曾祖父のワイロ手帳

ゴオルド

第一話 曾祖父の悪事

 曾祖父そうそふのワイロ手帳。


 今はもうこの世に存在しない、その手帳について。

 私がまだ記憶しているうちに、ここに記しておこうと思う。


 「ワイロ手帳」とはなんぞや。

 その前にまず、曾祖父について紹介したい。


 私の父方の曾祖父は、とある商家の次男坊として誕生した。次男なので家を継げず、我が一族に婿むこ入りした。まず、ここが始まりである。


 そんな曾祖父は、「なんだかよくわからない人だよね」という印象だけが一族に伝わっている人物である。人柄も、職業も、交友関係も、戦争に行ったのかどうかも、全然わからない。

 ただ、戦地で撮影したと思われる血なまぐさいモノクロ写真がたくさん家には残してあったから、この撮影者が曾祖父なのではないかと私はにらんでいた。曾祖父はたしか明治時代の生まれで、カメラなんて一般人が気軽に扱える時代じゃなかったはず。つまり曾祖父はカメラマンだったのでは?


 しかし、私の父が言うには、曾祖父は料理人であったらしい。得意料理は鍋もので、これが驚くほど不味かったそうだ。一番得意なものでさえ不味くつくる腕前だなんて、さすが私の曾祖父。期待を裏切らないポンコツぶりである。鶏肉を茹でて醤油をかけただけの水炊き風のものを振る舞ってきて、どうだうまいだろうと自信満々に笑う、そういう人だったらしい。

 それでよく商売が成り立ったものだと思ったが、祖母は違う、そうじゃないという。


「ひいおじいさんは、宿屋の亭主やったよ」


 料理人ではなく宿屋の人だったというのだ。うちの父はアレな人だから、自分の祖父の職業さえ把握していなかったのかと思いきや、伯父も伯母も全員が、「え、ひいおじいちゃん? さあ、何やってた人だっけ?」という感じなので、おそらく曾祖父の仕事ぶりが適当な感じだったのだろう。あるいは一族全員が、身内の職業すら覚えられないほどポンコツなだけなのかもしれないが。


 さらに、祖父からは、まったく別の証言が飛び出した。

「ひいおじいさんは、結婚式場をやっとったよ」


 料理人なのか、宿屋の亭主なのか、結婚式場の経営者なのか、ということになってきた。つまり、これってホテル? ホテル業ってことかな。それならきっと記念撮影もやっていたのだろう。曾祖父の生家は商家だから、そのつてを使って当時は珍しいカメラを手に入れていてもおかしくない。カメラ持参で戦地へ行き、写真を撮ってきたのかも。

 ただ順番がわからない。戦争に行ったのが先なのか、ホテル業が先なのか。どちらにせよ家に残されていた戦地の写真は、やはり曾祖父が撮影したのだろう。むごたらしい写真ばかりだった。敵兵の体の一部を切断し、それを持ち上げて、カメラに笑顔を向ける兵士たち……。人から譲り受けるようなものではない気がする。とはいえ確かな証拠は何もないから、断言はできないけれど。


 そういうわけで、おそらく曾祖父の職業はホテル業で、戦争にも行ったようだということで一旦は納得していたのだが、平成になり、村の神事に使う土地の登記簿に曾祖父の名前が載っていることが判明した。

 役所が突然「神事で使う土地の固定資産税を払え」と手紙を寄越してきたのだ。一族全員、寝耳に水であった。

 その土地は村の有力者である男性数人の共同登記で、うちは全然有力者じゃないのにメンバー入りしていた。なぜ。理由がわからない。そのため「曾祖父は神主だったのでは?」という新説が生まれ、うちってそういう家系なんだっけ? という新たな疑問を呼び、結局何なのかわからないのである。



 そんな曾祖父が残したワイロ手帳を最初に発見したのは、私の父だった。家の物置にしまわれていたのだという。


 曾祖父が残した家は、ホテル業の営業場所であるはずなのだが、玄関がやけに広い点を除いて、一般的な家屋の間取りとさほど変わらなかった。ただ、自分たちがふだん使う部屋以外には、大部屋が四つあった。それらは結婚式をするには少し手狭で、だけど、宿として使うには一つ一つの部屋が広すぎる気がした。なんとも中途半端だ。


 これは私の推測だが、結婚式のときには、ぎゅうぎゅうに新郎新婦とその親族を部屋に押し込めて記念撮影もやって、宿屋として営業するときには、お客さんを大部屋に雑魚寝させるスタイルだったのだろうと思う。おそらく格安ホテル業だったのだ。それなら鶏肉に醤油をかけただけのものを出しても文句も出ないかも。


 坪庭には小さな池があって鯉を泳がせるなど風情もあり、格安ホテル業のわりには結構良い屋敷であった。ただ築年数がわからないほど古かった。土地自体は、江戸時代後期には既にうちの一族のものであったようだが、建物をいつ新築したのかがわからない。


 この古い家はじめっとして、苔のにおいがしていた。坪庭もみっちりと苔むしていたのを覚えている。


 幼いころの私は、

 天真爛漫、笑顔をたやさぬ女児であった私は、

 くるくるの巻き毛もあいまって、近所の人から「天使のよう」と言われていた私は、

 そうエンジェルの異名を持つこの私は、

 この坪庭を気に入り、苔を撫でたり、池の鯉を撫でたりして喜んでいた。鯉は祖父が網で捕まえてから撫でさせてくれたのだが、そのせいで鯉は死んでしまった。


 天使が鯉を撫で殺すなど許されていいのか、いや、いいはずがない。そういうわけで私は魚が好物だが、鯉は食べない。せめてもの罪滅ぼしである。そもそも鯉を食べる機会なんて全くないので、余裕である。いいのか。それでいいのか。私の天使としての贖罪問題はさておき、家がじめっとしているのは、おそらくこの池のせいだ。


 もともと池なんてなかったのに、祖父が鯉を飼いたいからと池をつくったのだ。おそらくそのせいで湿気が屋内にこもるようになってしまったのだろう。そうなれば当然木材は傷むので、強風で戸が外れて飛んでいったり、外壁の板が外れて散乱したりして、近隣に迷惑をかけてしまった。


 なお、本題とは関係ない話ではあるが、鯉を撫で殺したエンジェルはその後、不登校になったり高校中退したり転職ばかりしたりと人生が迷走することになるのだが、背中に翼の生えた存在なので、人の世ではうまく生きていけないのもしょうがないのだ(そうかな!?)。


 天使のことはさておき、壊れかけたその家は、一時は古民家レストランだったかカフェだったか、そういう商売の人に貸していたこともあった。だが、建物の基礎にガタがきていることはどうにもならず、また一族の誰も住む気もないため、取り壊すこととなった。


 家を壊す前、屋内の荷物を片付けることになり、父がそのときに曾祖父の手帳を発見した。


 そこに書かれていた新事実。

 それは曾祖父が「村長選に立候補した」というものだった。

 まさかの村長である。いやいやいや、そんなの聞いてないし。


<続く>

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2024年11月30日 19:00
2024年12月1日 19:00

曾祖父のワイロ手帳 ゴオルド @hasupalen

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