第二章「勝姫の駆け引き」

1

「桐生家から参りました。月と申します」

月は三つ指をついて、軽く頭を下げた。婚礼の儀が終わり、西園寺家の城に入った今は、寝室で道隆と二人きりになっている。

(なんと気まずいこと。きっと相手も気まずいわよね)

戦場で求婚されることなどきっと多くはないだろう。それも重なり、この空間に無言の気まずい空気が流れる。

(あぁ〜この沈黙が苦しいわ)

この沈黙に耐えられなかった月は、自らあの話を持ち出すことにした。月は懐の中から短刀を取り出し、道隆の首に短刀の柄の部分を当てた。道隆は少しも驚いていない様子で、ずっとそのままでいる。

(さすがね。驚かないものだわ)

感心しながらも、月は道隆を睨む。

(いざ、言うとき!)

月が口を開こうとした瞬間、道隆に先を越されてしまった。

「これは?」

(これは貴方を斬るための短刀よ!)

「この短刀ですか?これは貴方を斬るためのものですよ」

月は赤い唇を優雅に動かしながら言った。

「私と駆け引きをしましょう。貴方が勝てば私はこの先も貴方の妻でありましょう。私が勝てば即座に貴方の首を斬りましょう」

(ふふん。さぁ早く駆け引きをすると言うのよ!けれども、駆け引きを受けなかった場合、追い出されてしまう可能性もあるわね。そこは考えていなかったわ。私を軽蔑し、この短刀で私を殺すかもしれない)

念の為、殺される時の覚悟をしておこうと思ったのだが、それは必要なかった。なぜなら、道隆が月の予想よりはるか上を答えたからだ。

「そんなことをして、幸せになれるのだろうか。姫が短刀を持っていては危ないだろう」

「は、、、?」

なんと、月の持っていた短刀は道隆によって下におろされたのだ。月の手は道隆の手に掴まれたままである。月の思考が一瞬だけ停止した。短刀だけが床にぼとりと落ちる。

「な、なな何を!私は貴方を斬るつもりで来たのですよ!?そこには何も反応しないのですか!?」

月は道隆を奇妙な目で見る。

「さすが勝姫だな」

「、、、戦場で求婚した貴方に言われたくありませんわ。して、私の駆け引きはどういたします?」

月は決して負けないといった様子で道隆を鋭い目で見つめる。

「駆け引きの内容とは?」

「一ヶ月で私が幸せになれるかなれないか、よ!」

(まぁ、きっと私はこの人だと幸せになれないかもしれないわね)

一カ月で幸せが実感できるのかは分からないが、賭けてみる価値はありそうだ。

「そんなことで良いんです?俺は貴女を絶対幸せにできる自信がある」

「あら、ずいぶん自信満々ですこと」

「一ヶ月ですよね?」

「私の駆け引きに応じてくださいます?」

「あぁ。面白い」

なぜか、面白そうに口角を上げる道隆。

(何よ、この人。どこが面白いの?自分の命がかかっているのよ?不思議な人ね)

「何が面白いんですの?私には全く理解ができませんわ」

つんと澄ました表情でいる月に、道隆は言った。

「これからよろしく、月」

ニヤッと笑った道隆に、月は気味悪く感じ、背を向けた。

「今日は疲れましたわ。私はもう寝ます。おやすみなさいませ」

月はそう言って、道隆の手を振り解いた。床に敷かれた布団の中に入ろうとする。その瞬間、また道隆に手を掴まれた。

(何よ!)

振り払おうとしたが、道隆の手はびくともしない。

(力強いのね。早く離して欲しいものだわ)

「離してくださいます?」

(あまり話をしたくないのに)

「、、、おやすみ」

道隆はそう言った後すぐに月の手を離し、布団の中に入ってしまった。

(何だったの?一体何がしたかったのかしら。やはり、この人のこと理解できそうにないわ)

これからの新生活が不安でしかないと思う月だった。


次の日、月は自然と目が覚めた。まだ寝ていたい気もするが、そうは言っていられない。なぜなら、妻としてやること、女主人としてやるべきことがたくさんあるからだ。妻としてやるべきことは、主に後継者を産み育てること。また、長年夫をどんな時も支えることだ。女主人としてやるべきことは、主に奥向きをしっかり仕切ることである。

(私には、妻としてやるべきことはやりませんけれども〜)

この一ヶ月が勝負なのだ。はたして、月は道隆に勝つのか、負けるのか。

(絶対あの人と幸せになんかならない。私は絶対に負けない)

