ユウジくんの正体・前編



「いやー、感慨深いね。よかったよ、本当」


「まあ、心配はしてなかったけどね。葵ちゃんは一途だし、水沢もしっかりしてるし」


「ありがとうございます。わたしの方は、まだ実感がわいていないのが本音ですが、おふたりには感謝の気持ちしかありません」


 全身全霊の気持ちを込めて、なっちゃんと南くんに深々と頭を下げる。今日は、なんと……わたしの結婚式の前祝いにと、南夫妻がわたしを青山の高級イタリアンのレストランに招いてくれたのです。


「まあ、葵なら、大丈夫だと思ってたよ。強烈な水沢母も、最後は根負けした感じでしょ?」


「そこは、水沢くんが頑張ってくれたので」


 わたしとお母様の板挟みになって、どんなに苦労したことか……!


「結婚は、当人同士のことだからね。俺から見ても、葵ちゃんと水沢は、お似合いだと思うよ」


「なっちゃんと南くんを見習って、地に足のついた家庭を築くつもりです。すでに家まで購入したとは、お見それしました」


 国家公務員の夫に、地方公務員の妻という、これ以上はないくらいの手堅い夫婦。わたしの憧れが全て詰まっていると言っても、過言ではない。


「いやいやいや。ローン返済のプレッシャー、思ってた以上に、えぐいもんだよ」


「何言ってんの。今のうち、繰り上げ返済あるのみでしょ」


 本当に泣きそうな南くんを鼓舞する、相変わらず肝の座った、なっちゃん。


「すばらしいことで……ん? このウニのパスタ、秀逸ですね。何度でも味わいたくなる、味の奥行き」


 今の店舗で、ウニのフェアを打てないだろうか。パスタソースとか、缶詰とか、ふりかけとかも目新しくて、いいかもしれない。


「葵だって、立派なものじゃない。いずれ、本部の方に回されるんでしょ?」


「死ぬ気で勉強しましたから」


 そうです。わたしは、夢を叶えたのです。大学で経営を学び、大手コンビニを運営する企業に、新卒採用してもらうことができました。


 今は修行のため、都内の某店舗で店長業務をしていますが、いずれは地区責任者としての任務を果たすことになりそうです。


「水沢は、忙しそうだよね。今日も、本当は水沢とも話したかったんだけど」


「ですね。水沢くんも来たがっていたのですが」


 水沢くんは、最短で研修医としての期間を終えて、脳神経外科という分野で活躍することになりました。が、とにもかくにも、大変なお仕事。そんな中、わたしとの時間を確保するために、結婚に踏み切ってくれたのです……!


「うん。でも、今日のうちに葵の顔が見れて、安心したわ。ちょっと、葵のようすが気になってたんだよね。何か悩みでもあるんじゃないかとか」


「あ」


 なっちゃんの鋭い指摘に、どきりとする。どうしよう? ここで相談してみましょうか……。


「そうなんです。実は、気にかかってることがありまして」


「やっぱり、そうだったの? 水沢くんのこと?」


「いいえ」


 少し重い気持ちで、首を振った。


「じゃあ、何? 結婚式の前日に、気にかかることなんて」


「……ユウジくんのこと」


 大切な、大切な、わたしの弟。


「ユウジくん? ああ、弟くんね」


「一回、水沢の演奏会で、俺らもチラッと見たことがあったね。水沢の弟が、どうかしたの?」


「言い知れぬ、違和感を覚えるんです」


 結婚式の準備を進めていく中で、何かがおかしいと。


「違和感?」


 なっちゃんが、不思議そうに身を乗り出す。


「そう。思いきって、打ち明けます。わたし、ユウジくんの本当の名前、ユウジくんじゃないと思うんです……!」


「…………」


 あっけに取られている、なっちゃんと南くん。そうですよね、衝撃的ですよね。


「驚きすぎて、言葉も出ないという感じですね?」


 その気持ちは、よくわかりますが。


「そりゃあ、びっくりするよ。あんた、ユウジくんっていうのが本当の名前だって、いまだに信じてたの?」


「ええっ?」


 今度は、わたしがなっちゃんの言葉に驚く番です。


「それは、どういう……」


「だから、前にも言ったじゃん。今時、“優” の次に生まれた子供に “優次” なんて名前をつける親が、どこにいるのよ?」


「そうですよ。普通じゃないんですよ。だから、わたしは、ユウジくんの味方でありたいと」


 なっちゃんは、何もわかっていません。


「やっぱり、変わってるんだから。りゅうは? 水沢くんの弟の名前、聞いたことないの?」


 そういえば、南くんの名前は龍弥といって、なかなかに今時っぽいのです。


「そういえば、わからないなあ。友達の弟の名前なんて、わざわざは聞かないものだよね」


「まあ、たしかにね。そもそも、葵はどうなの?」


「水沢くんは話の中で『弟』としか言わないし、わたしも水沢くんの前では『弟さん』と……でも、ユウジくん本人がユウジと名乗ったし、わたしは何度も『ユウジくん』と呼んでますよ?」


