キミイロマグネット

音愛トオル

キミイロマグネット

 目、だった。

 何が、というのは、私が自分の恋心に気が付いたきっかけだ。


「じゃあね、紗奈さな

「――!う、うん。また明日……笹村ささむら


 いつも通りのその笹村の笑顔が、なぜか私の心に絡まってくる。

 夕日を背負って赤いのに暗い笹村の、その目がきらきらと輝いている。その目で、私を覗いている。

 その瞬間、私の鼓動は17年間の人生の間、鳴らしたことのない音を全身に響かせた。遠ざかってゆく笹村の後ろ姿を見つめながら、脳裏、そのスクリーンに映し出されているのは目、顔、笹村の笑顔。


「あれ……私、どうしたんだ?」


 恋愛に縁がない私が、スマホの検索画面で「恋 どきどき」と検索するころには、危うく最寄り駅を通り過ぎそうになっていた。慌ててホームに飛び出しながら、画面を滑る指が四文字ぶんのフリックをする。


――フリックで繋がる文字は、まるで星座みたいだ、と。


「初恋が笹村って。まじかよ」


 高校で初めて出来た無二の親友の目にときめいて、私は恋をした。



※※※



 紗奈は可愛い。

 いつも斜に構えて、移動教室も下校もお昼休みも、仕方なくウチに付き合っているんだぞ、という雰囲気を出している。そのくせ、ウチから紗奈を誘っていたのは、多分1年生の途中くらいまで。

 それから2年生の秋、今に至るまで紗奈はウチにずっとくっついている。


「笹村ってさ、なんか甘え上手だよな」

「え?ウチが?」

「うん。結局、いつも私がお菓子とかあげてるしさ」


 紗奈にはそう見えているんだと知って、正直かなり楽しい。ウチに言わせれば紗奈がいつもくれているのだ。

 そんな、自分のなつき具合に自覚のない紗奈といる時間が一番楽しいのだ。


――それなのに。


「あっ、紗奈。おはよう」

「あ、笹村。うん……はよ」


 いつもなら、口元をぴくぴく嬉しそうに緩ませてウチに手を振る紗奈が、月曜のその日からなぜか、ウチを避けるようになった。最初のうちは、ついに自分の距離感に気づいて照れているのかな、とか。何かのゲームかいたずらかな、とか。

 あるいは、相談したいことでもあるのかな、とか。

 とにかく、否定的なものは何も思いつかなかった。


「あれ、紗奈どこ行くの?」

「笹村!?えっと、その、今日は学食で食べるから」

「え、だったらウチも――って、もういないし」


 それが決定的な違和感に変わったのは、帰りのHRが終わった直後だった。

 スクールバッグに荷物をいそいそと詰める紗奈に、ウチは一緒に帰ろうと言おうとした。しかし、その言葉が生まれるよりも先に、紗奈の姿は教室から消えてしまった。

 今までこんなことは、なかったのに。


「紗奈……」


 放課後の喧騒の中、ウチだけが世界から取り残されてしまったみたいだった。


 

 その日の夜、きっと何か事情があったのだろうと努めて気にしないようにしていたウチは次の日、あっけなくその希望が砕かれるのを目の当たりにした。

 紗奈、と名前を呼んでも、「笹村」と返してくれない。

 生返事ばかりの、吐息になりかけの言葉とか、気まずそうな表情ばかりになった。


「ちょ、ちょっと紗奈。ウチも一緒に――」

「ごめん、先に行くから」


 紗奈の元からのクールな性格もあいまって、返事は絶対零度のような冷たさに感じられる。いつしか紗奈の表情すら見るのが怖くなって、声をかけるのも躊躇われて、後ろ姿を追いかけなくなって、そして――


 月曜日から金曜日まで、逃げられっぱなしのウチは週明け、とうとう紗奈に「おはよう」を言うのを、諦めた。



※※※



 やばい、笹村やばい。


「あっ、紗奈。おはよう」


 普段と同じおはようを聞いただけで、手を振ってくれる笹村を見ただけで――その目を見つめただけで、私は頭がおかしくなりそうなほどに顔が沸騰するのを感じた。あまりに熱が集まってくる耳を頬を隠したくて、


