第2話

 私は、Aさんの叔母様に連絡を試みました。

 Aさんが生きた証になにかひとつ、小さなものや文房具程度でいいので、形見分けをお願いできないかとメッセージしてみました。



 最初、なぜかそっけないというか、冷たいというか、ぶっちゃけると軽い敵意さえ感じるような対応でした。

 もしかして、詐欺とかと勘違いされているのかな? と、私は詳しくAさんとの関係を話し、「親しい方だけに……」でもらったAさんからのメッセージをスクショで送りました。

 そうすると、一気に態度が軟化しました。



 Aさんは、ハンドメイドアクセサリーのプレゼント企画を頻繁に行っていました。

 Aさんにとって、自分の作品が誰かの手に渡ることは、達成感でありぬくもりであり、人とのつながりだったのだと思います。



 だからでしょうか。

 叔母様がAさんの訃報を伝えた途端、大量のクレクレが発生したのだそうです。

 あれが欲しい、これが欲しい、あれをくれ、これをくれ。

 死者を弔うのではなく、死者から物をむしり取る言葉の嵐。

 叔母様は、たった1~2日で、激しい人間不信になったようでした。



 私は、叔母様の話を聞くことにしました。

 Aさんはどういう状況だったのか。

 Aさんの最期を聞かせてもらいました。



 Aさんは、泣き言を含んだ投稿にも、自分のごく一部しか吐き出していなかったと知りました。

 叔母様は言いました。

 あんな状態なら、自分なら早く殺してくれ、早く死にたいと考える、と。

 Aさんの体はチューブだらけで、後半はギリギリ生命を保っている状態だったそうです。

 水すら飲めず、点滴で命をつないでいたようです。

 それでも意識はあったようで、苦痛を明確に感じていたと推測されます。

 Aさんの肉体はぼろぼろで、特に血管がもろくなっていて、医師もどうすることもできなかったそうです。



 医師は泣いていたそうです。

 「最後まで、生きたい、生きることを諦めないと言っていたのに、応えられなかった」

 と。

 ぼろぼろの体で、激痛に歯を食いしばって、Aさんは生きようとしていました。

 だから、SNSに極力弱音を吐かなかったのでしょう。

 元気になって好きなことをする未来を、Aさんは抱き続けていたのです。




 それでも、Aさんは力尽きた。

 もう楽になったよ、なんて言えません。苦しくても生きたかったのに。

 頑張ったね、なんて言えません。Aさんはまだまだ頑張るつもりだった。

 なのに、尽きた。




 私は、涙は出ませんでした。

 いや、出ていたかもしれません。

 明確に泣くという感覚はありませんでした。

 心が麻痺するようなやるせなさでいっぱいで。




 さらに衝撃的なことが判明しました。

 Aさんには、弔ってくれる人が誰もいなかったのです。

 Aさんは結婚歴はないし、連絡をくれた叔母様は、血のつながりはありません。

 Aさんには母親がいましたが、ずいぶん前に絶縁していたようでした。母親は、施設で一人で暮らしていたといいます。

 遠回しな言い方でしたが、叔母様の言葉は、Aさんの母親には判断できる責任能力がないように感じられました。




 叔母様は、Aさんの母親の弟の、妻にあたる人です。

 叔母様の旦那様は、自分の姉を苦しめた(と叔母様から聞いた)Aさんをすさまじく嫌っており、叔母様がAさんの死後の整理に携わることも激しく叱責していたそうです。

 とはいえ、片付ける人は、ほかに誰もいないのです。

 怒鳴られながら、泣きながら、叔母様は主のいないAさんの部屋を掃除することになりました。

