青い彼岸花
ゴリ ゴリと
薬研を碾く規則的な音だけが静かに響く
いつ来てもこの空間は不思議だ
確かにここにあるのに、曖昧というか
存在そのものから確からしさを削ってしまったような
酷くに儚く朧げな、そんな場所だ
茶の間に上がり、音のする方へ声をかける
「よう、サイトウ、息災かい」
そう問いかけると、庵の主は静かに身体をこちらに向ける
「あぁ、これは主殿。いらっしゃいませ。何か、ご入用ですか?」
そういうと狐面の妖怪、サイトウは柔和な声色で語りかけてくる
…ともすれば、魅入られそうなほどに優しい声色で
「急に悪いな。上級の淫魔の類が大量発生したって救援の依頼が来てな。
幻惑系の解毒薬、それも最上級のものが欲しいんだが…」
サイトウは少し考えるそぶりをした後に答える
「えぇ、材料はあったかと存じます。すぐに調合にとりかかりましょう。
少し、お時間を頂けますか?」
「そうか、助かる。頼む。」
そういうとサイトウは音も無く立ち上がると薬棚からいくつかの小瓶を取り出す
薬品の材料のようだが、いつ見てもその正体はよくわからない
「おや、いけない、これが最後の一本でしたか」
そういうと、最後にサイトウは一本の華を取り出す
青い彼岸花
光の当たり方によって、ゾッとするほど青ざめた色にも、
静かに輝く銀色のように見えなくもない
あれは、よく見る素材だ
「例の常連さん、最近来てないのか」
「えぇ、ここ最近は珍しく…また調達をお願いしなければなりませんね」
そういうとサイトウは両手に抱えた材料を持って薬研の前に座りなおす
気付けばオレの隣には湯気の立ち上るお茶と、ささやかな茶請け菓子が置かれていた
ゴリ ゴリという規則的な音と穏やかな昼下がりの陽光
ゴロリと畳の上に寝っ転がってひと眠りできれば、それは最高の幸福だろう
けれど、悲しいかな今は仕事の真っ最中。
一分一秒を惜しんで依頼に駆けつけなければならない。
だからこそ、こうやってここ…サイトウの居城、黒狐庵に足を運んでいるのだから
「さぁ、できました。これだけの量があれば十分でしょうか?」
そういうと、サイトウはいくつかの小瓶を差し出した
中には淡い黒銀色の粉末が納められている
「これ、どれだけの人間に効果があるんだ?」
「空気中に散布頂ければ、村一つを覆う程度造作ないかと」
「あぁ、それだけあれば大丈夫だ。恩に着る。」
そういうと小瓶を懐にしまって腰を上げる
「それでは、お気をつけて。」
見送るサイトウの声を背に、出口の引き戸を引いて外に出る
一瞬のうちに視界が切り替わり、見慣れた事務所の一室が目に入る
どこにでもあって、どこにもない黒狐庵
その入口の一つがこの事務所に繋がっている
あの中では、時間も、空間も、全てが出鱈目で曖昧で
時計を見れば、さきほど事務所を出てから5分と時間は経っていない
これが、妖怪サイトウの権能の一つだ
「行きはよいよい帰りは怖い。どんな原理なのかは、知りたくもないね」
溜息を吐くように独り言を吐き出すと
小瓶の感触を確かめながら事務所の出口の扉に手をかけるのだった
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さて、困ったことになった
先ほど、主殿のために調合した薬で、青い彼岸花の在庫が尽きてしまった
これは自分で調達するのは非常に骨が折れる
青い彼岸花
またの名を、妖怪色喰み
千年の恋が破綻した時に、流れた涙と呪詛を吸って生まれると言われる妖怪
近づいた生物、特に人間を好むが、の意識を乗っ取り、
夢の中で宿主の生命力を吸い取り生きていく
寄生された宿主は、体液の色が特定の色に変わるようになる
そしてその体液を見たものの意識にも子株を植え付け、宿主を増やす
本体となる青い彼岸花を刈ってしまえば子株も全て死滅するが
その本体は現世には存在しない
常世と現世の狭間、その僅かな世界の歪みに姿を隠してしまうのだ
世界に生まれた微小な歪、それを見つけて採取しなければならない、
非常に繊細な妖怪だ
「あの方は、そんな苦労はおくびにも出さず採取してくださるのですがね…」
ふと、頭には一人の常連客の姿が浮かぶ
自分と同じ狐面をした、自分より遥かに自由奔放で、強い妖力を持った妖怪
ここ最近、めっきり姿を見なくなってしまった
「一体今、どこで何を…おや?」
チリン、チリンと入口に付けた鈴が音を立てる
招かざるお客様だ
同時にフワリと漂う華の匂い
何というタイミングだろう。見ずともわかる。
「あぁ、これは、いらっしゃいませ」
「おばんでござりんす、主さん」
真っ赤な柄の真っ黒な着物、沢山の簪と色鮮やかな装飾品を身にまとうその姿は
遥か昔に存在した、煌びやかで、しかし影のある女性たちを思い起こさせる
「少し、お久しぶりですね。お変わりありませんでしたか?」
「わっちはいつでも変わりはござりんせん。主さんも息災でありんすか」
「えぇ、おかげさまで。私も大事ありませんよ。」
シャラリ、シャラリと歩を進めるたびに狐面についた鈴の音が響く
妖狐、赤狐
遥か昔から生きる、大妖怪の一角だ
「今日はどのようなご用向きで?」
「薬がのうなってしまい、買い足しに来たでありんす 失礼するえ」
