第2話:音のない世界



叫んでみる。


時々、無性に叫びたくなる時がある。腹の底から叫ぶ。


力一杯叫んでも、俺の放った音の波は、サングラスにぶら下げた黒いキューブに、ほとんどが音もなく吸い取られた。指で弾く。見た目より柔らかな素材が、小さな衝撃すら吸収して、少しだけ揺れた。


俺が生まれるより前、”その現状”が世界中に起こるようになって、世界は変わったらしい。何十年前だったかは授業で習ったけど忘れた。


いつどこでバカみたいな光と音の爆弾をくらうかわからなくなった人類は大パニックに陥ったが、異常はやがて日常になった。必要以上の光を遮断する素材、たいていの音を吸収する素材が世界中のリソースを注いで開発され、普及した。今ではその現象は、ちょっと雨に降られた程度のアクシデントに成り下がっている。


昔の偉いやついわく、生き残る者は、変化する者らしい。人は変化した。


そして、声をなくした。


そこら中に音を吸い取る素材があるから、声でコミュニケーションを取るのは難しい。そのうち、口の形で言葉を読み取って話してる相手の網膜に映し出す技術が生まれて、声を発する必要はなくなった。


日常で使われなくなった機能は、どんどん非日常のものになっていった。かわりに音のない世界で、音楽はジャンルを問わずどんどん発展した。耳につけた端末からいつでも、自分だけの音を摂取できる。音楽性の違いで女の子と話が合わないなんてよくある話。


普通に生きてれば本当に親しい相手の声くらいしか聞くことはないから、俺たちの世代じゃ声で繋がることを極端に恥ずかしがるやつも多い。声を出すことも。


昔、違法な音楽サイトで#orgyってタグのついたBGMを聴いたことがある。タイトルは『生活音』。生活に音があるなんて、意味わかんないよな。


最初、それがなんの音なのか、さっぱりわからなかった。アーカイブで聞いたことがあるような雑多な音のごちゃまぜ。それが無数の人の声と、そいつらが移動する音、それ以外が出してる音だと気づいた時の雷みたいな衝撃を……逆にそいつらにはわかんないだろうな。


まるで自分が砂漠に立ってて、かつてそこが森だったことを突然神様に教えられたみたいだった。


あの日からいつも、あの音が耳の奥で渦巻いている。声を出したいという衝動も。


ベランダで夜風に吹かれながら、mp3を再生する。三ヶ月付き合ってさっき別れた彼女は結局歌ってくれなかった、大昔の女性ボーカル付きの曲だ。変態プレイに付き合ってくれる女がいいなら店に行けということらしい。音楽性の違いだ。まだぶっ叩かれた頬が痛い。


甘い歌声という表現がすっと胸に染みる、ハスキーな音が脳髄を揺らした。


好きだったんだけどなぁ。声も。


かすれた呟きは音にすらならず、夜に吸い込まれて消えていく。満たされながら、ひどく寂しかった。


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