 そのストレスやすさまじいものだったらしく、私は辛抱強く、叔母様の愚痴を聞き続けました。

 誰かが受け止めないと、叔母様は倒れてしまうと思いました。




 愚痴の合間に理解しました。

 Aさんは、SNSで見せていた「毎日楽しい生活」ではなかったということ。

 Aさんの部屋は驚くほど狭く、物にあふれていて、食事と睡眠のわずかなスペース以外、移動も困難だったこと。

 借金があったこと。

 家賃の関係で、できるだけ早く部屋のものを全部捨てて明け渡さないといけないこと。




 すべて捨てる。

 お葬式もなく。

 弔いに来る人もなく。

 お墓もなく。

 Aさんの存在が消されてしまう。




 私は、Aさんとは特別仲が良かったわけではありません。

 そんな私を、親しい人カテゴリに入れてくれたAさん。

 偶然にも、このSNSの広い世界でたった一人、真実を知った私。




 私の行動力は、どこから出てきたのでしょうか。




『ゴミはできるだけ減らさないといけないんですよね。

Aさんの部屋にある、遺品となりそうなものを全部、段ボールに詰めて着払いで送ってくださいませんか。

お礼と言っては何ですが、香典という名目で、これだけの代金をお支払いします』




 私は。

 Aさんの遺品を、買い取りました。

 表面上は形見分け。内情は金銭での買取です。

 当時の私(貧乏)にとっては、生活が危うくなるくらいの金額を提示しました。

 叔母様は渡りに船だと、快く受けてくださいました。

 ゴミをある程度減らさないと、清掃業者の代金が高くなるのだそうです。

 人ひとりが亡くなると、すさまじい量の書類の処理が必要となります。

 叔母様は血縁ではないので、手続きに手間取り、つらい思いも繰り返したようで、少しでも重荷が減るなら、部屋が片付くなら、と心底嬉しそうでした。




 趣味のアイテムは、趣味を知らない人にはゴミです。

 私はAさんと同じ趣味を持っていました。

 だから、ゴミではなく宝物だと理解できます。

 数日後、少しずつ小分けで(それでも、家電入ってますかという段ボールのでかさでしたが)、Aさんの遺品が贈られてくるようになりました。

 中身は、趣味のアイテムがほとんど。

 私が、仕分けはこちらでしますと伝えていたので、生活用品やごみが混ざることもありましたが、気にしませんでした。




 私は、Aさんが愛した趣味のアイテムをきれいに拭いて、「ようこそ、はじめまして」と言いました。




 段ボールで山のように贈られてくる大量の遺品。

 私は叔母様に許可を得て、その使い道を決めていました。

 SNSで、Aさんに哀悼の言葉を残した人にそっとアクセスし、「形見分けの品をもらっていただけませんか。送料のみで結構です」と伝えて回りました。

 おおごとになりたくないので、私の名前は伏せてください、と前置きして。




 哀悼コメントが常識的な人を選びました。

 ある人は、Aさんの死を悲しみながら、写真に撮った遺品を選んでくれ。

 ある人は、自分は遺品を受け取るほどの関係ではないと辞退し。




 ある人は、喜びました。




「Aさんの最後のプレゼントですね!わあい、嬉しいです!

でも、今写真にあるものは全部欲しくないです。

まだ段ボール届くんですよね?こういうのがほしいです!」



 あなたに渡すものは何もない、と連絡を切りました。




「すみません、この写真の(AさんのSNSから持ってきた)これがほしいんです!とても可愛いから!

