ユウジくんの正体・後編
「ユウジくん、あなたの本当の名前……もしかして、ユウジくんじゃないんじゃありませんか?」
「…………」
緊迫した空気。ついに、ユウジくんの心の闇の核心に……と、思ったら。
「え? まさか、俺の名前がユウジだって、今まで本当に信じてたの? わかってて、呼んでるんだと思ってた」
「えっ? ええっ?」
何という、軽い反応。
「おかしいでしょ? 今さら。優と話すときとかさ」
「だって、ユウジくんのことは、『弟』とか『弟さん』としか」
「それにしても。あー、びっくりした」
「驚いたのは、こっちですよ」
やはり、なっちゃんと南くんの言ったとおりだったのか。
「あ。じゃあ、明日の席次表の “新郎 弟” のところに書いてあったのが、ユウジくんの本当の名前ということに……」
「そうだよ」
安心したように、再びユウジくんがお寿司を口に運び出す。
「一瞬、深刻な話かと思って、身構えちゃったよ。俺、優の相手は絶対に草野さんがいいからね。雪乃みたいな女とかと結婚されたら、いろいろ面倒そうだし……草野さん?」
「そう、だったんだ……」
気が緩んで、涙がこぼれてきた。
「何? 泣いてるの?」
「違う。うれしくて」
ユウジくんを心配させないように、あわてて、大きく首を振る。
「ユウジくんに、ぴったりな名前だね。ユウジくんが優の次だなんて、そんなひどい名前をつけられてなくて……よかった」
ずっと、あんまりだと思ってた。でも、大切な水沢くんとユウジくんのご両親のことを悪く思ってはいけないとも自分に言い聞かせていたの。
「なんか、悪かったね。そんなに悩ませてたなんて」
「ううん。気づけなかった、わたしが悪いんだよ」
さっきも、『水沢くんの次に』だなんて、無神経な言い方までしちゃったけど。
「ごめんなさい。これからは、しっかり……」
ちゃんと、本来の名前で呼ぶからね。遅すぎるかもしれないけど、そう言おうとしたら。
「えー」
ユウジくんに、子供のように遮られた。
「いいよ、そのままで。気に入ってるから。草野さんに『ユウジくん』って呼ばれるの、気が楽でいいんだよね」
「ユウジくん……」
多分、本心なのだろう。ここで、ユウジくんは、わたしに気を遣った嘘はつかないはず。
「たくさん、いらぬ想像をしてしまいましたよ。ご両親に優次と名付けられるなんて、よっぽどの事情があったに違いないと。もしかしたら、ユウジくんはお父様かお母様の不義の子だったのではないかとか……あ、それなら」
不意に、憎らしい顔が思い浮かんだ。
「あのルイージくんも、本当は違う名前だったり?」
ユウジくんを陰で裏切っていた、例の不届者。
「いや。あっちは、ほぼ本名。イタリア系じゃなくて、純日本人だけどね」
「純粋な日本人で、ほぼ本名。ということは、
一気に、古風な感じ。
「まあ、そんなところ」
楽しそうに笑って、ユウジくんは立ち上がりました。
「そろそろ、出ようか。たしか、ここから歩いて帰れる距離なんでしょ? 送ってくよ」
「ありがとう。ごちそうさまでした」
今日のところは全て、お言葉に甘えてしまいます。わざわざ、家まで送ってもらうのは申し訳ないとも思ったけれど、もうちょっとユウジくんと話していたい気分だったから。
「懐かしいね。あのコンビニ」
かつてのバイト先が見えてきたところで、ユウジくんから声をかけられた。
「あの頃から、ここぞというときには、ユウジくんにお世話になって」
体調を崩した際に、店長に連絡してもらったり。また、間違えて封を開けてしまったトイレットペーパーを持ち帰ってもらったなどということも……。
「こっちこそ。草野さんのおかげで、いろいろと気が紛れて、助かったことも多かったよ。そうそう。あの木彫りのカエルの箱とかも、まだ取ってあるし」
「えっ? 本当ですか?」
それは、胸熱な。
「うん。それにしても、すごいよね。今は店長で、これからはもっと広い範囲で活躍していくんでしょ?
