、ご飯もあんまりもらえなくて、寝る所もボロ小屋で……いろんな悪口も言われてた。さっき僕がいったように役立たずとか」
「ひでーなそれ!」
「でもずっと僕のそばにいてくれたんだ。僕はおじいちゃんに可愛がられてるから、辛かったら僕なんて置いてどこか遠くに逃げちゃえばよかったのにね」
「自分が置いて行かれちまったから、同じ思いをさせたくないってことかな? それに、死んじまった嫁さんの忘れ形見だ。どんなに辛い目に遭ってもそばに居たいに決まってる」
「……お父さんもそう考えてくれてたんだろうね。だから僕は村長になれるような天命を授かって、お父さんを助けてあげたかった」
「お前立派な考えしてんなあ」
エールは感心したような声を上げた。
「でも……」
「今回の騒動か?」
少年は深く頷いた。
「お前のお父さんがどうかしたのか?」
「村のみんなを逃がすために囮になってくれたんだ」
「囮? そんな話誰からも出てないぞ?」
「この目で見たよ。お父さんが必死に魔物に組み付いたり、足にしがみついたりしてる姿を」
「そうか。お前がそういうなら本当なんだろう」
「一度逃げ切った後に、お父さんを助けるために戻ったよ。そうしたら、村の広場にお父さんが横たわってて、その横に魔物が立っててじっとお父さんを見つめてたんだ」
「ん? それって天将の霊器が奪われた後の話か?」
「そうだよ。それで、お父さんは死んでなかった。息をしてるのが遠目でわかったんだ。助けたかったんだけど、追いかけて来たおじいちゃんに無理矢理この町に連れてこられたんだ。おじいちゃんがこの町の人にお父さんを助けることを頼むと思った。でも、そうしなかった」
語る少年の目は暗い。
「おじいちゃんだけじゃない。村の人は誰もお父さんが逃がしてくれたことを言わなかったし、お父さんが助けられるかもしれない事は口止めされたよ。不確かな情報を伝えて混乱させてはダメだ、お父さんの事は諦めろって」
「マジでひでーな……」
少年は一通り話し終えたのか、切っ掛けとなった疑問を口にする。
「ねえ、どうしてカラビトなのに魔術が使えるの?」
「ああ、それな」
エールはどう説明するべきかを考えるように腕を組んだ。
「正直、生まれつき使えたんだよ。なんでも肉体と魂の距離が近いんだとかなんとか」
少年はエールの言葉に残念そうにうつむいた。
「生まれつきじゃあ参考にはならないね……」
「『神殿』が言うには天将の加護がないと使えないらしいけど、実際にはそんなことはないんじゃねえかな? 天将じゃなくても……そう、家族とか仲間とかとソウルブラッドでつながれば使えるようになるんじゃねえかなー、って思ってんだけどな」
フォローするようにエールが言った。
少年は少しの沈黙の後、エールにきかなければならないことを口にした。
「ねえ、お父さんはもうダメなのかな? 諦めなきゃダメ?」
「生きてるのを見たんだよな?」
エールの問いに少年は力なく頷いた。
「また一緒に生活したいんだよな?」
少年は頷く。
「なるほど、わかった」
エールは力強い目で子供を見た。
「今すぐにオレとクーとで助けに行く」
力強い断言に少年は一瞬息をのんだ。今一番誰かに行ってほしかった言葉だった。
「お前の話では、魔物はまだ村の広場におやじさんと一緒にいるかもしれねえ。まだ助かる見込みはあるはずだ」
「ほ、ほんとう?」
子供が潤んだ瞳で言うと、エールは頷いた。
「ああ! でも、かなりまずい状況だと思う。お前も手伝ってくれ」
「え!? 僕、何もできないよ!?」
エールの思わぬ要求に少年は慌てた。
「ソウルブラッドってのは想いに乗っかって流れていくんだ! そんで流れ着いた相手の力になる! だからお前はお父さんが生きて帰ってほしいって全力で祈ってくれ! それがきっと天将の加護よりも、お前のお父さんの力になるはずだ!」
エールは握り拳を前に出し、力強く断言する。
少年の目には希望の光が宿り始めていた。
「……うん! わかった!」
「オレたちとお前で、お前のお父さんを助けよう! な!」
エールは拳を少年に向かって突き出す。少年はエールの意図に気付き、力強く頷くとエールの拳に自分の拳をこつんと当てた。
エールは少年の不安を吹き飛ばすようにニカッと笑って言う。
「よし! 早速行ってくる!」
エールは言って駆けだそうとしたが、子供に向かって顔を向けた。
「おっと、まだお前の名前を聞いてなかったな! オレはエール! お前は?」
「あ……ファ……ファイです」
子供はあっけにとられながらも自分の名前を名乗った。
