最終話 カニバリズム

 さて弱った。ついに左手の指をすべて失くしてしまった。けれど、料理を作るという目的まで失ったわけではない。つまりは、視覚的に指のないことを認識しなければいいだけの話で、何か布だとか覆える物で隠してしまえば、左手を見て眠ってしまう危険は免れるのだ。

 布を布をと探していた自分は、それよりも偽装するのに適した物を見つけた。それは、洗い物をする際、洗剤で皮膚がかぶれてしまうので着けることを習慣にしていた、植物性由来の使い捨て手袋だった。

 その手袋は白く、光を透過しなかったので、着用さえしてしまえば、見かけは指が付いている状態と変わらない。右手に手袋を持ち、感覚だけで、その丸く平べったい左手に手袋を被せた。

 被せ終わり、細工した左手を見ると、なんと全ての指がぐにゃぐにゃに曲がってあらぬ方向を向いていたのだ。しまった、と思い瞬時に目を背け、襲い掛かる眠気を待った。だが眠気は一向に来る気配はない。ぎりぎり、まだ指はついていると視覚的に判定されたのか。判断をしているのが自分の脳なのか、それともまた別の意識なのかは判然としないが、とにかく、複雑に骨折しているとでも誤解してくれたのだろう。

 恐る恐る視線を自分の左手に戻し、眠気が無い事を再度確認してから、袋に詰められたウインナーたちに向かった。これなら料理ができる。自分は袋からウインナーを取り出し、左手の親指側の手の平を使ってウインナーを固定し、右手に包丁を握って、今夜初めての一刀を入れた。

 その後の調理は何事も起きずに、逆にウインナーを切るまでのあの騒々しさが嘘のようだった。完成した料理は、やはりいつもと同じものだ。お皿も盛り付け方も具材も箸も、全てが昨日以前と完璧に同一。その状況に自分は満足していた。固定化されて生まれる心地よさ、それこそが幸せ。それが自分の哲学だった。

 「いただきます」

 音が鳴るほど強く手を合わせる。それもいつもと変わらなかった。箸でウインナーを摘まみ口に運んだ。味もいつもと変わらなく美味しかった。

 左手に違和感があった。手袋の被膜の中で何かが膨らみ伸びようとしているのだ。指だ。切断してしまった指が、また生えようとしていた。

 左手を観察しながら、ウインナーをさらに口に運ぶ。するとまた指が伸びた。どうやら、食べるウインナーに連動して指が生えるらしい。しかし、生育途中の指を見てしまうと眠気に襲われて、初めからやり直すことになるかもしれないと思い、着用していた手袋は指が生えきってから取ることに決めた。

 食べては少し伸びるその様子が面白かった。おおかた食べ終わると、指は手袋越しではあるが全て元通りに戻ってくれたように見えた。

 「ごちそうさま」

 始まりと同じく音を立てて手を合わせたあと、食後のデザートのような感覚で、自分は左手の手袋をゆっくりと外した。

 「うぁぁあわぁああっ」

 なんとそこには、指ではなく今ほど食べ終えたウインナーが生えていたのだ。皺が一切ない張りのある肉感、先の結び目、それらの特徴がそこにウインナーが生えていることを証明していた。

 「違う違う違う。自分は指を生やしたいんだ。ウインナーを生やしたいんじゃないっ」

 現在の状況がすべて夢の中で進行している出来事であると考えていた自分は、声に出すことによって自分の要望が意識に上るのではないかと思い叫んだ。

 指から生えたウインナーは一向に指に戻るそぶりを見せない。ウインナーは関節が無いので、当たり前だがいくら意識しても自分の意思で曲げることはできなかった。

 これは夢なのだから、ウインナーに変化している部分を切断してしまえば良いのではないか。そしてこれは本意ではないが、隅へと転がり落ちている自身の指を拾って食べれば、ウインナーのように生えてくるのではないだろうか。そういう考えが浮かんだ。

 夢のなかであろうと、カニバリズムを犯すのは気が引けた。しかしそれと同時に、夢の中であるからこそ、カニバリズムを犯すことができるではないかという、道徳に属する想像と反道徳に属する想像の二つが頭を掠った。自分は芯の底から迷っているふりをしながら、ついに、自分の手から生えたウインナーを肉用のまな板の上に押し付け、包丁を持っていたのだった。

 薄目で見れば、同じぐらいの長さで、同じような系統の色彩を具しているので、指と時たま交差して、いきおいで切れるものではなかったが、行う以外に現状を進展させてくれるような選択肢は思いつかなかった。

 ウインナーに包丁を落とした。切り始めは滑らかに入り込んでいった。そして中ほどで、全く動じなくなってしまった。幾ら力を加えようと、体重まで動員しようと、刃はその先に行こうとしなかった。

 おかしい。自分は包丁をウインナーに刺し残して目を擦った。

 するとたちまちにウインナーは消え失せ、目の前には、包丁が半ばまで刺さっている自分の指が立ち現れたのだった。

 「ゆっゆっ、指が、あっ」

 血液がまな板を流れ端を落ち、足の甲へと滴っていた。

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正しい生活の正確な描写 山口夏人(やまぐちなつひと) @Abovousqueadmala

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