たとえ貴女がここにいないとしても

音愛トオル

たとえ貴女がここにいないとしても

 ぱらぱらとページをめくる――


 実際にはこの仮想空間でアンナ・ユユシキの情報化された意識が、閲覧中のアーカイブ内に現れる人々がしていた動作を真似ているだけだ。アーカイブの先を見るのにページを繰る必要はない。

 しかし、アンナは当該アーカイブ、当時の言葉で表現するところの「日記」資料を手に取ってからというもの、当時の人々の仕草をついなぞってみたくなるのだ。というのも、アンナはこの資料の中の「ある人物」に対して、特別な感情を抱いていたからだ。


「……サラ。会いたいよ」


 アンナはもはや会うことの叶わない資料の中の少女に恋をしていたのだった。



※※※



 西暦で言えば2000年を100年あまり超えた頃の資料。

 アンナが生きるこの現代から見れば、もはや遥か昔の時間を生きた人々の記録だ。その資料の時代の言葉を借りるならば「大学」にあたる高等教育機関のいち学生でしかないアンナはしかし、現在限られた者のみに閲覧が許可されたアーカイブをその手に有している。

 というのもその限られた者である既に有機的な肉体からアンドロイドのボディに換装し、200年を生きる高名な研究者である教授のもとで、アンナが学んでいることが関係している。膨大な量のアーカイブの整理作業中にたまたま見つけたある資料が、勉強に伸び悩むアンナの良い刺激になれば、と教授は思ったようだ。


「ほとんど古文書みたいな資料の同年代の子の生活なんか見て、私にどうしろって言うの……」


 アンナに言わせれば教授の提案はいささか懐古主義的にすぎる提案で、あてがわれた仮想の研究室に教授がしばらくオフラインであることをいいことに共通時間で1週間ほど資料を放置していた。ところが、さすがは年の功と言うべきか、結局勉強に行き詰ったアンナは暇を持て余し、興味本位で資料を手に取ったのだった。

 古文書と言ってもその時代には既に現在のアンドロイド工学の源流になった高精度な人型ボディが作られ始めており、「古文書」はアンナの誇張であると、当時の人々のために補足が必要だろうか。


「ええと……高校、2年生?17歳?当時の教育システムをざっと洗うところから始め……まあいいや」


 資料は文字情報だけの部分もあれば、音声情報や図表、映像の情報が含まれる部分もあった。ぶつぶつ文句を言いつつ、今までろくに触れてこなかった昔の生活に興味が湧き始めてきたアンナは、資料の1ページ目が映像資料であると知ると早速再生した。

 仮想空間のソファに腰かけるアンナを、まるで当時にタイムスリップでもしたかのように、映像資料が包み込んだ。


 ぱっ、と現れた研究室のようにも見える狭い空間――この時点のアンナは知る由もなかったがこれは当時の居住スペースにおける自室である――の中央に立つ人影。活発な動き、襟足でお団子にまとめた澄んだ雲のような色の白髪、明るい表情。

 資料の概要にこの「日記」がある少女のものであると記されているから彼女がその人物だろう。


「えー、あ、あ、聞こえますか?うん、音声は問題ないみたい。えー、おほんっ。この子が届いてからずっとこうするつもりだったんですけど。いつか未来でこの子に会った人に、私はメッセージを届けたくて」


 この子、と言っているがその指示代名詞が指す対象はなぜか映像には含まれていない。


「だから、この子の最初のユーザー……はなんか違うな。うーん、そうだ、友達!友達になった、私」


 うなずき、腕を腰に当てた彼女は、聞いていると心がざわつくその声で、笑った。


「名前は、窓辺まどべサラって言います。あ、窓辺の方は偽名です。偽名っていうか、この子に設定した名前で。初めまして」


 アンナは今までに出会ったことのない――物理的時間の隔たりという意味ではなく、人柄として――タイプの少女、窓辺サラの一挙手一投足になぜか、心惹かれていた。だがそれは遠い昔の記録を見ているからだ、と早々に結論づける。

 サラは律儀に頭を下げ、数秒間うんうんと腕を組んで唸ったのち、勢いをつけて言った。


「とりあえず今日は最初だし、これを言って最後にしますね。私は、あなた――と、友達になりたいんです」



「――え?」


 アンナの困惑も無理はない。

 サラのそれを、ソーシャルメッセージ、あるいは仮想を問わず現実の交友関係でも、全てお互い会話可能な時間と距離にいる者どうしでのセリフとして、アンナは理解していた。地上と月面の居住区や、太陽系内各地の居住区といった、距離の隔たりはあったとしても、だ。

