刺激的な一日

三鹿ショート

刺激的な一日

 特段の事件もなく、平凡な毎日を送ることができているということは、幸福なのだろう。

 だが、自身がこの世を去るまで同じような日々が続くということを考えると、刺激が欲しくなることは、仕方のない話である。

 しかし、そのようなことを考えていたとしても、異なる道への一歩を踏み出すことができなかった。

 安寧の生活を失うことになるのではないかという思いが、私の足を竦ませていたのだ。

 だからこそ、私はその施設の扉を叩いた。

 その施設では、金銭を支払うことで、夢のような出来事を体験することができるという話だった。

 夢の中身を細かく指定することはできないが、傾向を伝えることで、そのような内容の出来事を体験することができるようになるらしい。

 私は、施設の人間に対して、刺激的な体験を望むと伝えた。

 施設の人間は笑みを浮かべると、私を隣の部屋へと案内した。

 其処には、円筒形の容器と、寝台が鎮座していた。

 どのような出来事を体験することができるのだろうかと胸を躍らせながら、病院のような寝台に横になると、施設の人間は私の顔面に透明な面を装着させる。

 数秒後、私の意識が薄れ始めた。

 だが、刺激的な体験に対する期待が薄れることはなかった。


***


 扉を叩く音で、目が覚めた。

 身を起こしたところで、私は見慣れた自室で横になっていたことに気付く。

 周囲に目を向けたところ、物の配置に変わりはなかったが、本当にこれは夢なのだろうか。

 頬を抓ったところ、痛みを感じたために、現実なのではないかと考えてしまうものの、施設の話を思い出すと、余計なことを考えることを止めた。

 此処は現実のようだが、限りなく現実に近い夢なのである。

 これから何が起こるのだろうかと鼻息を荒くしたところで、何者かが扉を叩いていることを思い出すと、私は部屋の扉へと向かった。

 扉を開けると同時に、傷を負った女性が部屋の中に倒れ込んできた。

 その傷に驚いている私に向かって、彼女が早く扉を閉めろと怒鳴ったために、私はその通りに行動する。

 彼女は鋭い目で私を見ながら、

「頼りになるとは考えられない顔つきですが、話に聞いていた協力者の姿と一致していますから、受け入れなければなりませんね」

 当然ながら、私は状況を理解することができなかった。

 しかし、状況が不明だと口にすれば、不審を抱いた彼女がどのような行動に及ぶのか、分かったものではない。

 とりあえず、私は話を合わせることにした。


***


 しばらく話を聞いたところ、どうやら彼女は、悪事を働いている組織の一員だったが、その組織が自身の両親を殺めていたことを知ったために、組織を壊滅させることを決めたらしい。

 そのために必要な書類を持ち出そうとしたが、組織の人間の知るところとなってしまい、彼女は傷を負ってしまったが、それでも逃げ回っていた。

 その中で、彼女は逃亡の手助けをしてくれる人間の情報を知り合いに尋ねたところ、私が浮上したということだった。

 この世界の私が、どのような存在であるのかは不明である。

 だが、今の私の気分が悪いものではないということは、確実だった。

 場合によっては生命を奪われる可能性が高いが、私はこのような出来事を求めていたのである。

 選択を誤れば明日を迎えることができなくなってしまうような危機的な出来事を、一度で良いから味わってみたかったのだ。

 この夢のような出来事が何時まで続くものなのかは分からないが、私の意識がこの世界に存在している限りは、真剣に取り組むことを決めた。

 窓掛の間から外を見ると、強面の男性たちが走り回っていた。

 どうやらこの集合住宅に潜んでいるということに気が付いていないようだが、馬鹿正直に出て行けば、捕まってしまうだろう。

 しかし、私は知っている。

 この集合住宅は、隣の建物と接吻をするかのような位置に存在している。

 ゆえに、屋上から隣の建物に飛び移ることができるのだ。

 そして、隣の建物の地下には駐車場が存在している。

 其処で出会った人間を脅して自動車を奪えば、この土地から離れることも可能だろう。

 私がそのことを伝えると、彼女は荒い呼吸を繰り返しながらも、首肯を返した。


***


 どうやら、このような状況から脱するほどの運も実力も、私は持っていなかったらしい。

 隣の建物の駐車場へと移動したところ、私の作戦を読んでいたのか、強面の男性たちが待ち構えていたのだ。

 抵抗も空しく、我々は即座に捕まった。

 男性たちは男女平等の精神を重んじているのか、彼女を袋だたきにしていた。

 私はといえば、右手の人差し指を折られたところで、降伏していた。

 動かなくなった彼女が自動車の中に押し込まれる様子を眺めていると、私の隣に立っていた幹部らしき男性が口を開いた。

「次はきみだが、どのように処理したものか。彼女から書類の内容を聞いている可能性も考えられることから、やはり同じように処理するべきか」

 その言葉から恐ろしい未来を想像してしまったが、私は其処で思い出した。

 これは、限りなく現実に近い夢なのである。

 それならば、どのような目に遭おうとも、本物の私は無事なのだ。

 笑みを浮かべる私に向かって、幹部の男性は目を丸くした。

「彼女があれほど痛めつけられていたにも関わらず、笑っていられるとは、大したものだ。それならば、彼女以上の目に遭わせなければ、効果が無いということか」

 幹部の男性が頷くと、他の男性たちが私を自動車の中へと連れていく。

 だが、私の意識は、既にこの場所に存在していない。

 次はどのように行動すれば彼女を救うことができるのだろうか、そのようなことばかりを考えていたのである。


***


「先日の男性ですが、どうやらくだんの組織によって生命を奪われたようですね」

「そうか。それでも、彼にとっては良い刺激だっただろう」

「ですが、本当に良かったのでしょうか」

「何のことか」

「限りなく現実に近い夢を体験させると告げておきながら、その実、眠っていた彼を他の場所に移動させ、依頼されていた危険な仕事を何も知らない彼に任せるということは、詐欺ではないでしょうか」

「何を言っている。彼は望んでいた刺激を得ることができ、我々は、逃亡者を捕らえることで、くだんの組織から報酬を得ることができた。一体、誰が損をしているというのかね」

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刺激的な一日 三鹿ショート @mijikashort

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