月が決意を固めながら自室で着替えていると、だんだんと部屋の中が明るくなりはじめた。太陽がいよいよ昇り始めたのだろう。朝日が気持ち良いなと思う。

(今日の着物は、朝日に色が似ているのかもしれないわね)

今日月が着ている着物は、主に鮮やかな色を主としており、上から下にかけて黄檗色から橙色となるように工夫をした。打掛は、朱色の地に可憐な花々が刺繍されていて可愛らしい。全体的に朝日の色に似ていると思うのは月だけだろうか。月が微笑みを浮かべながら部屋を出、廊下を歩き出すと、突然誰かの騒いでいる声が耳に入った。

「つ、月姫様ぁ〜!!!!!!」

声を聞く限りお葉のようである。慌てて月のもとに走ってくるお葉に月は心配する。

「どうかしたの?そんなに慌てて」

「月姫様!あ、あの、あのお方が、せ、戦場に!」

「あら。そうですの」

たしかに、月が朝起きた時には、道隆はもういなかった。妻に朝の挨拶くらいしても良いのではないかと思ったのは、月の秘密だ。

「どうしてそう、落ち着いていらっしゃるのですか!月姫様のお命がかかっているんです!」

「何ですって?」

驚いた。なぜ、月の命がかかっているのだろうか。結婚したばかりではないか。それなのに、もう命がかかっていると言うのか。誰が、月の命を取ろうとしている?道隆はいつの間に気がついたのだろうか。昨日は道隆と同じ時間に寝たはず。そして、月が起きた時にはもういなかった。つまり、月が起きる前に誰かが道隆に知らせたということか。それ以外考えられない。そもそも敵の目的は何だろうか。桐生家に嫁いだ月を狙って西園寺家に掴みかかるなら、桐生家の敵にも西園寺家の敵にもなってしまう。いや、最初から西園寺家の敵でもあったのかもしれない。けれど、それなら月を狙う必要があるのか?月を狙ったとしても、結婚したばかりなので夫婦の情は一切ない。義父母との関わりもほとんどないので、月を狙ったところで何ら変わらないだろう。

(とりあえず、誰?私の命を狙っているのは!それだったのなら、私が嫁ぐ前に狙えば良かったのに)

全く効率の悪いものである。多分、西園寺家はそう簡単には負けないと思う。今すぐに道隆にいろいろ問いただしたいがために、月は道隆に会いにいく。行くと、道隆は草履を履いているところだった。

「貴方様!お待ちくださいませ。私の命がかかっているなどどういうことです?それならそうと私に言ってください」

「すまない。そなたの命は必ずや守る」

「貴方様、私も戦場に連れて行ってください。自分の命がかかっているのに、守られるばかりなんて嫌です。それに、何か一言言ってやらないと気が済まないんです。ですから、私も連れて行ってください」

月は道隆に懇願する。黙る道隆の返答を待っていると、道隆が仕方なさそうに言った。

「では、絶対危ないことはしないと約束してください」

なぜか子供扱いされているような気分になったが、月は口に出さずにぐっと抑える。

「ありがとうございます。では、早速行きましょう」

いざ参らんと月は気合いを入れるが、途端にお葉が月に飛びついてきた。

「月姫様〜!まぁ〜た戦に行くのですか!?私、今度こそ倒れそうです!!」

月姫様に何かあったらどうするんですか!、と泣きそうに言うお葉の頭を月は優しく撫でる。

「大丈夫よ。お葉はいつも私の心配ばかりをしてくれるのね。ありがとう」

「当たり前です!!!!月姫様を自分の命をかけてまでも付き従う所存にて」

そんなお葉を頼もしいと思いつつ、お葉に言ってきます、と挨拶を告げた。そこで気づく。

「月姫様、そのお姿で行くのですか?」

今の月の姿は、小袖に打掛を纏い、髪をおろした状態。これは絶対、戦に行く格好ではない。

「〜っ」

なぜ自分の格好に気がつかないまま、すぐに行こうとしたのだろう。急に月は恥ずかしくなってきた。頬がほんのり赤く染まるのを感じながら、それを隠すようにして袖を口元にあてる。

「あ、貴方様、一瞬お待ちくださいませ」

恥ずかしさの中、絞り出した声はか細い。またもや恥ずかしくて仕方がない。だから、道隆の返事も聞かずに、月はお葉を連れて自室に急いだ。

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