「ファイだな! いい名前だ! 行ってくる!」
言うと、エールは嵐のような勢いでクーを探すために駆けだした。
「すいません。私はクー・ヴェルトバース。スレイヤーです。カンエ村が魔物に襲われた件について聞いてもよろしいですか?」
クーはファードの町のスレイヤーを仕切っているらしき人物を見つけて声をかけた。
くすんだ茶髪の初老の男で、簡素な金属製のブレストプレートを身に着けており、肩の部分にスレイヤーを示す剣が描かれた橙色の天印のメダルが輝いていた。腰のベルトには彼の得物だろう、ロングソードが提げられていた。
「え? 応援がもう到着したのですか?」
男は驚いた表情でクーを見てそう言った。
「いえ、私は天将巡礼の旅の途中でたまたまこの町に来たんです。それで、魔物の討伐を手伝えたらと思って」
クーがそう返すと、男は顔を明るくした。
「おお! 天将の巡礼を行っている方ですか! これは心強い! 私はソディン・レンラム。よろしくお願いします」
天将の巡礼を許可されるのは有力な者が多い。スレイヤーという今求められている戦力であれば喜ばれるのは当然と言えた。
「カンエ村から避難してきた人たちに少し話を聞いていましたが、現れた魔物は一体だけ、見た目はオークという認識ですが、間違っていませんか?」
「ええ、その通りです」
「話を聞いた人が皆、何かを言いたそうにしていたように思うのですが、何か聞いてますか?」
「いえ、なにも」
「そうですか。魔物に天将の霊器を奪われたそうですが、奪われた霊器は天将フラムエスの剣で間違いありませんか?」
「はい、そのはずです」
「なら、フラムエスのソウルブラッドを追えば魔物を追跡できそうですね。具体的な討伐計画は立てていますか?」
「ああ……それは、その、応援の戦力を見てから決めようかと」
淀みなく答えていたソディンだったが、そこで言葉を濁した。クーは一瞬眉をひそめる。
「……そうですか。しかし、相手は一体とはいえ天将の霊器を奪える特殊な、恐らく知性を持った魔物です。今のうちに追跡しつつ対策を練らないと手遅れになってしまうと考えます。応援が来る前にどう動くか、大まかにでも決めてしまった方がいいと思います。少なくとも居場所を知るために追跡をするべきです。私がしましょうか?」
「いえ、それは……必要ないかと」
「どうしてです?」
クーが疑問を口にした時、彼女を呼ぶ声がファードの町の中心に響いた。
「おーい! クー! どこだー!」
「エール? ここよ!」
振り返ってエールの姿を認めると、クーは片手を上げて自分はここだと示した。エールはクーの居場所がわかるとすぐさま避難民を描き分けて彼女のもとまで駆け寄って言った。
「クー! 今すぐカンエ村に行くぞ! ファイのお父さんが危ねえんだ!」
「ファイ? お父さん? なんの事?」
エールの勢いに呑まれて混乱するクー。
「ファイを知っておるんですか!?」
その時、彼らの近くにいた避難民の中から老人が立ち上がって叫んだ。老人にしてはガタイのいいその人物は、顔に刻まれたシワを見れば普段であれば厳しい表情をしていると思われた。だが、今その表情は情けない程に不安に歪んでいた。
「あの子はどこにおるんですか!?」
「もしかしてファイのおじいちゃんか?」
「ええそうです! あの子とはぐれてしまって! もしかしたら村に戻ってしまったのかと……!」
「ファイなら町の外れの方にいるぞ! アイツも一人じゃ心細いはずだ! 行ってやってくれ!」
エールはファイと出会った方を指さして言った。
老人は頭を下げると急いでファイを探すためにエールが指さした方へと向かって行った。その歩き方から、彼が足を悪くしていることが窺い知れた。
「どういうこと?」
クーが困惑して問うと、老人の背を眺めていたエールははっと我に返って慌てた。
「たぶん時間がねえ! だから行きがけに全部話す! とにかくカンエ村に急ぐぞ!」
「今から村に行ったって魔物はもういないでしょ? それに応援が必要でしょ?」
とにかく早く行きたいエールにクーは真っ当な疑問を投げかける。
「信じてくれ! 一分一秒を争うんだ!」
「……」
クーはエールの目をじっと見つめた。彼は燃えるような、血の色のような瞳で真っ直ぐにクーを見つめ返した。
クーは溜息を吐いた。
「わかったわ。今すぐ行きましょう。途中でちゃんと話してよね」
「わかってる!」
エールは明るく笑った。
「あの……我々は……」
今まで口を挟めずにいたソディンがここでようやく口を開いた。クーは振り返って言う。
