第一章:幸楽美国編②

 人の群れが街路を忙しなく移動する。

 人々が街路を忙しなく行き交う。

 小菊と別れた二人は、出店に視線を走らせながら、幸楽美国の凄まじい賑わいに気を取られていた。周囲には、行き交う人々の声や子供の笑い声が響き渡り、四方八方に華やかな衣装をまとった令嬢たちが、楽しそうに話に花を咲かせている。まるで生きた絵画のような光景だった。

「賭博場はどこだ?」

 この賑わいの中に、賭博場が一つや二つ、すぐに見つかるはずだ。しかし、決して賭けをして遊ぶつもりはない。ああいった場では、つい手を出してしまうことが多く、楽しみ方も理解できずに距離を置いている。しかし、賭博場を探す理由は複数あった。頭上の太陽にうんざりしながら、看板の文字を探すと、突然、袖を引かれた。

「林琳、こっち」

「うん?」

「看板ばかり探しても見つからないって。役人に見つからない場所で開かれる事が多いんだよ」

 人の流れから抜け出した先で、仁は林琳の手を引いて、風変わりな店に入った。どんな目的があるのか、訝しげに周囲を見渡す。店内は雑多な物で溢れかえり、骨董屋か我楽多屋かも分からない。自由に動けるスペースは入り口付近だけで、動くと全ての物が倒れそうな気がした。天井からは、さまざまな品々が所狭しと吊り下げられている。

「誰かいないか。教えてもらいたい事がある」

 奥に見える部屋に問いかけると、店内に置かれていた物達に反響して妙な響きへと音を変えた。薄く伸ばした細長い鉄を極限まで折り、手を離した途端に発生するあの奇妙な音に近い。仁は両手で耳を覆いたくなるものの、顔を顰める事で耐えた。

「気色悪い店だな。師兄、見ろよ、この我楽多」

「もしかしたら高値で売れるかもな。いくつか貰っていくか」

 堂々の窃盗発言。近くにあった藍色の壺を手に取ると、底を見たり、中を除いたりしてぬけぬけと言う。この大きさならば夕食代にはなるか。

「ああ! 巫山戯るな! 勝手に触るんじゃない!」

「居留守する奴に言われたくないね!」

「俺は忙しいんだ!」

 男の頬には床の木目がくっきりと残っていて、無精髭と無造作な髪型からは、寝転がっていたことがうかがえる。整った顔立ちだが、人前に出る格好ではない。林琳が壺を逆さにしているのを見た男は、顔を蒼白にして狭い店内を掻い潜り、急いで壺を取り戻そうとした。

「あああ! お宝に触るな!」

 我が子を抱く姿で壺を抱きしめた。優しく撫で、林琳が触れた箇所を羽織の袖で軽く擦る。

「これだったら役人も近付こうとはしないだろうな」

 仁と目が合った林琳は、そのまま男に凍たい視線をやりながらせせら笑った。

「よく聞け、餓鬼。これはな幸楽美国でも数少ない貴重な壺だ。この藍色の塗装を施せる職人はもう存在しない。どれだけ苦労して手に入れたと思ってるんだ」

 じっと舐めるように壺を鑑賞した男は、満足したのかそっと元の場所へ戻すと、己より背の高い二人を見上げる。端正な容姿に面食らってぽかんとしてしまった。大切なお宝を取り戻すことに必死で気にしていなかったが、よく見ると二人とも魅力的な男だった。夕焼けを宿した瞳の持ち主は、少し顔色が悪く、健康とは言い難いが、庇護欲をかき立てる。隣の黒髪は鍛えたようで、細身の体にしっかりとした筋肉がついている。普段この場所に訪れる人間とは違う雰囲気を持っていたため、彼らが旅人であることが理解できた。

「突然邪魔したのは申し訳ないけど、居留守するおっさんも悪いよ」

「ふん。……餓鬼が一体何の用だ」

「この国で一番大きい賭博場を……」

 賭博場と聞いた男は、目を皿にして、部屋の隅へと逃げた。隅と言っても物で溢れかえっているこの場所ではさほど隅とは言えないが。林琳が「おい、どうした」と声をかけた途端に男の様子がおかしくなる。身体を震わせると「しゃ、借金は来月までに返す!」と意味不明な言葉を放った。心当たりのない内容に二人は首を傾げて、部屋の奥に引き返そうとする男を、仁が素早く男を捕まえた。

「すぐに用意はできないんだ! 頼む、時間をくれ!」

「暴れるな、締めるぞ」

「ひっ……!」

 懲りずに暴れる男の横から、林琳が竹先を向けて静止させる。まだ突いていない。一般的な体格にもかかわらず、意外な力で抵抗する男に、仁はその肘を掴み、無理矢理前屈みにさせる。最小限の動きで男を床に押し付け、「どうする?」と林琳に問いかけた。

 その瞬間、からんと何かが落ちる音がした。

「札……?」

 それは男の懐から滑り落ちた木の板だった。林琳は興味を引かれ、その板を手に取り、じっくりと観察する。林琳の手の半分ほどの大きさで、正方形に近い寸法、非常に軽い。

 指先に凹凸を感じたので裏返すと、一面に大きく「伍」と掘られている。何らかの番号を示しているらしい。文字の下には小さく「京」と刻まれていた。ますます怪しくなってきた男を前に、林琳はどうするか悩んでいた。

