【短編小説】「影の舞踏会」(約4,500字)

藍埜佑(あいのたすく)

【短編小説】「影の舞踏会」(約4,500字)

## 第一章:仮面の下の微笑み


 優雅な音楽が、華やかに装飾された大広間に流れていた。クリスタルのシャンデリアが放つ柔らかな光が、仮面を付けた紳士淑女たちの姿を幻想的に照らし出している。舞踏会の主催者である伯爵夫人メリッサ・ヴァンデルビルトは、孔雀の羽根で飾られた仮面の下から、満足げな微笑みを浮かべていた。


 「素晴らしい舞踏会ですわね、伯爵夫人」


 側近の一人が囁くように言った。


 「ええ、そうね。でも……まだよ。本当の舞台は、これからなの」


 メリッサは、薄く開いた唇から言葉を紡ぎ出した。その声音には、何か不穏な響きが潜んでいた。


 舞踏会場の片隅で、一人の青年が壁に寄りかかるようにして立っていた。アレックス・ナイトレイ。22歳の新進気鋭の画家である。彼は、周囲の華やかさとは不釣り合いな、簡素な黒いマスクを身に着けていた。


 「どうして私がこんな場所に……」


 アレックスは小さくつぶやいた。彼の目は、舞踏会場を優雅に歩く伯爵夫人の姿を追っていた。


 「あら、アレックス。そんなところで何をしているの?」


 甘い声が耳元で響いた。振り向くと、そこには蝶の形をした仮面を付けた若い女性が立っていた。エリザベス・モーガン。アレックスの幼なじみであり、この舞踏会に彼を誘った張本人だ。


 「やあ、エリザベス。君に呼ばれて来たものの、こういう場所は苦手でね」


 「まあ、そんなこと言わないで。せっかくの舞踏会よ。楽しまなきゃ」


 エリザベスは、アレックスの腕を取って舞踏会場の中心へと引っ張っていった。


 「ほら、踊りましょう」


 優雅なワルツが流れる中、二人は踊り始めた。アレックスは不器用な動きながらも、エリザベスのリードに従って踊った。


 「ねえ、アレックス。私、あなたに話があるの」


 エリザベスが、真剣な表情でアレックスを見つめた。


 「何だい?」


 「実は……」


 その時、突然会場の明かりが消え、辺りは闇に包まれた。悲鳴が上がり、混乱が広がる。


 数秒後、明かりが戻った時、そこにはショッキングな光景が広がっていた。


 舞踏会場の中央に、伯爵夫人メリッサが倒れていたのだ。


## 第二章:疑惑の影


 「殺人だ!」


 誰かが叫んだ。パニックが会場を支配し、悲鳴と動揺の声が響き渡る。


 アレックスは、目の前の光景に釘付けになっていた。伯爵夫人メリッサの胸には、短剣が突き刺さっていた。彼女の仮面は外れ、驚愕の表情を浮かべたまま、虚ろな目で天井を見上げている。