そういうと、彼女は慣れた手つきでヒョイヒョイと棚から小瓶を取り出していく
前回来たのは随分と前だというのに、まるで何がどこにあるのか分かっているような手草で小瓶たちを取り出してく
惚れ薬から幻惑の香、果てには自白剤や自決薬まで
彼女が見繕う薬は、いつも人間にだけ効くものばかり
いくつかの小瓶を取り出したところで、彼女の動きが止まる
「主さん、これは何の薬かえ?」
「あぁ、そちらは解毒薬です。主に幻惑系の治療に効果があります」
「はぁ…なるほど、けれども主さん、これは、幻覚薬ではないかえ?」
…流石に、妖狐の目は誤魔化せない
「えぇ、お察しの通りです。より強い幻覚で、既存の幻覚を上書きする
最上級の解毒薬です」
毒をもって、毒を制す
一度淫魔に魅了されてしまったら、元に戻ることは叶わない
機械ならばいざ知らず、人間の時間は、決して、不可逆的に戻らない
故に、幻惑の上から上書きする 過去にあった現実を上書きする
「おおよそ、人の時間で1週前の現実に今を上書きします。
人間の時間であれば、生あるうちにその幻覚が解けることはありません」
「より強い幻覚を持って幻惑を塗り返す、面白い薬の使い方を思いつくものでありんすね。」
「お褒めにあずかり光栄です」
「妖怪なのに、相も変わらず、まるで人間のような思考をするでありんす。故に、わっちもここでしか手に入らない薬が多いのでありんすが。」
そういうと、狐華は調合したばかりの幻覚薬も懐に仕舞込んだ
「今更貴女にお伝えすべきことではありませんが、人間には些か効力の強いものもございます。分量には十分お気をつけを」
こちらの話を聞いているのかいないのか、狐らしい奔放さで彼女は言葉を続ける
「ありがとうござりんした 主さん、お代は其方の棚に置いておくでありんす」
ユラリと指の示す先には、鈍い青色を放つ彼岸花
それも、一本どころではない。こんもりと小さな山になっている
「これは…」
「あい、おさらばえ」
瞬きをする間に、フワリとその姿はかき消えて、残るは微かな華の香りだけ
入口の鈴は、微かな音すら立てなかった
「あの方はいつも本当に…どこから仕入れているのでしょうか…」
少し呆気に取られながら、彼岸花を棚の奥に陳列する
青い彼岸花
千年の恋が破綻した時に、流れた涙と呪詛を吸って生まれると言われる妖怪
まるでその育て方を知っているかの如く、彼女は度々薬代の代わりとして置いていく
店の在庫が尽きたことも、知っていたのではないだろうかと疑いたくなるほどだ
「字面通りに千年でなくても、千年分の思いが募っていれば、それでよいのかも知れないですね…」
ポツリと呟くと、少し戒めるように澄んだ鈴の音が聞こえた気がした
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「おう、サイトウ、今回もありがとな。おかげで助かった。」
幾ばくかの時間が流れた後、依頼を終えたであろう主が上機嫌に黒狐庵の扉を開いた
「いえ、お役に立てたようで何よりです。効力は十分でしたか?」
そう伝えると、少しバツの悪そうな顔をして齋藤は渡した小瓶をそっくりそのまま取り出した。
よく見ると、本当に少しだけ、小瓶の雰囲気が違っている
「主殿?これは…?」
「いやな、確かに、お前さんの作ってくれた薬は効果抜群だったんだ。
出てきた上級の淫魔すらも解毒しちまったおかげで、あっという間に仕事が片付いたよ」
妖怪にも、効力があった?
違う。それは自分の調合した薬ではない。
そんな効果は持たせていない
出された小瓶の蓋を開けるとフワリと漂うのは嗅ぎ慣れた華の匂い
まさか
「しかもよ、使ったはずの薬が気付いたら小瓶に戻っててな。
結果として一瓶だけで事足りちまったんだ」
「主殿、不躾ながら、今回の件、どこからの依頼で?」
「常連さんだよ。中心街A地区の名も知らぬVIP様だ。
いつも厄介な依頼ばかりだが、今回はとびきりだ。報酬も弾んでもらったが、できる限り今後は勘弁願いたいね。」
…本当に、あの方には叶わない。
一瞬で薬の構成を理解し、改良されてしまった。
なるほど、確かに、これであれば淫魔程度の幻惑は影も形も無く消し去れるだろう
幻惑を生業とする、淫魔の存在定義ごと、根こそぎに
問題は、使われているだろう材料が、到底手に入らないようなものであるということだが…あの方には、些細な問題なのだろう
「さて、オレは報告書を作らなきゃならないから事務所に戻るな。
そういや、ほれ、淫魔から取れた素材だ。薬代の代わりに使ってくれ。」
そういうと齋藤は持っていた大きな袋を差し出した。
「これは、ありがとうございます。大切に使わせて頂きます。」
それを聞くと、齋藤は軽く手を振って入口の引き戸の奥に消えていった
その背を見送りながら、置かれた小瓶に意識を向ける
願わくば、今後ともよい関係でいたいものだと、
主の背中を見送りながら、心の底からそう思うのであった
怪異調査事務所 中心区外周D地区54G 齋藤 @saitou4562
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