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椿とは、冬に咲く、主に赤色の花だ。加えて、自分にとってとても大事な花である。自分が生まれたときから屋敷の庭に咲く椿は、自分にとって慣れ親しんだものなのだ。昔は、時間があればよく眺めていた。自分もあの椿のように一輪でも堂々と誇りを持って生きたい。そう心に刻んだのはいつの日か。今やもうそのかげはない。

「!」

突然危険な気配がする。誰かが、どこからか自分を狙っている、という危険の合図。これがもう一カ月以上は続いている。どうしたものかと思いつつも、もう慣れっこである。

(逃げるか、、、)

暖かい布団を出て窓の外を見る。刺客を見るためだ。

(あれか)

なんとありがたいことに、刺客は家の前にいた。家の前にいればすぐにばれるであろうに、なんとも哀れである。刺客の人数は少ないが、家の中にいても危ないので、とりあえずいつものように裏口から外に出ることにした。裏口は自室の近くにあるため、すぐに外に出ることができる。いや、最初から裏口のそばに自室があったわけではない。狙われるようになったから、裏口のそばの空き部屋を利用しているのだ。まぁ、同じ敷地内なのだから、そうは変わらないのだが。

(というか、学習しないのか。あいつらは)

実のところ、刺客たちは数回も家の前に現れていた。それなら、自分は裏口から逃げている、ということを充分に分かったのではないか。自分は絶対表に出ないと。いや、皆そうだろう。わざわざ、敵の方に向かっていくような愚か者はいない。こうなってくると、もはや哀れである。慈悲を顔に浮かべながら裏口をくぐると、案の定裏口のそばに刺客はいなかった。本当に自分という獲物を狙っているのだろうか。様子からすると、そのようには見えない。まぁ、こちらとしてはありがたいのだが。

(あっ)

突然、裏口から見えた庭に咲く椿はどこか毒々しい気配を放っていた。まるで、何かを警告するように。


(、、、寒い)

中は着込んでいるが、やはり夜の寒さには勝てないようで、身体中が寒さに覆われた。それに加えて今は山の近くにいる。余計に寒さが募ってしまう。なぜ山にいるのかと言うと、特別な意味はない。ただ、山で何かが起こる。そう直感したからだ。自分の直感は絶対だ、と本気で信じているわけではないのだが、何も起きないとは限らない。自分が行動しなかったことで、あとで何かが起きてしまっただなんてそんなのはごめんだ。多分、あの時行っていれば良かったと変な責任や後悔を感じてしまうと思う。そういうわけで、“危険な気配”を見逃すわけにはいかなかったのだ。わざわざ自分から危険な場に赴くだなんて、到底考えられるものではないだろう。いや、足が勝手にそう動いたのかもしれない。そうやって、心の中にある曖昧な考えを無理やり片付けながら歩いていると、近くにある欄干の前に立っている少女を見つけた。その細い手で何かをきらりと光らせて。

(あの子はなにをして、、、。!危ないっ)

そう思った。が、遅かった。少女はなんと手に短刀を持っていて、それで自身の喉を突こうとしていたのだ。たまたま見つけた少女が自分の目の前で首を落とす。そう思った時には、もう自分の足は動いていた。

「何をしているんですか!」

普段大声を出さないのにもかかわらず、この時ばかりは大声を出していた。

「た、短刀は?あ、あれは、私の、た、大切なもの、なのっ」

少女は手に持っていた短刀を探そうと、地面が見えないまま、足元を探っている。だがしかし、その短刀は見つからない様子である。それはそうだ。少女が喉を突く前に少女の手を自分の方に引き、それにより下に落ちた短刀を掴んだのだから。とりあえず、自分が欄干の近くにいて良かった。もし、遠ければ手遅れだっただろう。早々に、自分の“危険な気配”はこのことだったのだと知る。しかしながら、少女は短刀を手放そうとはしない。