 「みんな、落ち着いてください!」


 力強い声が響いた。振り返ると、そこには警部補のジェイムズ・ブラックウッドが立っていた。彼もまた、この舞踏会の招待客の一人だった。


 「誰も部屋から出ないでください。これは明らかに殺人事件です。私たちはこれから、皆さん一人一人から事情を聴取します」


 ジェイムズの言葉に、会場は静まり返った。


 アレックスは、エリザベスの手を握りしめた。彼女の手が震えているのを感じる。


 「大丈夫だよ、エリザベス。僕がついているから」


 アレックスは優しく囁いた。しかし、彼の心の中でも不安が渦巻いていた。なぜなら、彼には誰にも言えない秘密があったからだ。


 警部補ジェイムズは、まず伯爵夫人の遺体の検分を始めた。


 「死亡推定時刻は、明かりが消えた直後でしょう。凶器は……この短剣ですね」


 ジェイムズは、手袋をはめてから慎重に短剣を抜き取った。その刃には、複雑な模様が刻まれていた。


 「これは……」


 ジェイムズの目が驚きに見開かれた。


 「どうかしましたか?」警官の一人が尋ねた。


 「いや、何でもない」


 ジェイムズは首を振った。しかし、その目には何か複雑な感情が浮かんでいた。


 一方、アレックスは静かに壁際に寄り、ポケットに手を入れた。そこには、一枚の紙切れが……。


## 第三章:秘密の糸


 警部補ジェイムズの取り調べが始まった。一人一人が呼び出され、事件当時の状況を説明していく。


 「アレックス・ナイトレイさん」


 呼ばれて、アレックスは小さな個室に入った。そこにはジェイムズが厳しい表情で座っていた。


 「ナイトレイさん、あなたと伯爵夫人メリッサ・ヴァンデルビルトとの関係を教えてください」


 「特に関係はありません。今日が初対面です」


 アレックスは平静を装って答えた。


 「本当ですか? あなたのポケットから出てきたこの紙切れは何ですか?」


 ジェイムズは、テーブルの上に一枚の紙を置いた。そこには、伯爵夫人メリッサの筆跡で書かれた文字があった。


 「これは……」


 アレックスは言葉に詰まった。


 「私たちは、あなたのアトリエを捜索しました。そこで見つかったのは、伯爵夫人の肖像画の数々。そして、彼女との親密な関係を示す手紙の束。あなたは本当に、今日が初対面だと言うのですか?」