「彼は言い出したらきかないんです。だから私は今からカンエ村に向かおうと思います。もしもの事を考えて、あなた方はこの町で当初の予定通り応援を待っていてください」
「は、はい……」
「じゃあ、行くわよ! エール!」
「おう! 行こう! クー!」
言って、エールとクーはカンエ村を目指して出発した。
時刻は夕刻、村に着く頃には夜になっているだろう。
魔物とは、魔神と呼ばれる存在のソウルブラッドが生み出す人類を食らう怪物である。
出現の法則は完全に分かっているわけではなく、それゆえに出現を見逃して被害が出てしまうケースが後を絶たない。
だからこそ魔物の出現と侵入を阻む結界を展開する天将の霊器が人類の生活圏を守るために各地に設置されていた。
とはいえ、結界も完全に魔物の出現と侵入を阻めるわけではない。もしも完全に阻めるのならば今回のようにカンエ村に侵入し、天将の霊器を奪うなどということは不可能だ。魔物が極端に強力だったり、結界を展開している天将の霊器と似た性質を持っていれば、結界外からの侵入や結界内での出現も起こり得る。
そうやって結界内に侵入した魔物がやることは基本的に一つ。人類の捕食である。
ただ食べるのではない。肉体を食らうことで、その肉体に結びついた魂を食らうのだ。
そうすることで、魔物は初めて真の実体を得ることができる。逆に言えば、人類を食らうまでは魔物は虚実の存在なのだ。
虚実の肉体で出現した魔物は、そのままだと数時間から数日で霧散する。それが人類を食らって真の実体を得ることで放っておいても霧散しない存在になるのだ。もっとも、そうなると食料がなければ餓死してしまう体になるのだが。
自己の保身のためか、それとも魔神のためにより多くの人類を殺すためか、魔物はなにより人類を食らって安定した実体を得ることを優先する。
しかし、今回カンエ村に現れた魔物はそうしなかった。倒れたファイの父を見つめるだけで食らおうとはしなかった。
エールから話を聞いたクーはある予想を立て、そしてその答えが目の前にあった。
星々が夜空を彩るその下、カンエ村の広場に一体の魔物と倒れた人間が一人いた。
倒れた人間はファイの父だろう、彼と同じ褐色の髪の男だ。鍛冶の手伝いをしていたからか、その体は大きく、適度に筋肉がついた健康体に見えた。その体はうつ伏せになっており、時折もぞもぞと動き、どこか痛むのかうめき声を上げていた。生きてはいるが危ない状況だ。
男の様子を魔物はじっと見つめていた。しかし、そこにいたのは明らかにオークではなかった。オークは通常、人間よりも大柄で筋骨隆々で戦う時はその腕力のみを頼る、使ったとしてもこん棒がせいぜいといった風貌だが、男を覗き込むそれは、灰色の肌、上半身に炎を纏った人型の化物だった。顔面には目も口も鼻も耳もなかった。その痕跡を思わせるような隆起と皺だけが刻まれていた。大きさは成人男性ほどで、その手にはロングソードほどの長さの剣が握られていた。恐らくそれが天将のフラムエスの剣だろう。
「考えていた以上にまずい状況だわ……」
広場から離れた家の影から、エールとクーはその光景を見つめていた。
村にある木造の住居などに目立った損傷があるものは一軒もなかった。畑は荒れておらず、道が陥没したりもしていない。村での戦闘はほとんどなかったのだろう。
「あんなの見るのは初めてだ。ほんとにオークなのか?」
エールが疑問を口にすると、クーは首を横に振った。
「フラムエスの霊器を吸収して進化が始まってるみたい」
「進化? 強くなってるって事か?」
「まあ、そうね……こんなことができるってことは、私の予想は当たってたみたいね」
「予想?」
「恐らくこの魔物は人間が魔物化したものよ。それも元々天将フラムエスの加護を受けていた者でしょうね。フラムエスの霊器から生じた結界に侵入できたこと、フラムエスの剣を吸収出来ているのがその証拠。そしてこの状況は……」
クーの顔は焦りの色が濃い。
「まず間違いなく、あの人を魔物化しようとしている!」
「マジか!?」
「私たちみたいにソウルブラッドを纏って戦える者ならそうそう魔物化しないけど、そうじゃない者が強力な魔神の干渉に晒された場合、個人差はあるけど自分を保てるのは1日が限界って言われてるわ。事が発生してから半日程度だけど、正直いつ魔物化してもおかしくないと思う」
エールはファイの父を見る。彼は何かに怯えるように、それに耐えるようにうめき声を上げて震えていた。エールは即座に決断した。
「わかった! 今すぐ助けよう!」
「もちろんよ! 魔物をあの人から引き離して。私が魔神の干渉を断ち切るわ!」