「これでしょう。これは返しませんよ。絶対に」

証拠として短刀を少女に見せると、少女はひどく声を荒げた。

「ど、どうして、、、?そ、それがないと私はっ、私は逝けないのっ!」

「これが貴女にとって大切なものでも、俺から見れば、人の命を簡単に落とせる凶器にしか見えないんです。こんなことはやめてください」

「そちらこそ、やめてくださいっ!急に現れてなんなのですか!離してください、私の短刀を返してっ!」

痛々しい。ただ、そう思った。少女をどのようにしたらこんなに、、、死を望むまでに弱まってしまうのだろう。

「先程、貴女は自分の首を落とそうとしていましたよね?それは絶対にやってはいけないことなんですよ!?」

「どうしてですか!?貴方には私がどうしようとどうなろうと関係ないでしょう!?ですから、離してください!」

関係ない。確かにそうだ。自分はこの少女と何も接点なんてない。赤の他人だ。ひとつ言えるとすれば、自分がこの少女を救った、ということだけだろうか。いや、救った、だなんておこがましい。適切に言えば、死を阻止した、の方が良いだろう。

(救った、とまでは言えない)

今ここで終わらすより、生きていればどうにかなる。だから、この少女を前向きに生きさせなければ。なんとなく、そんな使命感が湧いてきて、少女とじっくり向き合うことにした。それにあたって、最初にはっきりと伝えることがある。

「嫌です。俺は貴女を離したりしません。離したら、見ず知らずのうちに貴女は逝ってしまうのでしょう?俺は絶対にそのようなことはさせません」

「別に良いでしょ!?私が唯一、自分で決めたことなの!私の邪魔をしないでっ!」

「俺はただの通りすがりの者ですが、さすがに見過ごすわけにはいきません。貴女にどのような過去があり経緯があって、そんなことをしようとしたのか分かり得ませんが、自ら命を断つことだけは何があっても絶対にやってはいけないことです!」

今この瞬間、ここに来て良かったと心底思った。自分の直感は、鈍っていないようである。刺客のせいで変なところが敏感になったようだ。

「、、、じゃあ、私に、何をしろと言うの。この世には愛されず、誰からも必要とされないここで。それに加えて、私の気持ちを無視して、親が勝手に決めた人と結婚しなくてはいけないだなんて。私は絶対に嫌よ。家に帰れば、娘ではなく使用人同然として扱われるの。毎日のように手を挙げられ、おかげで私の身体は傷だらけ。ご飯も満足に与えられず、痩せ細るばかり。街に出れば、誰もが私のことを見て嘲笑う。そんなこの世で、私は、どうやって生きれば良いの!?何を信じて生きていけばいいの!?頼れる人も信頼できる人も誰もいないのにっ!私には生きる価値なんてものは存在しないのよっ。私は、もう、全てを終わりにしたいのっ。生きているだけ、良いことなんて何一つもないんだからっ!」

この少女は相当つらい思いをしている。自分と真逆である。生きる意味や価値なんてないと思い、生きることをやめた死を望む少女。生きていたいのに、命を狙われ死と隣り合わせの自分。この巡り合わせは、なぜかとても皮肉のように感じてしまった。意外にも、死とは近いものだと知る。

(いや、違うな。そう思ったら、そうなるだけだ)

死を望めば死に近づくだけのことであって、普通に元気に健康で暮らしていれば死、なんてものはほど遠い。年齢や病気には逆らえないものだが、ただ、自分とこの少女が例外なだけである。


それから、なんとか少女と話をして、生きることを少女に選んでもらえた。自分が願えたことではないが、この少女がこれから前向きに生きていけること、誇りを持って生きていけること、幸せを見つけられることを切に願う。

