閑話 氷室 龍一
「貴方、りりあから宅急便よ。 早く来て」
4月も後数日で終わろうと言う頃、それは、私達夫婦の家に届けられた。
それは、直径20センチ高さ10センチほどの正方形の和紙の小包で、開封すると鉄製の缶の箱だった。
何だ?
蓋を開けると、そこには、びっしり黄金色に輝く芋けんぴが入っていた。
「芋けんぴ……」
「差出人はりりあですけど、送り状の字はりりあじゃないわ。 これは……きっと、…………稀に冗談も言えない人間の書いたものね。 まるで、初めて会う私に、大事な一人娘を連れていくのに、愛想笑いの一つも出来ない程生真面目で、無愛想そうな人が書くような、結婚適齢期を逃してもいけしゃあしゃあとしているような……男の人が書くような字に見えるわ」
妻はどうやら、彼に相当な嫌悪の念があるらしい。
気持ちは分かる。
自分も送り状の字を確認して、思わず若かりし頃によく目にした高校時代を思い出させる、しっかりと整った字画の几帳面な筆跡に苦笑いが溢れた。
これは、氷室 龍一の字だ。
「なぜ、芋けんぴ」
思いあぐねて居ると、娘からメールが来た。
お父さん、氷室さんが私の名前で、芋けんぴ送ったから、私が送ったって事にして欲しいって、メールの許可貰えたよ。
今日はメールなら、話して良いって。
芋けんぴ届いた?
おい、娘よ。
折角貰ったメールの許可を台無しにしてまいか?
氷室さんが送った事を、とどめにバラしている事に気付け。
まぁ、それ以前に、私は愚か母さんにも一瞬で即バレしているから、お前か使命を果たすこと事態そもそもが、不可能な任務だが⋯。
取り敢えず、返信を。
りりあ。
芋けんぴは、さっき届いた。
氷室さんには、心の中でお礼を言っておく。
元気にしているか?
そう、メールを送信した後、返事はしばらく来なかった。
返信を待つ間、久しく忘れていた学生時代の思い出を思い返した。
※
【次の者達4名を 停学 一週間 に処す。
二年 氷室 龍一 神木 要 松木 遥 菅原 慶太】
この学園は、生徒会長も、副会長も、する事をしてしまえば、停学になるのか。
と言うか、あの所業を校則に当てはめると、この処罰か。
校門から入ってすぐの中庭の中央に、落雷で折れた桜の木が根元から折れて倒れている。
校舎も至る所で、外壁が傷付き、所々の教室に窓の破損が見つかり、窓が割れたクラスの生徒は、理科室や家庭科室、図書室などを仮の教室に使う羽目になった。
季節は冬目前の11月で、クラスによっては、不平不満が殺到していたが、誰も件の元凶達に文句を言えるものは居なかった。
実際、全員が停学処分で、しばらく学校に来ないのだから、物理的にも言いようもない。
幸い、自分の教室は被害を免れていたが、何故か教室に入るなり、クラスメイトから、学園長室に呼ばれていると言われ、学園長室に向かった。
「懸君悪いけど、生徒副会長の柚木崎君を会長不在の間、手伝ってあげてくれないか?」
生徒副会長の柚木崎先輩は、お世話になっている神社の代表宮司の御子息で、日頃からお世話になっている。
彼の家に下宿させて貰っている身でもある為、願われれば是非もないのだが、昨日の騒ぎから、多忙そうで話をする機会がなかった。
「柚木崎先輩の手伝いですね。 承ります。ですが、柚木崎先輩と昨日、学校で会ったのを最後に、昨夜は家にも帰ってなかったのですが?」
「あぁ、放課後までには、片付くと思うんだよね。 まずは、出来る人で、ウロコを探しをして貰っている」
ウロコ⋯⋯。
鱗⋯それは、一般的には魚の皮膚を守る為の硬質の組織の事を指すが、まさか、魚のではあるまい。
「えっと、学園長⋯⋯。ウロコ⋯って、あの魚とかのですか?」
「君は、昨日見たものが魚に見えたのかい?」