「ああ!」
クーもまたエールの決断に同意し、簡易な策を打ち合わせると、二人は家の影から飛び出し魔物に向かって駆けだした。走りながら、二人は自らのソウルブラッドを全身に纏い戦闘態勢に入った。
魔物はその気配に気づいて、目のない顔を走って来るエールたちに向けた。そのまま迎え撃つつもりなのか手に持つフラムエスの剣を構えた。その姿勢は素人のそれではない。さながら熟練の剣士のような構えだった。
「鎧の!」
エールが声を張り上げ、飛び掛かると同時に右腕を引いた。魔物もまた剣を振り上げた。
「大斬撃!」
叫びと共にエールは拳を振るい、魔物は剣を振り下ろした。拳と剣が衝突し、その衝撃に両者は後方へと吹っ飛んだ。
剝き出しの拳が刃と接触したというのに、エールの拳は傷ついてはいなかった。「鎧の大斬撃」そう叫んだ瞬間に発動した魔術が、彼が纏うソウルブラッドを硬化させたのだ。エールが戦闘時に常用する防御魔術である。ファイに見せた魔術と違って持続型らしい。見た目は変わらないが鎧を着ているのと同じと考えていいだろう。
エールと魔物、両者ともに体勢を崩したものの、決定的な隙ではなかった。すぐに体勢を立て直そうとする。
クーはその隙を見逃さなかった。ベルトに備えていた投げナイフを素早く引き抜いて、体勢を立て直そうとする魔物に向かって鋭く投げつけた。
魔物はとっさに剣を動かして最小限の動きでクーの投げナイフを逸らせた。それが決定的な隙となる。
「うおおおおおおおおおお!」
体勢を先に立て直したエールが懐に飛び込んで、勢いよく右の拳を魔物の顔面に叩きこんだ。魔物はもんどりうって後方に吹っ飛び、ごろごろと転がっていった。これで倒れた男と魔物の距離は十分に離れた。後はこの距離を維持すればいい。
「熱っちいなあ、おい!」
エールは魔物に触れた右の拳を見た。手の甲の所々が赤くなっており軽い火傷になっている。ソウルブラッドの鎧でも魔物が纏う炎の熱は防ぎきれないらしい。
「大丈夫?」
「ああ! ファイのお父さんを頼む!」
言ってエールは立ち上がりかけた魔物へと駆けだした。追撃の拳を繰り出すが、これは体勢を立て直した魔物が振り下ろした剣に弾かれる。そして弾いた流れでエールの首を落とさんとする剣撃が放たれる。エールはそれを上体を反らすことですんでのところで避ける。互いに一瞬距離を取ると、エールの拳を魔物の剣が弾き、魔物の剣をエールの腕が防ぐ、という一進一退の攻防を繰り広げた。
一方でクーは倒れた男に駆け寄って声をかけていた。
「ファイ君のお父さんですか!? 助けに来ましたよ!」
しかし倒れた男は反応せず、うなり声を上げるのみだった。
クーは早く処置しなければ手遅れになると察知し、魔神の干渉を断ち切るための簡易結界を作る魔術を詠唱し始める。
魔物はクーがしていることに気付くと、怒りの声か焦ったのか、口もないのに叫び声を上げた。それはとてつもない不吉を想起させるものだった。
「うるせえ!!」
不吉を吹き飛ばすようにエールが全力で魔物の顔面を再度殴り飛ばす。魔物は再度吹き飛ばされてごろごろと地面を転がった。
それとほぼ同時に倒れた男が動きを見せた。呻きながら起き上がろうとしたのだ。思わずクーは魔術の詠唱を中断して男が状態を起こすのを手伝う。
「大丈夫ですか!?」
クーがそう言った瞬間、男の両手がクーの首にかかった。その両手に力が籠る。
クーもまたソウルブラッドの鎧を発動していた。一般人の力程度では、彼女を傷つけることは出来ない状態だ。しかし、一般人に首を絞められたクーは苦しそうに呻いた。常人が出せる力ではなかった。
ソウルブラッドの鎧のおかげで首は完全には絞まっておらず、クーは男の顔を見る。男の表情は意思を感じない虚ろなものだった。目は焦点が定まらず、口の端からはよだれが溢れている。魔物にこそなっていないが、その精神は正気ではなかった。さきほどの魔物の叫び声で操られているような状態なのだと、クーは直感した。
「クー!?」
魔物を追撃しようとしたエールだったが、異変に気付いて足を止めてしまった。それに気づき、クーは立ち上がった魔物を指差す。大丈夫だから自分の役割に集中しろ、そういう意味だ。
エールは一瞬驚いた顔をするが、すぐに力強く頷いて魔物との戦闘を再開した。
「カゴ……アル……モノ……ユルサナイ……!」
男は確かにそう呟いた。エールがファイから聞いたことが本当ならば、そんなことを言ってもおかしくない扱いを受けていた、クーはそう思った。
