あなたのことを書き残しましょう
真衣 優夢
第1話
※ 鎮魂の思いを込めて
※ 気分を害する、あるいは気分が落ち込むような内容の可能性があります。
※ 生と死、そのあとにある現実から目をそらさずに真っ向から向き合うために書き起こしました。
※ 題材の性質上、フィクションを交えています
※ 言葉が優しい感想のみでお願いいたします
その人の名前は、Aさんとしましょう。
私とAさんは、思い返すと、さほど長い付き合いではありませんでした。
同じ趣味を持つもの同士、偶然にSNSを通じて知り合った、よくある浅い関係です。
Aさんは手先が器用で、レジンアクセサリーなどを製作しては、無料でプレゼント企画を行っていました。
その拡散を見て、私はAさんを知ったのです。
正直にいうと、私はAさんを、ちょっと怖いなと思っていました。
もちろん、優しさときっぷのよさ、大事な人をとことん大事にするところ、プライドがあるところは大好きでしたけれど。
AさんはSNSにて、売られた喧嘩はとことん買うタイプの人でした。
もし、私もAさんと喧嘩をしたらこんな関係になるのかな?と、やっぱり怖くなりました。
私とAさんは、何かあれば愚痴を聞いたり、下らない話をしたり。
創作アクセサリーのデザイン案を出したり、オーダーメイドで注文したり。
べったりではない、何かあれば話せる、そんな、適度な距離感でした。
ある日急に、Aさんからメッセージがありました。
入院することになったと。
びっくりしてSNSを見てみると、救急車で運ばれて緊急入院だと投稿されていました。
前日も前々日も、元気な言葉が載っているのに。
誰よりもAさん自身が驚いたことでしょう。
見返してみると、なんとなく具合が悪そうなことを書いた投稿が、入院以前にちらほらありました。
Aさんは、美味しいものを食べるのが大好きな人でした。
出先で食べたグルメを写真でアップして、おすすめだと、誰か一緒に行こうよ、と、よく書いていました。
本当に美味しそうで、Aさんは舌肥えてるだろうなー、と思っていました。
Aさんは、たまに入院食をアップするようになりました。
グルメリポートみたいに、美味しいところとそうでないところを書いていて、ちょっと笑ってしまいました。
Aさんは、入院生活でも明るく元気に日々を発信していました。
私が、Aさんと共通の趣味アイテムをお見舞いに送ると、とても喜んで、飾って写真に撮ってくれました。
私とAさんの居住区はあまりに遠く、実際にお見舞いに行くことはできませんでした。
行ったとしても、最近は病院のお見舞いはいろいろと大変です。入ることができない可能性もありました。
甘いものが大好きなAさんは、食事制限を受けていました。
それがとてもきつかったらしく、こっそりと自販機で飲み物を買っていたようです。
いけないことだけれど、Aさんらしいなあ、と微笑ましく思っていました。
AさんのSNSは、いつも明るく元気な言葉でした。
でも実際は、とても深刻な状態でした。
緊急入院から帰宅することができず、独り暮らしだったAさんは、荷物をとりに戻ることもできなかったようです。
入院から二ヶ月後、手術の日が決まったとSNSにアップされました。
そして、『親しい方のみにお知らせします』と個別メッセージが届きました。
写真がありました。
Aさんは、6本のチューブで体を維持している、とても危険な状態でした。
その病院のその科で、一番の重篤患者だったようです。
どれだけ不安で、どれだけ孤独だったことでしょう。
『親しい方のみにお知らせします』
私は、親しい方だったんですね。
あなたにそう思ってもらっていたのですね。
ネットの糸でしか繋がれない私を、親しい友人として認めてくれていたんですね。
涙が出そうになったのは、Aさんの信頼を感じたのはもちろんですが。
この手術は表向き、すぐ終わらせて帰ってくるように書いているけれど、違うのだと。
命に関わる大きな手術だと理解しました。
ネットの向こうで明るく話していた人に、死が迫っている。
現実感がわかず、きっとうまくいく、大丈夫と、私はどこか、Aさんから目線を反らして過ごしていたように思います。
怖かったのです。
深く考えたら、不安で過ごせなくなります。
今を生きるために、私はAさんのSNSを見る回数を減らしました。
根拠なく、元気に戻ってくると思いながら。
「今から手術いってきます」の投稿を最後に、Aさんの反応はなくなりました。
まさか。そんなことないよね。
手術のあと、ネットできない環境がちょっと長いだけだよね。
そうだよね?
偶然にも、私の予想は当たっていました。
かなりよくない方向で。
手術から一ヶ月半くらいして、Aさんの投稿がありました。
Aさんは生きていました。
久々の投稿は、いつもの明るい口調ではありませんでした。
手術中に、Aさんの心臓は三度、止まったのだそうです。
懸命な蘇生措置で一命をとりとめた、ぎりぎりの状態でした。
Aさんは、声を失った、と綴りました。
詳しくは語られませんでしたが、気管切開して喉にチューブを入れないと、生きていられなかったのだと思います。
麻酔で眠って、目覚めたら自分は多くを失っていた。
どれほどの恐怖か。想像するだけでつらさが込み上げます。
そんな状態でも、Aさんには、そばについてくれる人は誰もいなかったのです。
両足が動かず、激痛が走ると、頑固で気が強かったAさんが泣き言を書いていました。
耐えがたい苦痛だったのだと思います。
私がAさんのそばにいたとしたら、体のどこかをさすって寄り添いたい、と思うくらいに。
それになんの意味もなくても、友人として、つらい時にそばにいてあげたかった。
Aさんは、キーボードのようなものを写真に撮ってアップしていました。
50音が記されたキーを押すと、音声が出るものです。
Aさんは、声を失っても、生きる気力を失ってはいませんでした。
機械を通じて喋ることに希望を見いだし、練習していたようでした。
「こんなところで死んだら、なんのために生きたかわからない」
Aさんは文字でそう言い放ちました。
本来、手術が成功していた場合の退院予定日は過ぎ去りました。
Aさんは、退院したらこれをしよう、と、たくさんの予定を書いていました。
どれもかなえられないまま、日付が過ぎていきました。
私にできることは、負担にならない程度の頻度で、メッセージを送ることくらい。
Aさんの投稿が、過去写真ばかりになってきました。
趣味のものを撮った写真。いつかのグルメ。創作したアクセサリー。
元気だった頃、幸せだったものをなぞるだけの投稿になりました。
それさえも、毎日ではなく、ぽつりぽつりで。
ある日。
Aさんの叔母を名乗る人がSNSに投稿しました。
Aさんの訃報を報せる内容でした。
きっと、こうなることを覚悟して、ロックを解除していたのでしょう。
Aさん本人が最後に投稿したものは、当たるともらえる清涼飲料水の懸賞でした。
喉が乾いたのでしょう。
大好きな甘いものが飲みたかったのでしょう。
訃報の投稿に、たくさんのコメントがつきました。
みな、Aさんの死を悼み、悲しんでいました。
こんなにも多くの言葉が寄せられているのに。
臨終の際、Aさんは孤独だった。
手には、しっかりとスマホが握られていたのだそうです。
ネットこそが、Aさんが過ごせる場所で。
Aさんの最期、手を繋ぐものはスマホだけだったのです。
つづく
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