道化師先輩の表と裏

月音うみ

『道化師先輩の表と裏』

「おい〜、田中将司。俺にもジュース奢ってくれよ〜」

「嫌ですよ。千秋先輩。後輩にたからないで下さいよ」

「んぇ〜、良いだろ。たった100円くらい」

僕に腕組みをしてくるピンク髪の男は陸上部の先輩だ。

「そう言って、この前貸した分も返してくれてないじゃないですか」

見てわかる通り、とっても癖のある厄介な人だ。

「今月ピンチなんだよ〜! こんなことは信用してる将司にしか頼めないんだって」

「昨日の夕方も、片桐先輩に物乞いしてましたよね」

「物乞いなんて、ひどい言い方だな。これは俺の愛情表現なんだよアンダスタンド?」

「おい! ちぃあきぃぃ!!」

「やっべ」

反対側の廊下の向こうからこちらを呼ぶ黒髪の男性は、陸上部のキャプテンを務める本田誠先輩だ。

「また、人にたかってんのか! 良い加減にしろ! しかも後輩にだなんて、はしたない!」

「にっげろ〜!」

千秋先輩は漫画でぐるぐると足を渦で描くように相応しい、逃げ足の速さでピューッと逃げて行った。

「すまんな。千秋のやつが」

千秋先輩の逃げ足の速さに僕が呆気に取られていると、誠先輩はいつの間にかそばに駆け寄って横に立っていた。

「いえ。僕は千秋先輩が良くわかりません。チームの雰囲気をかき乱してるように僕には見えます。昨日だって片桐先輩にたかってましたよ。僕はあの人と一緒に走れる気がしません。どうしてあの人が4×400mのメンバーなんですか!」

「将司くんにはそう見えるのか。そうだな〜、千秋だからかな」

「答えになってませんよ!」

「すまん、すまん。じゃあ、休み時間終わるからまた部活でな」

手を振り、誠先輩は行ってしまった。

せっかく1年生で唯一、マイル(4×400mリレー)のレギュラーメンバーになったのに……あんな厄介な人がいるとは思わなかった。



「田中将司〜! ほらもっと押し込んで。ほら」

「千秋先輩! 痛い、痛い。もう無理です」

「いやぁ、まだいけるね。ほら息吐いてさ」

僕は準備運動がてら開脚前屈で身体をほぐしていたところ、千秋先輩が後ろから背中を押してきた。

ぜってぇ、この人ドS……

千秋先輩は僕の弱音を無視して、ぐぐグッとさらに僕の背中を押し込んだ。

「いてぇ、う〜いててぇ……」

「千秋。 ほらドリンク出来たから持ってけ」

「さんきゅっ!」

片桐先輩がクエン酸を水に溶かした青いドリンクボトル(スクイーズ)をポンと投げ渡した。

「これがないと練習にならないんだよね」

千秋先輩は自分のピンクの髪を波打つデザインのメタルヘアバンドでかきあげ、まとめた。

男でありながら陶器のように透き通った白い肌、切れ長の奥二重の瞳、スッと筋の通った鼻。

普通に韓国アイドルにでもなれそうな容姿は、男である僕からしても憧れてしまいそうになる。彼が走ると、隣で練習しているテニス部女子の視線も同時に並行移動するほどだ。

そんな優れた容姿をもちながら練習中、道化師のように僕や他の先輩にウザ絡みをする。

真面目に陸上を続けてきた僕には先輩といえども、見ていて気分のいいものではなかった。

僕と一歳しか変わらないのに、3年生に対して態度が馴れ馴れしすぎるだろ。なんだよさんきゅっ! って……

僕はムカムカしながら、スクイーズに手を伸ばす。

ノズルを引っ張り、口を付けずに口の中にクエン酸液を注ぎ込む。

苛立っていたせいか、それともボトルに並々とクエン酸液が入っていたせいか、押して吹き出したクエン酸液は、ケ◯ヒャーの高圧洗浄機のように僕の乾いたのどちんこを直撃した。

たまらずボトルを下向きにしたまま、口元から離す。

出続けるクエン酸液はそのまま、僕の白い練習着を濡らした。

「あはは! まっさ〜! 涎掛けみたいになってるじゃん。下手すぎ」

んん? まっさ〜!?

「まだ居たんですか! 早く練習行ってください! あと、まっさ〜!ってなんですか!」

「え? 僕がまっさ〜につけたあだ名だよぉ。仲良くなった記念にさ」

「いつ僕が千秋先輩と仲良くなったというんですか! 先輩、距離感おかしいですよ!」

「あれぇ? 結構いいあだ名だと思ったのになぁ。まっさ〜がつれないと俺凹んじゃうよぅ」

「ほらほら、その辺にして行ってこい」

僕と千秋先輩のやり取りを見ていたキャプテンの本田先輩が言った。

「ハァ〜イ」

千秋先輩は子犬のように「クゥ〜ん」と今にも言い出しそうな様子で、坂ダッシュをする坂道の方へ歩いて行った。


「田中くん、明日コーチから言われたんだが大会前にマイルをスタメン(1走:片桐 2走:千秋 3走:田中 4走:本田)でタイムを測って走るそうだ。明日の個人練習時間の初っ端に計測するから、倉庫前に集合でよろしく」

「わかりました」



次の日、僕は倉庫前に待機していた。

時間になると片桐先輩とキャプテンの本田先輩が階段から降りて、こちらに歩いてきた。

「あと集まってないのは千秋だけか……」

僕はハラハラしていた。

僕が以前、朝練の日に寝過ごして10分遅刻した日の本田先輩の機嫌は最悪だったからだ。


「まっせん! 遅れました〜!」

千秋先輩が遅れてやってきた。

僕は本田先輩の「遅い!」の一括が入ると思って、身をすくめ構えた。

しかし、本田先輩は遅刻した千秋先輩に対して「始めるぞ」の一言を言っただけだった。

僕はその予想外な本田先輩の対応に、呆気に取られてしまう。

僕が遅れた時はあんなに機嫌が悪くなったのに、どうして千秋先輩だけ……顔が良いと許されるのか?

