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「けっこう歩きますね」
「あぁ」
月と道隆は今なぜか山の麓を歩いている。
「というか全く敵を見つけられませんけれども」
月は歩いている途中、立ち止まって周りを見渡しているのだが、敵らしき人を一人も見かけていない。戦う気があるのだろうか。ただただ誰もいない山の麓を歩いている。
「そりゃあ、俺らは敵がいる反対方向に歩いているからな」
「なぜそのようなことを!」
(信じられない、この方。戦に自ら赴き戦うのが大名というものではなくて?)
西園寺家は一応、桐生家と同じ身分の大名家であったはず。なら、逃げる必要はないのではないか。これではまるで、落武者みたいではないか。大名家が逃げるなんて、悔しさだけが募る。
「それでは、完全に私たちの負けではありませんか!これでは逃げているのと同じです!きゃっ」
月は小さい悲鳴を上げてしまう。なんと月は足を滑らしてしまったのだ。山の麓といえば麓なのだが、下は崖で油断をすればすぐ落ちてしまうような場所もある。落ちると月は覚悟した瞬間誰かに手を引かれ、抱き上げられた。
「大丈夫か?」
「なっ!大丈夫です!下ろしてください!それに、自分を斬ろうとしている女を助けない方が良いのではないですか。私を助けても何の得にもなりませんよ」
「それは今しない方が良いんじゃないか。後ろから敵が追ってきている」
「私は自分で歩けます!」
「足を滑らした拍子に足を捻ったのに?黙って抱えられていろ」
「なっ!」
鋭い目で道隆を見つめる月。何気に月の異変に分かる道隆。月にはそれがたまらなく悔しくて仕方がなかった。少し前までは敵だった者に自分のことを分かってほしくない。分かったような素振りをしないでほしい。それに、自分を斬ろうとしている女を助けるなどどういう神経をしているのか。月には考えられなかった。と、遠くの方で敵の姿が見えた。
(こういう時、薙刀か弓があれば!)
薙刀があれば敵を斬ることができる。弓があれば遠くにいても敵を倒すことができる。
(隙あらば、斬ってしまおうかしら)
道隆を敵だと間違えて一緒に斬ってしまおうかと考える月だったが、生憎薙刀も弓も持っていない。月には何も手段がなかった。生きるためには嫌でも道隆の言う通りにしないといけない。しばらく、月が黙っていると道隆が声をかけた。
「月。勝姫の策略はどうだ」
敵が自分たちを見つけ、こちらにやってくるのが見える。こんな時に道隆は何を言うのか。勝姫?今なぜそれを。策略とは一体何だろうか。月には道隆の言ったことが理解できなかった。
「私に何をしろと言うのですか!?」
「本当に目で人を滅することができそうだな。さすが勝姫だ」
「失礼ですね。どんな目よ」
そんなに月は鋭い目をしていたのだろうか。道隆の目に月の目はどんな風に映っているのだろうか。一度、自分でも見てみたいと思う。ただ、道隆と月の感性は違う気がするので、同じようには見えないかもしれない。
「その目だよ。勝姫降臨」
なぜか面白そうに笑う道隆。勝姫降臨とは一体何なのか。これまた月には理解ができない。そうこうしているうちに、道隆は月を抱えたまま馬に乗っていた。揺れたこともなくいきなり馬に乗っていて月は驚く。
(いつのまに、、、)
「しっかり捕まっていろ。あと月、言い忘れたけど後ろに薙刀あるから」
「早く言ってください!」
月は怒りながらも道隆から渡された薙刀を持って、危ないぞと言う道隆の言葉も聞かずに馬から降りた。今無性に腹が立って仕方がないのだ。降りた月は自分の足を挫いていたことも痛みも忘れるほどの神経を集中させていた。だんだん近づく敵に月は薙刀を持った手を前に伸ばす。
「おい、あれは桐生家の勝姫ではないか。すぐにやってしまえ」
「あんな弱い女なんか敵じゃないですよ」
「勝姫と呼ばれてるからって、本当は弱いんじゃよ。“あのとき”と同じようにな」
「“負姫”の再登場であるな」
「戦でどうせあやつの足を引っ張っているのじゃろう」
「どうせ桐生家なんぞすぐに落ちぶれるわ。町人たちもみんなあの女の肩をもとうとする。正常ではないな」
「前に一度、一人手にかけてみたら、あいつら、勝姫様だけは手を出さないでと言ってきて気味が悪かったわ」
どこかで月や何の関係もない町人たち、桐生家を嘲笑う声が聞こえる。勝姫、負姫という二つの言葉が月の脳内を駆け巡りだした。忘れていたつもりのものは、思い出されてやがて迷いだす。“負姫”とは、月の幼い頃に呼ばれていた名だ。と言っても、家族や侍女、家臣、町人ではなく、赤の他人からだ。とある理由からそう呼ばれるようになった、という月の過去だ。今は勝姫と呼ばれることが多いが、いまだに負姫と呼ぶ人もいる。別に呼び名なんかどうでもいい。ただ。
(私のことは好きなだけ笑いなさい。だけど、関係のない、ましてや罪のない方々を手にかけるなど嘲笑うことなどもう絶対にあってはいけない。私が許さない。私がみんなに守ってもらったように、私も守りたい。絶対にみんなを守る。私はあのときそう決めたの)