 仁は賭博に関する知識に長けていた。開かれる場所、参加する人間、行われる取引について。宗派の仲間と旅をしていた頃は、情報収集の役割を担っていた。

 この店が賭博場ではないととっくに気が付いている。

「へー相当借金抱えてるんだな。使い込みすぎ。一月じゃ返せない金額じゃん」

 愉快そうに札を林琳から受け取り、軽々と弄ぶと、男は背中を丸めて蹲ってしまった。腕に古傷があるのは、暴力を振るわれていたからだろうか。

「"伍"ってのは、借金している金額。そうだなあ、藤の連れていた馬を競にかけたら、多分それぐらいの値がつくよ。京はこいつの名前」

 仁は林琳に事細かに説明した。普段賭博に興味のない林琳が札をもっと見ようと手元を覗き込むと、さらりと朱色の髪が仁の顎を掠めた。思わず頬が微かに緩むのを感じた。静まれ、俺の頬。このまま形のいい頭に擦り寄ったら、命が危うい。仁は必死に意識を他に向け、林琳が離れたのを察すると、京の前に札を掲げた。

「どこで賭けたんだ? こんなに借金ができる賭博場なんて、並外れた規模さ。教えてくれよ」

 黙秘するつもりか、京は依然として口を割らなかった。口を割れば、借金先に殺されるに決まっている。賭博で生じる一群は、心を持たない残虐な人間たち。役人に見つかった酒屋の店主が酷い死に方をしたのは記憶に新しく、京は何としても口を割るわけにはいかなかった。旅人だと勘違いしたことを悔やんでいた。

 想像以上に怯える姿に可哀想だとせめてもの情けを仁は与える。耳元で聞こえた忠告に、京は心臓が跳ねるのを感じ、嫌な汗が流れる。

「ご無沙汰だからな、上手くできなくても責めるなよ」

「いや言い方……」

 仁は流石にそれはないと頭を抱える。

 二人は昔から問題児として様々な宗派から指摘を受けていた。特に林琳の方は人でなし、と罵られたこともある。本人は一切気にすることもなく、余計にその表現が彼に当てはまっていた。

 誰がどう見ても脅迫だ。庇護欲なんてちっとも感じない。威圧に京の心はぽっきりと呆気なく折れ、捨て鉢になる。

「妓楼だよ! 通りからでも楼閣の頭が見える。張家の屋敷とは正反対にある妓楼だ」

 そこで行われる賭博は違法と言われても弁解できない。聞く話によると、名家だけでなく商人、旅人までもが参加しているため、金の出所は妓楼そのものではないらしい。元締めがいるはずだと仁は即座に理解した。しかし、同時に何となく、元締めの人物は誰も知らないのだろうと察した。

「ちゃんと教えた、返済は待ってくれ!」

「待つも何も、俺達は関係ないけど」

「勝手に勘違いして喋ったのはお前。馬鹿なの? 大方、役人の手先か、元締めの手先だと思ってるみたいだけど」

 役人の手先ならもっと情報を搾り取るし、元締め側ならどこで儲けたなど聞くはずがない。度肝を抜かれた様子の京は、弾かれたように立ち上がり、吠えた。

「だ、騙したな!」

「騙したも何も……」

 脅しはしたけれど、危害は加えてない。札を京の手に握らせると、仁は京の方をポンと叩いた。同じ賭博好きとして、先程の脅迫を忘れて慰めている。

 わかるよ、その気持ち。次こそは勝てるって信じて、負けた分を取り返す為に掛金を上乗せするんだよな。上手くいけば負けなしの勝ち越し。夢があるよな。それでも限度ってものがある、独り身だからって無理をするな。

 徐々に説教になっているのを仁は気づいているのだろうか。その前に京が独り身だと決め付けるのも、大概失礼だと思う。変な友情が芽生えている賭博組を尻目に、林琳は退屈そうに中を見て回る事にした。

 部類の異なる様々な我楽多に視線が散漫になる。さっきの壺も然ることながら、確かにお宝と評するに値しそうな物も数多くある。その手には詳しくないので、素人目線だが。

 その中に見覚えのある木箱を見つけた。漆喰で塗られた、あの木箱だ。何故ここにあるのかと、林琳は木箱を手に取った。小菊の持つ、木箱と瓜二つだ。音を立てずに蓋を開けると、中には想像通り指輪が一つ。小菊は最後の贈り物だったと言っていたし、この辺りで流通していた流行り物かもしれない。しかし、借金をしてまでも我楽多を集めている京が、流行り物を買うだろうか。否、その可能性は多いに低い。特に京は我楽多(京に言わせればお宝)流行り物ごときに金を出す男には見えなかった。

 借金を返済するために我楽多を売ることを嫌がっているのだろうか。この木箱はそれほど価値があるものなのか。 ただの流行り物ではないとすれば、母と子、二人で暮らしていた裕福とは言えないあの家に、何故それが存在していたのか。

 拭いきれない不信感を胸に、林琳はそっと木箱を先程とは違う場所へと戻した。


 

