愛の質量
九津十八@ここのつとおよう
愛の質量
貴女は、自分の時間を売りました。
ある日、スマホに届いた「貴女の時間を売って下さい」というショートメッセージを見て、貴女は自ら応募した。
貴女は人生に絶望していた。いつでも死んで良いと思っていた。だからかもしれない。普通なら無視するような文言を見て、貴女はほんの少しだけ興味を惹かれた。
次に届いたショートメッセージで、とある地方都市にある病院に来るように指示された。貴女はそれに従い病院に行き、受付でそのことを伝えるとすぐにとある部屋に通された。
そこで貴女は簡単なカウンセリングを受けた後、薬を打たれた。一分もしないうちに、貴女の意識は無くなった。
次に目を覚ましたとき、貴女は知らない部屋にいた。
真っ白な壁に、大きなテレビとソファー。それとダイニングテーブルが置いてあった。
変わっていることといえば、壁に窓はなく、小さな天窓があるだけということ。それと、知らない男がいた。
彼は貴女に質問をしてきた。
「君も、応募したんですか?」
その言葉に貴女は少しだけ安堵した。
(この人も、私と同じで時間を売った人なんだ。あんなメッセージに応募するくらいだから、死んでも良いと思うくらい絶望しているのだろう)
そんな風に、貴女は少し仲間意識を持った。
突然、ダイニングに置いてあるテレビの電源がついた。しかし、画面は真っ暗なままだ。
ボイスチェンジャーで低くなった声が流れてきた。
その声の主は、時間を売却していただきありがとうございます。というお礼をまず口にした後、詳しい内容を話し始めた。
一、期間は最長で半年。短くなることもある。
二、二人が持っていたスマホや財布、荷物は全て預かっている。期間終了後に返却する。
三、期間中、2LDKの部屋から一切外に出ることはできない。
四、食糧や欲しいものがあれば、ダイニングテーブルの上に設置してあるタブレットから注文すること。
五、寝室は別にしてあるが、互いの同意があれば同じ部屋で寝ることは可。
六、毎月、末日にアンケートに回答すること。その際、各々に与えられた部屋で一人で答えること。嘘は絶対につかないこと。内容は相手に教えてはいけない。両方が答え終わるまで、部屋はロックされて出ることはできない。
七、こちらからの指示があるまで、お互いの名前を教えてはいけない。ニックネームも不可。「君」「あなた」「お前」等で呼ぶこと。
八、仕事や学歴、自分の過去のエピソード等、教えても良いが、それによって生じたトラブルに関してこちらは一切の責任を負わない。
九、期間終了後に報酬を送金させていただきます。
以上が基本的なルールであり、疑問があれば都度、タブレットから送信してもらえれば回答する。
今はこちらにも二人の声が聞こえているので、なにかあれば質問を受け付ける。
貴女はすぐに一つ尋ねた。
「監視カメラや盗聴器の類いは設置されていますか?」
答えはノーだった。家には監視カメラの類いや盗聴器の類いは設置されていない。
「それなら、ただこの部屋でこの男性と生活するだけですか?」
貴女は続けて質問する。何かの実験に関わっていることは理解したが、悪い言い方をすれば監禁までしているのに、こちらの行動を逐一チェックしないということに少しだけ違和感を覚えたからだ。
テレビから「そうです」と返答があった。
貴女はそれ以上、特に聞きたいこともなく、貴女と彼の生活が始まった。
一ヶ月目。
掃除等と言った簡単な家事は分担することになった。
最初の一週間程は、貴女と彼は常に丁寧語で会話をしていた。
彼はどこかミステリアスな風貌で、女性にモテるかモテないかといえば、一定の需要はありそうだと貴女は感じていた。
しかし、そこまで興味があるわけでもなく、必要最低限の会話をするくらいで基本的には与えられた個人の寝室で一日の大半をお互い過ごした。
寝室には、ベッドにいくつかの本。そしてテーブルの上にタブレットが置いてあった。タブレットの電源を点けてみたもののアンケート回答用のアプリが入っているだけで、インターネットや他のアプリをダウンロードすることはできなかった。
三週間ほど過ぎると、丁寧語で会話をするのも面倒になり自然と砕けた口調で話をするようになった。テレビでは地上波等の番組は見ることができなかったが、随分古いものから比較的最近に流行ったものまで、多種多様な映画を見ることができた。タブレットで漫画や本を持ってきてもらうこともできたので、案外退屈しのぎには困らなかった。
一ヶ月目が終わる。
自分の寝室でタブレットを点ける。
アンケートの内容がチャットGPTのように一文字ずつ流れてきた。