いいえ、高層タワーマンション級の大きな龍に見えました。
「魚⋯では、無いですけど。 アレのウロコ⋯ですか?」
「そうだよ。神木家当主が、愚かにもイノチガケで呼び出した、蒼龍の鱗だ。 氷室くんが言うには、脇腹を雷で撃たれ、顔面をグラウンドに打ち付けたらしいんだ。 我に返った時には、脇腹焦げて、両方の頬が真っ赤だった。牙も少し欠けたと言っていた。 牙は、もう見つけて、彼に返した。残りは、ウロコだけ」
えっ、まあ、自分も特別クラスの端くれだ。
百歩譲って、物質破壊の超常現象や、空想上の万物の目撃位は、今更、蚊に刺される程度の事でもない。
※
昨日の出来事は、なんだったんだ。
氷室 龍一は、りゅうを降ろして生を受けた、この学園最初の特待生の一人。
その彼に挑み、見事、りゅうを学園に出現させた、神木 要。
神木 要と松木 遥は、氷室 龍一に、言ってはならない事を言った。
その時、氷室 龍一と行動を共にしていた柚木崎先輩はそう言っていたが。
言ってはならない事を言われ、氷室龍一は我を忘れて、突然、りゅうの姿に変わった。
タワーマンション級の大きさの身体で、彼女等を追い回した挙げ句、止めに入った菅原 慶太に向かって誤って突っ込み、彼の神が慌てて、雷を撃ち、相当それが堪えたのか、空に舞い上がってグラウンドに頭から倒れるに至った。
そして、我が校の生徒会長の氷室 龍一は、グラウンドに龍が頭を打ち付けて空いた大穴の前に、ぼろぼろの姿で立っていた。
自分はこの時、グラウンドに駆けつけて。
その様を自分も見にした。
口の中を切ったのか、口から血を流し、両方の頬に痛々しい擦過傷と脇腹からは、制服のブレザーもシャツも焼け落ち、そこから低温火傷状態の皮膚が見えて痛々しかった。
「馬鹿が。 この穴に、二人仲良く埋めてやる」
人の姿に戻った彼は、未だ怒りが収まらず、あろう事か、自分が顔を打ち付けできた穴に二人を生き埋めにしようとしたと。
「それは、やめて。 氷室君。 要ちゃんと遥を許してあげて」
そこに守護を受けているが故に唯一無事な菅原 慶太が二人を庇うように立ちはだかって押し問答が始まった。
彼が駆け付けた時、迫る氷室 龍一の目前に二人は仲良く尻餅をついていた。
「危うく滅ぼしかけた。 何の関係もない、周りを。 こいつらの悪ふざけで」
「僕も止められなくて、申し訳ないと思っている。でも、二人を埋めないで」
「ヒッキー、さっき言ったことは、訂正する。 私の神木家の当主としての役目は全部果たせた。 本懐が叶って満足してる。だから、もう二度と言わない。 埋めるのは、好きにして良いよ。でも、ごめん。遥は、見逃して欲しい」
「神木 要。 人に物を頼む時は、 あまつさえ、謝罪の意を示す時は せめて、相手が好まぬ呼称を避けてから、臨むものだ。 誰が、許すかっ! 却下だ」
激昂する氷室 龍一に、菅原 慶太の背後から稲光が幾つも走り、彼の神が現れた。
「君の言い分が、道理にかなっている事は認める。 でも、 慶太を悲しませるのは、許さない。 氷室 龍一、あなたの言い分も分かるけど、僕の大切な人とその友達を損なうなら、まず、僕が相手だ。 例え 僕が、君の神に及ばずとも、無関係なものの巻き添えを望まないなら、誠心誠意の謝罪は必ず、約束する。 和解してくれないだろうか」
「⋯⋯やむを得ん」
氷室龍一は、そう言ってその場に前のめりに倒れ込んだ。
教職員や学園長がやって来たのはそのすぐ後で、その時、一緒に行動を共にしていた柚木崎先輩が、またすぐ学園長に呼ばれて別れたきり、件の学園長室に呼ばれるまで、姿を見なかった。
※
「懸、助かるよ。 中々、うまくいかなくてさ」
「ウロコ⋯探しがですか?」
「違う、違う。 俺達は防衛担当」
は?
何それ、自衛隊?