 ◆



 馬丁の藤が屋敷に拾われたのは、善悪の判断ができない無垢な幼い子供の頃だった。彼は辺境の地で生まれた孤児で、気が付くとこの国に辿り着いていた。後から聞いた話によれば、人身売買で荷台に隠されていた孤児を見つけたのが始まりだったらしい。しかし、藤の記憶では他にも孤児がいたように思うのだが、主人は頑なに「お前しかいなかった」と言う。彼がそう言うのであれば、それが事実なのだろう。たとえそれが真実でなくとも、ただの使用人の立場では何も言えない。

「藤、こちらへ」

 厩舎で散歩から帰った馬を手入れしていると、西廂房(藤の主人が住む場所)から声が聞こえた。純白の衣を纏った二十歳中頃に思える主人が、手招きしているのが目に入った。微笑みを浮かべた顔で、馬の世話で汚れた藤を呼んでいる。

「御主人様」

「今夜、出かける。馬を出しておくれ」

「はい」

「炎希は使えるか」

 炎希とは主人の愛馬の名前で、今朝散歩を催促してきた馬だ。正真正銘の牡である。

「はい。旦那様方は別の馬をお使いですので、お出しできます」

 北側にある正房(屋敷の主が住む場所)には誰もいない。今この屋敷にいるのは、藤の主人である陳・白琵だけである。白琵はほっとした様子で「良かった」とその眉目秀麗な顔を緩ませ笑う。踵を返す白琵に藤は慌てて礼をすると、炎希の鬣を念入りに梳かした。名の知れた家の子が乗る馬だ。他の者に見下されぬように、細心の注意を払わねばならない。一心不乱に手を動かした。

 そういえば、今朝話した男たちは一体誰だったのだろう。見覚えのない顔だったが、長髪の後ろ姿に昔馴染みの面影を重ねた。それにあの家は冬楽の住まいで、母親の小菊が一人で生活していたはずだ。小菊はお節介焼きの性格だと、藤は冬楽から間接的に聞いていた。あの二人は客人だったのかもしれない。

 冬楽が消えて、もう三年が経った。

 引っかかりのなくなった鬣を、するりと滑った腕が重力に沿って落ちる。長髪を風に照らし、体を河川で冷ます光景が脳裏に弾けた。屋敷に近い、幅の広い河川。冬楽はいつもそこにいたというのに。「藤!」と名を呼ばれることは、もうないのだ。途端に藤は目の奥が熱くなり、胸の奥を抉られる感覚に襲われる。探しに行く勇気も、この屋敷を出る覚悟も、臆病者には持ち合わせていない。自分を恥じることで、藤は余計に……死にたくなった。愚か者の情けない感情だ。藤は足元が揺れるのを、なけなしの自尊心で耐え、炎希の鬣に顔を寄せた。目に沁みる感覚を終わらせるため、ぎゅっと瞼を閉ざして零れ落ちるのを防いだ。そうやって深く深く、抉られている胸にも蓋をした。ああ、早く、収まれ。

 どうしたの、何があったの、と湿った藤の背を鼻で摩る。

「お前は優しいね」

 細長い耳を傾け、物悲しい声で炎希は鳴いた。



  ◆



 "金桃楼"

 すっかり日の沈んだ幸楽美国では、妓楼の金桃楼が人を集めていた。人の流れは大きく二つに分かれ、一方は妓楼へ、もう一方は張家の屋敷へと向かっている。よく見ると、身なりも異なる。

「どうせあいつらもこちら側へ来る。何たって屋敷の門は動かないからな。何が面白くて屋敷なんて見に行くんだか」

 酒瓶を逆さまにして微かに落ちてくる雫を楽しむ京。

「別嬪さん! もう一本!」

 男を見定めていた妓女を呼び止めたのは京だ。そばには林琳と仁がいる。妓女は無精髭の京に対して嫌そうな素振りを見せたものの、若い男たちに視線を向けると「すぐにお持ちします」と熱い視線を残して去って行った。

「は、見た目で判断しやがって。俺は客だぞ」

「人の金で呑んでるやつが客な訳あるか」

「ここまで案内してやっただろうが!」

「なあ、用済みって言葉、知ってるか? 後ろからつけて来た挙句に、無銭飲食。馬鹿なの?」

「……ふん」

 悔しいが、京には返す言葉もなかった。

 あれから二人が金桃楼に足を運ぶのを予想していた京は、しっかりと戸締りをしてちゃっかりつけて来たのだ。入り口で妓女に捕まり「三名様ですね」と記憶にない人数で、後ろを振り返ると、多少身なりを整えた京の姿が目に入り、発覚した。

 借金に追われているのに敵地に乗り込むような真似をして、脳味噌も我楽多で詰まっているのか。あれだけ怯えていた癖に、妓女に絡むし、とても借金に追われているなんて思えない。林琳は到底理解できないと溜息を吐いた。

「お兄さん、こっちで遊びましょう?」

 美しい顔のぽってりとした唇に紅を引いた妓女が、京に視線をやっている仁の頬に指先を滑らせた。どう見ても誘っている仕草だが、仁は己の頬に触れた指をそっと優しくいなすと、妓女が持つ酒を取る。ほとんどが京の腹へと収まっているので、林琳は仁から受け取ると、その酒を一番遠い場所へと置いた。