これ、ありませんか?」



 あなたに渡すものは何もない、と連絡を切りました。




 厳選してまじめな哀悼のコメントの方を選んだのに、やはり人間の醜さは避けようがなく。

 Aさんの最期を知るものとして、悔しくて震えました。

 Aさんは、よくプレゼント企画をしていました。

 大盤振る舞いしてくれるうれしい人、としか認識していなかったのでしょう。

 その人が亡くなっても、コメントでは悲しんだくせに、実際はちっとも悲しんでいないとは。




 私は、せっせと着払いの荷物を梱包しながら、同時進行で、小さな祭壇を立てました。

 祭壇というにもおこがましい、小さな台に、お水とお塩。

 さざれ水晶をつめた線香立てに、ちょっと奮発した線香。

 Aさんが大好きだった清涼飲料水、お菓子などをそなえました。

 宗教的なものはわからないので、無宗教っぽく許される程度に。

 お水とお塩は毎日代え、線香をともして手を合わせました。




 遺品が届いた方から、お礼のメッセージが届きました。

 哀しんでくれること、今でもAさんという存在をいとおしんでくれること。

 遺品を思い出として大切にすること。

 優しいメッセージがたくさんでした。

 私は叔母様にもそれらを共有しました。

 叔母様は、解約手続きなどの難しさに嘆いていましたが、多くの人々からの優しい言葉に癒されているようでした。




 趣味のアイテムで、一番すごくて、一番高価なものをどうするかは、決めていました。

 叔母様から送られてくるかわからなかったので、賭けでした。

 無事に私の手元に届いたときには、心底安堵しました。



 遠い県にある、趣味の人が集うバー。

 Aさんも行ったことがあるという場所。

 私はそこに、趣味アイテムの中で最も高価であろう二品を寄贈しました。

 バーの店主は喜んで受け取ってくれ、店に飾ってくれました。

 これで、同じ趣味の人や、Aさんを懐かしむ人が、Aさんの持ち物で一杯酌み交わし、想いを共有できる。




 その次にちょっといいものは、私が頂きました。

 労働の対価! いいよねAさん! と、半ば(祭壇に向かって)ごり押しして。

 実のところ、遺品をもらってくれる人はことのほか少なく、私のもとにはたくさんの趣味アイテムが山になってしまい、自動的にもらってしまったに等しいです。




 趣味アイテムもかわるがわる祭壇に備えながら、私はおごそかに四十九日を過ごしました。

 毎日のお線香、お水、お塩。

 お菓子は交換するたびに私が食べました。

 心からの供養を施した四十九日。



 そこで私は、区切りを付けました。

 四十九日が終わると、私は祭壇を片付けました。

 他人でしかない私が、ここまでやるのはやりすぎです。

 なのに、どうして私は、こんなことをしたのでしょう。




 孤独……です。




 スマホを握りしめて逝った、Aさんの孤独。

 なぜか他人事に感じられなかった。

 足元から背筋をせりあがるような、孤独の闇。

 恐さではなく、哀しさでもなく、孤独という現実の過酷さ。




 私は、Aさんを最期まで孤独にしたくなかった。

 形見分けを行い、Aさんを想い続けてくれる人に心を託し。

 葬儀も行われず樹木葬となったAさんの御霊を、四十九日、冥福を祈り続けた一人の馬鹿がいたこと。

 Aさんは、生きていて意味があった。

 志半ばで尽きたけれど、思い出はちゃんと生きている。

 さびしくないよ。

 孤独じゃないよ。




 私は、四十九日の間、ずっと祈り続けていました。

 推測しかできませんが、Aさんは家族に恵まれなかった。

 私が恐い、と感じていた攻撃性も、そうしなければ生きてこれなかった、愛に飢えた年月があったのかもしれません。

 だから真剣に祈りました。




 はやく生まれ変わっておいで。

 ものすごく溺愛してくれる両親のところに、超絶美少女になって生まれて、これでもかと愛情を注がれて、おしゃまで可憐な女の子に生まれておいで。

 今度は、足りすぎておなかいっぱい、ってくらいの愛情をうけておいで。

 だから、はやく生まれ変わるんだよ。




 私の祈りが届いたかどうかはわかりません。

 今でも、美少女の赤ちゃんがどこかで生まれているかもしれないと思います。




 どこにでもありそうな、人間の孤独な死。

 誰もが見過ごしてしまいそうな、日常に消えた命の灯。



 大きな事件ではなく。

 社会のひとつと流されてしまいがちな、ものがたり。



 だけどそれは、現実に生々しく存在したもので。

 私が今生きているのはとてもすごいことではないかと、手に通う血の赤みを見て思います。



 生きて、死ぬ。

 人間はみな、そうです。

 それは美しくもなんでもない。

 胸に響く現実が、そこにあるだけ。



 いつか私は、Aさんに言いに行こうと思います。




 すごく頑張ったんだからね!

 余計なおせっかいだったと思うけどね!



 って。





 2022年8月11日。

 あちらでの誕生日を迎えたあなたに。

 現世をまだ生きている私から、今年もまた、祈りを捧げます。



   あなたの友人より。

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