一角獣のため息

帆尊歩

第1話 初めての嘘



電車の窓から見える景色は明らかに郊外だ。

ほとんど来たことのないところ。

今日は初めてジイジに会いに行く。


「いいか圭、あの明るい星と、その上の明るい星とその下の三つ。シリウス、プロキオン、ペテルギウス。合わせて冬の大三角形が構成されて、その間に一角獣座というのがあるんだ」とジイジは孫娘と秘密でも共有するかのように、幼い私に言った。

「一角獣?」

「ユニコーンともいう」

「ユニコーン?」

「頭に大きな角があるお馬さん」

「へー、見てみたいな」と幼い私は嬉しそうに言った。

厳密に言えば架空の生物なので、馬でもない。

そんなことがあったけれど、ユニコーンの事なんかすっかり忘れていたころ、ジイジはおそらく認知症になった。

誰も認知症と言う言葉を言わない、でも財布やカードを忘れるようになり、それを人が盗ったと疑うようになって、騒ぎ出す。

みんな言葉こそ出さないが、客観的な状況を見ると認知症だ。

ジイジは正常なときと、そうでないときが波のように繰り返していた。そしてそうなったジイジは私に、ユニコーンという言葉を言うようになった。

それは、ユニコーンを見たか。ユニコーンを見に行こう。そして私をユニコと呼んだ。

「なんで、お前がユニコーンなんだ」とパパとママはいぶかしんだけれど、私はとぼけた。あんな小さいときの冬の大三角形と一角獣座、そんなことがジイジの中ではとても印象に残っていたんだなと思った。

ママはジイジから、泥棒扱いされて、最初は落ち込み、次にいいようのない怒りを覚え、その怒りはママの心に沈殿していった。

病気なんだという事で自分を納得させるため、一番初めにジイジの認知症を疑いその言葉を使った。

私は大きな付箋にジイジの病院の受診日や薬の時間、火の元の確認など様々な注意書きをジイジの見えるところに張りまくった。それでもジイジは記憶が交錯したり、同じ事を何度も話し、それを指摘しても全く心あたりがないから、自分が同じ事を繰り返し言っていることも認識出来ずにいた。あげく、声を荒げるようになった。


私はおじいちゃん子で、仕事が忙しいパパとママの代わりにいつもおじいちゃんの側にいた。小学校の授業参観だってジイジが来た。

「圭ちゃんのお父さん、おじいちゃんみたい」と友達に言われた。

「だって、おじいちゃんだもん」

「そうなんだ」あれから十年が経っていた。


いつも側にいた私も来年は専門学校を卒業して、就職する。すると家にもあまりいなくなる。だからジイジは施設に入ることになった。

正常な時のジイジは、全く普通なので、絶対に施設に入るなど拒否するから、ちょっと遠い病院で検査を受けようと説得した。

出掛ける朝、ジイジに内緒で、着替えなど必要な物を車に積み込み、そんな事にジイジは何かを感じたのか、車を降りようとした。だから私は、耳が遠くなってしまったジイジの耳元に口を持って行き、すぐ帰れるよと嘘を付いた。

ジイジはどんなに物を忘れても、私だけは心から信じてくれていた。それはパパよりもママよりも、だからどんなに疑っても私が言うことは信じてくれた。だから私はジイジに嘘はつけなくなった。でも車に乗ったジイジに私は初めて嘘を付いた。

「すぐに帰って来られるよ」と。

あんなに私のことを信じてくれていたのに。

あんなに私の事をかわいがってくれていたのに。

だからジイジは私が言うことだから、無条件で信じて、車に乗って行ったのに。



さすがのジイジも、私に怒っているかもしれない。

でもそれは仕方がない。

あんなに私の事を信じていたジイジに嘘を付いたこと。

裏切った事に私は何度泣いたことかわからない、でも後悔はない。

それは仕方のないこと。

たとえそれでジイジからどんなに恨まれようと。

それは仕方のないこと。

電車の中で、私の心が仕方のないことだと繰り返すと、いつしか涙がこぼれた。

もう泣き尽くしたはずだったのに。



施設の面会室に入って来たジイジは、少し痩せたように感じた。

対面したジイジはきょとんとした顔をした。

私が分からない?

「ジイジ圭だよ」

「圭?」えっ、ジイジは私のことが分からなく無っている。

でもジイジに初めて付いた嘘のことも忘れているようで、そこだけは少し安堵する自分がいた。

「圭だよ」ジイジは答えない。ただ私の顔を見つめる。

「ジイジ、ユニコーンだよ」試しに言ってみる。

「ユニコか」

「そうだよ、ユニコだよ」始めてジイジは私を見て笑ってくれた。

また私は涙が出そうになる。ジイジは私を圭として認識していない。ユニコだ、ジイジの中では、私はユニコーン、ユニコだ。

ジイジは歳の割にカッコよかった。出掛けるときはジャケットを着て、下にはワイシャツを着こなしていた。ここに来るときジイジは髪は短く切りそろえていたのに、今はかなり伸びている。身なりのしっかりしていたジイジが。

面会時間が終わった。

「また来るよジイジ」

「ユニコ、またおいで」私は一つため息をついた。

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一角獣のため息 帆尊歩 @hosonayumu

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