月が決意を固めている時にはもう四面楚歌の状態だった。そんな中でも、月は物怖じなどせず、いつものように優美に話しかけた。赤い唇をゆっくりと動かして。これが、月の戦闘体制だ。
「ふふっ。あらあらこんにちは。そんなに大勢でやって来て何事ですの?私は弱い女ですよ?なのに、そんな大勢でやって来るだなんてどうかしていますね。私が怖いのですか?私の首をとります?良いですよ。受けて立ちましょう」
月は面白いと言わんばかりに早速、薙刀を上手く使い敵と戦う。
(父上と母上のおかげね)
月はよく父と母に特訓をされたのだ。
『いつでも自分の大事なものや人々を守れるようにするのですよ』
これが母の口癖だった。毎日のように言っていた母のこの言葉は、今も月の胸に深く刻まれている。月はそれを思い出しながら襲いかかってくる敵たちを手で上手く交わし、薙刀の柄の部分を使ってどんどん相手を気絶させていく。月はどんなに憎い人でも手にかけたくないのだ。ただし、道隆や“とにかく憎い人”を除いて。人の生命はとてもかけがえのないものだとも教えてもらった。
「あなた方〜。そんなに長年戦をして何がしたいのでしょう?私にはただのお遊びにしか見えないわ」
月は敵たちにこれまた優美に話しかけた。上手く月に交わされる敵たちは悔しいらしく、一気に月を襲ってくる。だが。
「それにしても、敵があと数人しかいらっしゃいませんね。大丈夫そうですか?こんな弱い女に、しかも敵の女に負けて情けなくないのでしょうか。あの負姫なのですよね?私」
「うるさい。お前はもう黙っていろ」
敵の一人が月に、いや、勝姫に逆らう。
「あらやだ怖い」
実際には、全く怖くなく、月は整った顔に美しい笑みを浮かべている。周りの敵はそんな月のことを気味が悪いとでも言うように、肩を震わせた。
(何とも情けないことね。というか、あの方は一体どちらにいるの!?あぁもう!)
倒しても倒しても次から次へとやってくる敵に、月は怒りを滲ませる。やはり、一人で相手をする敵の人数が多すぎる。月は目を左右に動かしてざっと人数を数えた。およそ、二十人くらいだろうか。そんな中、月自身がいるらしいという情報を聞きつけた敵の大将が采配を手に、馬に乗ってやって来た。見た目の年齢でいうと、三十代くらいだろうか。まだ若い大将である。
(いやいや、来ないでいただきたいわ!)
なぜ自分のところに大将が来るのか。大将の相手は月ではなく、次期当主である道隆なはず。
(待って、大将ということは、この人が私の命を狙っている?)
というか、余裕すぎやしないか?いや、目的が月なのだから、道隆など相手にさえしていないのか。それならば、西園寺家にとって大迷惑な話である。全ては月が嫁いだばかりに、戦にまで発展してしまったのだ。いや、けれど全ての原因は道隆が月に求婚したからだ。責任を道隆に押し付けて、自分は目の前のことに集中する。まず、なぜ月の命を狙うか、だ。本当に狙っているのなら、この場に来る途中で、月に向かって矢を放てば良かったはずである。そうすれば、月は向かってくる矢に気づかずに、体を貫かれるだろう。月の命をとるための方法は、こんなにも簡単なのだ。なぜ、月の前に現れてわざわざ難しくするのだろう。誰も彼も皆、考えていることが分からない。つまり、厄介なのだ。
(嫌になるわね、厄介な人って)
「私に何のようです?私の命を狙っているとかなんとか。それなら、早く矢を放てば良かったのではありません?遠くからでもできたはずでしたよ」
月は大将に躊躇わずに問うた。大将はそんな月を上から見下ろしている。さて、どのような態度をとるだろう。生意気な口をきいた月を今にも刺すだろうか。
(ふふっ、そうはさせませんわ)
自分は生きる。生きなければ、道隆の首を斬れないからだ。あとは、『生きろ』と言われたから。それに、自分はこれで殺られるほど弱くない。月はふっ、と勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「ははっ、あなたが勝姫ですか」
大将は面白そうに月の呼び名を呼んだ。
「そうですが」
月がそっけなく言葉を返すと、大将は馬から降りた。そして、月のほうに近づいて一言。
「憎い。あなたが」
その顔は面白がっていた先程の顔ではなく、月を敵として恨んでいる顔だった。いきなり憎悪ですか、と言いたくなったが口に出さぬよう耐える。いや、そもそも月はこの人に何かしただろうか。勝手に敵として認識されているのならば、大迷惑である。
「私、あなたに何かしましたか?全く身に覚えがないのですけれど」
「はたして本当にそうでしょうか」
「え、、、?」
大将は月のほうに手を伸ばし、月の白く細い手首を掴んだ。
勝姫の策略 花霞千夜 @Hanagasumi824
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