6 ねこむ

 まのびしたような週末がきて、昼過ぎに起きた武史は、シャワーを浴び、冷蔵庫の残りものをつまんだのち、最近定番のオーストラリアの動画をながめつつ、ごろごろしていた。


 ときどき、ヘリの音が聞こえるぐらいの平穏な土曜であり、武史はぼんやりと過ごしていた。

 

 それでも、起床時には秋晴れだった高い空に、ところどころ灰色をまとった雲が散らかり、ふとした瞬間に雷の音がごろごろと聞こえ、どきっとして上体を起こしたりもした。


 しばらくして、なんとなく落ち着かない気持ちになった。

 手持ぶさたといえば、そのとおりだが、彼女に連絡するきっかけもつかめず、武史は独りをもてあましていた。


 ふと、うしろ髪をひかれるように、武史はスーツに着替え、アパートをでた。


 西から一瞬ひやっとくるような風が吹いてきたが、雨がふりそうな気配はなく、武史はときどき足をとめて空をながめ、それからまた歩いた。


 そして、4駅さきのとなり町まで歩いてきて、自動販売機でエナジードリンクを買った。

 なぜそんなことをしたのかは武史自身わからなかった。

 

 そして、ハローワークを横目に通り過ぎ、やがていつもの時間に駅までやってきた。

 

 土曜日の夕方、駅にはいつもより乗客がいて、なぜかはわからないが(いや、わかる気もするが)、武史をみると、男女問わず多くが目をそらした。


 そして、武史をよそに、だれもが調子よく、浮かれているようにさえみえる。

 もうすぐハロウィンだからか?


 ゆるい風をまといながら電車が到着すると、武史はいつものシートのいつもの場所に腰かけた。


 それにともない、左右に坐っていたニコニコしながらスマホをいじっている小ぎれいなおばさんと、かん高い声でおしゃべりに花を咲かせている制服の下にジャージを履いた女子中学生二人が、武史から少し距離をとる。


 しかし、武史にはそんなことを気にしている余裕はなかった。

 まるで、かくれるところのない平原で遠雷を聞いているような気持ちになっていたから――。


 そわそわと貧乏ゆすりをする武史の足もとに電車の窓から西陽が射して――トワイライトぞおんが降りてきた。


「な……」


 思わず、武史は絶句する。


 いつものように、そこに不敵な笑みの猫がいるかと思いきや――吊り台から垂れた氷のうをおでこにのっけた猫がふとんに横臥していたのだ。

 おなかには熊のキャラクターが描かれたタオルケットがかけてある。


 猫は熱っぽさで顔をゆがませ、ふぅふぅと息をみだしており、体調をくずしているのは明白だった。


 武史が二の句をつげられずにいると、猫がふと武史に気づいた。


「きたのか……」


「まねまねさん――これは!?」


 武史はそばにかけよりたい衝動に駆られたが、足が少しも動かなかった。

 シートと足が、それでワンセットの銅像のようにかたまってしまっていた。


「うむ……しっぱいした」


「――失敗?」


 猫は苦しそうに顔を少しだけ武史のほうによじる。


「われはりかいせり……まさりたいという欲がもう負けているのだ……」


 猫は荒い息で話しはじめた。


「ねこの爪とぎは、世界のつくりかえである……超電子ダイニャモは、ねこ振動をうわまわるぱわーで、それを加速することができる……きのう、おぬしに所望したかんでんちで、われはダイニャモの金のねこの目をぴからせることにせいこうした……それはもうぴかぴかで、われはうちょうてんになった……まんしんである……。

 しかして、ダイニャモには使用せいげんじかんがある……おぬしもぞんじておろうな、これすなわち、1ぷんなり……。

 われは、ちょうしにのり、それをわすれて、10ぷんも使いつづけてしまったのだ……。

 それが意味するところは、じばくなり……われは、世界のつくりかえの代償を、みずからおんぶしてしまったのである……」


 世界のつくりかえ……?


「そう……おぬしの世界にある、もにゃもにゃをまとめて、もうひとつの世界に転じてみるというじっけんだったのだ……それをわれは、みずからに送りこんでしまった……」


 もにゃもにゃ……それがなにかはわからないが、それで猫が苦しそうでは洒落にならない。


「それで――まねまねさんは、どうなるんですか!?」


 武史は足がふるえるのを感じる。


「うむ……もうだめかもしらん……いかに、たましいが気高くとも、ひげのさきまで毒されてはいかん……」


 そんな……。武史はうろたえる。


「な、なんとかなりませんか。えっと、た、たとえば、動物病院とか、入院費ならたぶん、だいじょうぶ。ぼくの貯金ぐらいならぜんぶ差しだしますよ――」


 猫が目をぎゅうっと閉じた。熱っぽさが増している気がする。


「あ、たとえば、その装置でなにかを転じてまねまねさんが助かる代償がいるなら、えっと、ほら、ぼくの指の一本や二本くらいなら――」


 猫はふたたび目を少し開けて、武史をみる。

 よくみると、目のきわには真珠のような涙のあとがぽつぽつついている。

 ずっと苦しくて泣いていたのかもしれない。


「……われの名はまねまねにあらず……われはまねるとまねたのけいふをつぐ偉大な王さまねこの国の、ただの三毛ねこの子ども――八きょうだいの末ねこであり……ほんとうの名はチビなり……。