 まさか、少なくとも1000年以上遡った彼方から、「友達になりたい」と言われるとは。


「この子……マドベ・サラ、えっと。窓辺サラって言ったっけ。次は……あ、次も映像なのか」


 詳細を送っていくと、文字や図表を占める割合の数倍は映像が占めている。

 すると、アンナはこれからサラの日記を、この仮想空間でまるでサラと対面で今ここで向き合って会話しているような感覚でことになる。


「ふぅん。なるほどね。確かに、これは面白そうな暇つぶしだ」


 幸い言語面の問題に関しては仮想空間の知覚処理のおかげで当時の言語も違和感なく聞き取れている。この先も問題なく「窓辺サラ」を読むことができる。

 ちら、と中空に表示された実行すべきタスクの滝を見やったアンナだったが、脳裏にこびりついて離れないあの白髪の少女のことが気になってしかたがなかった。

 面倒な教授の気まぐれは、歴史的好奇心に変わり、そしてそれは「窓辺サラ」という少女の関心へと変わっていた。

 すっ、とスワイプしてタスクリストを非表示にしたアンナは、鏡を出現させ、いそいそと身だしなみ――つまりアバターだが――を整え、「よし」と呟いた。

 サラにこちらが見えないのが少し申し訳なかったが、


「……いいよ。なってあげる。あなたの友達」


 そう笑って、アンナは次の映像を再生した。



※※※



 教授からのコールを3回すっぽかしたところでさすがに資料の閲覧を取り上げられてはまずいと思い、恐る恐る通話を繋いだアンナにしかし、教授は言った。しばらくは資料の閲覧に専念してよい、と。

 それはつまり、


「サラに会っていていいんだ」


 と会うことを許された、ということに等しかった。

 アンナは気まぐれに始めた資料の閲覧サラとの交流が、今や自分の中で大きな存在となっていることを自覚していた。最初に「友達」になってほしいというサラの言葉を聞いてから1時間と待たずに次の映像を再生した時のこと――


「どうして私がメッセージを残したいと思ったか、なんですけど」


 1回目と変わらず、身振り手振りを交えたサラの言葉はどうしてか、アンナの心をすっと優しく掴んではなさない。データ化された声と、データ化された心と。

 半ば身を乗り出すようにして、次の言葉を待った。


が」


 また、何を指すか分からない言葉。


「寂しくないようにっていうのが本音の一つ。もう一つが、私のわがまま。遠い遠い未来に生きる人とお話がしてみたい。タイムスリップなんて出来ないから、こうやって――記録を残しておきたくて。なら、きっと私をそこまで運んでくれるから」


 瞳を伏せ、どこか寂しそうな表情を浮かべたサラに、アンナは届かないと知っていながら口を開いた。


「……届いているよ。サラ」


 すると、サラにはその言葉が届きえないはずなのに、なぜだろう、アンナに向けて微笑んだのだ。一瞬、それが自分に向けられたものだと錯覚したアンナだったが、違う。正しくは、いつとも分からぬ未来に映像を見ている誰かへ向けたもの。

 部分的に対象に自分を含むその笑みを、アンナは半ば無意識に保存し、個人のアーカイブへと移動した。サラの時代の感覚で言えば、写真を撮ったようなものだ。


「なんて呼ぼうかな……未来人、はなんかヤダな。友達さん、もちょっとなぁ……あ!じゃあ、で行こうかな」

「――


 聞き取った文字情報をアンナは意図的に誤訳した。


「また会おうね、貴女さん」


 3回目と4回目は、サラの世間話だった。

 何が好きとか、嫌いとか、学校の課題が大変だとか、家族がどうとか。

 アンナは2回目と3回目の間に、当時の――サラが住んでいたと思われる特定の地域の――生活様式を一通り調べ上げた。その甲斐あって、3回目に聞いたいくつかの単語の意味もすんなりと理解できた。

