第二話 ワイロとして味噌を配る

 その手帳には、選挙に当たり軍資金は幾ら用立てる等々の資金繰りのことが書いてあった。これ自体は何も問題はない。

 問題は、そのあとの記述だ。

 人名と住所が書いてあって、その次の行に「味噌」とか「醤油」とか「酒」とか書いてあるのだ。それぞれ日付も入っている。それが数十人分あった。


 つまり、これは、どこの誰にワイロとして何を贈ったかということをリスト化したものなのであろう。


 嘘でしょ。

 私の曾祖父、何やってんの。逆に笑ってしまう。なんだこれ。


 ただワイロといっても、酒、味噌、醤油、米などの食品ばかりなので、現金ほどの生々しさはない。とはいえワイロはワイロ。はあ、情けない。こんなのって公職選挙法違反になるのでは……ん、あれ?

 曾祖父が立候補した時期は、大正時代から昭和初期にかけてぐらいだと思う。この頃はまだ公職選挙法(昭和25年施行)はない。ということはセーフなのか? いやいや、やはりアウトだろうな。法律がなくったって悪事は悪事なんだから。アウト。


 それにしてもなんちゅう記録を残してんの。どういうことなの。ワイロを送った相手のリストを、どういう目的でつくったのだろう。落選したらお礼参りにいくとか、そういう物騒な目的のための記録なのだろうか。「おまえにやった味噌を返しやがれ」みたいなこと? せこくない?


 その手帳には、ワイロのこと、お金のことばかりが記されており、掲げる政策や公約のたぐいは一切書かれていなかった。もう~! ワイロだけで当選しようとしている~! ひどいね。


 そんなワイロまみれの選挙で、曾祖父が当選したのかどうか、それはわからない。親戚に聞いても、誰も知らないという。ということは落選だろう。さすがに村長になったことがあったら、誰かが知っているだろうし。


 ワイロに手を染めて、落選か。情けないにもほどがある。そもそもの話として、味噌を配ったぐらいで自分に投票してくれると思うところが甘いのだ。

 こんな見通しの甘い先祖のおかげで、いまの私があるのだなあと思うと、私だってちょっとくらい変人でもいいよね~許されるよね~エンジェルだもんね~という気持ちになってしまう。親戚に一人はいるという「変わった親戚」の枠は私がいただいた。


 イトコたちは医者になったり社労士になったり、なんか立派に育っちゃって、私だけが落ちこぼれなのは、きっと私には曾祖父の血が特別濃く受け継がれたからに違いない。茹でた鶏肉に醤油をかけただけのものを自信満々に振る舞う感じの天使として令和の社会で生きている。


 天使なので保険とか年金とか老後とかについて考えるのがすこぶる苦手である。それでも頭がクラクラしながらがん保険に入ったり、なんだか騙されたような気持ちになりながら個人年金保険を掛けたりするなどして、どうにか頑張っている。


 また、口座を持っている銀行からは頻繁に電話が掛かってきて「NISAを始めませんか」などと勧誘されているのだが、天使には投資という概念は理解できないのでお断りしている。

 だって祖母も言っていたのだ。「博打と○○は傾国の遊戯であるから、決して手を出すな」と。○○が何だったのかは忘れてしまった。そういうところがいかにも天使である。人間世界のことなど知ったことか。



 話が逸れた。逸れたついでだ、ここで祖父のことを語りたいと思う。

 祖父は、助役として長年勤めた。助役っていうのは、今で言うところの副市長とか副町長とか副村長とか、そういう役職だ。

 祖父がそういう道に進んだのは、親の願いを叶えたかったということなのだろうか。もしや曾祖父の命令で……? その辺の事情も気になるところだが、残念なことに祖父はもう他界していて、聞く機会は永遠に失われてしまった。

 だから想像することしかできないが、きっと父と息子の物語がそこにはあったのだろうと思う。


 ただ、私は助役時代のことを祖父から聞いたことはない。首長(市長とか町長とか村長)が変わっても助役はずっと変わらなかったというから、かなり長い間勤めたはずなのだが、一度も聞いたことがないのだ。

