4 しりとる

 翌日も、武史は折り目ただしくスーツを着て、出勤のていで四駅離れたとなり町のハローワークに赴いて、わりかし無為に時間を過ごした。


 日に日に出発時間が遅くなってきているが、ハローワークか図書館か公園ぐらいしか行くところがないのである。


 ちなみにスーツを着用するのは虚栄心であり、となり町を選んでいるのはなるべく知り合いに遭遇しないためである。

 

 ぜんぶ見栄だ。

 猫にばかにされても、ふしぎはない。


 当初、失業保険の手続きで世話になった就職支援サービスの係員にも、なにかしらを看破されてきたようで、若干態度が冷たくなってきている。

 意欲および希望職種がないことや、前職の従事期間が短すぎることも拍車をかけているのだろう。


「お手間なら、インターネットサービスをご利用いただいてもかまいませんよ?」とまでいわれてしまった。

 だれの手間かは明白である。


 初日に登録した事務職の会社のあくる日の面接で、人事担当者から「落ち着いているところは評価できるね。でも、きみ、自分になにが足りないかわかってる?」と、なかば同情的にいわれてしまった。


 武史は返事ができず、くふぅと漏らしただけだった――。


 それ以来の、もやもやした気分をひきずったまま、求人票をいくらか印刷してから、帰途につくと――やっぱり猫がでた。


 電車内はがらがらで、うす曇りのやや熟した柿のような色の夕暮れだった。


「わがはいなり」


「……はい」


「うむ、あいかわらず、わかっていないやつめ」


 猫はまるい顔の、ほぼないあごに、みじかい手をそえて、片眉をあげる。


「うん、気乗りしない顔だ? いつもそんなか」


「ええ、まぁ……」


「ふん、じゃあ、どうぶつ限定しりとりだ。おぬしから――」


 猫はまねきねこのように手を差しだしてくる。

 乗らないと怒られるんだろうね。


「そうだな、ほれ。ねこは気がみじかい」


 何十億年がどうたらいっていたように思うが……。

 武史はちいさくため息をつく。


「それじゃあ……ねこ、で」


「ふん、きづかいかね。くるしゅうない。こあら」


 うす笑いの猫の目にどきっとした。

 武史は昨夜、コアラの動画をみたのである。


「ら……らくだ」


「だいおういか」


 猫がにやにやする。


「ねこはイカがだいすきなり。げんきがでる」


 武史は流すことにする。


「か……」


 ちょっと、考えが詰まったのち、昨夜食べたパック寿司を思いだす。


「かっぱ」


「ふむ……」


 猫はななめうえをみる。


「ぱんだ」


 この猫も色をぬりかえればパンダになれそうだ――と武史は考えかけたが、猫が一瞥してきたので、寿司のあとのデザートにする。


「だんご」


「ほう……ごーたま、しっだーるた」


 猫は一回、顔を洗う。

 急に長文になり、なおかつ動物の概念をおしひろげてきたが、武史はつっこまない。

 猫も干支をひきずっているのかもしれない。

 とりあえず、夕飯のときにみていた動画のつづきを思いだす。


「タスマニアデビル」


「る? ……るぅ、おおしば」


 猫は態勢をくずす。


「もう飽きた。おしまい」


 え?


 猫はソファに寝転がったようなポーズになる。


「以上がおぬしに足らぬものなり。おぬしはそのどれかひとつでも、ほんきになって調べてみたらよい」


 猫はひげをこすりながら、あくびをする。


 なんだか強烈にばかにされた気がしてきて、武史はむっとする。

 すると、猫はふんと鼻をならす。


「にくしみをたぎらせてもあいては傷つかぬ。痛むのはじぶんじしんなり」


 また諭された。

 武史は胸にたまった息を吐く。

 たしかに、猫に怒るのは余裕がない証拠であり、なにかがよくない。


「まねまねさんは、なぜぼくのところにきたんですか?」


 話題を変えることにする。じっさい、疑問のひとつでもある。

 猫は三角のみじかい耳をぴこんとたてる。


「そりゃおぬし、おぬしがたけしだからだろう」


 え?


「なんだ、やはり無知無知である。偉大なる三毛ねこ、たけしをしらんのか」


「……存じあげません」


「は。おぬしの国の第一次なんきょく観測隊をひきいて、しょうわ基地で冬をすごした先輩の船乗りねこなり。オスの三毛ねこは縁起ものゆえ、航海のおまもり役をつとめたのだ。そりゃもうりっぱに」


「はぁ、それはそれは」


 武史はふと訊ねる。


「まねまねさんはオスですか?」


「どうみえるね?」


 え……まさかのミニクイズ。

 「わたし、いくつにみえる?」よりはるかに難易度が高い。


 よって、質問返しは質問で押しかえす。


「ところで、オスの三毛はどうして縁起ものなんでしょう?」


 猫はややのけぞった。


「そんなこともしらんとは、まさにぼうとく!」


「げ、すみません……」


 猫は、うにゃうにゃ手をふりまわしていたが、10秒ほどでおさまる。


「まぁよい。おぬしごときに本気で怒っては、ねこがすたる」


「……ありがとうございます」


 怒っていた気もするが。


「三毛ねこは、毛のいろのいでんしが、フーッ! えっくす染色体によるため、きほんてきにメスなのである。くわしくは調べるがよい、このぽんこつ。ちなみにオスの三毛は、シャーッ! 三まんびきに一匹くらいの、れあなそんざいなり。よって、船のおまもりくらい、へっちゃら……へっちゃらってなに?」


「ご教授いただき、恐縮です」


 ところどころ怒り冷めやらぬ雰囲気なので、猫に感謝しておく。


「そのたけしと、ぼくの名まえが偶然一致したことで、まねまねさんと出逢うことになったわけですか?」


「ねこ、三毛、たけしの奇妙でゆかいな符号なり。ちなみに、たけし先輩はさむいのがにがてなのに、ちょーがんばった。よって、おぬしの国に帰還したのち、ねこの世界にお大じんさまとしてまねかれたのだ――」


 猫はそのあと通例どおり、ふいに「時間である――」と消えていった。


 武史はその夜、エントリーシートを片手に作業するつもりで、つい三毛猫やたけしについて検索してしまっていた。


 細かい記載の意味は何度読んでもさっぱり理解できなかったが、オスの三毛猫が一種の染色体異常なのだということが、なんとなくわかった。


 3万匹に1匹、存在自体がレアにもかかわらず、三毛のオスには繁殖能力がないことが多く、あったとしても生まれた子に繁殖能力がそなわる可能性もまたちいさいらしい。

 のんびりと寝転がったり散歩したりしている三毛猫にも、いろいろあるものだ。


 たけしは、第一次南極観測隊の観測船「宗谷」にお守り猫として同乗し、樺太犬の仔犬とじゃれあったりして過ごしたが、大型通信機の高圧線で暖をとろうして感電したり、トウゾクカモメに襲われたりと、なかなか波乱万丈だったようだ。


 まねまねのいう、たけしが「ねこの世界にまねかれた」は「行方不明になった」ということらしい。


 武史はコーヒーをすすりながら、なんとなくだが、たけしがねこの世界にいったのであれば、そのほうがいい気がしてしまった。

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