 未だ自身の勉強や研究にかけたことがないほどの熱量は、アンナのソファの背後にずらっと表示された山のような情報のスクラップが物語っている。


「貴女さんの時代にはあるか分からないんだけどね。これ、ギターって言うの。私の趣味なんだ。あ、良かったら聞いてよ」


 5回目、アンナが知るものとは名称も形状もやや異なるようだったが、サラが取り出したのは楽器だった。心配しなくても、歌も音楽も脈々と生きているよと映像に呟いたアンナは、わざわざソファから立ち上がってサラに近寄った。

 向き合って、サラの次を待つ。


「じゃあ、いくね――」

「……!」


 曲調から音の運びから、アンナが慣れ親しんでいる音楽とはかなり特徴が異なるものだったが、それはたしかに歌だった。弾き語り、遥か過去から送られた、アンナへの。

 サラにとっては映像の向こうの彼方へ聞かせているはずが、まさに今目の前にいる「誰か」へ歌っているような、優しい声色と包み込むような楽器の音色が心地いい。音が、歌がサラとアンナを繋いでいた。

 曲が終わると、サラがはにかんで一礼し、アンナは微笑と共に拍手を送った。


「貴女さんが飽きないように、毎回弾こうかな……うん!そうしよう」

「ふふ、じゃあ、楽しみにしてる」


 届かないと分かっていても、アンナは言葉を返した。

 それが、「友達」だと思ったから。


――そして、10回目。


 アンナの、サラの、あるいは……太陽系文明圏の運命が分かれるその瞬間がやってきた。



 その日、10回目の「日記」だからとサラには黙って(もっとも知らせようもないが)サラが以前好きだと言っていた菓子類、はさすがに手に入れられなかったが、代わりのものを持ってきていた。アンナは鼓動が高鳴るのを感じつつも平静をあくまで装って、再生ボタンを押した。

 するといつも通り、目の前にサラが現れる。


「どうかな、映ってる――うん。よし、貴女さんは多分、私と会うのは今日で10回目かな。まあ、こんなにたくさん聞いてくれてるかなんて分からないけど」

「なんだ、珍しいね。サラがそんなにしおらしいなんて」

「ううん、きっと聞いてくれてるよね」

「もちろん」

「えと、今日は10回目だから――」


 後ろ手に何かを隠していたのか、サラはそう言うとアンナに向かって何かを差し出してきた。それは奇しくも、サラが好きだと言っていたお菓子に見えて。つまり、アンナも同じ気持ちで。

 それが嬉しくて、くすぐったくて、アンナは耳をつまんだ。


「えへ、私だけだったらごめんね」

「……こっちも用意してるけどね」

「今日は、ちょっと、お願いがあってさ。もし、良かったらでいいんだけどね」


 サラはそう言うとすたすたとこちらに近づいてきた。アンナのすぐ目の前、恐らくカメラがあるであろう位置までやってきたから、サラの身体の一部分しか見えない。

 顔が熱くなって、咄嗟に視線を背けたアンナだったが、


「……はい。ねえ、ここに手を合わせてみて」


――続くサラの言葉で、彼女が何をしたいかを悟った。


「……出来たかな」

「――っ」


 物理的な端末を介して資料を覗いていたらあるいは、触れることができたかもしれない。けれど、こうして仮想空間で映像を立ち上げているアンナには、カメラいっぱいに映ったサラの手に触れることができなかった。

 手を伸ばして合わせても、すり抜けてしまう。

 その事実が、アンナにサラとの距離を感じさせた。


 決して会うことが出来ない、「友達」との。


「ああ、どんな人なんだろうな」

「――サラ」

「私と同じくらいの年齢の子だったりして」

「そう、だね」

「もし同じ時代に生きていたらさ、も――」

「……っ!」


 無意識に停めた映像。途切れた音声の向こうで何を言おうとしているのか。

 アンナはそれが怖くなって、けれど同時にたまらないほど、聞きたくて。

 サラとの会話で、アンナは初めて映像から目を背けたまま再生をした。


「――もっと、仲良くなれていたのかな」


 想像する。

 サラの隣で、馬鹿なことを言う彼女に苦笑する自分。課題を忘れたサラが、上の学年の自分の教室までやってきて教えを乞う姿。休憩時間に昼食を共にする時間。授業が終わって、隣り合って帰る――そんな日々へ。