 机には沢山の料理が並び、中にはこの幸楽美国特有の新鮮な果物が鮮やかにその身を輝かせている。林檎はこれ以上赤くなれば、赤色ではなく茶色へと身を腐らせる、そんな色だ。

「ほら、林琳。もっと肉を食べなきゃ。そんな林檎ばっか食べてないでさ」

「やめろ、皿に置くな」

「それ、ちゃんと食べるんだぞ」

 聞く耳持たずだ。腹を下しやすい体質を忘れたのか、あるいは、俺の腹は無敵になったとでも思っているのか。山盛りになった皿を(それでも成人男性にしては少ないが)苦い表情で睨む。

「ねぇ、どこからきたの?」

 どうやらこの卓についたのか、妓女は林琳の隣に陣取ると酒を注ぐ。その所作までが芸術の一種に値すると京はうっとりと目に焼き付けた。

「そいつには注がなくていいから」 

 どうにか肉を口へと運びながら、箸先を京へと向けた。「ふふ、わかりました」と艶笑した妓女は一つ、杯へと注いだ。恐らく林琳に対してだと思うのだが、注がれた酒は仁へと押しつけ、妓女がもう一度杯に注ごうとしたのを制する。妓女がぴたりと動きを止めたので、林琳はその酒を奪うと別の杯へと注いだ。もしここがどこか名家の会食の場であれば、即刻罰を与えられる行為だ。だが、ここは妓楼。この程度の無礼は、軽いものだ。全く気にしていない妓女は様々な話を聞いてくる。適当にはぐらかして答えていると、妓楼の雰囲気が一転した。適当に誤魔化して答えていると、妓楼の雰囲気が一転した。隣に座る妓女も惚けた表情をしているので、一体何だとその視線を追うと、妓女を凌ぐ美しい男がいる。妓楼に遊びにきた人々は皆、その男を見ると感嘆のため息を漏らし、賑わっていた空気は全て男のものとなってしまう。

「白琵様、今宵こそ誰かを買われるのかしら? ……きっと誰も選ばれないでしょうけれども」

「白琵?」

「そうよ。張家の唯一の分家、陳家の御子息よ。よくいらっしゃるのだけれど、誰も買わないの。噂では意中の人がいるって話よ」

「へぇ。良いところのお坊ちゃんが、こんな場所に来るなんて、変わってる」

「いつも外交のお付き合いよ。ほら、よく見て」

 妓女の目線をさらに追うと、白琵とは違い、商人らしき姿がちらほら見える。身なりもこの場では少し浮いているし、白琵が知性に溢れていると喩えるなら、彼らは武芸に長けていそうな肉付きだ。あれらが外交の相手だろう。白琵は上等な妓女を数人呼ぶと、料理と酒を指示し、二階の奥へと消えていった。

 内緒話をしている二人を訝しむ仁は、つまらなさそうに、とろりと煮込まれた肉を摘んだ。

「なぁ、陳家は商人の生業なのか? 外交なんてお偉いさん方の仕事だろ」

「え? えぇ、私はそういった類の話はよく分からないのだけれど……」

 妓女、蓮華はたどたどしくも話す。


 

 陳家は張家の唯一の分家でありながらも独立した生業を持ち、国を支えている。それが他国との橋渡し、即ち外交であった。幸楽美国では塩や鉄などの取引も盛んであり、各国から取引が持ちかけられる。それらを陳家と、張家に使える大臣が握っている。また、張家は国の長ではあるものの、皇帝と呼ばれるような一国の王ではない。幸楽美国が今現在まで姿を変えるまでに、国民に寄り添い、親しまれてきたおかげで、長として崇められているのだ。——神として信仰する者さえいる。

 


「白琵様の従兄弟は国外では、幸せを運ぶ鳥と呼ばれる素晴らしいお人と聞いたわ」

「なんだ、見た事はないのか」

 林琳が蓮華を覗き込み尋ねると、ぽっと頬に赤い花が咲いた。

 夕焼けを隠した瞳が蓮華の瞳を捉えた時、予想もしない視界の揺れで、体勢を崩して反対側に倒れ込む。ぽすん、と背中から人肌を感じた。

「もういいでしょ!」

 頭上から聞こえる声は熱を持ち、肩に置かれた手は、林琳の肩をしっかりと握っている。そこから伝わる熱が鬱陶しく、身動ぎした。

「おーおー。見せつけるねぇ」

 目の前に座る京は怪訝な顔を隠さず、虫を払う素振りで「他所でやれ」と声を上げた。京は取り上げられた酒瓶を一瞬の隙をついて掴み取ると、そのまま豪快に美酒を味わった。

 先ほどから親しそうに話している二人に対して、仁は幼い感情を隠せずにいた。師兄である林琳は昔から人を寄せ付けない男で、人見知りとよく言われていたが、単純に面倒だからと集団行動を避けていただけである。ただ、片燕だけは許されていたようで、一人話しかければ、後輩たちに囲まれているのだ。本人は仏頂面で逃げようとするものだから、後輩たちはあの手この手で捕まえる。そして、異常なまでの怪奇好きでもある。

