5 あらたむる

 翌日、じつはハローワークに用事はなかったのだが、武史はあえて赴き、余った時間は近くのホームセンターで生活用品を買い足して過ごし、雲が揚げたてのドーナツの色に染まる頃、電車に乗り――猫の登場を待った。


 列車で4駅はみじかく、15分足らずで、住まいの街に到着してしまう。


 すぐに出現しなかったため、武史はちょっと面食らったりした。

 

 金曜日だったせいもあり、周辺シートに坐ったり寝たりしている乗客はみな、一様につかれている。

 

 武史は、風体だけなら会社帰りに日用品を買ったサラリーマン風だが、じっさい倦みつかれているのは精神面だけである。


 おそろしいかな、猫を待っているせいで、目は冴えていた。

 

 しかし、くるぞくるぞと予想しているときにかぎって、すぐには顔をみせず、やや冷静になった武史が「あれ……今日はもうこないかな? え、もしかして、いままでぜんぶが夢?」と考え、感覚が不確かになって動揺してきた頃、ようやく猫がすがたをみせた。


「遅かったですね」


 武史は思わず、安堵してしまった。


「うむ、忙しかったのでな」


 猫は充実していたらしく、目がきらきらかがやき、ほんのり頬も上気している。

 そして、まるで溺れかけているみたいに両手で空をかきまぜながら「くわぁ」と伸びをする。


「昨日はてつやでしごとをした」


「え、すごいですね」


「うむ、五じかんしか寝てない」


 ……意見すべきか迷ったが、やぼな気がしてやめた。

 猫には猫の概念があるかもしれない。


「そりゃ、猫の手も借りたいほどですね?」


「……」


 武史の冗談は無視された。


「さて、われはすっかりおなかがぽんぽこぴーのぷーゆえ、さきに夜ごはんをいただくなり」


 猫はうしろから銀のアルマイトの弁当箱をだした。


「意外と古風ですね……」


 猫は興奮に耳をたて、もみ手をしながら舌なめずりをする。


「やらんよ」


「ええ、けっこうです。ぞんぶんに召しあがってください」


「では――」


 猫がみじかい両手で弁当箱のふたをもちあげた。


 すると――「わぁ」と猫が感嘆する。


 弁当箱のふたをかかげているさまは、まるでなにかの儀式のようだ。

 ちょっと、なんの儀式かは思いつかないけれど。


「どうしました?」


「うむ、なんたることか――」


 猫は目をぎらぎらさせながら、武史に弁当箱のなかをうながす。


 武史がおそるおそるのぞきこむと、そこにはまさかの銀河がひろがっていた。


 猫のいうタイヨウと、スイ・キン・チ・カ・モク……のような個性的な惑星と、無数の銀の砂粒のような星々が、瑠璃色の渦巻きのなかでぐるぐると回転して流れている。


 じっとみていると、吸いこまれてしまいそうな迫力だ。


「夜ごはんのしおむすびが天体に。われはここに、宇宙を創造せり――」


 猫の声がなぜか反響する。


 ふいに、トワイライトぞおんの各駅電車内が、ビー玉のような星々と暗闇に覆われ、まるで宇宙空間のようになりかける――。


 遊園地のアトラクションで瞬間的に無重力になったかのように、自分の身体が謎の浮遊感を味わい、武史は一気に不安になる。


「わ、ちょっと――」


 すると、猫が両手でもちあげていたふたを、わりと器用にすぽっと弁当にかぶせた。

 

 瞬間に、星くずを散らすようにして――世界がトワイライトぞおんにもどった。


 武史はドテンと着席し(じっさいはシートでややのけぞっていたものが、もとにもどっただけなので、姿勢をただしたぐらいのものだが)、目をしばたたかせる。


「な、なんですか、いまのは……?」


「メイカイにカイメイせり――みたか。これすなわち、新宇宙のあけぼの、気高きたましいの顕現なり!」


 猫が得意げに笑みをうかべる。

 もともとそんな顔だが、いつも以上に得意げで、ひげまでピンとしている。


「……どういうことなんでしょうね?」


 武史は両足にちからが入り、腰あたりに汗を感じる。


「ふむ、われのしごとによる余波であろう――」


「というと?」


 猫はわざと横をむいて(まるい顔がだるまのようにまわり)、わざと横目で武史をみる。


「われはこの数日、偉大なそうちを開発しておったのである。その総しあげを昨日てつやでおこなったのだ……」


 徹夜の5時間睡眠で――。


 猫がコッペパンのようなしっぽを二、三度ふると、目のまえにポールが現れた。


 長さは猫の身長ぐらいで、猫よりずっと細い円柱状の物体だった。


 べつだん、変わったところはないが、しいていえばポールのまんなからへんに、口をとがらせて、むすっとした感じの猫の顔があり、最上部には金色の平然とした猫の顔があった。