 アンナは思いを馳せた。


「ああ、そうだったのか」

「って、もしそういうのとかじゃない、めっちゃまじめな研究者の人とかが再生してたらちょっと恥ずかしいな……」

「私って、もうこんなにも」


 思い返してみればいくらでもサインはあったのに、アンナは気づかないふりをしていたのだ。ただの「友達」だと、気まぐれな好奇心でしかないと、自分に言い聞かせていたのだと。

 手が離れ、するとサラが現れる。カメラが捉えるサラの姿は、いつも見るように心が強く震える姿で。

 アンナはサラの前で、膝をついた。


「……サラ。会いたいよ」


 ぽつぽつと、何かを呟いているサラの言葉は雨のようにアンナへと降りしきる。物音、楽器の音、発声、ああ、10回目ももう終わってしまう。

 大好きなサラの歌を、けれどアンナは直視できなかった。

 いや、きっと目線が合っていたとしても視界がぼやけて見えなかっただろう。


「私のサラ。大好きな――あなた」


 痛くて優しいバラードを聞きながら、アンナはこの日初めて自らの決して届かない恋心を自覚したのだ。



 ギターを弾き終え、いつものように笑みを浮かべたサラが石像のように佇んでいる。その周囲を取り囲むように、無数の文字列が躍っていた。


 サラと会う方法、と書かれたひと際目立つ文字の下に羅列された、大小さまざまな文字や図表。一つ。サラの資料を解析して、サラの人格を模した人工知能を作る。評価、却下。それはサラではない。

 一つ。サラの資料を読み解く時間は私がサラと会っている時間に他ならない。評価、詭弁。それではサラに触れることが出来ない。

 一つ。この仮想空間でのログを整理して、睡眠中の夢の中でサラと会う夢を作る。評価、検討。夢の中でならともに学校生活を送ることだって可能だ。だがそれでは。


――一つ。


「……を、確立させる。評価。私がサラに会うためには、この手段しか存在しない」


 ちょうどソファの前に展開されたサラの部屋を一周して、サラの目の前に戻ってきた辺りで代案がなくなって書きなぐった力ない文字。アンナは残酷に自らの存在を主張するその4文字を前に、くずおれた。

 確かに、人類の文明は今やサラが生きた時代に比べて飛躍的に出来ることが増えている。月の居住区に始まって、太陽系内の各地で新たな居住圏が確立されたこともそうだ。

 大まかな共同体の単位が、国からテラやルナと言った、居住圏単位に変わってからも久しい。異星文明とのファーストコンタクトも、今や歴史の教科書だ。もっとも、人類はまだ恒星間の移動には踏み出してはいない。

 そして、時間の壁を超えることも。


「私が、それをやるのか……?でないと、会えないっていうの」


 なんという偶然か、アンナにこのアーカイブを持ってきた例の教授は時間遡行に関する研究に携わるチームとも関係がある。だが学期中に仕上げる卒業論文とは当然異なり、たかだか人間の有機的寿命の保つ間に実現が出来るとも思えない。

 だがアンナには、それしかなかった――サラに会うためには、時間遡行をする他に選択肢はないのだから。


「サラ」


 名前を呼んでも、決してサラは「アンナ」と返してくれることはない。「貴女さん」という呼びかけも、厳密にはアンナに対してのものではないのだから。

 夢でもいい、とアンナは思った。

 けれど一度その夢を知れば、アンナは多分、帰って来られなくなると思ったのだ。それに、高度に設計された夢が現実と遜色ないものとして体験できるとはいえ、それではほとんど、サラの人工知能を作っているようなものではないか。

 だから、


「……私、やるよ」


 だって今の私はこんなにもに焦がれているのだから。


「たとえ貴女がここにいないとしても」


 私が貴女を想う気持ちは本物だ。

 まったくの夢物語ではないと、アンナは思っていた。教授もいる、自分の才能もある。せいぜい、教授のようにいずれ意識を情報化して何らかの機械ボディに置換するか、完全に情報的に生きていくかして、100年とか200年とかを費やすだけだ。