 うまれつき、からだがちいさく、なにをしてもおちこぼれだったため、だいたいなかまはずれであった……それを見返したいと思い、ばくばく食べすぎて、こんなにふっくらしてしまったのだ……。


 こんぱん、なにかできぬかと思い、ほかのきょうだいがあまらせて捨ててあったぱーつをひろって、しっぽふりふり組みたてたところ……たまたま運よく、ダイニャモができた……それで、こんどこそはと、ちょうしにのってしまったのだ……ねこはぴかぴかが好きなのでな……ねこに小判というだろう……あれはそういう意味なのだ……ふむ、油断である……」


 猫がやや涙目になる。


「ねこの世界からのつうしんは、じゅうよう事項ゆえ……ほんとうなら、おぬしの国のお大じんにつながるものらしい……それに、われのつうしんがおぬしにつながったのも、じつは名まえのせいではない……おそらく、おぬしもにんげんの世界のかたすみのもの……われもねこの世界のかたすみのもの……世界のかたすみどうしだからだろう……」


 武史は寒気を感じるぐらい、心が痛くなる。


「で、でも――それでチビさんが、なにかよくないものを背負うことになるなんて……おかしくないですか――!?」


 猫が目を細くする。


「いたしかたなし……だが、われのちからはよわっちいゆえ……もにゃもにゃのすべてあつめることなど、できはしないだろう……おぬしの世界にもたいした変化はおこるまい……」


「え……いや――」


 猫はおぼろげな目で武史をみる。


「おぬし、おーすとらりあが気になっているようだな……」


「え、はぁ……昔から好きだったもので――最近鬱々としていたものですから、ウルルとか、旅行なんかすれば少し気分も晴れるかと思って――」


 じつは武史は、どうせ就職が決まらないのであれば、来月の彼女の誕生日に、息抜きも兼ねて旅行にでも誘ってみようか思案していたのだ。 

 彼女とのあいだに壁ができていたので、なかなかいいだせず、それを誕生日につたえればいいかな、ぐらいに考えていたのである。


「でも、なんていうか、もうだめかもしれないですね……ぼくが悪いんでしょうし、期待に応えられていないんでしょうけど……最近、彼女とは少しズレてる感じがして――」


 武史はうつむく。


「うむ……ずれずれだな……かのじょは、おぬしに期待して、おんぶしてもらおうとしていたのではない……おぬしを視界にいれたまま、もうちょっと遠くをみていただけなのだ……われは、わんさかいる三毛のメスの一匹ゆえ……そのきもちがわかる……」


 武史は顔をあげる。


「おーすとらりあもいいが、いまでなくてよろしい……たんじょうびには、逢いにいき……目をみて、真摯に、これからもよろしくおねがいしますとあたまをさげるのだ……ケーキでも買ってな……われはケーキならだいすきだが、かのじょがだいえっと中なら花でもいい……意味のないものでいい……意味のないものこそいい……」


 武史の目に映る猫がごろごろとのどを鳴らした。

 満天の星空、月あかりのもと、だれかがチェロを弾いているかのような声音だった。


「うむ……そろそろ時間である……」


「え――そんな!」


「いきものはまわっている……またどこかで逢うこともあるだろう……われの目をおぼえておくのだ……」


「そんな――待って!」


 武史が手をのばすと、猫のいる空間が、まるでスポットライトが狭まるように暗転してくる。


「そばにいるひとをだいじにな……あいこそすべて――」

 

 ――踏切の音が聞こえ、武史はわれにかえる。

 シートに坐っているおしりが汗で冷たく、顔の血の気がひいているのがわかった。

 

 車内は夕陽につつまれ、乗客たちに変化はない。

 むしろ、陽気なぐらいで、笑い声さえちらほら聞こえる。


 すると、武史のスマホが振動する。

 メールだった。


「井之頭武史様

 お世話になっております。株式会社××の人事担当〇〇です。

 先日は、当社の面接を受けていただき、誠にありがとうございました。

 尽きましては、井之頭武史様を採用させていただくことが決定しましたので、その旨をご連絡いたします。

 今後の手続きにつきましては――」


 武史は思わずたちあがる。


「チビ――!!」


 瞬間、電車内が静まりかえり、左右の小ぎれいなおばさんと、制服の下にジャージを履いた女子中学生二人は、腰を浮かせて武史からさらに離れ、まえのシートにいた小柄の男性が露骨ににらんできた。


 しかし、武史はそんなこと少しも意に介さず、むしろ、なんにも気づかず、能天気な土曜の夜を迎えようとしている人々に苛立ちさえ覚えた。


 それでも、乗客たちは、そんな武史を意に介さず、迷惑そうな顔をしたのち、ふたたびおしゃべりに興じる。

 

 いかにも週末の夕べらしく、これから、ほんの少し胸がおどるような、ちょっとした楽しいことが予定されているかのように……。


 場内アナウンスが聞こえ、電車は駅へとすべりこんでいく――。


 立ち尽くした武史は、電車の窓に映る、みかんの色をした夕景をみつめていた。

 

 こんなに哀しい夕暮れは初めてで――ふいに武史の目から涙がこぼれた。

 それは猫が最後にがまんしたぶんぐらいの量の真珠の涙だった。

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ねこの半回転 坂本悠 @yousaka036

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