クーは男の力を少しでも緩めようと彼の手首を力を込めて握るが、大した効果はないようだった。
「ナニガ……テンショウ……ダ……!」
クーは苦しいのを我慢して中断された魔術を構築していく。詠唱ができないため多少の時間はかかるが、魔術を構築・発動させるために発声は必要というわけではないのだ。詠唱すれば魔術の構築に加護を受けている天将が助けてくれるが、クーの実力であれば補助を受けずとも構築・発動は可能な魔術だった。
「ナニガ……テンメイ……ダ……!」
「ファイのお父さん! 聞こえるか!」
魔物と熾烈な攻防を繰り広げながら、エールが叫んだ。
「ファイはあんたが帰ってくるって信じてる! 魔神なんかの言いなりになるな!」
エールの叫びを聞いても、クーの首を絞める力は変わらなかった。
「ファイの祈りが届いてるはずだろ!? その声に応えてやってくれ!」
「イ……ノ……り……?」
エールの言葉が届いたのか、男がわずかに反応する。
「ガンバレ! ファイに無事な姿を見せてやってくれ!」
「ファ……イ……!」
男の虚ろな目から涙がこぼれた。同時に、首を絞めていた力が抜けていくのをクーは感じた。
「シ……ョウ……!」
男はついにクーの首から手を離すと、自分の顔をその手で覆ってのけ反った。そのまま仰向けに倒れてしまう。
「
それと同時にクーが完成させた簡易結界を作る魔術を発動させた。彼女は地面に手を置いており、そこを中心に空と海の天将シェルレマを示す刻印が青い光で描かれていく。半径五メートルほどの大きさの海と星が描かれた刻印が完成すると、刻印の内部に天将シェルレマのソウルブラッドが流れ込んで来る。ソウルブラッド自体は目には見えずとも、クーは天将のソウルブラッドから、人を包み込んで守り癒そうとする優しさのようなものを確かに感じていた。
この魔術は特定の天将のソウルブラッドで特定範囲を満たし、その中にあるものに他のソウルブラッドでの干渉ができなくなる、というものだ。だが簡易なだけあって持続時間と耐久性に問題がある。魔神が本気で干渉すれば一分と保たないだろう。だが、魔神本体が直接干渉してくることは極稀だ。先程までの干渉は魔神が普段から行っている全世界への干渉に過ぎない。直接の干渉を受けていたのならば、ファイの父はとっくに魔物化していただろう。
念のため、クーはファイの父の様子を確認する。彼は顔を手で覆ったまま仰向けに倒れたままだ。手の隙間から彼が泣いているのが窺えた。さらによく見ると、涙を流すその瞳には知性が戻ってきていることが知れた。先程のようにクーの首を絞めるようなことはないと思われた。
クーはゴホゴホと咳をした後に叫ぶ。
「エール! こっちはもう大丈夫よ!」
「わかった! こっちも決める!」
クーの言葉を受けてエールが叫び返す。
魔物もファイの父が奪われたことに気が付いたのだろう、部品のない顔が憎しみを露わにして歪んでいる。
エールが決め技を出そうとした瞬間、魔物が無造作に剣の切っ先をエール、いやその先のクーとファイの父に向けた。そして、魔物が上半身に纏う炎が腕を伝って剣が炎に包まれ、その切っ先から強力な炎を噴き出した。
「何ッ!?」
炎は凄まじい熱と速さでエールたちに迫る。
エールはとっさにソウルブラッドを前面に集めて盾のようにして炎の波を遮った。だが、その熱は遮断しきれず、しかも上半身に纏っている時とは桁違いの威力となっていた。突き出した手の肌がジリジリと焼け焦げ、赤くなり、水ぶくれが出来ていくような感覚がエールを襲った。
こんな技があって使わなかった理由は二つ考えられた。一つは魔物にする予定のファイの父がいたから。巻き込んで死なせたくなかったのか、それとも魔物にするためには自身の力を維持しなければならなかったのか。もう一つはこの攻撃には何かの代償が必要だったか、だ。
理由は何であれ、この炎を凌ぎきらなければ勝ち目はなかった。エールは歯を食いしばって耐えた。
炎の轟音の中で、背後からクーの呪文詠唱が聞こえて、エールはにやりと笑った。
「
クーの声が響くと同時に彼女の魔術が解き放たれた。
エールの眼前に巨大な水の壁が現れ、魔物の放つ炎を受け止めた。水の壁は地面から湧き出ているわけではない。上空から滝のように流れ落ちてきているわけでもない。魔術で作った水でできた巨大な壁がエールの眼前に浮いているような状態だ。水の壁はエールの姿を魔物から隠してしまうほど高く、幅も厚さもあった。
魔物は剣から放つ炎を強めるが、水の壁はびくともしなかった。正確には炎に触れている表面は蒸発していっているが、クーがどんどん新しい水の壁を生成している持続型の魔術だった。