「あ、笹村。うん……はよ」


 ついそっけなく返してしまったけれど、正直それどころではない。

 ああ、「好き」って、「恋」ってこんなにも私をぎこちなくさせるんだ。

 笹村を前にすると、それまで当たり前に出来ていた全部が覚束なくなって、かっこわるい所を、挙動不審なところを、見られたくなくて、私はしばらく笹村に近づけなかった。笹村も罪なやつだ。離れていてもこんなにも私の心をかき乱してくる。

 今だって、いつもなら教室で2人で食べるお昼を、笹村から逃げて食堂で食べているが、対面で食べていたら色々気になって喉を通らなかっただろう。


「あー、笹村……私ほんとに、あんたが好きなんだな」


 その事実を口に出す幸せを、今は一人で噛みしめるだけで精一杯だった。


――そんな私が己の過ちに気が付くのは、次の週のことだった。



※※※



 結局連絡の一つもせずに、ウチはのこのこと新しい月曜の教室へと向かっていた。

 紗奈と築いただいたい2年の関係がたった1週間で壊れていくのにウチは耐えられなかったし、何よりもウチは知りたかった。どうして紗奈は急にウチを遠ざけるようになったのか。

 それに、


「紗奈と一言も話さない土日が、こんなにつまらなかったとはね」


 宿題も趣味もお出かけも掃除も、やることはたくさんあってそれなりの週末だったはずなのに、そこに「紗奈」がいないだけでその2日が淡泊になる。こんな状況なのに、ウチはなんだかそれが嬉しい。

 嬉しいついでに言えば、ウチはやると決めたことはすぐやるタイプだったから、運動部が朝練に向かうためにちらほらと駅から出てくる時間、既に紗奈を見逃さないように待っていた。紗奈もウチも電車通学だから、ここを必ず通る。待っていれば、絶対に見つけられる。

 朝のうちに話をつけてしまいたかった。


「――だって、紗奈がいないと寂しいよウチは」


 ウチに甘えてくる紗奈が可愛い、と言っておきながら、紗奈がいないとこんなにも弱ってしまうのは自分の方だったようだ。まだ冬を迎えていないとはいえ、秋の朝は冷える。

 ベンチに座るよりも立って待っていた方が少し身体が温まるような気がしたが、冷気はどこ吹く風とばかりに身体に引っ付いてくる。頬にまとわりつく不安に心が揺れているような気がしたが、とりあえず寒さのせいにしておいた。


「あ、笹村」

「え」


 だから、紗奈から声をかけられて、ウチはぽかんとしてしまった。

 紗奈を見つけたらなんと言って捕まえようか上手く言えるだろうか、と言葉がぐるぐると渦巻いていたというのに。こんなことなら、寒さのせいになんてしないで素直に不安を認めた方が良かったかも。


「あー、と……じゃ」

「い、いやいや、待って。待って紗奈!だめ、行かせないよ今日は!」

「え、ちょっ、笹村!?」


 おはようとか一緒に行こうとかでもなく、「じゃ」と言って先に行こうとした紗奈を、用意していた言葉をかなぐり捨ててウチは捕まえた。手を、腕を、身体を、離すまいとほとんど抱きしめる具合に。

 声色だけは必死に抵抗してみせた紗奈だったが、ウチががっしりと身体を掴んでいるからほとんど身動きせず――なぜか妙に熱い気がする――とどまってくれた。この場で問いただしてもよかったが、さすがに通行人が気になる。

 駅の裏手、人気ひとけのほとんどないこの乾いた場所でいいだろう。


「はぁ、もう!やっと捕まえた、紗奈」

「つつ、捕まえたってさささ笹村、あの、腕が」

「腕?だって逃げるでしょ、また紗奈」

「あ、あ、あ、あ」


 今も目がウチから必死に逃げようとしている紗奈だ、少しでも離したら駆けだしてしまうだろう。ウチよりも運動神経が遥かにいい紗奈を相手にしたらもう今朝は諦めるしかない。