「絶対、この学園内に在るはずのウロコを見つけるまで、此処に寄ってくる魑魅魍魎を阻むんだ。 何人か持ち回りで、特別クラスの卒業生や在校生で回してたんだけど、やっぱ夜は多くて、朝から徐々に減っては来たけど、まぁ、まだ来る時は来る」
「柚木崎先輩、徹夜ですか?」
「あぁ貫徹だ。 保健室で寝てくる。 悪いけど、生徒指導室にスタンバイして、頼まれたらお祓いの祝詞【のりと】、祓詞【はらいことば】を頼む。 もうすぐ、卒業生の神職達が帰るんだ。 在校中の神職見習いは俺とお前だけなんだとさ⋯⋯」
いや、学園長には生徒副会長の補佐を頼まれたのだが、内容が神職関係になるとは思いもしなかったが?と嘯きながら、生徒指導室へ向かい、何度か祓詞をあげた。
空にムカデや、道路から此方へ駆け寄ってくる真っ白な狐。
なまはげみたいなのも来た。
自分にはそんな大層なモノを祓う力は無いにせよ、そんな自分の傍に、なるべく力の強い人達が力を注ぎ、ブーストかけて気持ち良い位効果覿面だったのは爽快だった。
やがて、15時過ぎ頃、全部で6つの鱗が集まり、すべて大鏡神社での保管になったと、学園長の車で鱗を持った学園長と柚木崎先輩と僕で下校の途についた。
「柚木崎君と懸君で孤殿に収めて来て欲しい」
「すべての鱗を良いんですか? 神木があんなに欲しがって居たのに。 1つも残さず」
「あぁ、そもそも、神木 要の願いは、後世に鱗を残すのが目的だった。 願いは成就している。 だって、彼女は既に、自分の作品を見事完成させて、素晴らしい神様を連れて来た。己に悔いがある筈がない。 ただ一つ、自分が最後の材料を使い切ってしまった以外には⋯⋯」
「材料ですか?」
「そうだよ。神木が神の道具を作るのに必ず一つ必要になるのが、核だ。初代から受け継がれて来たそれが最後の一つだった。この後の世代の者達に必要だと思って、彼女はこの暴挙に出たんだよ。 良いか、悪いか?と言われれば 間違いなく悪いんだけど、もう後の祭りだ。 結果はオーライ。 うん、オーライ」
学園長は、自分にそう言い聞かせているようだった。
※
「お恥ずかしいのですが、僕も懸も力及ばずで、孤殿には入れません」
言葉の通り、学業も運動も優秀だったが、特待生には遠く及ばず、特別クラスには在籍しているものの、そっちの方は寧ろ弱者に近かった。
「二人で行って欲しい。二人は、レンズサイドに行けるだろう?」
「はい、ですが孤室も孤殿も、無理です。 普通の壁ではないので、通れません。 どちらの部屋も、どんな材質で作ったのですか?」
「それは、内緒だ。でも、大丈夫。これを使えば、君らでも行ける」
そう言って、学園長は2つのめがねを出してきた。
柚木崎先輩は目を見張った。
「これ、神木の【ぬきめがね】じゃないですか? 神木 要の作った」
「そうだよ、停学+αでお仕置きに預かっていたから、丁度良かった。 君たちも大鏡の者として一度、経験してきたまえ」
「えっ、何をですが?」
「行けば分かる、見てきなさい」
学園長に促され、大鏡神社の境内の隅の社殿に、ぬきめがねを使って品を納めて、学園長に無事、箱を納めたことを報告して、ぬきめがねを返した。
ぬきめがねで入った社殿に、窓や扉はなく、人どこか虫も出入り出来ない場所だった。
でも、確かにあの日、自分はあそこに足を踏み入れ、中に入ったのだ。
そして、秘密の言葉を目にした。
りゅうはいつでも、自由になれる。
いつか、飛んでいってしまっても良い。
でも、その日まで、りゅうを神木で守れるように
大鏡を壊してはいけない。
何だそれは。
今もずっと、思い出す度に、言葉の真意に疑問が沸く。
※
件の先輩たちの停学明けに、恒例の持久走大会があり、共に駅伝選手に選ばれた柚木崎先輩と走っていると、柚木崎先輩は大池を見ながら自分に言った。
「懸、あの時のアレって、ビルみたいに大きかったよな」
あの時のアレって、言葉に出来ないから、仕方ないが。
氷室 龍一が変身したりゅうの姿の事だと察した。
「えぇ、大きかったですね。 この世の終わりかと思いました」
「だな。でも、本来は、この池の内側全体が胴体の大きさで、中の島を浮かべて橋で結んでくつわにして、とじ込めたのが、神木の最初の作品だったんだ。