「暑苦しい」

 仁の胸板に寄りかかっている状態から抜け出すと、肩が触れない距離で胡坐をかく。

 恐らく白琵が談話しているであろう個室を何気なく見る。丁度林琳たちの卓からは、固く閉ざされた扉だけがわずかに見えており、中は伺えない。

「気になるのか?」

「黙って飲んでろ」

「飲む酒がない。そうだなぁ、追加でこれだけよろしく」

 指が五本、天を指している。

 ぎょっとして仁が「おい、俺の金だぞ」とその指を折る勢いで掴むが、蓮華は名残惜しそうに林琳を横目で見て立ち上がると、甘い香りをふわりと残した。勿論、仁は美しい女が離れたというのに目もくれない。

 林琳の目線が一定の場所で留まっているのを京は見逃さなかった。林琳の皿に積まれた肉を横取りしつつ、京は賭博の話を持ち掛けた。

「今日はどれだけ賭けるんだ? これだけ食ったんだ、それなりに資金はあるんだろう」

 食ったのも飲んだもの、半分以上がお前だぞ。おまけに賭博まで催促か。それに林琳の肉を食うな。泥棒が。どいつもこいつも、気に入らない。罵詈雑言が飛び出しそうになるのを、仁はぐっと耐えた。

 妓楼内を優雅に客を探している妓女の中で、京がある特定の妓女を呼び止めた。他の妓女や蓮華に比べて装飾が多く、手首には煌びやかな腕輪が付けられている。翡翠の腕輪が女の細さを際立たせた。「如何なさいましたか?」と、蓮華とは違った完熟した妖艶さを見せる。

「これを」

 何やら懐から紙切れを取り出し、その妓女に手渡す。

 恋文か、身請けか、と二人が見ている前で、妓女は他の客に見られぬように器用に目を滑らせる。どうにか見ようとするが、妓女は傍にあった蝋燭で紙切れを燃やしてしまった。一体何が書かれているかわからないが、賭博場への入り口だと答えが少し間を置いて脳裏に浮かんだ。

「承りました。では、こちらへ」

 妓女の唇が、挑戦的に弧を描いた。

 最上階の一番奥、絶対に日を拝むことのできない、四方を妓女の部屋に囲まれた一風変わった場所。林琳たちは幸楽美国最大の賭博場に身を置いていた。目の前で繰り広げられる、多額の賭博のやり取り。金だけではなく、価値のありそうな掛け軸、衣、宝石が賭博の結果で次々と持ち主が変わる。まさか妓楼内で行われているとは誰も思わないだろう。林琳たちは京から渡されていた外套を頭から深く被り、素顔を隠す。街道を歩けば注目の的だが、この場では何もおかしくはない。おおよそ半数は素顔を隠しているからだ。

 京はすでに戦場についており、早速運との戦いを始めるようだ。

 ——賭ける金があるなら酒代を返せよ。

 ごもっともである。

 賭博場はさほど広くはなく、いくつか置かれている行燈からの光で照らされている。薄暗い中で微かに照らされる世界では、扉の外にある世界とは天と地の差。仁はこういった場に慣れているのか、得意な賭け事を探しているようだ。

「勝ち目は?」

「八割」

「残りの二割は?」

「取り返せる」

 懐から銀を取り出すと、双六勝負に身を投じた。万国共通ではない賭博でも、双六は基本的に動きが同じようだ。まず、双六の個数を決める。最も少ないのが三個、最も多いのが六個だ。個数は交互に決める。その後、全ての双六の目を足した数字を予想し、賭ける金額を伝え、実際に振る。簡単な流れだ。申告した数字と出た目が同じなら相手の賭け金ごと返ってくる。逆に、相手が目を当てればこちらの賭け金は相手の懐へ。ちなみに一対一の勝負である。双方外せば賭け金は賭博の元締めへ。仁はよく分かっている。この手の勝負には必ず不正が隠れていると。もし目の前に座る小太りの男が不正なんて愚かな行為をしたら、懐に隠した匕首で切り刻むかもしれない。ぎらぎらと獲物を射抜く視線に、男は脂汗をかいていた。

 仁から個数を決める。

「五つ、目は十九」

「目は十五」

 双六を振る。

 ——十二

「四つ、目は十」

「目は十三」

 双六を振る。

 ——七

「……六つ、目は三十」

「二十五!」

 ——三十

「ご馳走様」

 悔しげに賭け金を投げつける男。その様子を見ながら、仁は何度も双六を繰り返し、次第に懐が潤っていく。林琳は物珍しそうにそれを眺めていると、京がふらっと後ろから覗きに来たのに気づいた。どうやら彼も今回は相当儲けているらしい。心なしか少し浮き足立っている。

「兄さんもやってみるか?」

 参加するか否か、答えを決めかねていると仁と席を変わる形で、舞台に上げられていた。最大限声を小さくして、「さぁ、個数を決めて。大丈夫、勝っても負けても問題ない」と囁くものだから、一つ頷いて双六を三個振る事にする。こちらの出目は十、相手の出目は七。双六を振る。

