最終話 スルーする一族


 そういう一族なものだから、ある日、祖母が「もう二度と牛肉は食べない」と言い出しても、誰もが無反応であった。


 理由を知りたがっているのは、私ひとりである。しかし、どうも本人には聞きづらい。何か悲しい思い出話をともなうような、込み入った事情があるかもしれないし。そこで、当時、中学生だった私はリサーチを開始した。


 まずイトコたちに聞いてみた。全員同じ回答だった。「理由なんて知らないし、どうでもいい」だそうだ。全然興味がないようだ。

「だって、本人が食べたくないって言うんでしょ。じゃあ、それでいいんじゃないの、好きにすれば」

 はい、そうですね、おっしゃるとおり……。いや、そうなんだけども。ただ好奇心というか、気になるではないか。気にならない……の?


 しょうがない。今度は親に尋ねてみた。

「おばあちゃんはきっと牛が好きなんだよ」

 全然違うと思う。祖母宅の近くでは、空き地でペットの牛を放し飼いにしている人がいて、天気の良い日には牛が近寄ってくることがあったのだが、祖母はむしろ嫌がっていた。いくらペット用とはいえ牛を放し飼いとはどういうことかと、眉間に皺を寄せて怒っていたぐらいだ。私も牛の放し飼いはどうかと思う。車に轢かれたら危ない。というか車のほうも危ない。賢い子だったから決して車道には出てこなかったけれども、何かの拍子に、ということもある。

 とりあえず両親は適当なことしか言わないので、牛が好きという説は却下である。


  続いて、伯父さん、伯母さんに聞いてみた。

「そんなの宗教上の理由に決まっとるやろ」

 やっとそれらしい回答が得られた。では、どういう宗教なの?

「ヒンズー教やないと? よく知らんけどさ」

 そんな適当な……。伯父さんたちにとっては実の母親、その母がヒンズー教徒になったら、もっと驚くというか、詳細を訊ねないものだろうか。


 こうなったら最後の頼み、祖父に聞いてみることにした。夫婦なのだ、女房が牛を食べない理由をきっと知っているに違いない。


 ねえ、おじいちゃん。おばあちゃんはどうして牛肉を食べないの?

「それなんやけどさ、この前、みんなで焼き肉をしたやろう」

 え? ああ、そういえばしたね。ホットプレートで。

「そのとき、おばあちゃんだけは豚肉だったやろ」

 うん、そうだったね。

「それで、豚肉は中までよく火を通さないといけんっていってから、おばあちゃんは黒焦げになるまで焼きよったけんさ」

 はあ。

「それで、おじいちゃんがくさ、もう焼けとるけん、はよ食べんしゃいって言うたら、おばあちゃんが怒って怒って、親の仇かってぐらいに怒りよった」

 いや、それは知らないなあ。

「うん、知らんやろ。だってみんなが帰ったあとに怒ったけん。誰も知らんの」

 ああ……。

「食べんしゃいって言ったとき、おじいちゃんがちょっと箸で肉を寄せたらしいんやけど、いや自分では覚えとらんのやけど、そのときに牛肉の小さいやつが豚肉にくっついたらしいったい。それで、怒って怒って」

 ああ、焼けている肉をまとめて端に寄せたら、おばあちゃんの豚肉に牛肉が混入してしまったということか。

「そうったい、もう鬼のごと怒りよるけんね」

 鬼のように。そこまで牛肉を強く拒絶しているとは。でも、どうして? どうしておばあちゃんは牛肉を食べないの。

「さあ、知らんねえ」

 おじいちゃんもか……。いやほんと、なんで聞かないの。妻が突然「牛肉は食べない」って言い出したら、理由を知ろうとしないのはなぜなのか。不思議でならない。


 結局、身内で理由を知っている人はひとりもいなかった。

 このまま諦めるか……いやいや、私は好奇心旺盛なエンジェルだ、もうこうなったら本人に直接尋ねるしかない。


「おばあちゃーん、なんで牛肉は食べんと?」

「夢に牛が出てきて、感動したけん、もう食べんと」


 あっさり教えてくれた。


 というわけで、「こういう理由らしいよ」と私は親戚に話したが、みんなの反応は薄かった。みんなもうちょっと人に関心を持って! という気持ちであるが、でもまあ、関心があり過ぎて詮索したり、余計な口出ししたりするよりは良いのかもしれない。


 その後、祖母は善光寺参りにいった。ヒンズー教じゃなかったようだ。牛の夢をみたことで、善光寺への信仰に目覚めたらしい。

 牛に引かれて善光寺詣り、という伝説がある。その内容はこうだ。欲張りなおばあさんが牛に布を奪われ、取り返そうと牛をおいかけていくと善光寺にたどり着く。そのお寺で、おばあさんは如来様と出会い、これまでの自分の行いを反省し、信仰に目覚めるというものだ。祖母はその伝説に自分自身を重ねたようだった。