「なら、少しだけ、もう少しだけ、生きてみようと、思います」

少女は、自分にそう約束してくれた。

「はい、そうしてください」

少女のほっそりとした白い小さな手。その手を包み込むようにして、少女の手を握る。少女を救えた。この時、やっとそう思えた。


まもなくして、少女を帝国病院へと連れて行った。夜でも快く対応してくれる病院に感謝である。病院に携わる人たちはこうして手当てをして患者を救っていると思うと、心の底から尊敬した。看護師により手当てをされている少女を見守っていると、近くにいたもう一人の看護師にこう聞かれてしまった。

「お兄様でございますか」

兄ではない。兄ではないが、ここで真実を言うとややこしいことになりそうである。どうしたものだろうか。この一言は、自分にとって少し切ないような気持ちにさせた。もし、自分がこの少女の兄であったなら、どんなに良かっただろう。自分は少女をこのように傷つけたりしない。自由にのびのびと生きてほしい。どんな感じに生きてみようか、、、とそこまで考えてしまってあっ、と気づく。この看護師にとってはほんの軽い気持ちで言った一言であるに違いない。無理に長く考える必要を与えない問いかけなのだ。

「兄というか、親戚の子、なんです」

「あぁなるほど。そうなのですね。失礼いたしました」

親戚の子、と言った自分に対し、看護師は気分を害することなく微笑んでそう言ってくれた。

「では、全ての手当てが終わるまで、もうしばらくお待ちくださいね」

と言って、看護師は少女の元へと戻っていく。これからこの少女はどうするのだろうか。できることならば、家に連れて帰り、労わってあげたい。のだが、家には刺客が度々訪れる。これほどまで傷つけられてきた少女をこれ以上傷つけることなどあってはならない。もし家に連れて行けば危険に巻き込まれてしまう可能性がある。そもそも、ついてきてと言われても、拒否するかもしれない。当たり前と言えば当たり前だ。初対面の、しかも男の家なのだから。けれど、このまま少女を放っておくわけにもいかないのだ。もし、少女を家に返してしまったら、また傷つけられてしまう。どうしたものだろうか。この少女が心から安心できる場所はないのか。

(そうか。安心できる場所)

少女の周りに親戚の家はないのだろうか。いや、それでも実家と同じような家だったら?また少女が傷つけられてしまう?それだけは絶対に嫌だ。なんとしてでも少女を見届けなければ。そう考えに考えていると、先程の看護師がすっかり手当ての終えた少女を連れてきた。

「お、お待たせ、いたし、ました」

拙い言葉で言う少女。そんな少女はガーゼや包帯に巻かれており、痛々しいほどの傷は見えなくなっていた。

「いえ、大丈夫です。気にしないでくださいね」

そう微笑んで少女の手を取る。少女はそれに嫌がることはなく、そのまま手を取られていた。、、、なぜ、自分は少女の手を取ったのだろう。それをなにやら微笑ましく看護師は見ている。自分を“親戚の兄”として、“親戚の少女”を助け出した、とでも見ているのだろうか。そう思うと勘違いさせてしまってなんだか申し訳なく思ってしまうが、そうさせたのは自分だ。申し訳なく思うよりも、今はそうしておいた方が後々良いだろう。いや、そう思うことにする。そういう結論に辿り着いてひと息ついた頃、少女に話しかけられた。

「先程は、醜態を晒してしまい、申し訳ありませんでした。あ、あの、、幸せ、とはどういうものなのでしょう」

幸せとは?自分に問いかける。

「幸せは、、、ふとした瞬間に思えるものです。言ってしまうと、人それぞれ違うものである、と。こちらにいるお医者様、看護師さんも自分なりの幸せはきっとあるでしょう」

そう言って、周りを見渡すと、自分と少女を見守っていた医師や看護師たちがうなずいてくれていた。いつか、生きているだけで幸せ、と思えるようになってほしいと頭の片隅で願う。