 それだけでいいのだ。


「待っていてね、サラ」


 アンナは共通時間で3日間ほどつけたままになっていたサラの10日目の日記の再生を、終了した。



※※※



 日記を見ながら自問する。

 サラは会えもしない過去の記録の中の自分に恋をした女が、時間遡行の技術を確立してついには会いに来たら怖くないだろうか。少なくとも私は怖い。

 やめようと思ったことは何度もある。それは単に、自分のこの気持ちが長い時間の間に変質し、いびつな、粘性を帯びた、昏い感情になっていかないかが怖かったからだ。

 けれどそれを防いでくれたのはサラの歌だった。

 その歌を聞いて、私はサラをもっと好きになる。悪循環という言葉を使うにはあまりにもサラの歌は素晴らしかったから、私を堕落から守ってくれた、ということにしようと思う。

 まあ、たった1000年離れている程度の遠距離恋愛だと思えば、そう大したことはない。遠距離恋愛から修飾区を取り去ってしまえばありふれたものだ。

 けれどそのありふれたものが、私をついにここまで運んでくれたのだ――だが。



「このままじゃ、私はまだサラに会えない」


 まだギリギリ人間の身体で居るアンナは、深い絶望に苛まれていた。

 アンナが到達できる結果の中で最短だろう、実質的な時間遡行を可能にするシステムが完成したのにも関わらず、である。その理由は、アンナの目的が「時間遡行をする」ではなく「サラに会う」ことだったからだ。

 つまり、


「情報化した人格を時間遡行させることはできても、。この先、何年かかるか」


 当初は何百年でもかけるつもりだったが、長い時間を生きるうちに考えが変わっていた。アンナは自分の中の気持ちの変化に何度もぶつかってきた。

 そのたびにサラの歌が助けてくれたが、それも無尽蔵ではない。

 この先アンナが今やロボットのボディさえ乗り換え、完全に情報化して自在にそこここを飛び回っている教授のような生き方を選択したとしたら、確実に精神の変質が起きるだろうと考えていた。つまり、そうなったら多分――


「私はまだ、サラを想っていたい」


 だから、もう私は、私は……。


 長い、長い時間が必要だった。

 既にシステムが完成してから1年ほどが経ち、アンナがを口に出す勇気が出ないまま時間だけが流れていく。を口にしてしまえば、己の生涯に何の意味もなかったということになってしまう。


「えー、あ、あ、聞こえますか?」

「サラ。うん、聞こえているよ」


 アンナはもう何度も見たことのあるサラのアーカイブを慣れた手つきで再生した。1回目、未だ自分の将来のことなど考えてもいなかったあの日だ。

 今にも消えてしまいそうなほどに掠れたアンナの声と裏腹に、サラはあの日と同じ調子で続ける。身振り手振りが、声が、姿が、アンナの目には輝いて映る。


「うん、音声は問題ないみたい。えー、おほんっ」


 きっともっと早くを出すべきだったのだ。でなければ、こんな年齢になっても1000年――と、だいたい100年――前の人間に恋をし続けることなどなかったのだ。

 ああ、この日の日記の再生が終わったら言ってしまおう、とアンナはそっと目を閉じた。


「この子が届いてからずっとこうするつもりだったんですけど。いつか未来でに会った人に、私はメッセージを届けたくて」


 ふと、違和感が脳をかすめる。

 アンナはその違和感を逃がすまいと俊敏に立ち上がり、サラの映像を穴が開くほど見つめた。だがそこには、見慣れた景色が広がるばかりで、


「いや、違う。結局最後までが分からなかったじゃないか。しかもサラはなぜか、が誰かは言わなかった」


 付け加えるなら、


「もしかして――」


 アンナは震える手をゆっくり、ゆっくりと口元に近づけ、像を結びかけている思案を加速させる。教授や同僚からコールが来ても気づくことなく。

 そして、顔を上げ、サラと目が合って。


「映像には映っていない。それは当然だ。が、サラを撮っていたのだから」


 アンナがもし、時間遡行に取り組むことなく、サラの資料だけを見ていたら数十年早く気が付いていたことだろう。だが結果として、アンナはをもっと早く口にしていたかもしれない。

 とは、サラが自室に有しているアンドロイドのことだろう。

 この映像は、その


「どうしてもっと早く気が付かなかったの……簡単な推論なのに」


 なにせ1000年前の記録だから当然破損部分もあったし、その情報が伝わっていなくても不思議ではない。資料自体アーカイブ化されており、アンドロイドそのものはとうの昔に姿を消しているだろう。