エールは腰を落とし、力とソウルブラッドを集中させた。そして、高く跳躍した。狙い違わず魔物の上に着地する角度だ。
魔物を見ると、正面からは炎が邪魔で分からなかったが、剣を持っていない左手がほとんどなくなっていた。あの強力な威力の炎は自らの体を消耗して発生させていたのだと思われた。さながら蠟燭のようだとエールは思った。
エールは右腕を振りかぶり、大きく叫ぶ。
「必殺の!」
その声で魔物はエールが跳躍していることを知った。首を上げて彼の場所を確認すると、剣の切っ先を彼に向けようとした。
「
クーの声が響き、水の壁の一部を消費して圧縮された水が放たれた。その水弾は魔物の剣を持つ手に命中した。だが、剣が大きく弾かれるが魔物は剣をとり落とさなかった。しかし、水に濡れたからなのか剣から放たれていた炎は消えていた。
魔物は顔を歪め、迫るエールを防御するために剣を彼に向けて構えた。天将フラムエスの剣を盾にすれば、凌げるかもしれないという苦し紛れの行動だった。そして、そんなことでエールは手加減などしない人間だった。
「大斬撃!」
エールは叫ぶと同時に右腕を振るい、彼の魔術が起動する。
エールは魔物が構える天将フラムエスの剣ごと魔物の頭部を殴り抜く。起動した魔術により強力な衝撃が放たれ、魔物の全身はなす術なく押し潰され、剣は砕かれ、地面は大きく陥没した。後に残ったのは魔物の残した血の跡と砕かれた剣の欠片だけだった。
エールは魔物の無力化を確認すると、その場に大の字になって寝ころんだ。
「あー! いってえー!」
「悪いわね。もう少し早く水龍の壁を展開出来ていたら、ここまで酷くならなかったでしょうに」
水龍の壁を解除したクーが寝そべったエールを覗き込んで心配そうに言った。
「鎧は改良の余地ありだな……」
自分の火傷だらけの腕を見てエールは苦々しく言った。
「クー! ファイのお父さんは元に戻るんだよな?」
「もちろんよ! しばらくすれば完全に魔神の影響は抜けるでしょうね」
クーは振り返ってファイの父を見る。天将シェルレマの刻印の上で横たわる彼は今、心身ともに疲れ切っており深い眠りに落ちていた。規則正しい呼吸が彼の無事を知らせていた。
「よかった。クーは大丈夫か?」
「え?」
「首を絞められてただろ?」
「馬鹿ね。どう見てもアンタの方が重傷でしょ? ほら、腕出して」
クーは呆れたように言った。エールは大人しく寝たまま腕を上げた。
クーは手早く癒しの魔術を詠唱して構築すると、上げられたエールの手を自分の手で包むようにして魔術を行使した。両手の間に淡いその光が灯り、エールの負った火傷が徐々に癒されていく。
「あー、生き返るぜ! 無茶ができるのはクーのおかげだなあ」
しみじみと言うエールを尻目に、クーは砕かれた天将フラムエスの剣をちらと見た。
最早粉々で原形などない。当然だが天将の霊器としてなど使えるはずもない。
「これ、どうしよ……」
日付が変わる頃、エールとクー、そしてファイの父はファードの町に辿り着いた。
ファイの父はまだ眠っており、火傷が治ったエールが背負っていた。
町の入り口にはソディンがおり、彼らの到着を驚いた後、敬礼した。
「無事に戻って来られて何よりです!」
「こんな時間まで待っていたんですか?」
クーが驚いて言うと、ソディンは申し訳なさそうな顔をした。
「私にできることはそれくらいだったもので……」
「なあ、ファイたちはどこにいるか知ってるか?」
「ファイ……カンエ村の村長たちのことですね」
「そうそう! ファイのお父さんを助けて来たから合わせてやりてえんだ!」
「……大丈夫……なんですか?」
ソディンはちらっとクーを見る。
「私が処置しました。大丈夫ですよ」
「そうですか、それなら……彼らの所に案内しましょう。ついて来てください」
言ってソディンは背を向けて歩き始め、二人は彼について歩き、町の宿の一つに入った。カンエ村の村長のためか宿の中でも立派な造りの綺麗な宿だった。その一室にまで案内される。灯りはまだついていた。
「それでは、私はこれで……」
「おう! ありがとな!」
言ってソディンは去って行った。村の入り口で応援に来た者を迎えに行ったのだろう。
「ファイ! 起きてるか?」
エールが声をかけると部屋の中から慌てた足音が聞こえ、扉が勢いよく開いた。
「お兄ちゃん! お父さんは!?」
部屋から出て来たファイの叫びに、エールは笑顔で答える。
「おう! 助けたぜ! ベッドに運んでいいか?」
「うん!」