『一緒に過ごしている男性の印象はどうですか』
貴女は少し考える。しかし、印象といわれても特になにも抱いていない。貴女は当たり障りの無いことだけを書いて送信した。
二ヶ月目。
貴女はずっと出前を頼んでいたが、それも飽きてきた。
キッチンに調理器具一式は揃っていたので、食料を注文し、自炊を始める。
一人分作るのも二人分作るのも同じだと思い、彼に食べるか尋ねると嬉しそうにしていたので、彼の分も作ることにした。
「めちゃくちゃ美味しい」
彼は、貴女の作った料理を手放しに褒めてくれた。偏見ではあるが、ミステリアスな風貌から、人の作った料理をそのように美味しいと素直に言うとは思っていなかったので、貴女は少し照れ臭く感じた。
それから、少し彼のことを気にかけて見るようになった。
彼はよく気が利く人間だった。
貴女が生理で体調を崩しているときは、貴女から何も言わなくても家事を全て請け負ってくれた。料理を作る際に高いところにあるものを取ろうとしたときは、すぐに寄ってきて取ってくれた。
風呂の順番も毎日必ず、貴女が先に入るかどうかを尋ねてきてくれた。
そしてミステリアスだと感じていた彼が、案外感情豊かだということを知った。
映画を見るとよく笑いよく泣いていた。彼の琴線に触れた映画を見た後、子供のように目を輝かせて、どこが良かったのかを熱弁していた。
貴女は、そんな彼と会話をするのが少し楽しくなってきた。
二ヶ月目が終わる。
二ヶ月目の内容はこうだった。
『一緒に過ごしている男性の印象はどうですか?』
一ヶ月と同じ問いに、貴女は先月回答した当たり障りの無い内容から素直に感じたことを書いた。
『よく気が利き優しい。私より大人ではあるが、子供っぽいところもある』
そう回答すると今月はもう一つ、問いが流れてきた。
『男性に恋愛感情はありますか?』
貴女は少し考える。そして、『いいえ』と書いて送信した。
三ヶ月目。
二ヶ月目のアンケートの内容が貴女の頭の片隅から離れてくれなかった。
恋愛感情がありますか、とストレートに聞かれると、これまで全く意識していなかったのに、男としてアリかナシかを考えてしまう自分がいた。
相変わらず彼は優しく、気が利いた。この頃になると、少しずつお互いのことを話すようになっていた。
彼は貴女より七つ年上の二十七歳だった。
日本人なら誰でも聞いたことのある有名な大学を卒業した後、一流企業に勤めていた。
そんな彼が、どうしてこんなところにいるのかと疑問に思い、貴女は問うた。
「経歴だけは順風満帆だけど、学生の頃に見つかれば取り返しのつかないことをした。その呪縛から逃れられなくて、精神を病み、病院に通っていた頃にあのメールがきた」
彼はそう答えた。取り返しのつかないこと、については触れてほしく無さそうだったので貴女は追求しなかった。貴女自身も触れられたくない過去はあるから、それは十分理解できた。
彼は貴女については、特に何も聞いてこなかった。
貴女はそのことについて、『答えられないことはあるけど、少しくらい聞いてくれも良いのに』と、少し不満に思った。
その不満に気付いたとき、貴女は彼のことを男としてアリだと思っているのだと感じた。
それから彼のことがこれまで以上に気になるようになっていった。
完璧な人間なんてこの世にはいない。人間は必ず間違いを犯すものだ。
貴女は三ヶ月目が終盤に差し掛かった頃、酒に酔った勢いで彼とセックスをした。
彼とのセックスは、貴女がこれまで経験してきた男の性欲をただぶつけられるだけの行為とは違った。
彼はとても優しく、貴女のことを気遣いながら行為を進めていった。時に優しく、時に激しく。しかし、痛くないかを気にかけ、じっくりと貴女と肌を擦り合わせてくれた。
彼はセックス中、何度も貴女の体を見て「綺麗だ」と褒めてくれた。それがむず痒く、嬉しかった。
その日から、貴女と彼はたまに同じ寝室で寝るようになり、その度にセックスをするようになった。
そうして、三ヶ月目が終わる。
三ヶ月目のアンケートの内容は、二ヶ月目と同じものだった。
彼の印象は、二ヶ月目とほぼ同じ内容のことを書いた。そして、もう一つの『恋愛感情はありますか?』という問いには『たぶん、はい』と答えた。
四ヶ月目が始まると同時に、こんな通達があった。
『お互いを仮名かニックネームで呼んで下さい。本名を教えてはいけません』
貴女は、どうしてこんな通達があったのかわからなかった。しかし、貴女と彼は自分の時間を売り、金銭を受け取る契約でここにいるので従った。
彼は『
貴女が颯介と呼ぶと、彼は反応する。それだけのことなのに、貴女はこれまでの「君」「あなた」とは違い、随分と距離が近くなった気がした。