 面白い事に林琳が双六を振れば振る程、連敗する。本人を差し置いて、勝手に盛り上がっている外野に嫌気を覚えつつ、林琳は最後の双六を振った。完全に出目を期待していない仁と京の視線が双六を捉えた。

「お前、とことん運がないな」

「……これでお終いにしよう」

 やめろ、肩を叩くな。勝っても負けても同じだと言っただろう。林琳は目深に被った外套の隙間から仁を恨めしそうに睨む。若干軽くなった仁の懐に対して申し訳ない気持ちはまったくなく、お前のせいだぞと小言を漏らしたい気持ちでいっぱいだ。

 賭博場に来たのも、こんなふざけた遊びのためではない。情報収集が目的だ。役人の目をかい潜って行われる賭博に姿を現す人間は、碌な生き方をしていないだろう。賭け金が正当な金であるかどうかも誰も知らない。実際、京の持ち金が本当にこの男のものなのかすら不透明だ。

 周囲の人々はそれぞれに賭博を楽しんでおり、中には設けられた卓で怪しい取引をしている者もいる。豪華な箱からは真珠の装飾品や、見たこともない異国の薬草が取り出されている。禍々しい色合いの薬草は、各国で問題視されている阿片だ。過剰に摂取すれば幻覚や幻聴を引き起こし、最終的には中毒になることもある。治療用に少量を用いる場合もあるが、継続的な使用は禁じられている。少し下の階で白琵が外交の取引を行っているというのに、その上では阿片の取引や大規模な賭博が行われている。国の長や張家の人間が見たら、卒倒するに違いない。

 さりげなく聞き耳を立てていると、左の卓から突然言い争いの声が響いた。

「でたらめを言うな! 出目は八だった!」

「よく見てみろ、この場に出ている出目は二十だ!」

「確かに八だった! 目を離したすきにすり変えたんだろう!」

「くだならい負け犬が吠えるな、さっさと金を出せ!」

 男は今にも掴みかかり、殴り殺そうとする勢いで、周りも玩具を見つけたように囃し立てる。これではいつか殺人が起きると思ったが、無論止める事はしない。暫くそうやって遠くで傍観していると、今日はもうお開きの雰囲気を察して人がまばらに消えていく。ただ、一斉に扉から大勢の人が出てしまうと通常の客に怪しまれる可能性があるからか、何名かが外の様子を確認して、捌ける。言い争う二人が屈強な男達に、引きはがされているのを尻目に、呆れた京が間合いを二人に見て声をかけた。京も仁も懐が潤っているから、あんな目を向けているが、立場が逆であればまた違うのだろう。林琳は何が面白くて賭博をするのか、連敗をした身からは見出せなかった。

 流れに沿って賭博場を後にすると、突然ドン、と何かにぶつかる。

「いっ……」

 おまけに足を踏みつけられ、林琳は我にもなくその背中を追いかけそうになる。しかし林琳よりも早く、仁が長い足を使い器用に引っかけるが、予測していたようで、易々と逃げられてしまった。じくじくと鈍く襲う痛みと、踏みつけられた痛みに林琳はその場にあった香炉を力任せに投げつける。真っ直ぐ軌道を変えずに飛んだ香炉は、鈍い音を立て、直撃する。隣から煽てた口笛の音がする。怯んだ隙にもう一発と、別の香炉を手に、先程よりも素早く投げた。狼狽えた人影は避けようと身を翻すが、避けた先は木彫りの扉が全開で、そのまま妓楼の外へと転がり落ちて行った。瓦にぶつかる音が微かに響いたが、それもぴたりと止む。

 思いがけない出来事に、京は狼狽えた。彼は扉の近くまで駆け寄り、下を見下ろす。変わり映えのない、妖艶な景色が広がっていた。人が倒れていないか、目を細めて必死に探す。もし最上階から落下したのなら、どこかに引っかかって救助を待っているか、あるいは地面に叩きつけられて血の海と化しているだろう。瓦はいくつか剥がれているが、人の姿は予測した落下地点から遡っても見当たらなかった。街からは悲鳴も上がっていない。死体が出来上がっていないと知った林琳と仁は、心の中で「ざまあみろ」と嘲笑っていた。

「師兄の投擲、最強だな!」

 京の米神に怒りの印が浮かび上がり、怒りの圧を受けて木彫りの扉が軋む。

「悪餓鬼共が!」

 爆発したように怒る京が二人の首根っこを掴み、脅威の速さで人目につかない階段を駆け降りると、妓楼の裏口から放り出された。そこは我楽多屋敷までの抜け道だった。

「もし死んでいたらどうする! 役人に見つかって、このお宝も奪われるところだった!」

 我楽多屋敷に戻るや否や、京はこの怒り様だ。耳にたこができるほどの叱責だった。小部屋で着古した衣に着替えながら、京は二人を叱りつける。

「その時はあんたを餌に逃げてたよ」

 うんざりした表情で仁が言い返す。もうかれこれ半刻、この状態が続いている。叱られる身になりたいものだ。

「結局、収穫なしかぁ」

 すっかり聞く耳を捨てた仁と林琳はどうしたものかと天を仰ぐ。

 消えた小菊の息子、姿の見えない国の長。張家の開かずの扉。怪奇の匂いで充満した事件は、簡単には尾を見せてはくれないらしい。何人も消えているというのに、この国は怯える事なく、普通を装って生活している事が変に思える。賭博場で耳を傾けても、それらしき言葉は現れず、無駄足だったと舌打ちする。うっかりこちらが巻き込まれるところだった。