エールは部屋に入ると背負っていたファイの父をベッドに寝かせた。部屋の中には椅子に腰かけた村長もおり、それを複雑そうな表情で見ていた。
ファイはベッドの上で規則正しい呼吸をしている父の姿に安堵の涙を浮かべた。
「お兄ちゃん、ありがとう! 本当にありがとう!」
ファイが感謝の言葉を口にすると、エ-ルは笑うと膝を落としてファイと同じ目線で言う。
「俺だけじゃない、そこにいるクーもだ。クーがいなけりゃお父さんは助けられなかった」
「そうなんだ。お姉ちゃんもありがとう!」
「それに、ファイもだ」
「え? 僕何も……」
エールは首を横に振る。
「確かにファイの祈りが届いたはずだ! なあ、クー!」
「そうね、確かに祈りが届いてる様子だったわね」
その時の光景を思い出して、クーは顎に手を当てた。
「ほんとに、届いてたんだ……!」
「そう言ったろ? 信じてなかったのか~?」
からかうようにエールが言うとファイは慌てて謝った。
「ごめんなさい」
「いいって! つまり、ファイのお父さんを助けたのはオレだけじゃない。オレとクーと、ファイで助けたんだ。それを忘れないでくれ」
「……うん!」
ファイは力強く頷いた。それを見届けるとエールは立ち上がって大きく伸びをした。
「んじゃ、今日のところはもう寝ようぜ! また明日な」
言ってエールは部屋を後にしようとしたが、クーは動かなかった。じっと村長を見つめている。
「どうした、クー?」
「村長さん、何か言いたそうな顔をしていますね」
「!」
クーに指摘され、村長はビクリと体を震わせた。
「何を」
かすれた声で村長が否定しようとしたが、それを制すようにクーは言葉を被せる。
「今言わないと、機会を逃すんじゃないですか? ここには私たちしか居ませんよ?」
「おい、クー?」
エールの制止も聞かず、クーは言葉を続けた。
「言いにくいなら私が言いましょうか?」
「いや! ……自分で口にする……」
観念したように村長がうなだれながら言った。
気まずそうな目でファイとその父を見ると、深呼吸してから立ち上がってエールとクーを真っ直ぐに見た。
「コヤツを助けてくれて、本当にありがとうございました!」
そう言って村長は深く頭を下げた。
それを受けてエールとファイは驚愕の表情となったが、クーには驚きはなかった。予想通り、といった表情だった。
「おじいちゃんは、お父さんが助かってうれしいの?」
「そうじゃ……」
ファイの純粋な疑問に、村長は歯切れ悪く答えた。
「お父さんの体を見てみて」
クーに言われ、ファイとエールはベッドに寝かされているファイの父を見る。特に変わった様子はない。大きく筋肉質な体で規則正しく呼吸している。
「エールから聞いたけど、お父さんはごはんの量が少なかったって?」
「う、うん」
「お父さんと一緒にごはんを食べてるの?」
「ううん。お父さんは別のところで食べるから……」
「少ないごはんで、この体を維持できるとは思えないなあ」
クーの言葉にエールはぽんと手を打った。
「そういや、背負ってる時重かったわ!」
「え? じゃあ、どういうこと?」
ファイが混乱した様子でクーを見る。そのクーはファイの視線を受けて村長を見つめた。自然とファイの目線も村長に向く。村長はバツが悪そうに言う。
「食事はきちんと与えておった。ファイや村人にわからぬように」
「え? 嘘だったってこと? どうしてそんな嘘をつくの?」
驚いたフェイが素直に言って、村長はさらにバツが悪い表情となる。
「村人たちに対して、許してないってポーズを維持するため、ですよね?」
クーの指摘に、村長は苦い顔をして肯定の意を示した。
「どういうこと?」
「村人たちはファイ君のお母さんが死んでしまったのはファイ君のお父さんのせいだと思って、相当怒ってたんじゃないかな? 罰もなくに許してしまったら暴動が起きてしまいそうなくらいに。だから、村長自ら罰を与えて村人が暴走しないようにしたんじゃないかな?」
「ワシとて最初は許せんかった」
クーの予想に対し、村長は述懐するように言葉を続けた。
「手塩にかけた娘と弟子が駆け落ちして、帰って来たかと思えば娘は死んで孫の世話をしてくれ、じゃ。どの面下げて戻って来たと思ったわい。だから、最初は感情のままに罰を与えただけじゃ。村人の目など気にしとらんかった。じゃが……文句も言わずにひたすら働く姿を見ておると、師弟として過ごした時の記憶が蘇って来おった。コヤツと話す娘は楽しそうで、幸せそうで……このままではいかんと思った。このままでは孫は虐げられた父親を見て育ってしまう。それを娘は望まんはずじゃ。しかし、村人たちのコヤツに対する怒りは凄まじかった。もしも許すと言えば暴れだしそうな雰囲気があった。じゃから、探しておった。コヤツが許されてもいい切っ掛けを」