「ユウジくんがいなかったら、今のわたしはいなかったかもしれないと」
本心なのです。
「そう? でも、俺もそうかも」
「あの……さっきの」
どうしても、気になってしまう。
「ん?」
「いろいろと気が紛れたっていうのは、類治郎くんのこととか?」
わたしは、一生忘れない。ユウジくんが親友だと信じていた、あの
「それもあるかもね。というより、それだけか。あの時期は」
「当然ですよ……!」
我を忘れて、力が入る。
「結果として、ユウジくんを傷つけることになってしまいましたがね。わたしは、あのク……類治郎くんに直接詰め寄ったこと、後悔はしてませんよ。何も知らずに、ユウジくんが現在も類治郎くんと仲良くしていたらと考えるだけで、身の毛がよだつというもの。ん? どうしました? ユウジくん」
何やら、ユウジくんがおかしそうに笑ってる。
「うん。『あのクズ』ね。それが、今でも全然、友達なんだよね。あいつも少し前に結婚したんだけど、よく会ってるよ。草野さんには申し訳ないけど」
「失礼しました。わたしの心の声が聞こえてしまっていたようで……ええっ? 今でも、よく会っていると?」
驚きすぎて、聞き違えたかと思った……というか、そうであってほしい。
「そりゃあ、ユウジくんの意思は尊重しなきゃいけないとわかってはいますけどね? でも、ちょっと、心の整理が」
「だって、あいつ、俺のことが大好きなんだもん。それがわかるから」
「ユウジくんのことが好きなら、どうして、あんな真似を?」
さすがに、納得がいかない。
「なんでだろうね。そこは、あいつもよくわかってないと思うよ。あんなことされて、あいつをずっと好きでいる自分もよく理解できないし」
「まあ……恋愛も、そんなものですしね。ユウジくんのことだから、もやもやは残るけど」
そう、全ては理屈じゃないのです。わたしが、ほんの少しも望みがないと思いながらも水沢くんを愛してしまったことが、その最たる例。
そして、それを言うなら、わたしのユウジくんへのこの思いの大きさも、理屈じゃないのです。一方通行な気持ちだということは、重々承知の上で。
「ちなみに、なのですが」
ごめんなさい、ユウジくん。ここからは、わたしのただの好奇心になってしまう。
「あのク……じゃなくて、類治郎くんが結婚したというのは、ユウジくんから略奪した、例の彼女ということで?」
だったら、綺麗な
「まさか。いつの話だと思ってんの?」
「そっか、たしかに。あれは、ユウジくんがまだ中学生の頃のことでしたね」
諸々の行動を考えると、当時のユウジくんが中学生だったということが不可思議に感じますが。
「優が、一回会ってるんだけどね、その結婚相手に。優が言うには、草野さんに似てるって」
「えっ? そうなの?」
それはまた、何とも複雑な気持ち。
「似てるというのは、どのへんが? 顔でしょうかね」
「ではないね。俺は、性格も似てると思わないけど。でも、顔で言うなら、草野さんの方が全然可愛いよ」
「それは、それは」
まさか、ユウジくんの口から、そんなリップサービスが聞けるとは。
「本当だよ。草野さん、可愛いじゃん。一般的に。黙ってれば、だけど」
「お、大人をからかうものではありませんよ……!」
見た目をほめられたことなんて、ないのです。
「べつに、からかってないよ。俺、草野さんのこと、相当好きだもん。そうだ」
わたしの前を歩いていたユウジくんが立ち止まって、振り返った。
「もちろん、御祝儀は渡すけどさ。他に、ほしいものとかない? 何でもいいよ」
「ほしいもの、ですか」
ユウジくんから、わたしへのプレゼント。ここは、慎重に考えなくては。
「そうだなあ、手紙とか……は、あんまり期待できなそうですね」
絶対、真面目に書いてくれるわけがない。それはそれで、悪くない気もするけど、ベストな選択ではないような。でも、こんな機会は二度とないだろうから、お金で買えるようなものではもったいない。
「あ……!」
今、稲妻のように
「決まった?」
「決まりましたとも」
もう、これしかない。
「ピアノ……! ユウジくんのピアノが聴きたい」
「…………」
「あら?」
何やら、微妙な空気。
「ピアノなんて、優に弾いてもらいなよ。いくらでも」
「だめ? ちょっと前に、水沢くんに聞いたので。ユウジくんが友達の結婚式の日のために、水沢くんにピアノの教えを乞いにきたって」
それを知ったときは、感激でむせび泣きそうになったもの。ユウジくんの友達への優しさにも、水沢くんとの信頼関係にも。
「ああ……そこだけ、聞いてたんだね。わかったよ。いいよ、全然。ピアノくらい」
「本当に !?」
思わず、飛び上がってしまう。
「ここはやはり、ショパン一択ですよね。水沢くんも、ショパンだけはユウジくんに
水沢くんの演奏会などで、いろいろな音楽に触れているうち、わたしもピアノ曲には多少はくわしくなりましたから。
「……やめてよ、そういうこと言うの。でも、そうだね。ひとつ間違えると、ああいう曲は独りよがりな気色悪い演奏になりがちだから、優みたいなのに客観的な耳で聴いてもらった方がいいと思って」
「なるほど」
さすが、ユウジくん。
「で、曲は何がいい? ショパンなら、次にこっちに来たとき、何でも弾けるよ」
「どうしましょう? 好きな曲なら、たくさんあるんだけど」
なるべく、『別れの曲』とか『葬送』とか、その手の不吉なワードが絡んでない方が望ましい。となると?