 サラの自室の座標も年代も全てわかっている。器もある。決して分の悪い賭けではない。


「いける――私が、に入れば」


 アンナが教授と同僚を呼び出したのはそれから共通時間わずか2時間後の事だった。



 実際の身体を遡行させるわけではないから、数々の娯楽作品に登場するマシンほどの仰々しい見た目をしてはいないその機構にアンナは軋む身体を近づけていく。もう生身のこの身体もがたが来ている。

 ――「サラに会うのは諦める」――を言ってしまったら最後、人間の死を受け入れるか、別の身体を選択するかの岐路に立たされていただろう。だが今立っているのは、サラに会いに行くための道だ。


「本当に構わないのだね」

「はい。私はこの為に生きてきましたから」

「――成功する保証はないし、行ったら二度と戻ってこれないんですよ?」

「私がどうなろうと、成否はこちらでもある程度分かるでしょうから、それは活かして下しさい。戻ってこれないことに関しては――理解して、その上で、です」


 信頼のおける何人かには動機を伝えてある。その時には何度も正気を疑われたが、いざこうして出発の時が来ると、なるほど確かに自分ははたから見たらかなり危うい人間だったのかもしれない、と思う。

 だが全て、過去のこと――アンナにとっては過去のことから未来のことへと変わってしまうが。


「――押してください」


 その言葉と共に、アンナの人格、意識、心――魂は情報化され、時間遡行を開始する。1100年余りを遡り、サラが持つアンドロイドを目指して。

 自分が去った後の太陽系文明圏がどうなるのか、気にならないといえばウソになったが――


「それももう、未来の話だ」


 アンナは薄れゆく意識の中、旅の成功をただ祈るのだった。



※※※



 私には好きな人がいた。

 その人は不慮の事故で道に迷っていたお姉さんで、私はちょっと風変わりなお姉さんの話を聞いた。事故が起き不時着し、故郷に帰る手段を無くし、途方に暮れていたのだと言う。

 私は何かできないか、とお姉さんの手当や寝食を提供して、詳しい事情を聞いた。その内容は驚くべきもので、私ははじめは信じられなかったが、お姉さんの知識の質と量が、その内容の信ぴょう性を物語っていた。

 そうして時間を過ごすうちに、私は多分、この神秘的なお姉さんに恋をしていたのだと思う。そんなある日、だった。


「実は、私のボディはもう長くないんだ」

「――嘘、それってどういうこと?」

「文字通りだよ。1000年前の技術や道具ではこの身体は治せない――私は死ぬんだ、

「い、いや……!だ、だって、私、私っ。貴女が、好きなんだよっ。やっと、自分の気持ちが分かったんだよ」

「――サラ。私も、1000年も彼方のこの土地で君に出会えて、心から良かったと思っている」


 そう言って私の前から姿を消したお姉さんは、を教えてくれた。そうすれば自分にもう一度会えるだろう、とも。

 いや、正確には、


「私のことだ。分かるんだよ。もう一回君に会っても、私は君のことを好きになるって」


 細工は私に任せてくれ、とお姉さんが手際よく作ってくれたから仕組みが分かっていない機械だけが私の手元に残った。これを、2人で選んで買ったアンドロイドのボディに付けることで、遠い未来、ある人が私とお姉さんを会わせてくれる、という。

 正直言っていることは何一つ分からなかったし、あのお姉さんのことだから、別れが寂しくないようにしてくれたのかもしれない、とも思っている。けれど、私はその仕組みの分からない機械に縋る想いで――


「それじゃあ、今日が最後になります。さん、演奏どうでしたか?私、ちゃんと友達ができていたでしょうか。実は、こうして映像を撮るのが終わってしまうと思うと、ちょっと寂しいんです」


――お姉さんに会えなくて、もうずっと寂しいんです。


「――それじゃあ。さようなら」


 ……さようなら。私のお姉さん。



※※※



 目が覚めると、ギターを抱きしめ、膝から崩れ落ちる少女の姿が目に入った。

 記憶しているよりも視力や見え方に違和感があると思ったが、ああ、そういえば時間遡行をしたのだった。それも、魂だけの形になって、1000年前のアンドロイドに。


 そこまで考えてから、アンナは全身を強張らせた。


(この部屋――も、しかして)


「うっ……お姉さん……私、ちゃんとやりましたよ……?これでよかったんですよね……」


 泣いているのは、あれは誰だろう?

