最終話 エピローグ

 柔らかな日差しがバイオレットの屋敷を包む昼下がり。花々が咲き誇る庭園を臨むテラスでは、優雅なお茶会が催されていた。


 そこにはセレーナを中心に、バイオレット、アリサ、キリコ、アリシアが集まっていた。今日の会合は、魔女裁判の勝利とバイオレットの貴族院議長就任を祝う二重の意味を持つ特別なものだった。


「ようやく、あの混乱した日々が終わったわね」


 セレーナがカップを傾けながら静かに言うと、キリコが力強く頷いた。


「すべてはセレーナ様の勇気ある行動と、バイオレット様の人徳、誠実さの賜物だと思いますよ」


 キリコの言葉にアリシアも頷きつつ、感慨深そうに言った。


「こうして静かにお茶を飲む時間が戻ってきたことがなによりだな……国境沿いの紛争なくなって、平和のありがたさを実感している……」


 そう言ってアリシアは空を見上げた。


 すると、バイオレットが微笑みながらも、さらりと話題を切り替えた。


「ところで、アリシア。婚姻生活はどう?アレクセイ侯爵とはうまくいってるんでしょ?」


 その問いに、アリシアは顔を赤らめ、遠くに視線を逸らした。


「ええ……まあ、普通だよ。それより、バイオレット、次はあ、あなたたちの番じゃないの?」


「あら、話を逸らしたわね」

 

 バイオレットがニヤリと笑うと、アリシアは顔を赤らめたまま口をつぐむ。


その様子にセレーナは胸が温かくなるのを感じた。


(あれほど恋愛に奥手だったアリシアが、自分以外の人の恋愛を気にするなんて……成長したわね)



 その時、執事が現れて静かに報告した。


「お嬢様。来客がございます。アルト・デュラハン様がお越しです」


 一同の視線が執事に集まった。


「アルトがここに?」


 バイオレットが首をかしげる一方で、セレーナは小さく溜め息をついた。


(ついに戻る決心をつけたのかしら。)


 しばらくして、茶会の席に通されたアルトは、やや緊張した面持ちで姿を現した。手には美しい花束が握られている。


 セレーナはその様子を見て問いかけた。


「アルト……ついにバイオレットの元へ戻る決意ができたの?」


 アルトは一瞬驚いた表情を浮かべるが、すぐに首を横に振った。


「なにを言ってるんだセレーナ、違うよ、私は——」


 言葉を切り、アルトは深く息を吸い込むと、セレーナに視線を定めた。


「セレーナ、君に正式にお願いがあって来たんだ。どうか、私のパートナーになってほしい」


 その言葉に場が静まり返る。


 アルトはさらに続ける。


「私はあれから……生活態度を改め、君が提唱した株式投資も始めた。セバスチャンにも助けられて、なんとか家の財政を立て直せたんだ。……君が私のすべてを見抜いていたこと、あの議場での君の振る舞いを見て、ようやく理解したよ」


 そういうとアルトは視線を落とし、しばらく沈黙した後に再び顔をあげ、セレーナに一歩近づいた。


「私は、君に相応しい男に生まれ変わるつもりで努力を続けている。だから……改めて正式に、君にフィアンセになってほしい」


 セレーナは目を見開きながらも、やや困惑した表情を浮かべた。


「アルト……でも、バイオレットとあなたは、お互いが愛し合ってるはず——」


 するとバイオレットが笑いながら答える。


「セレーナ、何度も言ってるじゃない。私はただ、幼馴染のアルトがいなくなって悲しかっただけ。それに、彼があなたを望むなら応援したいと、心から思ってるわ」


 その言葉を聞いたセレーナは、バイオレットの瞳を洞察した。そこに偽りの色はなかった。そもそもバイオレットは一度もセレーナに嘘を付いたことがないのだ。


バイオレットの優しい声が静かに響く。


その言葉に、セレーナは思わず涙ぐんだ。視線を落としながら、胸の奥にこみ上げる感情を押さえきれずにいた。


(私の幸せ……そんなこと、考えていいのだろうか)


 バイオレットの言葉に触れた瞬間、真奈美として過ごした前世の記憶が鮮明によみがえってくる。


 毎日のように、会員の成婚のために、最善の選択肢を探し、時には夜通しで対策を練っていた日々。


 次々と幸せな結婚を掴んでいくクライアントたちを見て、彼女は心から「これが自分の使命だ」と信じていた。


 だが、その裏側で、彼女自身の時間はいつの間にか消え去っていた。


 気が付けば、自分の婚期を逃し、友人たちが幸せな生活を築く中で取り残されていた。

 

 それでも彼女は、自分を責めることはなかった。むしろ、「これが私の人生だから」と言い聞かせ、次に待つ会員の成婚を果たすべく奔走し続けた。


 それでも……最後は。


(……私は、逆恨みで殺された)


 思い出すのは、あっけなく前世が終わったあの夜。


お前みたいなやつは、消えた方が世の中のためになる」


 その言葉とともに自分のすべてを捧げてきた仕事が、自分の命が終わった。


 バイオレットの「自分の幸せを考えていい」という言葉が、深く胸に突き刺さる。


 前世の自分は、誰かの幸せを優先しすぎて、結局自分の幸せを見失ってしまったのかもしれない。


 ——でも、今はどうだろう?