 善光寺から帰ってきた祖母は、私にサンゴの根付とシャコ貝をくれた。七宝だそうだ。七宝というのは仏教において宝物とされているもので、「金、銀、瑠璃、玻璃、サンゴ、シャコ貝、めのう」のことをいうそうだ。

 七つの宝のうちサンゴとシャコ貝をくれたわけだが、海に関するものだけを選別したようなラインナップである。「エンジェルを守ってくれますように」とのことであった。なぜこの二つを選んだのか、そういえば聞いたことがない。なんとなくスルーしてしまった。やっぱり私もこの一族の人間ということなのだろう。


 私の人生、紆余曲折というか常時曲がりっぱなしの急カーブの連続で一体どこへ向かっているのか本人でさえわからないような有様だが、それでも日々しょうもないことで笑って生きていられるのは、祖母が遠いところから見守ってくれているからなのかもしれない。


 ちなみにシャコ貝は引っ越しのときに捨ててしまいました、本当に済みませんでした、だってあまりに大きくてですね、白菜ぐらいのサイズだったし、場所をとるし、賃貸ワンルームのどこにシャコ貝を飾ればいいのやら。だいたい引っ越しのたびに巨大貝殻を梱包するのも……いや、言い訳はよくない。エンジェルは本当にダメな天使です。

 でも、もらったサンゴの根付は今も大事に持っている。お守りだ。



 さて、話をワイロ手帳に戻そう。話がずれにずれてしまって、もはやお忘れかもしれないが、本エッセイの主題は曾祖父のワイロのことである。


 曾祖父のワイロ手帳には、お金のことだけでなく、「参謀役」という言葉とともに男性の名前が書かれていた。つまり選挙のブレーンがいたのだ。ワイロの共犯でもある。何者だ。名字に心当たりはなかった。知らない人だ。おそらく近隣住民ではない。しかし、そう遠く離れたところに住んでいる人だとも思えない。家の表札を一軒ずつ見て回ったら、いつか同じ名字の家が見つかるかも……。


 その参謀役の子孫に会ってみたいと私は思った。


 もし参謀役の子孫と会えたとして、このワイロ手帳を見せたらどう思うのだろう。嫌な気持ちになるだろうか。まるで関心がないということもあるかもしれない。あるいは大笑いするか。私は大笑いするほうのタイプだったが。


 いつか探しにいきたいと思って、手帳をお寺さんに預かってもらっていた。預かってもらうといったら表現が正しくないかもしれない。納骨堂のうちの一族のスペースに勝手に置いておいた。ここに置いたものは何であれ、誰も盗っていったりしないだろう。戦地で撮影された写真も一緒に置いておいた。

 それがいけなかった。残念なことに手帳は失われてしまった。写真もだ。親戚によって処分されてしまったのだ。「子供たちに見せたくない」とのことであった。むむ、確かに、まあ……。


 参謀役の子孫を探したかったのにな。がっかりである。


 もちろん私としては、たとえ参謀役の子孫を探し当てたとしても、本当に名乗り出るようなことをするつもりはなかった。さすがに迷惑であろう。

 ただ、ちょっと家ぐらいは見てみたかったのだ。私の曾祖父と組んでワイロ作戦を仕掛けた人の子孫が、今どういう感じなのか、遠くからそっと雰囲気だけでも覗いてみたいと思ってしまったのだ。

 参謀役の子孫の生活ぶりを知ってどうするんだという話ではあるが、何かそこに人の歴史というか、人のかかわりの中に生まれる一種のおかしみ、連帯意識、共感、気まずさ、戸惑い、同じ時代に生きているという実感、そういうものがあるのではないかという予感があり、家を見にいって、それらをひとりで勝手に感じ取って、自分の感情がどんなふうに揺れるのか、眺めたかったのだ。


 あるいは、子孫で再びタッグを組んで、令和の選挙に挑んでみてもいいかもしれない。もちろん私たちの世代では、ワイロなしでクリーンに選挙を勝ち抜くのだ。面白そうじゃないか。令和になったというのに、いまだに汚職まみれで時代おくれな政界に新風を吹き込むのだ。


 しかし、参謀役の名前を私は覚えていない。

 だから、そういう機会は永遠に失われてしまった。


 以上、なんだかスッキリしない不完全燃焼な感じのままではあるのだが、曾祖父の話はこれにてオシマイである。

 茹でた鶏肉に醤油をかけただけのものを自信満々に振る舞う、そんな天使の書いたエッセイなので、まあ、こんなもんである。

 <了>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

曾祖父のワイロ手帳 ゴオルド @hasupalen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画