 アレックスは深くため息をついた。


 「……話します。本当のことを」


 アレックスは、伯爵夫人メリッサとの秘密の関係を明かし始めた。二人は数ヶ月前から密会を重ねていたのだ。しかし、それは単なる恋愛関係ではなかった。


 「伯爵夫人は、私に彼女の肖像画を描くよう依頼しました。でも、それは表向きの理由でした。本当の目的は……」


 アレックスは言葉を選びながら続けた。


 「彼女の夫である伯爵の犯罪の証拠を集めることでした。伯爵は、裏で違法な武器取引を行っていたんです」


 ジェイムズの目が驚きに見開かれた。


 「そして、今日の舞踏会は……」


 「ええ、その証拠を公に明らかにする場だったんです」


 部屋の空気が、一瞬凍りついたかのように感じられた。


## 第四章:闇の舞台


 アレックスの告白は、事件に新たな展開をもたらした。警部補ジェイムズは、伯爵の身柄を確保し、尋問を始めた。


 一方、エリザベスは一人で庭園を歩いていた。彼女の心は混乱していた。


 「アレックス……どうして私に何も言ってくれなかったの?」


 彼女は、幼なじみであるアレックスが、こんな大きな秘密を抱えていたことに衝撃を受けていた。


 その時、背後から物音がした。


 「誰?」


 エリザベスが振り返ると、そこには黒いマントを身にまとった人影が立っていた。


 「エリザベス・モーガン。お前にも、この事件の真相を知る権利がある」


 低い声が響いた。


 「あなたは誰……?」


 エリザベスは、恐怖と好奇心が入り混じった表情で尋ねた。


 「私は……この舞踏会の真の主催者だ」


 人影がマントを脱ぐと、そこには……。


## 第五章:仮面の下の真実


 「伯爵夫人メリッサ!?」


 エリザベスは、目の前に立つ人物を見て息を呑んだ。確かに伯爵夫人メリッサだった。しかし、彼女は確かに死んだはずでは……。


 「驚いたでしょう、エリザベス」


 メリッサは、冷ややかな微笑みを浮かべた。


 「でも、あなたは死んだはず……」


 「死んだふりをしていただけよ。これは全て、計画の一部だったの」


 メリッサの言葉に、エリザベスは混乱を隠せなかった。


 「計画? どういうことですか?」


 「私の夫、そしてこの国の闇を暴くための計画よ。アレックスも、その一端を担っていたわ」


 メリッサは、ゆっくりとエリザベスに近づいた。


 「でも、なぜ私に……?」


 「あなたは、この計画の重要な鍵なの。あなたの父親が……」


 その時、庭園に足音が響いた。アレックスが走ってきた。


 「エリザベス! 大丈夫か!?」


 アレックスは、エリザベスの隣に立つと、驚きの表情でメリッサを見た。


 「メリッサ……やはり、あなたは……」


 「ええ、アレックス。計画通りよ」


 メリッサは、二人を見つめながら言った。


 「さあ、真実を明かす時が来たわ。この国を蝕む闇の正体を……」


 その瞬間、庭園を包む闇の中から、複数の人影が現れた。


## 最終章:影の舞踏会


 庭園は、突如として緊張感に包まれた。闇から現れた人影たちは、全員が黒い仮面を付けていた。


 「よくぞここまで来た」


 人影の一人が前に出て、仮面を外した。そこには、エリザベスの父親である上院議員ジョージ・モーガンの姿があった。


 「お父さん!? どういうこと!?」


 エリザベスは、混乱と驚きの声を上げた。


 「娘よ、私はこの国の影の支配者たちの一人だ。そして、メリッサ……お前の計画は見事に失敗した」


 ジョージは冷酷な笑みを浮かべた。


 「いいえ、失敗してなんかいないわ」


 メリッサは毅然とした態度で言い返した。


 「この舞踏会、そして私の偽の死。全ては、あなたたち『影の議会』のメンバーを一堂に集めるための罠だったのよ」


 その言葉と同時に、庭園を取り囲むように警官たちが現れた。警部補ジェイムズが前に出て、大声で叫んだ。


 「影の議会のメンバー全員、逮捕する!」


 混乱の中、アレックスはエリザベスの手を取った。


 「エリザベス、君を守る。必ず」


 エリザベスは、涙ながらにアレックスを見つめた。


 「アレックス……私、あなたを信じる」


 二人の周りで、警官たちが影の議会のメンバーたちを次々と拘束していく中、二人は固く手を握りしめていた。


 「これで終わりよ、ジョージ」


 メリッサが、エリザベスの父親に向かって言った。


 「私たちの長年の調査で、あなたたちの違法な取引の全てが明らかになった。もう逃げ場はないわ」


 ジョージは歯ぎしりをしながら、メリッサを睨みつけた。


 「くっ……まさか、ここまで用意周到だったとは」


 その時、ジェイムズが駆け寄ってきた。


 「メリッサ夫人、あなたの演技は見事でした。おかげで、影の議会のメンバーを一網打尽にすることができました」


 メリッサは小さく頷いた。


 「ありがとう、ジェイムズ。あなたの協力がなければ、この作戦は成功しなかったわ」


 エリザベスは、まだ状況を完全には理解できていないようだった。


 「待って……どういうこと? お父さんが犯罪者で、メリッサさんとアレックスがそれを暴こうとしていた? そして、私は……」


 アレックスが、優しくエリザベスの肩に手を置いた。


 「エリザベス、君に全て説明するよ。でも、その前に……」


 彼は、ポケットから小さな箱を取り出した。


 「僕と結婚してくれないか?」


 エリザベスの目が驚きに見開かれた。周囲の喧騒が一瞬にして遠のいたかのように感じる。


 「アレックス……」


 彼女は、涙を浮かべながらゆっくりと頷いた。


 「はい、喜んで」


 二人が抱きしめ合う中、メリッサは静かに微笑んだ。


 「さて、これで一件落着ね」


 彼女は、ジェイムズに向かって言った。


 「残りの処理は、あなたにお任せするわ」


 ジェイムズは頷き、逮捕された影の議会のメンバーたちを連れて去っていった。


 夜明けが近づき、空が少しずつ明るくなり始めていた。舞踏会場から流れてくる音楽が、かすかに聞こえる。


 メリッサは、アレックスとエリザベスに向かって言った。


 「さあ、二人とも。これからが本当の人生の始まりよ。過去の影に怯えることなく、自分たちの道を歩んでいきなさい」


 アレックスとエリザベスは、手を取り合って頷いた。


 「ありがとう、メリッサ」


 アレックスが言った。


 「僕たちは、きっと幸せになります」


 エリザベスが付け加えた。


 三人は、夜明けの光に照らされる庭園を歩き始めた。影の舞踏会は終わり、新たな日の始まりを告げる鐘の音が、遠くから聞こえてきた。


 この夜の出来事は、彼らの人生を大きく変えることになるだろう。しかし、それは同時に、より明るい未来への第一歩でもあった。


 影の舞踏会は終わったが、彼らの本当の人生の舞踏会は、これから始まるのだ。


(完)

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