セックス中も仮名ではあるが、『結衣』と貴女に対する固有名詞を呼ばれただけで、これまで以上に深く感じるようになった。
貴女は、完全に颯介のことを好きになっていた。常に一緒にいるのに颯介のことばかり考えるようになっていた。貴女が作る料理も、これまでは貴女が食べたいものを作っていたのに、颯介の食べたいものを作るようになった。風呂も共に入るようになった。セックスをしない日も、一緒に寝るようになった。
貴女は過去にあった凄惨な事件後から、初めて幸せを感じていた。
貴女はある日の夜、聞かれてはいなかったが自身のことをできるだけ重くならないように簡潔にではあるが、颯介に話した。
「中学一年生の時にね、家族が全員殺された。私は部活に行ってて無事だったんだけど、お母さんもお父さんも、弟もみんな殺された。みんな大好きだったから、本当に地獄にたたき落とされた気分だったんだ。今でも犯人は捕まってない。その日からずっと人生に絶望して、いつ死んでもいいって思って今日まで生きてきたんだ」
颯介は「もし、その犯人が目の前に出てきて、誠心誠意謝ってきたらどうする?」と尋ねてきた。
「絶対に許さない。殺してやる」
貴女は確かな殺意を込めて、そう言い切った。
その答えを聞いた颯介は、貴女のことを今までで一番強く抱きしめてきた。体が震えている。貴女は颯介は感情豊かな人だから、泣いてくれているのだと思った。
颯介は貴女に言った。
「付き合おう」
貴女は大粒の涙を流し、喜んだ。
貴女と颯介は約束した。
ここを出たらすぐにお互いの本当の名前を教え合おう。一緒に暮らそう、と。
貴女は外の世界に出ることが心から楽しみになった。
四ヶ月目が終わる。
四ヶ月目のアンケートはこう流れてきた。
『男性に恋愛感情はありますか?』
貴女は『はい』と答えた。
二つ目の問いが流れてきた。
『男性のことをどんなことがあっても愛しますか?』
貴女は『何があっても愛します』と答えた。
五ヶ月目が始まると同時に、『良いデータを取ることができました。あと一ヶ月で終了とさせていただきます』とアナウンスがあった。
五ヶ月目の貴女と颯介は、外に出たらどういうデートをするか等、したいことを話し合って生活をした。
その時間は楽しくて、貴女は寝ているとき以外、常にと言っていい程、笑みを浮かべていた。
颯介は貴女をこれまで以上に大切にしてくれた。体を重ねるときも、愛の言葉を囁いてくれて、貴女もそれに応えた。
貴女の心は颯介に完全に陶酔していた。それでも、凄惨な死を迎えた家族のことを忘れていたわけではなかった。貴女は家族に対し、心の中で私は幸せになっても良いですか、と問いかけながらこの一ヶ月を過ごした。夢に久しぶりに家族が出てきて全員が笑顔だったとき、貴女は幸せになって良いんだと思った。
五ヶ月目が終わる。
貴女は最後のアンケートを答えたら、颯介と共に暮らせるのだと胸を躍らせた。彼の本当の名前を知ることができることも楽しみだった。
アンケートに答えるために、自身の部屋へ行く。ドアにロックがかかる音がして、貴女はテーブルの上に置かれたタブレットの電源を点けた。
アンケートに答えるアプリを開くと、赤いボタンと青いボタンが表示された。これまでこのようなボタンが表示されたことはなかった。
そのボタンの下に、これまでと同様、チャットGPTのように一文字ずつ文字が流れてきた。
『五ヶ月間お疲れ様でした。
最後のアンケートに移らせていただく前に、あなたにお伝えしたいことがあります。
あなたがこの五ヶ月間共に過ごしてきた男性ですが、七年前、あなたの家族を殺した犯人です。
そして、こちらの画面に表示されている赤と青のボタンですが。
赤を押せばあなたは彼と共にこの部屋から出ることができ、そのまま終了となります。その後は、自由に暮らして下さい。
そして青を押した場合ですが、彼の部屋に毒ガスが噴出され彼は死にます。あなたはそれに対し捕まることはなく、罪に問われることはありません。もちろん外に出ることはできますし、その後は自由に暮らして下さい。
それでは、最後の質問に移らせていただきます。
〝五ヶ月間、共に過ごし愛を誓い合ったものの本当の名前を知らない彼〟
〝生まれてから中学一年まで共に過ごし、彼に殺された最愛の家族〟
彼と家族、あなたにとって愛の質量はどちらのほうが重いですか?』
愛の質量 九津十八@ここのつとおよう @coconotsu18
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