秋の夜長と柿と蜜柑鍋

藤泉都理

秋の夜長と柿と蜜柑鍋




 どこどこまでも続く薄の広原を、風を切って進む。

 心地よかったはずの風もいつしか肌寒く、のちに、身震いがするほどに寒さを感じるようになったが、それでも、この疾走を緩めようなどとは考えず、寧ろ速度を上げた。

 いついつまでも変わらぬ薄の広原から逃れたい気持ちと。

 早く我が家に帰りたいあいつの元に帰りたいという気持ちが相まって。

 布によって身体は守られているというのに、風の圧力と冷感によって生じる強い痛みに顔を歪めながらも、けれど、駆け走り続けた。


 走って、走って、走って、

 もう、薄の広原を後にしてもおかしくないはずなのに、まだその只中に居た。

 疲労しているので、感覚に狂いが生じて然り。

 それほど速く駆け走れていないだけの話。

 だというのに、

 この恐怖は何だ。

 暗闇は自分たち忍びにとって味方であるはずなのに、見慣れた光景であるはずなのに、

 いや、完全な暗闇ではないからか。

 繊月が放つ微かな光が創造する、この弱弱しい暗闇がひどく恐ろしかった。


 走って、走った、ひたすらに走り続けて、

 薄の広原から抜け出せていないというのに、我が家を視界に捉えたその瞬間。

 力が抜けそうになる己を叱咤して、

 掴みにかかってくる薄を振り払い、

 掘っ立て小屋の我が家を壊さん勢いで飛び込んだ。

 もう、律儀に扉を開けようなどという思考はなかった。






「おう。お帰り」


 もう丑三つ時も過ぎているだろうに、起きて囲炉裏で鍋を煮立たせている、相棒でありよき忍びの好敵手でもある男の姿を目にしては、その場で倒れ込むと思っていた身体はしゃんと正しい姿勢を取り戻した。

 見栄である。

 忍びとしての初任務を無事に終えたと、楽勝だったと、見せつけてもやりたかったのだ。

 家の扉を派手にぶっ壊しておいて何だが。


「悪いな。初任務を終えた高揚感で扉をぶち壊しちまった」


 まさか恐怖で早く家に入りたくてぶち壊しました、などと正直に言えるはずもなく。

 土間から手を伸ばせば届く、座敷に置いてあった葛籠の蓋を開き、そこから長い布と槌と釘を二本取り出すと、布を釘で壁に打ち付けて壊した扉の代わりにした。


「悪い。明日ちゃんと直すからな」

「まあ、寒くはなって来たが、お互い身体は丈夫だしな。着込めば、火を点けていなくても大丈夫だろう。ほら。いつまで土間に突っ立ってんだ?早く足袋を脱いで、座敷に上がれ」

「いや。その前に井戸で水浴びをしてくる。汗をかいちまった」

「この鍋の湯を使うか?ちょっとだけ手拭いを浸して温めるから、身体を拭けよ」

「………背中は任せた」

「忍びに言う台詞かね?」


 微笑した相棒はそれでも了承し、柄杓で鍋の湯を掬い、その中で二枚の手拭いを浸しては絞り、褌一丁になった俺に近づいて、一枚を手渡し、もう一枚で俺の背中を拭いてくれた。


「今日は柿と蜜柑鍋か?」

「ああ。近所のおばちゃんにもらった」

「そうか」


 顔を拭いた時に香った蜜柑と柿の匂いを控えめに吸い込むと腹が盛大になったので、あいつが背中を軽く叩くと同時に動き出して、葛籠から素早く着物と褌を取り出しては急いで着替え、座敷に上がる前に最後の仕上げに足袋を脱いで足を拭き、座敷へ上がって囲炉裏の前に胡坐をかくと、向かい合わせになった相棒の顔を淡い煙越しに見ながら、手を合わせていただきますと言い、用意してあった箸と椀を持って、蜜柑に狙いを定めたのであった。


「っつーか、皮は剝かねえのかよ」

「ああ。おばちゃんから皮は食べた方がいい鍋なら食べやすいって言われたんでな。あ。食後の柿と蜜柑は皮を剝いて食べていいぞ」

「早く貧乏忍びから抜け出そうな」

「おう」


 俺と相棒は同時に蜜柑にかぶりつけば、熱々の水分が一気に口の中に放出されて、思わず呻いてしまった。

 まだまだ修行不足だな。

 上目遣いで互いを見ながら、忍び笑いしたのであった。











(2024.10.10)



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秋の夜長と柿と蜜柑鍋 藤泉都理 @fujitori

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