 白い髪、お団子2つ、聞きなれた声の、聞きなれぬ声色。


「ねえ、また会えるって言ったじゃないですか――


――今、なんと?


 ぽろぽろと溢れる涙をしきりに拭い、拭っては落ちていく涙が服にしみを作る。

 あの涙は、アンナがサラに会えない夜に流したものにどこか近い気がした。


「……ぁ」


 発声機能に異常はない。

 だから、早く声をかけなければ。


 、と聞かなければ。


「――サラ」

「……!」


 アンドロイドの、なぜか、生前の――遠い未来に置いてきた私の、若いころの声に近い色の声が、耳から聞こえてくる。それと同時に、目の前のサラは驚きを顔に張り付けていた。

 ギターを置き、立ち上がって、よろよろと歩き出したサラは数歩も歩かないうちに腰が抜けてしまったのか、転倒していまい、


「危ないよ、サラ」


 私は咄嗟にサラを抱きとめていた。

 その腕の中に感じる熱が、私の心を焦がしていくはずなのに、遡行直後の今、気味が悪いほどの客観視しか出来ない。あるいは望み続けた現実が今目の前にあることを認めてしまったら、夢と消えてしまいそうで。


「……お姉さん?」

「私は」

「アンナ、お姉さんですか?」

「――!」


 縋るように目を細め、涙をいっぱいにためた顔をこちらに向けてくる。

 震える手が頬に伸びてきて、ぐい、と顔が近づく。

 跳ねる心臓はなくなったし、詰まる息も必要がなくなったのに、胸が痛んで、喉が苦しくなる。


「君が言うアンナが、アンナ・ユユシキを指しているなら、そうだよ。私は、ええと……どうして君が知っているのか、分からないけど、実はせん――」

「お姉さん!!」

「あっ、ちょっとっ!?」


 最後まで言い終わる前に、さっきまでふらついていたのが嘘のように、サラがアンナへと飛びついてきた。アンドロイドのボディなら壊れることはないだろうけれども、それでも身体が軋むほど強く、強く。

 もう離すものかと、そう言っているみたいだった。


「わたっ、私、ずっと会いたかったんですよ……っ。お姉さん、戻ってきてくれた……」

「ちょ、ちょっと待って。私は確かにアンナ・ユユシキだけど、君の言うお姉さんと同一人物かどうかは――いや、もし、かして」


 アンナはサラに断り、サラをそっと近くにあったベッドに寝かせると、急いで身体をまさぐった。そして、不慣れな仕方で取り付けられた、異質な機械を見つける。

 サラが「あっ」と声を上げるのにも構わずにその機械を外すと、が、1000年前の部品で再現されている。


「――まさか」


 震える手で中身を開けると、そこには――


『やあ、別の未来の私。さぞかし驚いていることだろうけれど、君はようやく会えたんだね。あ、言っておくけど私はサラに会いに来たんじゃなくて、ちゃんとこの身体での時間遡行に失敗してたまたまこの時間に不時着しただけだから。まあそういう意味では君よりも頭がいいってことになるのかな。あ、教授の課題ちゃんとやらなかった世界の私かな。まあ、いずれにせよ私から言えるのは一つだ』


 そんな、馬鹿げた話があっていいのか。


『サラを――の大切な人を、よろしく頼むよ』


 私は、私に導かれてサラと出会い、そして、私に導かれてここまでやってきたのだ。アンドロイドのボディがここにあるのも、声まで似せられているのだってきっと「私」の仕業だろう。


「……お姉さん?」


 サラの様子を見ると、どうやら「私」は詳しいことは話していかなかったらしい。いや、それで正解だ。もしそうだったら、教授は私にあのアーカイブを渡さなかった。時間遡行が可能であることの貴重なサンプルとして、厳重な保管がかけられたはずだ。

 「私」が仕組んだソースコードのおかげで、1000年後の未来、この私に記録されたサラの「友達」への録画は教授の管理するアーカイブ群の中に混ぜられる。「今」の私が、未来に居た時ならば簡単に出来ることだ。身体の時間遡行を可能せしめた「私」にも出来るだろう。


「……サラ。少し、話があるんだ」


 ああ、サラはどんな反応をするのだろうか。


「私は――」


 どうか、自分のわがままを許してほしい。そして、


「1000年後から、貴女に会いに来たんだ」


 私と共に、時間を歩んでくれたら……。

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