「この国に一体何を探しに来たんだ? 貿易以外に取り柄のない国だぞ」

 飲み直すことにしたのか、京は酒瓶を二本取り出し、投げて寄越した。パシリと右手で受け取り、林琳と仁は剥げた長椅子に腰を下ろす。京は仁側の肘掛けにもたれて座った。

 仁は答えに迷い、さりげなく酒で誤魔化した。潤った懐によって気分が高揚している中、下手に口を開けば余計なことを口にしてしまいそうだった。

「怪奇探し」

 長い脚を組み力が抜けたように、林琳は背もたれへ体重をかけ、天井を見上げて告げる。異常に疲労感が凄い。現世に戻ってから想像以上の時間の流れに接していたからだろうか。このまま眠りそうになるが、意識ははっきりとしている。

「は……? 怪奇?」

 急に長椅子が揺れ、反動で傾いた。

「お前達……どこかの宗派に属しているのか」

 なんてことだ。京は身体中の血液が冷えていくのを感じ、現実と夢の境目が曖昧になる錯覚に陥った。滑り落ちた酒瓶はとうに割れ、甘い酒の匂いが充満するのさえどうでもよくなっていた。沸き起こる感情に名前を付けかねていると、足の先から堪えられない悲哀が身体中を巡る。

「今更、何をしに来た」

 冷えた腹の底を振り絞り出した言葉は静かで、そう言わなければならない、まるで義務で溢れた音色だった。

「何人も消えた。子供を亡くした親は、自ら命を絶った人間もいる! 大勢の人間が死んだ……どうして、もっと早く来なかったんだ!」

「五月蝿い」

 林琳から叩きつけられる感情のない言葉に、仁は背筋が凍った。

「じゃあ聞くけど、長である張家の人間は助けを求めたのか? 誰かが声を上げたのか? 怪奇を隠しているのは、この国だ。無責任に仕人を頼るな」

 目を瞑ったままの林琳は興味がなさそうにしていたが、京を蔑む目で見つめていた。

「また勝手に勘違いをしているけど、俺は仕人じゃない。ただの旅人だ」

 その言葉に反応した仁が林琳に何かを言いかけるが、京に遮られる。 

 なぜ仕人でもない人間が怪奇を探すのか。隣にいる男も旅人か。またこの国は怪奇に襲われ、それを隠して歴史を刻むのか。京は己を締め付ける思考と、林琳からの鋭い意見に何も言えなかった。

「夢天理が来てくれれば……」



 "夢天理"

 複数の宗派が同盟を結び、出来たのが夢天理と呼ばれる組織だ。宗派は勿論、宗主は皆平等の位置付けである。故に、時に大きな怪奇には手を組み調査にあたる。謂わば、世界で最も大きな組織である。



 林琳はその名を嫌というほど耳にしてきたので、さらに疲労感が増した。林琳を問題児と呼ぶのは主に夢天理の人間だからだ。それに、昔から付き纏ってくる目障りな男を思い出す。二度と会いたくない男だ。今世で二度と会わないように努力できるなら、辛い修行よりも精進してみせる。

「なぜ怪奇を隠すんだ。国民は気付いてるだろ」

「……気付いていないから、問題なんだ。怪奇じゃなく、神への生贄に選ばれたと信じている。だから、終わったことは誰も口にしない」

「その神が怪奇だと知らない……張・周郗は何をしている? 阿片の取引なんざ、そうそう見ないぞ」

「さぁな。今でも屋敷で寛いでるんじゃないか。どうでもいいのさ、この国のことなんて」

 何十年と怪奇が棲みついて人が喰われている。もう何をしても無駄だと冷笑する。神が人を攫い、喰うものか。人々は張家を神と祈り、国の繁栄を願う。犠牲となった人間は生贄として供養され、残された家族には多額の金が陳家から極秘に贈られた。

「陳家? 分家の一族が払うのか」

「正確には張家の指示のもと、陳家が代理でな」

「長の姿がないだけで、人間は屋敷に存在しているのか」

「当たり前だろ。この国の政を動かしているのは張家だ。陳家は外交を担っているだけで、国の政は関与できない。新しく法令が決まれば、長に仕える大臣が伝令を出す」

「陳家と張家は……人間が人知れず消える現象を怪奇の仕業だと知った上で、隠しているのか」

「怪奇の住み着く国と……外交したがるぶっ飛んだ国がいるなら、見てみたいっての」

 確かに、と仁は三回頷いた。

 怪奇に巻き込まれたら最期、碌な死に方をしないからである。それこそ、林琳が竹林で見つけた奇妙な魂がいい例だ。誰しも死後の世界が気になるものである。できる事なら、苦しみから解放され、穏やかな世界を望むだろう。輪廻転生の渦に戻ることが、正しい死に方なのだ。

「怪奇を隠すなんて……それは国を滅ぼすのと同じだろ。今までに何人も行方不明になっているなら、怪奇に気付く人だっているはずだ。身内を失った家族だっているはずなのに、……この国の人々は幸せそうだ」