そこまで言って村長は自嘲気味に言う。
「そんなことを考えてズルズルと何年も経ってしまったんじゃから、恨まれたって仕方がないのう」
「彼は恨んでないと思いますよ」
クーが冷静に指摘する。
「だって、村の人たちが魔物から逃げるのを命を賭けて止めたんですよ? 恨んでたらそんなことすると思いますか?」
「それは……そうじゃが」
納得しない村長にクーは溜息を吐いた。
「ソウルブラッドの流れ……祈りというのは、実は効果があるのは全部じゃないんです」
「?」
「敵対している人とか、嫌っている人からそんなものが流れてきても、自動的に弾かれて気付きすらしないんです」
「それがどうしたんじゃ?」
「彼は村長さんの祈りを受け入れていましたよ。正気を取り戻す直前、師匠って呟いたのを確かに聞きましたから」
それを聞いた瞬間、村長の目から大粒の涙がこぼれた。一度流れ始めた涙はとめどなく溢れ、村長は嗚咽した。心配したのかファイが駆け寄っていく。
村長が落ち着くのを待って、クーは切り出した。
「さっき言った魔物を止めた件は、彼が許されるこれ以上ない切っ掛けのはずです。皆が彼を許すように村長、あなたが訴えかけるんです」
「それは考えたが、うまく行くじゃろうか?」
クーはくすりと笑った。
「案外すんなり許すと思いますよ。きっと許してもいいと思ってる人が大半じゃないですかね?」
「どうしてそんなことが言えるんじゃ?」
「だってみんな、魔物の襲撃について聞いた時、何か言いたそうな顔をしてましたから」
村長はきょとんとした顔をした。
「きっとすれ違ってたんです。村長は村人が怒ってるから許せない、村人は村長が怒ってるから許せない、って」
クーに言われ、村長は唖然とし、力が抜けたのか椅子にどっと腰かけた。
「ありがとう。コヤツを許すことを提案してみよう。しかし、どうしてここまで踏み込んだんじゃ? あんたのようなスレイヤーには関係ない話じゃろうに……」
村長に問われ、クーはエールをチラッと見た。
「カラビトの問題は他人事じゃないもので」
「そっか、お兄ちゃんもカラビトだもんね」
「えっ!? オレのせい?」
ファイが気付いて口にし、エールは話を聞いていたのかいないのかわからないようなことを言った。
「あ、それともう一つ」
思い出したようにクーが言った。
「実は、魔物が悪あがきしたせいで天将の霊器が粉々になってしまいまして……」
言いながらクーは懐から袋を取り出した。あまり意味はないが、とりあえず集められるだけ集めた天将フラムエスの剣の欠片、いや粉が入っている。とても剣一本分にはならない量だった。
それを見せられて村長は驚愕したものの、すぐに気を取り直した。
「魔物に奪われた時に諦めていましたから……魔物を倒してコヤツまで助けていただいて、十分です」
「代わりの天将の霊器が届くまで、おおよそ一月ほどだと思いますが、私たちはここに留まろうと思います」
「え!? そうなの!?」
ファイが驚き、目を輝かせて言った。エールと遊べるとでも思っているのだろう。
「オレも今知った! しばらくよろしく!」
エールも驚きはしたが、すぐに笑って言った。
「それじゃあ、今度こそ退散しますね。おやすみなさい」
クーは言って部屋を出る。エールはファイとおやすみを言い合うと、彼女の後を追って部屋を出た。そのまま満室の宿を出て、星灯りの下を二人は歩く。向かっているのは聞き込みを開始した直後にクーがとった宿だ。ファイたちが泊っている宿より格は落ちるが、二人はそんなことは気にしない。
「悪いな、俺のせいで足止めしちまって」
「ま、たまには一つの町にとどまるのもいいんじゃない?」
言ったクーの顔はどこか清々しそうだった。
クーは夜空を見上げる。つられてエールも見上げた。
無数の星灯りが彼らの目に届く。
クーはその中で三つの星に目を惹かれた。二つの強く輝く星と、その真ん中に一つの小さく輝く星。
「ファイたちみたいだな」
クーと同じ星に注視していたのか、エールが言った。
「うん。きっとこれから、同じように輝くはずよ」
その言葉はある種の祈りだ。きっと届いて彼らの力になる。クーはそう感じた。
ソウルブラッド 短編1 @hiyorimi_syugi
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