 彼女を囲むのは、笑顔に満ちた友人たちの姿。


 彼らが求めているのは、セレーナ自身が幸せを掴むこと。もう、誰かに押し付けられるものではない。


 そう、幸せとは自分で選び、自分で掴み取るべきものだ。


 それは自身が、ずっと会員に伝えてきたことだった。


(それなのに、私は——)


 セレーナはそっと目を閉じた。


 涙が一筋、頬を伝いながら、彼女は心の中でそっとつぶやく。


(セレーナ……私、もう一度だけ……自分のために生きてみてもいいのかな)


 目を開けると、バイオレットの優しい笑顔が視界に入る。


「ありがとう、バイオレット。」


 静かに、けれど確かな声でそう告げたセレーナの表情には、覚悟と優しさが滲んでいた。


 するとアルトが手を伸ばし、セレーナの手を握った。


 「私はセレーナ君が好きだ。君がいたから、私は変わることができたんだ。」


 その瞳は純粋で、微塵の曇りも感じられない。



 その目を見てもいっさいの嘘がない事がわかり、セレーナがどきまぎしていると、女性たちはみな拍手をし「おめでとうセレーナ」と喜びます。


 しかし、次の瞬間。

 お茶会の賑やかさが一瞬にして静まり返る。


 そこに、セバスチャンが現れたのだ。


 同じく花束を抱え堂々とした足取りで歩くその視線は、真っ直ぐセレーナを捉え、周囲の空気を圧倒していた。


「アルト……おまえには申し訳ないが、セレーナを誰よりも愛しているのはこの私だ」


 低く、力強い声に一同の視線が彼に集まる。


 アルトが驚いた顔で振り返るが、セバスチャンは少しの動揺も見せずに続けた。



「あの議場で……私とセレーナは一つになった。そして二人で勝利を掴んだ。あれは、私の愛がセレーナに伝わった瞬間だと確信している」


 セレーナは目を丸くして彼を見つめた。


「もう、君を抱きしめ昇天することだけが、私の生きる目標となったのだ」


「はあ?!」セレーナの口から思わず大きな声が漏れる。


「え?」周囲の女性陣も一斉に驚きの表情を浮かべた。


 するとキリコだけが。呆れたように眉をひそめる。


「セバスチャン様、愛の告白くらい普通にできないんですか?」


「ちょっと待てセバスチャン!」


 アルトが一歩前に出る。


「そもそもセレーナと私をくっつけようとしたのはおまえだろ!」

「そうだ、だから引き離す権利も私にあるということだ」


「ふざけるな!変態め!おまえにセレーナはやらんぞ!」


 アルトが声を荒げるが、セバスチャンは勝ち誇ったように微笑み、鋭く切り返した。


「おまえはまだ、セレーナの手を握った程度だろう?」


「それがどうした!」


「私は……彼女とすでに口付けを交わした仲だ。つまり、この恋愛で完全にリードしている」


 その言葉に場が凍りつく。

 一瞬の沈黙の後、女性陣全員の目が驚きに見開かれる。


「えっ?!セレーナ、そうなのか?」


 アルトが震える声で尋ねると、セレーナは深く息を吐きながら冷静に答えた。


「それはレディ・ルミナスに、でしょう。しかも、不意打ちで」


 彼女はセバスチャンを鋭く睨みつけた。


「セレーナ・フォレスターとしてなら。セバスチャン、まだあなたとは握手程度の仲ですよ」


「な……私はあの時、心臓が止まる思いだったのに、ひどいじゃないか」


 セバスチャンは珍しく口元を歪めたが、その態度は相変わらず不遜だ。


「つまり、お前と俺はイーブンってことだな」


 そう言いながらアルトは、笑いながらセバスチャンの肩を叩く。


 一方で、女性陣は二人の言い争いを笑い混じりに見守っていた。


「さあ、セレーナ、どっちを選ぶの?」


 バイオレットが挑戦的な笑みを浮かべながら促す。


「えっ、でも、彼らがそこまで本気か、わからないでしょう?」


 困惑するセレーナに、アリサが即座に答える。


「セレーナ様はやっぱり、自分の恋愛はてんでダメなんですね」


「そうだぞ、正直言って私より不器用だと思う」


 アリシアがおどけた口調で続ける。


「私はどちらを選ばれても、セレーナ様を一生お守りしますよ」


 キリコが膝をついて忠誠を誓うように言った。


「やめろ!キリコ、ややこしくなるだろう」


 セバスチャンが慌てて彼女を制止する。


「いやいや、セバスチャン、おまえが一番ややこしいんだよ!」

 

 アルトが怒鳴る。


 その言い争いを聞いていた女性たちが、とうとう我慢できずに笑い出す。


 セレーナは大きな溜め息をつき、そっと後ろへ数歩後退した。


 そして、皆に背中を見せて逃げるように駆け出した。


「まって!セレーナ!」

「逃がさないわよ!」

「私もお供します!」


 後ろから笑い声と叫び声が広がる中、セレーナの唇には、この世界に来て初めての、心からの笑みが浮かんでいた。




 完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

今期を逃した婚活カウンセラーの私が政略結婚で没落寸前の悪役令嬢に転生して貴族社会を婚活無双する物語 月亭脱兎 @moonsdatto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