 街路で見た人々を思い出す。甘美な衣装、賑わう人々、嬉しそうに舞う花びらたち。全てが完璧で、国民は幸せであるかのように見えた。

「洗脳だ」

 林琳は初めからそこに答えがあったように笑った。

 怪奇を神と思い込ませる。神がいなくなったこの世界で、各地で人々は縋る先を見失っていた。幸楽美国では、国の長を神として崇め、縋ったのだ。何事も“神"の仕業だと言い訳にして、都合の良い物語に消化する。“神に選ばれたのだ"と何十年も教え込まれてきたのだから、受け入れてしまうだろう。洗脳さえ解けなければ、神に守られた国だと信じて疑わない。縋る先を見失った人々にとって、甘い蜜の罠だった。

 国を去った者たちは、洗脳に犯されていた事実に気付いてしまった。人は弱い。大切な人間が生贄にされた現実を隠して生きていく。何十年も真実を抱え込んで目を背け、この国に縛られる。想像するだけで反吐が出そうだ。

「逃げ出せないのか」

「……洗脳を知った人間は軒並み処刑された。表向きは神に逆らった故に受けた罰だと晒されて」

 限りある儚い命を、神ごときで消化していいものなのか。

「愚かだな。実に愚かで醜い生き物だ。怪奇に喰われて滅びる、典型的な流れだな」

「国なんて、そんなものだ。美しい物語だけを見て、臭いものには蓋をする。声を上げたら逆罪として死刑は逃れられない」

「だから誰も訪れる仕人に助けを求めなかったのか」

「そうさ、この国は国としては強くても、人としては未熟。側にあるものを見ようともしない」

「あんたはどうなんだ」

 林琳は口をつけていない酒瓶を差し出し、京を覗き込み問う。

「俺達が仮に仕人だったとしたら、あんたは……どしてた」

 いや、実際仁は片燕の仕人ではあるのだが、己は破門された身であるため、ただの人間でしかない。追及すれば実態があれど、純粋な人間と答えるのは心なしか難しい。困ったぞ。万が一、古顔に出会ってしまったら。破門された一番弟子について回る二番弟子。今思えば、至る所で問題しかない。あまり仕人の話をするのは避けた方がいいかもしれない。怪奇を追ってきた訳であって、他の宗派、ましてや夢天理と顔を合わせるつもりは毛頭ない。特にあの男に遭遇なんてしたら……寒気で身震いした。

 しばらく無言の時間が流れた。外では武候鋪(消防組織)が声を出し、歩いている。

 京は仕人を見つける度に、何度も声を掛けたくなった。しかし恐怖に打ち勝てず、諦めて、賭博で五感をわざと狂わせた。

 言いたかった言葉を漸く伝えられるのかと興奮し、わなわなと口を震わせた。

「もし……もし、仕人だとしたら。怪奇を取り除いて欲しい。この国が怪奇に喰われる前に」

 爛々と強い意志を持ち、輝く瞳。その瞳の奥には燃える魂が垣間見え、林琳と仁は目を奪われる。

「相手は得体の知れない存在だ。陳家を犯人にするには情報が少ない。……国を敵に回すのが怖くないのか。下手をしたら怪奇に喰われるかもしれない」

「国が滅ぶ方が恐ろしいだろうが」

 京は語る。怪奇に襲われ、次々に国民が消えていく。この国が、隠し通せる訳がない。各国から愛され、支えられてきた幸楽美国が、怪奇を隠していたとしたら。国民がこれ以上消えてしまったら。関係諸国から責任を問われ、この国は戦場と化すだろう。張家が滅びようとも、陳家が奈落に落ちようとも構わない。それでも、国民は路頭に迷う末路しかない。洗脳されている国民は、被害者であり、何も悪くないのだ。

「あんまりだろう……この国に税を収め、国外の人間にも優しく接する。真っ当に生きている人間だ。国が守ってやるべき存在だ」

 林琳は何も言えなかった。

 世界に蔓延る怪奇を京の視線で見た事がなかったからだ。林琳にとって、怪奇とは愛おしく、そして憎い存在。誰が死のうと、関係はなかった。巻き込まれる方が悪いのだ。戦う力のない者は、怪奇に近付いてはならない。主が消えたこの世界を生きていく上での決まりだった。

「あんたはただの、国民だ。被害者の一人にすぎない。そこまでする義務がどこにある」

 ましてや、敵に回すのは国だけではない、悍ましい怪奇だ。

「……この国に生まれた義務がある」

 終わりがなさそうなやり取りに痺れを切らした仁が立ち上がり、口を開く。

「師兄、これも何かの縁だ。俺たちは怪奇を探す、おっさんは怪奇を取り除きたい。たったそれだけだ」

 悪くない協力関係じゃないか、仁が林琳の前にしゃがみ込み説き伏せる。京は過剰に反応し、仁と林琳を交互に見た。きらり、瞳に僅かな希望が宿った。林琳は眉間を揉み、唸ると手に負えないと項垂れた。

 こうして、突如三人は手を組むことになった。


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2024年10月11日 21:00
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花は風に Nani者 @nanimono00

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