「特にないなら、俺が決めるよ。草野さんに、ぴったりな曲があるから」
わたしが考え込んでいたら、そんなうれしい提案をユウジくんにされた。
「それはもう、ぜひ」
この上ないプレゼントになる。
「あ。でも、葬送ソナタの第四楽章ではない方が。さすがに難解すぎるので。第一楽章なんかは、好きなんですけどね。あまり、縁起もよろしくないかと」
「『葬送』なんて、全く草野さんと結びつかないじゃん。弾かないよ、そんなの」
軽く眉を寄せてから、続けるユウジくん。
「草野さんはね、『英雄』。俺の中で、昔も今も。これからも、ずっとそのままでいてほし……」
「ユウジくん!」
そこで、気づいたら、わたしはユウジくんに抱きついていたのです。その衝動を止めることはできませんでした。
「そんなふうに思ってくれてたなんて、わたしは……」
仕事のことをほめてくれたのも、本心だったのですね。
「先ほどの、訂正します」
ユウジくんが選んでくれた曲で、これほどまでにユウジくんの心が伝わるなんて。
「ユウジくんは、わたしにとって、二番目なんかじゃありません。いちばん好き……! 水沢くんと、同率一位です」
やましい気持ちは一切なく、純粋に。
「ユウジくんのためなら、何でもしますから」
「それは、うれしいんだけどね」
わたしに締めつけられて、苦しそうに応えるユウジくん。そして。
「後ろ」
「はい?」
ユウジくんの言葉に、反射的に振り向くと。
「水沢くん……!」
なんと、こんなところに。
「いちばん好き、か。葵にとって、特別なのは僕だけじゃなかったんだね」
お仕事帰りに、わたしの顔を見にきてくれあのは、とっても感激なのですが。
「あわわわわわ」
こういうときの水沢くんの笑顔は、何より怖いのです。
「残念だな。式の直前だっていうのに、僕と葵の間に、こんなに温度差があって」
「わあああああ。それと、これとは」
誤解されて、式前離婚にでもなったら、大変なのです。
「くだらない」
当然ながら、ユウジくんは迷惑そうに、あきれ顔。
「あとは、勝手にやってよ。じゃあね、葵さん。また明日」
「あ、はい。明日も、よろし……えっ?」
今、ユウジくん、去り際に何と言いました?
「水沢くん、聞きました? さっき、わたしのこと、“葵さん” と……!」
なんという、感動的瞬間。“臭野さん” が “草野さん” になって、ついに名前呼びまで。
「…………」
「あ。ごめんなさい」
息をついた水沢くんを見て、我に返った。そうだ。水沢くんをないがしろにして、ユウジくんのことで騒いで、怒るのも無理はない。
「いいんだけどね。そろそろ、僕も大人にならないと。弟相手に張り合わないで」
「張り合う? 水沢くんが、人と張り合うことなんて」
そもそも、水沢くんと張り合えるような相手が存在するとも思いませんし。
「そろそろ、わかってほしいな」
人目もはばからず、水沢くんがわたしを抱き寄せてくれました。水沢くんに触れられるだけで、わたしは今でも心臓がどうにかなりそうになるのです。
「何を、です?」
「葵のことになると、僕がどれだけ自分を見失うか。弟と仲よくしてくれるのはありがたいんだけど、適度にね」
「そこは、はい」
ついつい、感極まってしまったけれど、反省しなくては。
「なんか、僕みたいな思いをしてる同士がいる気がするなあ」
「はい?」
何の話だろう?
「とにかく、幸せになろう。僕の全てを賭けて、これからも葵を守っていくから」
「もう十二分に、幸せですけどね」
今までの道のりを噛み締めながら、返事する。だって、水沢くんと出会った瞬間から、わたしの人生は虹色でしたから。
ユウジくんの正体
END
番外編・後日談集 伊東ミヤコ @miyaco_1
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