2 せゐ
静止しているかなたをみて、ランプの精がゆっくり手をおろす。
「どうしたんだい?」
「えっと、いろいろ疑問だらけだけど、とりあえず……願いごとはひとつなんだっけ?」
「ん? きみぐらいなら、それでいいじゃないの。尺の都合もある」
得意げに笑みをうかべるランプの精をみて、かなたは思いをめぐらす。
状況からみれば、まずまずありふれた展開だろう。
節々が気にかかるが、なあに、秒を争うカーチェイスで全員がしっかりシートベルトを締めている程度の違和感だ。
そりゃそうだよねぇ、ぐらいのもの。
かなたのシンキングタイムに、ランプの精は両手を腰において、身体を左右にゆらしながら鼻歌をうたっている。
まさかの魚泥棒のどら猫を追いかける陽気なおばさんの歌だ。
さて、どうするべきか――かなたはあれこれ迷ったが、本来みっつのはずがひとつしかないのだから、相手をみて数を減らされたことに対する意趣返しが必要ではないかと思いたった。
そして、わりと良いアイデアな気がして、ふふふと不敵に笑う。
「よぉし、決まった! ぼくの願いは……」
かなたは右手のひとさし指をたてる。
「願いをあと1万回叶えて!」
ババーンとやってやった感を醸しだしたけれど、かなたの思惑むなしく、ランプの精は動きをとめて、少し目を細めただけだった。
「……それでいいの?」
「え、ええ、反則じゃなければ……」
「ふぅん、じゃあ、それでいいや」
ランプの精はつかつか部屋を横切り、押し入れを開ける。
そして、中身をぽいぽい放りだしながら、ふりむく。
「きみとは長いつきあいになりそうだから、ここに住まわせてもらうよ」
「ええ……それはちょっと」
かなたは面食らったけれど、まぁいいかと思い直す。
ランプの精とはいえ、願いを叶えてくれるらしい存在との同居だし、1万回を指定したのは自分なのだし。
やがて、かなたはウキウキしてきた。
夢も鼻の穴もふくらむ。
かなたは手始めに、ささいな願いを試してみた。
おいしい晩ご飯、翌日を晴れに、両親から小言をいわれないなど。
ランプの精は、はいはーい、と叶えてくれたものの、よくよく考えると失敗だった。
どれもランプの精のおかげでそうなったか、わからないことばっかりだったのだ。
ついでに、冷静になって自分のみみっちぃところがいやになった。
結果、だんだんと思い切りがよくなった。
とりあえず、富豪になって会社勤めをやめた。
そこから、実家を拠点に祖父のような遊び人になって、47都道府県の旅にでて豪遊してみた。
どうでもいいようなものを集めてしまう気持ちも理解できた。
ランプの精のおかげでいきなり能力者になる、発見をする、達成する、入手するというのは禁じ手にした。
そうしないとあまりにつまらないからである。
欲望は果てしなく、人生をくりかえすことを憶えた。
要するに歳をとったら、また一〇代にもどってべつの人生を歩むのだ。
かなたは初恋を叶えて有頂天になったり、カーチェイスのような怒濤の大恋愛をしてみたり、たまには月夜の湖畔でそっと泣くような悲恋をしてみたり、両親に孫をみせてみたりもした。
各種スポーツや個人競技等で結果を出したり出さなかったりした。
常夏の国でごろごろ寝て過ごしてみたりもした。
便利な発明をしたり、昆虫や花や動物や鳥や海洋生物や細菌などの研究をして新種をみつけたり、数学や絵画や音楽や文学に入れこんで時間を忘れてみたりした。
全力で利他行動に取り組み、思いのほか誹られたりもした。
ときどき、禁じ手に走るズルもした。
ランプの精は、そんなかなたに意見をすることもなく、あんこの入った食べものが好きになったようで、ふところの深いネコ型ロボットさながらに、座蒲団をまくらに横になりながら食べてばかりいた。
すると、ふつうの人生観にも飽きてきた。そもそも不可能を可能にすることもできるのだ。
ある程度の危険もありだろう。
死にそうになったら、ふりだしにもどることもできる。
そうして世界を漫遊して、あらゆる高山登頂をしたり、北極南極大冒険をしたり、大海溝潜りもした。
宇宙探検にも着手して、月や火星の秘密も知ってしまった。いやはや。
やがて、時空を超えることをおぼえた。
そもそもなんでもありなのだ。
歴史上の偉人に出逢い、感心したり失望したりした。だれがどうとかはあえて言わない。
人類史をあゆんでみて、意外な事実を垣間見たり、世界史のあらゆる局面にたちあって、予想外の経験をした。これはもう言葉にできない。
そして、はるか未来をのぞきにいって、愕然とした。これはちょっと、だれも信じないだろう。
もう何周したか自分でもわからない――かなたはランプの魔力を満喫して、大勢の人に感謝されたり、大勢の人を悲嘆に暮れさせたり、思いつくものを手にしたり、思いつくかぎりのことを経験したりした。
そして、ふと気づいたら、夏の終わりの夕暮れの、自分の部屋にいた。
かなたはベッドの横に立っていた。
ランプの精を呼びだしたときと同じはずだが、なぜかまったく同じ感じがしなかった。
もう、したいことも、欲しいものもなかった。
ふとみると、ランプの精はうす暗い部屋のかたすみで、座蒲団をまくらに横になって、たい焼きをむしゃむしゃ食べている。
ああ、あの傑作ネコ型ロボットは、猫なのに好物がたい焼きではないのだなぁ……。
かなたはそんなことを思い、卑屈にふふと笑みをもらした。
窓の外で徐々に夕陽が沈み、つぶれた太陽からもたされる閃光が少しずつ小さくなって、部屋の四隅からどんどん暗くなってくる。
カナカナカナ――ひぐらしの声が遠くから聞こえた。カナカナカナカナ……。
かなたはひざを折って、正座し、うなだれる。
どうしたらいいかわからない。
ランプのせいで手に入れたものは、こんなふうな、ほの暗く、途方に暮れた、夏の終わりの長い黄昏だけだった。
「ねぇ、ランプの精……」
かなたは声をしぼりだす。
「ん?」
ランプの精は、口からたい焼きのしっぽをのぞかせながら、かなたをみる。
「あとひとつ叶えてくれたら、もうおしまいでいい……」
「へぇ……まだ4036個しか終えてないよ?」
「うん、もういいや――来たところに帰っていいよ……」
「そっか……じゃあ、最後の願いは?」
「とりあえず、ぐっすり眠りたい……」
ランプの精は、しっぽをパクっと呑みこむと立ちあがって、影が差したかなたの横顔に近寄る。
そして、やさしくニコニコしながらささやいたが、その声はもう、意識が遠のいていたかなたには聞こえなかった。
「おやすみ、いい夢を――」
ランプのせい 坂本悠 @yousaka036
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます