最後の一箱

しぇもんご

岩永と煙草

 ソフトケースの上を人差し指で軽く叩いてやると、端の一本がせり上がってくる。大学生の頃から吸い始めてもう十年以上。最後の一箱からツノのように突き出した煙草を見て、俺は岩永のことを思い出した。


 ◇

 

 岩永とは小学校と中学校が一緒で、中学一年の秋に一ヶ月だけ付き合っていた。当時、俺と仲の良かった男友達が岩永の女友達と付き合うことになって、それでなんとなく友人達に煽てられるがままに俺たちも付き合うことになった。でもお互い何もわからず、学校の帰り路に一度だけ手は繋いだが、それっきりどうしていいかわからなかった。俺はその中途半端な雰囲気に耐えられなくなって別れを切り出した。恋人ごっこにも満たないよくわからない一ヶ月を経て、俺と岩永は元の関係――顔を合わせればバカ話をする程度のクラスメイトに戻り、少なくとも俺はそのことに安堵した。

 高校生になると俺は地元の進学校に通い、そこで人生二人目の彼女ができた。今となっては二人目と言えるのだが、当時の俺は岩永をカウントしていいのかわからず、なんとなく初めて誰かと付き合ったことにしていた。実際、手を繋ぐ以外のすべてが初めてだったのだから、それほど不誠実だとは思わなかった。

 岩永は中学の途中からあまり勉強をしなくなり、高校もそれなりのところにいった。接点はなくなったが、それでもたまに噂だけは耳に入ってきた。髪を派手な色に染めたらしい。単車の免許をとったらしい。地元の怖い先輩と付き合っているらしい。

 中学のときからそうした兆候はあったので、特に驚きはしなかった。ただなぜだか岩永の話を聞くたび、中一のときに繋いだ彼女の手が想像していたよりずっと熱かったことを思い出した。

 大学へ進学し東京で一人暮らしを始めると、それまで付き合っていた彼女とはあっさり別れてしまった。そのあと付き合った三人目の彼女には大学三年の秋にフラれた。彼女は新しい恋人がいかに優れているかを丁寧に説明してから去っていった。今にして思えばとても誠実でスマートな別れ方だったのだが、当時の俺はプライドを傷つけられた気になって酒ばかり飲んでいた。

 軽いホームシックになって、地元に頻繁に顔を出すようになったのもその頃だ。週末になると高速バスで三時間かけて地元に帰り同級生と酒を飲んだ。基本は仲の良い男子だけで集まったが、たまに女子が加わり、一度だけ岩永とも飲んだ。六年ぶりに会った岩永は流行りの派手なファッションに身を包み、丁寧に盛られたアッシュブロンドの髪はどうみても水商売のそれで、あまりにも想像通りなその姿に俺は小さく吹き出してしまった。

 岩永はそんな俺を見つけると、外見の割に幼く見える笑顔を浮かべて楽しげに言った。

「元カレじゃん」

 俺は飲んでいたビールを今度は盛大に吹き出した。

 岩永はキャバクラで働いているらしく、グラスの拭き方だとかの作法を披露して皆を笑わせた。昔から頭の回転が速くユーモアがあったが、仕事を通してそうしたセンスがさらに磨かれたのかもしれない。岩永を見ていると、親の庇護のもと大した努力も苦労もせずに生きている自分がとても幼く思えた。これではモテないのも当然だ。

 途中で酔い覚ましに外のベンチで休憩していると岩永が隣に座った。岩永は、俺が開封直後の箱から煙草を取り出すのに手こずっていると、方言丸出しで「かしてご」と言って箱を奪いとった。岩永の細長い人差し指でLucky Strikeの頭をとんとんとノックすると、一番端の一本だけが綺麗にせり上がった。彼女は切れ長の目の端に僅かに皺を作ると、ツノのように一本だけ突き出した箱を俺の前で泳がせた。

「ほれほれ、元カレくん、これが欲しいのんか?」

 イッカクだったか。鋭いツノを生やした鯨の仲間を思い出した。ツノは異性へのアピールだったか。俺が呆れていると、岩永は、結局その一本を自分で咥えて火をつけた。続けてもう一本器用に片手で取りだし、俺に手渡した。一瞬触れた指先は記憶より少しだけ冷たかった。

「もっかい付き合ってみる?」

 岩永のふいの一言に息が止まった。笑いを堪える彼女を見て、揶揄われたことはすぐに理解したが、手が震えて咥えた煙草にうまく火がつけられなかった。

「ださ」

 岩永は俺からライターを取り上げると、煙草を咥えたまま俺に顔を近づけた。先端同士が触れると火が移り、岩永の息が混ざった煙が肺に届いた。俺は吐き出し方がわからなくなり咽せてしまった。

「あは、ださ」

 ひとしきり笑った岩永は、ため息混じりの煙を吐き出し「まあ無理か」と小さく呟いてから、また懐かしい顔で笑った。

「煙草、似合わないね」


 

 ◇


 あれからもう十年以上、岩永には会っていない。元気にしているだろうか。

 俺は最後の箱からツノのように突き出した一本を押し戻し、そのままゴミ箱に捨てた。


 ――岩永、俺、煙草やめるわ。子供も出来たし、金もったいないから。


 彼女はまた「ださ」と言って笑うだろうか。

 

 

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