 だからこうやって腕を抱きかかえているのに。


「……なんで、逃げるのさ」

「えっ」


 声に気持ちが乗ったら、ちゃんと話せる気がしなかったから出来るだけ感情を排した言葉を選ぶつもりだった。けれど、そんな器用な真似は自分にはできない。

 ウチはほとんど掠れた声に少しの雨を絡ませて、言った。


「理由があるなら話してよ。怒らせたなら謝らせてよ。ウチ、何かしちゃった?ひっぱたかれるくらいの覚悟ならしてるからさ。だから、だから紗奈……」

「え、え、え、ちょ、ちょっと待ってって笹村。た、確かにに、逃げてたけど――」

「……やっぱり」

「い、いや、あの、そうじゃなくて」


 歯切れの悪い紗奈、この期に及んでもまだはっきり言ってくれない。

 ぐぎぎ、と油の刺さっていないロボットみたいにウチから出来るだけ顔を背けて、背けようとして無理な姿勢をとったせいで首を痛めた紗奈はたっぷり1分ほど時間を使ってからやっと続けた。


――今更気が付く、紗奈の真っ赤な耳。


「――話さなきゃだめ?」

「だめ。じゃないと腕離さない」


 それはそれで、と小さく聞こえた気がした。


「……仮の話するけど」

「どーぞ」

「私が何か言っても、変に思ったり誰かに教えたりし――」

「するわけないでしょ」

「……そ、っか」


 バカ、と小さく聞こえた気がした。


「じゃあ、私が何を言ってもまた仲良くし――」

「当たり前でしょ!」

「……っ!」


 んじゅまっ、と小さく聞こえた気が……んじゅま?


「じゃあ、言う」

「うん」

「えと」

「うん」


 続く紗奈の一言は、ウチの人生で聞いたどの言葉よりも熱を孕んでいた。


「好き」


「……!」


 ウチにだって分かる。

 紗奈があんな風な前置きをした後の「好き」が、友達としてではないことに。

 そして、ウチは知る。


「あ、紗奈だ」


 半ば無意識に呟いたウチの目に飛び込んできた紗奈の目――きらきらと熱く光るその色、ウチを見つめる揺れる視線。

 ウチも、紗奈が好きなんだ。


「あっ、だめかも」

「……!」


 ウチは数秒、紗奈と見つめあって心臓が破裂しそうなほど痛み始めるのが分かった。これ以上目が合ったらどうにかなってしまうと思って、でも腕を離したら逃げちゃうかもしれないから。

 だからとりあえず、紗奈の背中を借りた。


「笹村」


 紗奈の声色には恐れと、深く傷ついた色とが見えて、ウチは慌てた。そうだ、「だめかも」なんて、それだけじゃ絶対違う意味になってしまう。


「違う、違うよ紗奈。ウチも分かったんだよ。紗奈が先週、逃げてた理由」

「――え?」

「だって……無理だよっ、紗奈のこと見てたらどきどきで変になりそう!」

「……え、ええっ?」


 痛みは困惑から理解、理解から喜びに変わり、喜びから不安に変わった。


「そ、それで……笹村、それはどういう」

「――ああ、そっか。言ったつもりになってた」

「あ、あの」


 恥ずかしいし苦しいし、今紗奈に自分の真っ赤な顔を見られたくない。それでもウチは紗奈を離した。

 腕も離して、この日初めて触れずに向かい合った。


「好きだよ紗奈!ウチ、紗奈のこと好きだよ!」


 それは告白であって、自分の気持ちを確かめるという意味ではウチなりの宣言でもあった。

 そうだ、ウチは紗奈が好きなのだ。女の子として。恋愛対象として。


「んじゅまっ」

「ん?」

「あ、あの……はふぇ」

「あははっ」


 ほら、やっぱり紗奈は可愛い。

 ウチは一歩、紗奈に近づいて腕を伸ばした。手を開いて、紗奈に微笑む。


「じゃあ、学校、行こ?」

「えっ、手つないだまま?」

「あの公園まで!お願い、あそこまでなら人も少ないしさ」

「で、でも」

「何、だってもうウチら――恋人、でしょ」

「まっ、だ……何も言ってない、けど」


 そんな逆接はほとんど順接だよ。

 ウチは中々握ってくれない紗奈に近づいて、紗奈にだけ聞こえる声でした。

 ぱっ、と顔を上げた紗奈は、ああ、なんて素敵な目をしているのだろう。


「分かった。じゃあ。公園まで」

「うん。それで、今からはずっとだよ――彼女さん」

「ひゃむっ、は、はい……っ」


 結局公園を過ぎてもしばらく、絡まった指は離れることはなかったのだった。



 ――それは紗奈にだけ引かれる磁石のような。

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キミイロマグネット 音愛トオル @ayf0114

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