 わたしとユウジくんの歴史は、地味に長いので。


「絶対、からかわれてるだけだと思うんだけど」


「そうでしょうか」


 それならそれで、安心する部分もあるのですが。でも、わたしは、ユウジくんのこじらせた繊細な一面を知っているだけに、いろいろな可能性を考えてしまって、うかつには口に出せずにいるのです。


「うーん……僕もなっちゃんの意見に賛成だけど、ちょっと気になってきたな。明日、席次表を見るのが楽しみかも」


「わたしは、ちょっぴり、憂鬱ゆううつになってきました」


 こんな、もやもやした精神状態で、式を挙げることになるとは。


「葵らしくないじゃん」


「はい?」


 なっちゃんの言葉に、顔を上げた。


「あれだけ、水沢くんに何度も告白したり、誰にでも言いたいことを言ってきたんだから、弟くんにも遠慮する必要ないんじゃないの? 本人に、はっきり聞いてみればいいじゃん」


「たしかに……!」


 なっちゃんの言葉に、目からうろこが。


「ですよね。他ならぬ、目に入れても痛くないくらい可愛い弟のことなんだから」


 もう、何年も顔を見ていないけど、わたしのユウジくんへの特別な思いは変わっていない。


「なっちゃん。南くん。改めて、今まで、ありがとうございました。そして、これからも、温かい目でどうかよろしくお願いします」


 水沢くんとのことだって、高校生の頃から、どれほど有益な助言をもらったことか。


「とりあえず、明日も大きな粗相がないように祈ってるからね」


「うん。葵ちゃんは葵ちゃんらしく、水沢のことを支えてやってね」


「承知しました」


 これで、わたしが『水沢 葵』となる前にクリアしなければいけない問題は、ただひとつのみ。わたしは、何としても、ユウジくんと話をしなければならないのです。






「このへんで待つのが、確実でしょうか」


 水沢くんとユウジくん、それぞれの今日のだいたいの予定は把握しているので。水沢くんは式の前日だというのに、教授のお供だとかで、帰りは深夜になるとのこと。一方、ユウジくんは、夕方には東京に戻ってくるという。


 わたしは、ユウジくんの連絡先を知らないから、こうして水沢家の前で息を潜めながら、ユウジくんが現れるのを待ち構えているしかないのです。お母様やお父様に見つからなように、細心の注意を払いながら……と、それにしても。


「なつかしいですね」


 高校生の頃、何度もこうして、非公式な訪問をしましたっけ。自分で振り返っても、怪しさしかなかったであろう、このわたしと結婚という道を選択してくれた水沢くんの人間としての大きさには、感謝の気持ちと頭が下がる思いの両方が……。


「何やってんの?」


「は……!」


 目をつぶって、しみじみとしていたら、突然間近でかけられた声。動揺して、バランスを崩し、尻もちをつきそうになったところで。


「大丈夫?」


「あ……は、はい。ありがとう」


 わたしの腕をつかんで、引き上げてくれた少年……いえ、ユウジくんは、もう立派な青年ですね。


「相変わらずだね。今日は、何? 優とか家族に見つかると、まずいことでもあるの?」


 大学は違うものの、水沢くんと同じ医学部を卒業して、研修医になったユウジくん。留学してた時期もあったし、ずっと会える機会もなくて、前みたいに普通に話してくれるのかと不安も感じていたけど、昨日も会ったように笑ってくれるんだね。


