6 黙された意図
あくる日の昼過ぎ――黒いスーツにうすいサングラスをかけた男女が、まるで影のように音もなく、アパートに来訪した。
そして、迷うことなく101号室のドアをノックし、大家を呼びだす。
「――だれだ?」
老人はこめかみをかきながら、眉間にしわをよせる。
「私たちは国立自然科学研究所のスタッフです」
女のほうが人懐っこい笑みをうかべて、大家に顔を寄せて、名刺を差しだす。
「なんだそれは? 営業なら興味ない。オレは昨日、老人クラブの飲み会で遅かったから、だるいんだよ」
「お手間はとらせませんよ――」
男のほうがすかさず話しかける。落ち着いた、よく通る声である。
「私どもは△〇県のО高原に主たる事務所を置く組織で、敷地内の植物園ではK大やK〇〇〇〇などとも提携して品種に関する研究などもしております」
「だから、なんだ?」
大家は眉をしかめる。
「聞けば聞くほどうさんくさいな」
「要件はひとつだけ――私どもは、203号室の永野一樹さんに用事があります」
「……永野?」
大家は二人をにらむ。
「あいつ、まさか、なにかやったのか?」
大家の鋭さに、女が口角をあげる。
「今朝がたな、近所の人から、ほれ、そこの公園に軽トラが乗り捨ててあって、ここまで点々と土砂が散らかってるってクレームがあったんだよ……」
大家は苦虫をかみつぶした顔をする。
「たどってみたら永野の部屋までつづいていてな、何度かドアをノックしたんだけど、寝てるんだか留守なんだかしらんが、まったくでてこなくてな――おい、面倒な話か? それなら警察を呼んでくれ、オレはかかわりたくない――」
大家の剣幕に、男女は一瞬だけ視線を交わし、女がささっと大家の手をとると、そこに白い封筒をつかませた。
冷やっとした女の手に驚いたものの、大家は手に残った封筒の厚みに内心驚く。仮に万札なら(そうにちがいないが)100万はありそうで、思わず息を呑む。
「私どもの研究機密にかかわることですので、ことを荒立てずに済ませたいわけです。ご理解いただけますね?」
大家はキューとのどを鳴らし、「まァ、オレも警察なんか好きじゃないしな……」などとしぶしぶなふりをしながら合鍵を渡した。
当然ながら、男女は大家の人間性を把握していたのである。
「内密にお願いしますよ」
男がほほえむと、大家は「オレはこのあと自治会の用事で出かけるから、よろしく頼むよ」と手をふってドアを閉めた。
すでに調査済みだが、平日であり、住人たちは全員、外出している。
男女は、そよ風のようにさりげなく階段をあがり、二階の永野一樹の部屋のまえまできた。
女がドアに耳をすませたのち、一度ノックしてみる。
しかし、無反応だった。
カラスの声がした。
男がサングラスを外して、ビジネスバッグのなかから、マスクをふたつ取りだす。
ふつうのマスクではなく、どちらかといえばガスマスクといった様相のものだ。
「技術部からの通達は、とにかく吸いこむな――だ」
「やぁねぇ。花粉があぶないってこと?」
「いや、ちがう――花粉に毒性はない」
男がマスクを装着し、女にうながすと、女は吐息をもらして倣う。
「とにかく、済ませるぞ」
そして、男が合鍵を使って即座にドアを開け、身体を割りこませるようにして入りこんだ――と同時に、まるで煙のように靄が押し寄せてきて、女が思わずひるんだ。
まるで暗雲のような色合いの濃厚な靄だった。
「なによこれ!?」
男はうしろ手でドアを閉める。
そして、返事をするよりさきに、部屋に踏みこんでいき、キッチンの換気扇のスイッチを入れた。
すると、次第に靄が減ってきて――出てきたおぞましい光景に、女がちいさく悲鳴をあげる。
「な! ちょっと――」
そこには、まるで憎しみと残忍さを備えた鬼女のような雰囲気をまとった大きなコオニユリが咲き誇り、その足もとでしわしわの枯れ木のようになって倒れている男がいたのである。
男は永野一樹にちがいないが、資料の写真とは似ても似つかず、全身から水分が完全に抜けきり、まるでくしゃくしゃの笑い地蔵といった様相で、死に絶えているのは明白だった。
「――手遅れか」
男がつぶやくと、ふいに触手のようなものが二人の眼前にニュルっと出現する。
みれば、永野の死体のしわくちゃの足から、もう一本、抜け出てきた。
コオニユリの根のようだ。
上根と下根は、見ようによっては醜い生殖器であり、それが宙空で獲物をさがすようにゆれていて、女は嫌悪感をあらわにする。
「気色わるっ、最悪……」
男は冷静に草刈り鎌をとりだすと、迷うことなく、ふたふりでそれらを切り落とした。