「もちろん、俺にも自分の幸せ、というものがあります。貴女なりの幸せを、これから見つけていけば良いのですよ」

少女の目をしっかりと見つめ、微笑みかける。すると、少女の目に光がすっと入ったような気がした。

「どうして、私にここまで、してくださるのですか」

なぜだろう。少女に問いかけられ初めて気がつく。どうして、こんな見知らぬ少女にここまで心が傾くのだろう。分からない。だから、曖昧に答えた。

「なんとなく、です。放っておけないような気がして」

「そう、なんです、ね。あ、ありがとう、ございます」

「いえ、、、」

なんとなく少女の顔が晴れない気がしたのは、気のせいだろうか。

「あぁ、そうだ。今日はこの後どうしますか?」

「え、、、。どうしましょう」

「家には、、失礼ですが、帰りたくないです、よね、」

少女の顔色を見ながら、同意を求める。

「はい」

少女は何を想像したのか、はっきりと答えた。少女も分かっているようである。しかし、これからの少女の面倒を見る所が必要だ。流石にこのような状態の少女を一人にさせるわけにはいかない。

「あの、貴女にどなたか安心できる場所はありますか」

「私が安心できる場所、、、。あ、椿、」

少女は少し間をおいて、椿、と床に落とした。

「椿、ですか?」

椿とは、花のほうだろうか。いや、花以外にないか。

「実は私の家に、椿が咲いておりまして。椿が居てくれると、なぜか心が落ち着くんです。椿が居るところが私にとって唯一の拠り所で、、、。それに、椿は一輪でも堂々と誇りを持っているように見えるんです。私も、そんな椿に少しでも近づけたらな、と、、、」

もうその術はないですけれど、と最後に一言つぶやいた少女は、どこか寂しそうであった。椿。居場所。寂しい。誇り。自分にも心当たりがある。そういえば、自分の家にも椿の咲く庭があったではないか。もし、今の少女に椿が必要なら。椿が居れば落ち着くことができるのであれば、危険を兼ねてでも提案しても良いだろうか。何があっても少女だけは、必ずや守る。だから、、、。

「あの、もし良ければ、うちに来ませんか」

「え?い、良いのですか、、、?」

「はい」

「で、では、お言葉に、甘えさせていただいても良いでしょうか。本当に、ありがとうございます」

少女はどこか令嬢に見える綺麗で上品な礼をした。なぜだろう。こんなにも、心が暖かく感じるのは。なぜか、この少女にだけは心を許せる気がした。


それから幾らかの月日が経ち、今日もまた刺客に狙われていた。どうやら、近頃になってようやく学習したらしく、家の前には現れなくなった。その代わり、木の陰に隠れていたり、自分の後を追いかけてくるようになった。それもそれで、この上なく迷惑なのだが。そもそも、なぜ自分は狙われているのか。特別、自分がどうこうしたわけではない。ただ、相手が勝手に自分を敵、として狙ってくるだけなのだ。なんとも迷惑な話である。自分は正式な“後継者”なのだと、先先代が決めたのだから、そこにはもう口を挟まないでほしい。

(早く諦めてくれないだろうか)

まぁ、自分がそう思ったとて、解決しないことはもう分かりきっている。だから、今日も自分は逃げている。いや、もう諦めている、の方が正しいのかもしれない。それでも一つ、まだ諦めていないことがある。もう会うことはないだろう、自分自身の幸せと誇りを手に入れることができる、希望に満ちた美しい貴女へ。

「ようこそいらっしゃいませ」

行きつけの喫茶店に入った自分を出迎えたのは、あの少女に似た声だった。

「その声は、、、。蔦子さん?」

「ち、千歳さん!?」

「やはり、蔦子さんですね。お久しぶりです。お元気そうですね」

「お久しぶりですっ。はい、元気ですし、幸せにやっています。千歳さんは?」

「そうですか、それは良かった。俺も元気にやっていますよ」

とある日の朝日が差し込む喫茶店にて、蔦子、という名の少女が元気に働いていた。死にだけに囚われたあの頃の姿は、もうそこにはなかった。

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椿 花霞千夜 @Hanagasumi824

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