「どうしたの? 何もないなら、早く帰った方がいいよ。今日は、家族と過ごす最後の夜なんじゃないの?」


「あ、いえ」


 そんな優しい言葉をかけてくれるユウジくんに、こんなことを暴露したくないのですが。


「父は、お得意様の接待(キャバクラ)で遅くなるということで。母と姉も、どうしても外せないという、ミッチーとやらの舞台の鑑賞に」


「ふうん。草野さんの家族っぽいね」


「ですかね」


 考えてみたら、ユウジくんの方も、ひさびさの家族との再会。わたしが、その貴重な時間を奪うわけにも……。


「何か食べに行く?」


「はい?」


 ユウジくんのまさかの言葉に、顔を上げた。


「そういえば、俺が中学生のとき以来、二人だけでゆっくり話したことないよね。なかなか、こんな機会ないし。待ってて。荷物置いてくるから」


「あ、うん……!」


 なんという、うれしい誤算。ユウジくんの方から、そんな提案をしてくれるなんて、夢にも思っていませんでした。






「ユ、ユ、ユウジくん」


 メニューを持つ手が震えてしまうのです。


「何?」


「いえ、今日のお昼はイタリアンだったし、明日のドレスのことを考慮すると、カロリー控えめなお寿司というのは大変ありがたいのですがね?」


 “時価” という文字が怖すぎて、注文する勇気がありません……!


「ありがたい? じゃあ、たくさん頼みなよ」


「それが、お恥ずかしい話、持ち合わせがあまりなくて」


 姉として、不甲斐ふがいない。


「え? そんなの、俺が出すよ。こっちが誘ったんだから」


「いやいやいやいや。そんなわけには」


 ユウジくんは一人暮らしの身だし、研修医の月収がそれほど高くないことも聞いています。


「こんなことで、遠慮しないでよ。ちょうど、まとまった収入も入ったところだから」


「まとまった収入?」


 何やら、怪しい響き。


「うん。面倒だから、優には言わないでね」


「あれですか? 今、流行の投資とか」


「そういうのには興味ないから。普通に、真っ当な副業だよ」


「副業……まあ、ユウジくんのことは全面的に信用してるので、内容を詳しく聞くことは避けますが」


「ありがとう。じゃあ、適当に頼んじゃうよ」


「どうか、無理のない程度に」


「わかったよ」


 さらりと笑って、ウニのコース的なものを注文してくれた、ユウジくん。ここまで歩いてくる道で、わたしがウニの魅力を力説していたからだろう。


「ユウジくんは本当に優しくて、素敵な青年に成長しましたね。もちろん、前からなんだけど、さらに」


 こうして向き合っていると、いろいろなことを思い出して、涙が出てきそうになってしまう。


「素敵な青年? 言われたことないな」


「お世辞じゃないですよ。ユウジくんは、水沢くんの次に素敵で、大切で、大好きな……あ」


 わたしとしたことが、何ということを……! ユウジくんに、絶対に言ってはいけないことだったのに。


「優の次にね。そうだね。大学の偏差値も優の次だし、ピアノも俺は途中で挫折したし、背も優を越えられなかったし」


「ユウジくん、違うの! そんなところを比べたことは、一度もないからね」


 取り返しのつかないことをした。こんな最低最悪な人間が姉になるなんて、ユウジくんには耐えがたいはず。


「今のは、その、何というか」


「大丈夫だよ。気にしてない」


 しどろもどろになっているわたしを横目に、ふっとユウジくんは笑った。


「草野さんにとって、それが俺への最上級のほめ言葉だって、わかってるから」


「ユウジくん……!」


 わたしの失言を許してくれるのですか?


「優の次じゃないと、困るよ。逆に」


「そう、ですけど」


 なんて、大人なユウジくん。どうしよう? ここで、はっきりさせるしかない気がしてきた。


「あのね、ユウジくん」


「何? 神妙な顔して。もっと食べなよ。フェアの参考にしたいんでしょ?」


「聞きたいことがあって」


「ああ」


 箸の手を止めて、わたしを見るユウジくん。


「そうだった。俺に話がありそうだったよね。優のことでしょ?」


「いえ」


 わたしが首を振ると、ユウジくんは意外そうな顔をわたしに向けた。


「その……式の準備をしていて、水沢くんとユウジくんのお母様やお父様とも何度かお会いして、お話もさせていただきました」


「大変だったでしょ? 自分の親だと思いたくないくらいだからね、あのやばい人格。草野さんなら、きっと乗り切ってくれると信じてたけど」


「いえ、その苦労の話は置いておいてですね」


 おそらく、語り出したら、止まらなくなりますから。


「その中で、どうしてもぬぐえない疑念がわき上がってきたんです」


「疑念?」


「そうです」


 覚悟を決めて、真正面から、ユウジくんの顔を見据えた。今です。今しかありません。



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