 祖父は、一番末の孫娘であるエンジェルに対して「おじいちゃんはお米を育てる仕事をしとるとよ」と説明していた。確かにお米は育てていたけれど、なぜ助役の話はしなかったのだろう。幼いエンジェルには理解できないと思ったのだろうか。それとも、本当は助役という仕事を嫌っていたのかもしれない。親孝行のために我慢して進んだ道だったのかも……。

 あるいは孫を守るため? 孫が「あたちのじーじは、じょやくさんなんだよぉ」などと言いふらして、それでエンジェルが危ない目に遭ってはいけないと考えていた可能性もある。だとしたら愛を感じるよ、おじいちゃん。実際、天使誘拐の犯行予告を受けたこともあったらしい。だが、はったりに違いないということでスルーしたらしいが。それはスルーしてよいのか。何事もなかったからよかったが。


 祖母は、いつも祖父を悪く言っていた。親の決めた結婚で、夫婦仲は決して良くなかったし、恨んだことさえあるようだ。

 だけど、子どもたちを連れて議会の傍聴にいったとき、祖母は「お父さんがいじめられて可哀想」と、涙を流したという。

 聞いた話では、議会では首長は卑怯にも答弁を避け、助役である祖父がかわりに矢面に立ち、議員たちからボッコボコに政策を批判されていたらしい。息子も娘も、「まあ、議会だし、こういうもんでしょ」と淡々と受けとめていたので、涙を流す母を見て、ちょっとビックリしたそうだ。

 ――なあんだ、お母さんたら、ちゃんとお父さんを愛してたんじゃん。

 祖母は、人生でその一度しか議会を傍聴しなかったそうだ。「議会に行くと、お父さんが可哀想でとても目を開けていられない」とのことであった。

 夫婦とは不思議なものだ。ふだんあれだけ忌々しそうに愚痴をこぼしているのに、夫がよその誰かから悪く言われることには耐えられないのだ。


 その祖母も既に他界してしまった。ああ、そうだ。祖母について、ひとつ忘れられない思い出がある。

 私が中学生のころ、とつぜん祖母が宣言したのだ。

「私はもう二度と牛肉を食べない」

 理由はわからない。誰も理由を尋ねなかったから。

 一般的に身内というものは、相互に関心を持つもので、急に何かを食べないなどと言い出したら、誰かがその理由を尋ねてもおかしくないはずだが、うちの一族はスルーした。「ああ、そうなの」という感じの反応をしただけで終わった。どうもうちの一族にはそういうところがある。


 たとえば私の人生が迷走しており、働いているのかいないのか、結婚の予定はどうなのか、そういうことも全然聞かれたりしないし、イトコが「今度、結婚することになった」と報告してから、かれこれ十数年経つが、誰も突っ込まない。

 伯母が太宰府で行われる曲水の宴に参宴し、十二単を着て和歌を詠んだことがあると言ったときも、「伯母さんって和歌を詠めたの? そんなの一度も聞いたことがないんだけど」と私は疑問に思ったが、誰もがスルーした。

 伯父が勲章だか褒章だかをいただけるということで東京に行ったときも、一族の関心は「東京土産に何をもらうか」のほうであり、伯父の何が国に褒められたんだか、詳細を誰も知らない。私はお土産として東京でしか買えないチョコレート専門店のチョコをもらった。美味しかった。あとで調べたらそのお店は通販をやっていた。嬉しい気持ちにちょっとだけ水を差された気持ちになった。

 また、「みんなは知らないと思うけど、俺はもう随分前から独身なんだ」と、急に離婚の事実をカミングアウトしたイトコの靴下に穴が空いていても指摘することはない。その穴が直系10センチ以上あったとしてもスルーである。それってもはや穴というより靴下破れてない? というレベルであっても誰も動じない。言うまでもなく離婚についてもスルーだ。


 親族の身に何かが起こっても、詳細を訊ねない一族である。


 これも曾祖父の血のせいだろうか? 何でもかんでも自分のせいにされてしまう曾祖父も気の毒ではあるが、しかし、もはや私は「ええい、おかしなことは全部が全部、曾祖父の血のせいということにして片付けてしまえ」という、そんな気持ちになってきている。


<次回、「ワイロ選挙には参謀役がいたけれど……?」に続く>

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