 どことなく、大阪あたりに立っていそうな趣きがある。


 そして、よくみれば、そこかしこに鋭利なひっかき傷がついている。


「……爪とぎですか?」


「ぬかせ――これは、その名も、超電子ダイニャモ。ねこ振動の億千万倍におよぶかきまぜ力をもった、偉大なそうちなり。昨夜、われは完成のじっけんとして、何度かがりがりやってみたのだ」


 がりがり?

 やはり爪とぎでは――?

 しかも、超電子……どっかで聞いたことがあるような。


「ほんの試うんてんで、まさかのこの奇せき。よもや、ヨウヘンテンモクおべんとうばこを生みだしてしまうとは……」


 猫はまぶしいみたいな目つきをして、顔を洗う。


「――む?」


 すると猫はめざとく、武史のあしもとにころがったホームセンターの買いものぶくろに気づいた。


「おぬし、かんでんちをもっておるな?」


「え?」


 そういえば、単三と単四のパックを買った気がする。


「所望するなり」


「え、ええ、まぁ、いいですよ。とりたてて必要だったわけでもないので」


「必要ないものを買ったのかね。まぁ、それについてはわかっておるとほめてつかわす」


 武史がパックを差しだすと、猫はすぱっと手をのばして、単四のほうをとった。


「ねこばばはせぬのだよ」


 にんまりする猫に、武史は愛想笑いを返す。


「たけし先輩の例もあり、ねこは電気がにがてだからなぁ」


 猫はうれしそうに口角をあげる。


「うむ、これはつかえる。ダイニャモのきこうをあらたむるにつごうよし。さすれば、これでもって、目をぴかぴかに――むむむ!」


 猫は右手に乾電池をもち、左手で超電子ダイニャモをささえて、春さきの繁殖期なみに興奮しているようで、毛がそばだってきた。

 どうやら、超電子ダイニャモを改造する思案をかさねているらしい。


「……その偉大な装置で、まねまねさんはなにを為さるんですか?」


 フーフー息を荒げている猫に反比例して落ち着いてきてしまった武史が訊ねると、猫はあきれたように流し目をしてくる。


「偉大なそうちですることなど、ひとつしかあるまいよ――」


 猫は鼻の穴をふくらます。


「これすなわち、偉大なことなり」


 武史が返答に困っていると、猫は「あしたをたのしみにしておれ。えんそくみたいにな」と不敵な笑みをうかべる。


「あ、すみません、明日は第三土曜日なんで……」


 ハローワークは休みなんです、といいかけて、じっさいそのために来訪していたかはあやしい気もして、武史はもじもじしてしまった。


 猫は目を大きくして、「そうか……」と少し驚いたふうだった。


 武史は迷いこんだ路地裏で、猫の集会に出くわした酔っぱらいのような気持ちになる。


 しかしすぐ、猫は目を細めて、毛をさかだてながら「うむ、準備がたいせつゆえ、もういくぞ。いかねばならぬなにごとも――」と去っていった。

 まんまるの身体がちからづよい跳躍ではずんでいた。


 夕闇の電車内で、武史は思わず、ため息をつく。

 それから、疲弊した乗客たちにまざって、少しうつむいた。


 そ知らぬ顔の猫が、くたびれきった乗客たちの、わずかな元気さえ吸いとっていったかのように、車内は静かだった。


 やがて、踏切の音が聞こえ、場内アナウンスがひびいた。


 その夜、武史は彼女に連絡して、猫について話してみようか迷ったすえ、結局やめてしまった。


 ただでさえ気まずいのに、難しくてほんとうに解けないなぞなぞみたいなまねまねについて、うまく説明できる自信もない。


 そもそも、まねまねについて語れば語るほど、武史自身がおかしくなったと思われてもふしぎではないかもしれない。


 そして、武史は布団に入ると、爪とぎをがりがりと、コーヒー豆を挽くような音をたててひっかくことで、たちのぼる竜巻のように、新しい宇宙を拡散させていく猫の夢をみた――。

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