「処理だ――」
それを合図に、われにかえった女が、用意してきた灯油をユリと永野にふりかける。
ほぼ同時に男が着火し、頃合いを見計らって窓をたたき割り、二人は逃走した。
消防に連絡が入ったのはそれから10分後のことだった――。
滑空するカモメのように国道を走るセダンの運転席で、男はため息をつく。
「あれは食虫植物の胚を改良したものがまざったユリだ――」
女は助手席で、窓のそとをみている。
「……どうだか――」
「通達によれば、技術部の過失で植物園のビニールが裂けて、問題の種子が洩れでた――それがたまたま敷地外のコオニユリと交雑したということらしい」
女はしばらく沈黙したのち、呆れる。
「……どうだかね――」
「あれの危険なところは、蒸散作用というんだが――温度調節で葉の気孔から余分な水分を大気に発散させるさいに、ドーパミンのような物質をばらまくらしいんだな」
「ドーパミン?」
「ああ、それを吸いこむと、アレルギー反応がでたり、全身がむず痒くなったりもするらしいが、とにかく気持ちよくなっちまって、妄想がはかどる。そうやってアヘアへしてるときに、球根からでてきた根っこをつっこまれて体液を吸われて衰弱、やがて昇天と――そういうわけだ」
「はぁ……」
女は頸をふり、窓外をにらむ。
「……てか、あのど変態は、なんで一度、助けてやったのに、わざわざ舞いもどってきて、あんなバケモノを持ち去って、ごていねいに自殺してるわけ――?」
女は苛立ちをかくさない。
先般、組織が登山者を装った二人の競合組織の工作員を処理したのだが、そいつらが登山カードを提出していたせいで、地元で話題になってしまったため、別班がユリのそばで気絶していた永野一樹を救助した経緯がある。
そのとき女も永野の運搬を手伝わされた。
全裸の変態男を引きずって運んだことは、女にとって屈辱に近い。
「自分から食人ユリに抱きついていくんだからな……まァ、どんな妄想によるものかはわからないが、その手の性癖については、推して知るべしだ」
「わかるわけないわ」
男も失笑する。
しばらく進んだのち、男が長方形のカードをだす。女が関心なさげに手にとると、「合同会社サラダ・ファミリア――代表社員松本堅二」とあった。
「なによ、これ?」
「ニセのIDだろうね。玄関さきにころがってる作業着からはみ出ていた。永野一樹は変装も趣味ってことだ」
「――バッカじゃない?」
女がシートにのけぞると、男は微笑する。
「そうともいいきれない。どんぴしゃな名まえだよ」
「サラダ・ファミリア? ……野菜家族が?」
「ああ、まぁ、永野はそういう意味でつけたんだろうな――でも、サラダは古代ギリシャの頃、生の野菜に塩をかけたことに起因するラテン語由来の名称だ。要するに、野菜そのものじゃなくて、ドレッシングとかマヨネーズみたいな、味つけのことだな」
「へぇ」
「ついでに、ラテン語でファミリアは、奴隷を意味する。あのユリからすれば、永野は甲斐甲斐しく世話をしてくれたうえ、潤沢な味つけの栄養分を提供してくれる奴隷みたいなもんだろ――」
ふくみ笑いをもらす男に、女は「ハッ――くだらない」と呆れて、ふたたび車窓をみた。
昼すぎに発生したアパートのボヤ騒動では、ほかの住民は外出しており、けが人等はでなかったものの、203号室は全焼し、永野一樹が焼死体として発見され、消防などにより原因が調べられることになった。
大家は自治会の会合に参加しており、連絡を受けてあわてて駆けつけたものの、当然ながら二人の男女については沈黙をつらぬいた。金銭授受のこともそうだが、なにより住民たちへの説明や、警察への対処などやるべきことがたくさんあったうえ、永野一樹がなにをしたのかなど、知るよしもないからだ。
翌朝、大家が例の報酬の大半が修繕に使われることになってしまったことに憤怒しながら、もう一度現場を確認するべく部屋をでると、アパートの敷地にユリがあるのを確認した。
ずいぶん、背が高く、大ぶりの花弁をもつユリだった。
なんだこんなところに――だれかが植えたのか?
そして気づけば、外塀のなか――敷地内のあちこちに何本も生えていた。
花弁が湿気をはらんだ風にゆれる……。
全部のユリが自分をみているようで不快感が沸いてきた。
すると、全身あちこち妙にむず痒い気がしてきたうえ、なんだか目鼻やのどに違和感をおぼえて、大家は思わずくしゃみをするのだった――。
サラダ・ファミリア 坂本悠 @yousaka036
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