だから、あの日、アレって、実は中の島で割った池の大きさまでしか此処には出てこれなかったって理屈なんだけど、本当だろうか?」
確かに、タワマンレベルの大きさだったが、本来池の内側全体を胴体にして出て来たなら、それとは比べ物にならない超特大レベルだっただろう。
思わず、身震いする自分に、柚木崎先輩は首をかしけだ。
「あの日、孤殿に書いてあった言葉って、とてつもなく恐ろしいモノじゃないかって、思うんだ」
「……そうですね」
りゅうはいつでも自由になれる、なんて、とてもじゃないが、口外できない。
「でも、あれを書いた人は、きっと、誰よりも誰かのためでなく、あの中の島の結びをアレの為に作った。 そう思ったんだ。 よく分からないけど、懸、いつか、懸が実家に帰るまでだけど、俺、お前の事頼りにしてるから。 お前しか、俺とあの秘密の言葉も孤殿の中を知らないんだからさ」
柚木崎先輩とは、この地を離れる迄ずっと、親友だった。
今も、彼が自分をそう思ってくれているかは、今の自分には自信がなかった。
全部、手放して、娘と妻を連れて、あの地を逃げ出した自分には。
※
長い昔話を思い出しながら、随分時間が経ってから、娘からの返信が来た。
お父さん、私ね。
私、大変だったんだよ。
車で家を出た後、港で車ごと船に乗り込んで、博多まで行ったら、着いたの翌朝だったんだ。
氷室さんがホテルの朝食バイキング連れていってくれて、白いご飯に明太子たっぷりのせて、パンケーキにバターにメープルシロップたっぷりかけておいしかった。
普段は、氷室さんが何処に行くにも着いて来てくれて、申し訳ないけど、なるべく良い子にするように心がけてる。
新しい学校で、友達も出来たよ。
担任は菅原 千都世先生って言うの?
何か、お父さん知ってそう。
クラスメイトの神木 鏡子ちゃんと松永 清廉ちゃんが、いつも仲良くしてくれる。
そうそう、この前の呪いの時のカミサマは、私に呪いを押し付けた一之瀬 和総君が調教して、卒業までに何とかするらしいから安心してね。
私、毎日、何とかやっているよ。
突然、ホームシックで駅まで行ったりしないから、安心してね。
でも、お盆とか、お正月位は、会いたいな。
この前、バタバタでちょっとだけだったけど、お父さんと話せて良かった。
お母さんとも、話したかった。
二人とも、元気でいてね。
読んでいて、途中で涙が止まらなくなった。
何が悲しくて、娘を手放さなければ、いけないのか。
よりにもよって、氷室 龍一に娘を委ねざるを得ないのか。
あの日、一度だけ、彼を呪った。
停学明けに、持久走大会が終わった後。
体育の授業は講堂で女子は運動できたが、グラウンドが使えず、武道場等の特別室は、仮の教室にあてがわれたが為に、何を思ったか、近くの荒戸の海岸で男子は全校生徒寒中水泳の憂き目に遭った。
だが、当の本人達が、名前も呼べない様な恐ろしい事をやってのけ、張本人の真の髄たる氷室 龍一本人に一言も物言えない原状で、翌年、彼が卒業する最中、有志で卒辞に渾身の勇気と恨みを小刻み込めた。
「思い起こせば」
「今は懐かしい」
「学校生活」
「優しく、厳しかった」
「先生たち」
「停学に、なるぐらい【氷室君と神木さんと松木君と菅原君】達がケンカして空いた、グラウンドの大きな穴」
「居場所をなくして、たどりついた。 荒戸の海」
「荒戸の海」
「11月の海の水が冷たかった」
「冷たかった」
「とんだ巻き添えの寒中水泳」
「きっと、死ぬまで忘れません」
「忘れません」
神木 要と松木 遥は、お互を見合って笑い合うバカップル全開で。
その様子を溜め息混じりで見守る菅原 慶太。
終始、安定の不機嫌そうな仏頂面で正面見据えたま、傍らの柚木崎先輩にドン引きされながらのどこ吹く風っぷりには、腹しか立たなかった。
あの、氷室 龍一に、娘を託す羽目になるとは、思いもしなかった。
この歳になっても、結婚もせず、今までなにをしてきたか知らないが。
この歳になってまで、独り身らしいが。
独身【独神】も神の一環か?
の皮肉の一つも言ってやりたい。
第一部 【了】 2024年 12月 28日
龍の棲み家 ~LSW or LOL ~ 藤 慶 @shaolien
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