僕は片桐先輩からバトンをもらい、中距離選手の走りならではのフォームでこちらに走ってくる千秋先輩の走りを見ながら考えていた。

徐々に千秋先輩の顔が近づいてくる。

くっそぉ、キツイはずなのにどうしてこんなに面がいいんだ。くっそぉ……

千秋先輩からバトンを受け取り、走り出す。

心の中に渦巻くモヤをガソリンにするかのように、僕は走りに思いをぶつけた。

200m地点を過ぎると、徐々に足が上がらなくなる。

本田先輩の姿はまだ遠い……。苦しい。

残り100m、遠い! 喉が渇いて血の味がしはじめた時だった。

「まっさー! 腕! 腕! 振って!」

と言わんばかりに、ニコニコした笑顔でジェスチャーを送ってくる。

「なんなんだこの人は!!」

本田先輩にバトンを渡した。

はぁ……、はぁ……。

僕が息をあげ、両手を膝につき屈んでいると、上に千秋先輩が被さってきた。

「さぁて問題です。まっさーは次あげる2種類のタイプでどちらに当てはまると思う?」

「はぁ、はぁ、急になんすか……。暑苦しいっす! どいてくれませんか?」

「正解したら、どけてあげるよ。問題、400mを走る選手には大きく2つのタイプがいます。1つはスピードタイプ、もう1つは後半追い上げタイプ。さぁて、まっさーはどっちに当てはまると思う?」

「僕は、後半バテるからスピードタイプですかね?」

「コレクトだよ、まっさー。まっさーは序盤の200m地点までトップスピードで走ってるね。その前半のスピードをできるだけ落とさないように走るスタイルがスピードタイプなんだ」

「僕はもともと200mを専門にしていたので、その走り方が体感的にもあってると思います」

「分かってたんだ、それなら後半どう戦うかはわかる?」

僕は残り100m地点で千秋先輩が腕を触れとジェスチャーしてきたのを思い出した。

「腕を振るとか……?」

「そう! よく分かったね」

千秋先輩の声が高くなって喜んでいるのが背中越しに伝わってきた。

「それと?」

「えっ、まだあるんですか?」

「あるよ、知りたい?」

「教えてください!」

「今日は教えな〜い!」

「えぇ!」

千秋先輩から解放された時にはすっかり息は整っていた。

「もう、いないじゃん。逃げ足はや……」



「まっさー! いる?」

月曜日、千秋先輩が僕の1年のクラスにやってきた。

手に持していたのはビデオカメラだった。

千秋先輩は昨日の試合の様子をビデオに記録していた。

「まっさーの走り見せようと思って」

「やっぱり、後半体力切れ起こしてますね」

「それもあるんだけど、特に見て欲しいのは前半なんだ。言いたいことわかる?」

「わかんないです」

「えっとね、まっさーの今の走りはまっさーの全部を活かしきれていないんだ」

「どういうことですか?」

「まっさーは180センチもあるのに、関節が硬い。長身のアイデンティティであるストローク(歩幅)の長さを全て使えていないんだ。俺が思うに、まっさーが取り組むべきことには体力づくりと柔軟が必要になるね。400mの前半は無酸素運動、後半は有酸素運動になるから、個人練習の時に俺のところに来るといいよ。みっちりしばいてあげるから」

そう言いウインクする先輩は道化師のような振る舞いをしていても、その仕事に信念を持った熱い男。尊敬するべき先輩がそこにいることに気づいた。



「田中くん、そのメタルヘアバンド似合ってるじゃないか。千秋の影響か?」

本田先輩が僕にクエン酸液の入ったスクイーズを渡す。

「まぁ、そうですね」

「千秋きっと喜ぶぞ」

「そうですかね。あのう、前から聞きたかったことが一つあるんですけど」

「おう」

「今日みたいに、千秋先輩遅刻した時があったじゃないですか。なんで怒らないんですか?僕が遅刻した時は喝を入れられたので。気になって。失礼な質問ですみません」

「あ〜、千秋の遅刻には毎回理由があるんだ。この前のマイルのタイム測定の日は、前日に野球部がグラウンドを使っていたらしくてな。千秋はそれを知って、トンボを使って土ならしをしてたんだと。他にも大会前になると、試合で競う相手情報を俺に持ってきて見せたりするんだよ。この前はまっさーの走りについてどう思う? ってビデオを見せてきた。考えていないようで、一番考えてるのが千秋なんだよ。本人は恥ずかしいから秘密にしろって釘刺されてんだけどな」

「そうだったんだ……」

「お! まっさー! え!? それいいじゃん俺とおそろっちだ!!」

僕は千秋先輩のことをもっと知りたいと思う。


(了)

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