⑧山を降りるヤンキー

 早朝。


 家の入り口である。

 ヒトシは忘れ物がないか、バッグを開き中身を再度チェックする。すでに簡単な食事を摂っていた。あとは家を出るだけだ。

 寝ぼけ眼のヨースがその横で見守っていた。


 今は夏。とはいえこの山はいつも涼しく快適だった。夜明け前のこの時間帯は寒さすら感じるほどだ。

 日本の真夏を知る身としては天国のような環境である。

 ヒトシがこの世界に転移したあのとき、ギギを救うため巨熊と戦ったあのときも夏だった。

 あれから丸2年が経過している。その間ヒトシはずっとヨース家の世話になっていた。姉妹の相手をするだけの簡単なお仕事。

 2年間ほとんど使わなかったため所持金はかなりの額になっている。魔術学院に通うことになっても生活に困ることはないだろう。


(もうこの家には戻らないかもしれない。3人と一緒にすごした日々も思い出になっちまうのか……)


 ヒトシはヨース家を発つ。なにがあったかというと、



 ——1週間前。

 深刻な顔をしてヒトシは家主に訴える。

「ヨースさん、ちょっと相談したいことがあって……」

「なに?」


「ギギのことなんだが。あいつが俺にね」

「ああそのこと。最近君へのアピールが激しくなってきているような」


「今朝は俺の寝床に潜りこんできたんですよ」

「……そこまで?」


「も、もちろん俺はなにもしてないですよ。あいつはキスしようと顔を近づけてきましたけれど阻止しましたし」

 そう言ってヒトシは『ギギの顔を手でつかみ止めた』シーンを再現する。

「それはそれは」


「あいつのことは好きですけれど異性としては見てないっス。まだ12歳で——」

「それはそれは。ギギ、体が大きくなってきたよね。……どことは言わないけれど女らしくなった」


「意外と明け透けっスねヨースさん。……ギギが大人になったらもう逃げられない気がしません? あいつからすれば俺は命の恩人なわけで」

 

(いわば運命の男なわけだ。そのうえ体までグラマラスに育っちまったら俺の理性がもたないかもしれん。夏場とか薄着で近づいてくるし)


「そういうのって良くないと思うんスよね」

「君がその気なら嫁にしたらいいのに」

 自分の娘のことなのにあっさりと認めるヨース。


「結婚とか……俺はまだガキなんですよ、そんな重い選択できませんって。俺はこの世界を見て回りたい。それに元いた世界に戻りたい。……いいタイミングだと思うんすよ」

「山から降りる?」


「もともと町育ちっスし。ここ虫多いし、冬クソ寒いし。店も遠いしいいことない。王都は人口100万人? まっ、俺が元いたとこと比べたら全然少ないけどマシかなって」

「自慢してくるね。郷土愛ってやつ? カワサキって名前だったっけ」


「シケた町っスよ。陰気くせーし娯楽もない。いつかおん出てやろーとずっと考えてた」

「ヒトシ、こっちが知らない文学の引用をされても困るんだけれど」


「わかりますか(文学じゃなくてマンガだけど)。ともかく出ます。ヨースさんもギギもヨシモも好きなんですよ。ずっとここにいたいって思うときもある。でも俺は前に進みたい」

 ヒトシは決断をしていた。魔術学院に入り自分の才能を試してみたい。

「……わかったよ。君の意志は尊重する。今のうちに移動手段の手配、あと必要なものなんかを買い求めるとしよう。出発は1週間後くらいかな。……2人には知らせる?」


 ヒトシは首を横に振る。

「黙って出ていきます。2人にはそれぞれ手紙は残しておきますよ」



 ——で、出発当日。

 ヒトシはバックを背負い、家の外に出て、ついてきてくれたヨースに最後のあいさつをする。

「むこうについたら手紙を早く送ってね」

「はいはい」


(泣いちまうかなと思ったが泣けなかった。先にヨースさんが泣いたらつられていたかもしれんが、この人至ってクールだし)

 

「娘たちには俺からよく言っておくから——」

 そうヨースが言った瞬間、家の奥から目をこすりながら寝巻き姿のヨシモが姿を表し、

………………………黙って出ていくの?


「ヨシモこれは違うんだぁ。急の用事があるから外出るだけぇ……。夕方には帰ってくるよぉ」

 声が震えている。嘘が苦手なヒトシだった。


 ヨシモがヒトシに近づく。

 ヒトシは反射的に彼女の顔の辺りまでしゃがみこむ。

………嘘つき

 そう耳元に囁くヨシモ。


 この子に囁かれると毎回参ってしまうヒトシであった。ヨシモの声は小さいが美しく響く。


「わかったよ。この家から出ることになったんだ。俺のわがままでね」

…………………………………お別れのあいさつくらいして


「じゃあヨシモにはしてあげる。でもギギは起こさないでね。あの子俺がいなくなるって知ったら面倒——」

 そうヒトシが言った瞬間、ヨシモの薄い胸板がわずかにふくらむ。精一杯大きく息を吸って、そして


!!!」

 次の瞬間姉妹の部屋のドアが開かれ、ドスドスという音とともにギギが早足でこちらにむかってくるのがわかった。

 ヒトシはため息。

「ヒトシぃ!! ど、ど、どどどぉおおして私になにも言わずに出ていっちゃうの? なぜ? なぜ?」


「なぜの嵐。理由を話すのには時間がかかっちゃうから全部ギギに渡すつもりの手紙に書いたんだけれど」

「ぬっく…」

 ギギはきれいな顔立ちを般若の表情にゆがませヒトシに突撃してくる。

 両腕を伸ばしタックルをしかけてきたギギを片手で受け止めた。


「私に渡すつもりの手紙……なら読んで! 100回読んで!!!」


 100回読んだ。その日1日中。ヨシモの分もついでに。

 その日は朝昼晩とご馳走を振る舞われ、翌日の午前中にヒトシは家族とともに家を出発した。麓の町で馬車を待つ間、ギギは自分も一緒についていくと言って聞かなかったがヒトシは説き伏せる。納得をしてくれたギギだったが追い縋るような目をしてこう言った。

「む、王都むこうで女なんてつくったら許さないからね……」

「それはわからないよ。異性と恋愛関係そういうことになるときはなるもんじゃないの?」


(恋愛エアプだからわからんが)


 生まれてこのかた恋人などつくったことがないヒトシである。家族以外の女性と交流したことがほとんどない。そして彼のなかでギギもヨシモも家族のうちに含まれているのだ。


 ヨースが呆れた顔をして指摘する。

「真っ正直に答えちゃダメだよヒトシ。そこは濁して伝えて。……そんなめんどくさそうな顔しないで」

「ここに長くいすぎたね。ギギ、俺は不良だぜ? 俺のように薄汚れた男を好きになったらダメだ。今まで何人敵を殴り倒したか。恨みがあるわけでもない奴をブチのめしたことも……うん、よく考えたら俺ってろくでもない奴だな」


 こちらの世界では同じことはするまい、そう自分に言い聞かせるヒトシであった。


————————————————————————————————————

 主人公のモットーとして『強い奴は弱い奴に手加減をしてやる』というものがあるので、喧嘩において相手を再起不能になるほどの重傷を負わせたことはありません。

 とはいえこれから起こる戦いは『殺し合い』にまで発展することが多々あるので、ヒトシが戦闘において手加減できるか否かは不明です。


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王立魔術学院のカワサキ・ヤンキー〜インフレについていける程度の能力〜 @tokizane

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